格言集
銀河英雄伝説
黎明篇
……私は少し歴史を学んだ。それで知ったのだが、人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ。人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。それを何百年、何千年も続けて来た……。
――ヤン・ウェンリー
責任感にも才能にも限度というものがあり、どれだけ期待されても、あるいは強制されても、不可能なことは不可能なのである。
――ヤン・ウェンリー
人間の想像力は個体間では大きな格差があるが、集団としてトータルで見たとき、その差はいちじるしく縮小する。
――ヤン・ウェンリー
戦争をする者とさせる者との、この不合理きわまる相関関係は、文明発生以来、時代を経てもいささかも改善されていない。むしろ古代の覇王のほうが、陣頭に立って自らの身を危険にさらしただけましかもしれず、戦争をさせる者の倫理性は下落する一方とも言えるのである……。
――ヤン・ウェンリー
恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんなもの望みはしない。だが何十年かの平和で豊かな時代は存在できた。吾々が次の世代に何か遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和が一番だ。そして前の世代から手渡された平和を維持するのは、次の世代の責任だ。それぞれの世代が、後の世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和が保てるだろう。忘れれば先人の遺産は食いつぶされ、人類は一から再出発ということになる。まぁ、それもいいけどね。
――ヤン・ウェンリー
人はなぜ、自分にとってもっとも必要なとき、それにふさわしい年齢でいることができないのだろう。
――キルヒアイス
どんな組織でも機械でも、運用するのはしょせん、人間だ。上位に立つ者の才幹と器量しだいで、虎が猫にもなりその逆にもなる。虎の牙がどちらを向くか、これもまた猛獣使いしだいだ。くわしく人がらを知っておくにしくはない。
――ルビンスキー
専門家が素人に後れを取る場合が、往々にしてある。長所より短所を、好機より危機を見てしまうからだ。
――ルビンスキー
知将と呼び、猛将と言う。それらの区分を超えて、部下に不敗の信仰を抱かせる指揮官を名将と称する。
――ヤン・ウェンリー
戦う以上、犠牲が皆無ということはありえない。だが同時に、犠牲の増加に反比例して戦勝の効果は減少する。この双方の命題を両立させる点に用兵学の存在意義があるはずだ。つまり最小の犠牲で最大の効果を、ということであり、冷酷な表現を用いれば、いかに効率よく味方を殺すか、ということになるであろう。司令官はそれを理解しているのかな。
――ヤン・ウェンリー
誰のために、何のために、見も知らぬ相手と殺し合うのか、という疑問は、そのとき兵士たちにはなかった。生き残ったことと勝ったこととを、彼らは単純によろこんでいた。しかし数時間後には、生き残った彼らのうち、幾人かが新たな死者の列に加わらねばならないのだ。
要するに三、四〇〇〇年前から戦いの本質というものは変化していない。戦場に着くまでは補給が、着いてからは指揮官の質が、勝敗を左右する。
――ヤン・ウェンリー
金銭は決して軽蔑すべきものじゃないぞ。これがあれば嫌な奴に頭を下げずにすむし、生活のために節を曲げる必要もない。政治家とおなじでな、こちらがきちんとコントロールして独走させなければいいのだ。
――ヤン・タイロン
そうとも。自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖者なりが現れて、彼らの苦労を全部ひとりしょいこんでくれるのを待っていたんだ。そこをルドルフにつけこまれた。いいか、おぼえておくんだ。独裁者は出現させる側に多くの責任がある。積極的に支持しなくても、黙って見ていれば同罪だ・・・・・・しかしだな、お前、そんなことよりももっと有益なものに関心を持て。
――ヤン・タイロン
ルドルフ提督の登場は、民衆が根本的に、自主的な思考とそれにともなう責任よりも、命令と従属とそれにともなう責任免除のほうを好むという、歴史上の顕著な例証である。民主政治においては失政は不適格な為政者を選んだ民衆自身の責任だが、専制政治においてはそうではない。民衆は自己反省より、気楽かつ無責任な為政者の悪口を言える境遇を好むものだ。
――D・シンクレア(歴史学者)
……私は前面の有能な敵、後背の無能な味方、この両者と同時に闘わなくてはならなかった。しかも私自身ですら全面的には当てにならなかった。
――C・ウッド提督