ジョンソン基地の由来

 ジョンソン基地は1946年2月に公式にジョンソン陸軍航空基地と名づけられたもので、日本にあった米軍人の英雄の名前から取られた基地の名称としては、戦後最後のものとなった。

       
           写真はGerald Johnsonが未だ中佐の時のもの

 第49戦闘群のパイロットとして、後に司令官として活躍し、部隊として677に及ぶ空中戦で勝利を確かなものにした。その内の24はジョンソン大佐による。

 25歳で大佐に昇進、空軍で最も若い大佐の一人となった。将来を有望視されていたが、飛行機の墜落事故で亡くなった。

 1945年10月7日のことである。悪天候の中、5人を乗せたB-25は厚木基地に着陸しようとしたが、できなかった。同機にパラシュートは4人分しかなく、ジョンソン大佐は他の乗組員に飛び降りるよう命令した。

 コーパイロットはそれを拒み、二人が同機に残った。

 同機は1945年10月7日東京湾上に墜落した。航空機も二人も見つかっていない。
パイロットであったジョンソン大佐はこの時25歳。

 米国て訓練を受けていた大佐は1944年6月1日付けで結婚し、1年後にJohnson Gerald Jr.ジュニアが生まれた。4ヵ月後(終戦直後、家族を日本に連れてくることはできなかった)彼は、自分の子を見ることなく亡くなった。



2009年3月以下の記事を追加
アフターバーナー1965年、昭和40年6月25日号



1949年3月18日 ジョンソン基地 (航空自衛隊入間基地)