団塊世代の想い出

キャンディーズ

キャンディーズ Candies

当時、東京音楽学院のスクールメイツだった彼女達は、1972年4月、NHKの新番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして抜擢された。キャンディーズの名前は、当番組のプロデューサーの命名である。「食べてしまいたいほど可愛い女の子達」のイメージから(キャンディー)とネーミングされたと言われている。
当初、3人とも特に目立つ存在ではなく、いちマスコットガール兼アシスタントに過ぎなかった。
その後、しばらく立って渡辺音楽出版の社員であった松崎澄夫(現・アミューズソフトエンタテインメント代表取締役社長)の目に止まり、歌手としてデビューする事となった。歌手デビューする前からも「8時だョ!全員集合」にレギュラー出演していたが、しばらくはヒット曲に恵まれなかった。
デビュー当時のメインヴォーカルは、歌唱力が高かった田中好子(スー)が起用されていが、1975年、5枚目のシングル「年下の男の子」でメインヴォーカルを田中好子(スー)から伊藤蘭(ラン)に切り替えたところ、この試みが大ヒットに繋がり一躍人気アイドルとなった。そして、この曲が初のオリコンベストテン入りも果たした。
翌1976年には、「春一番」がオリコンで最高3位まで上昇。人気もさらに過熱しトップアイドルグループとしての地位を確保していった。そして暮れの「第27回NHK紅白歌合戦」には初出場を果たした。
そんな人気絶頂のさなか、翌年の1977年の夏、キャンディーズは突如解散を発表する。
それは7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサートでの出来事であった。
3人は涙を流しながら、
ラン「私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります」ミキ「ごめんなさい」スー「許して下さい」
これが突然の解散宣言であった。
ランが叫びながら発言した「普通の女の子に戻りたい」は、当時流行語にもなっている。
突然の解散発言に事務所は戸惑い、話し合いの末、解散は半年間先送りされることになった。
この解散発表からキャンディーズの人気は更に加熱し、ラストシングル曲「微笑がえし」では初のオリコン1位を獲得した。
1978年4月4日、後楽園球場での「さよならコンサート」5万5千人のファンの前で最後に述べた言葉
「本当に私たちは、幸せでした!!」はファンの涙を更にエスカレートさせていった。コンサート最後の曲「つばさ」は、ファンに対する想いを込めてランが作詞した曲である。
また、2008年4月4日に東京ドームシティ内のJCBホールにて「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会」開催し一時的な再結成コンサートを催した。
キャンディーズ解散後、それぞれの道を歩み個別の行動をとっていたが、親交は厚く良き友としてお付き合いをしていたという。往々にしてグループ解散後は疎遠になりがちではあるが、生涯の親友として仲良が良いという事は羨ましいかぎりである。
2011年4月21日、スーちゃん(田中好子)が乳がんにより永眠(享年55)
当日朝、ランちゃんミキちゃんはスーちゃんが危篤という知らせを受け、7時間あまりもスーちゃんを呼び続け、最期を看取ったという。

シングル レコード・リリース

〜主なヒット曲〜
昭和48年09月 あなたに夢中 作詞:山上路夫 作曲:森田公一
昭和50年02月
年下の男の子
作詞:千家和也 作曲:穂口雄右
昭和50年12月 ハートのエースが出てこない 作詞:竜真知子 作曲:森田公一
昭和51年03月 春一番 作詞:穂口雄右 作曲:穂口雄右
昭和51年05月 夏が来た !  作詞:穂口雄右 作曲:穂口雄右
昭和52年03月 やさしい悪魔 作詞:喜多条忠 作曲:吉田拓郎
昭和52年06月 暑中お見舞い申し上げます 作詞:喜多条忠 作曲:佐瀬壽一
昭和53年02月 微笑がえし 作詞:阿木燿子 作曲:穂口雄右
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アルバム レコード・リリース

〜主なアルバム・リリース〜
昭和48年12月
あなたに夢中/内気なキャンディーズ
昭和49年06月
危い土曜日/キャンディーズの世界
昭和49年12月 なみだの季節/キャンディーズ
昭和50年04月
年下の男の子/キャンディーズ
昭和50年10月  その気にさせないで/キャンディーズ
昭和50年12月
キャンディーズ 10,000人カーニバル
昭和52年10月 キャンディーズ 一六七六日
昭和53年05月 キャンディーズ ファイナルカーニバル プラス・ワン
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主なTV・ラジオ・映画出演

TV 番組    
歌謡グランドショー NHK総合 昭和47年04月~ ※キャンディーズ誕生
8時だョ!全員集合 TBSテレビ 昭和48年04月~
みごろ!たべごろ!笑いごろ! テレビ朝日 昭和51年10月~昭和53年3月
レッツゴーヤング NHK総合 昭和51年~昭和52年
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ラジオ    
GO!GO!キャンディーズ 文化放送 昭和51年6月~昭和53年4月
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映 画    
ザ・ドリフターズの極楽はどこだ !!  松竹 昭和49年12月公開
ザ・ドリフターズのカモだ !! 御用だ !!  松竹 昭和50年08月公開
正義だ!味方だ!全員集合 !! 松竹 昭和50年12月公開

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NHK紅白歌合戦 出場

第26回 昭和50年(1975年)出場 ※披露曲「年下の男の子」
第27回 昭和51年(1976年)出場 ※披露曲「春一番」
第28回 昭和52年(1977年)出場 ※披露曲「やさしい悪魔」
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プロフィール

ラン(立ち位置・センター) 伊藤 蘭(本名 : 同じ/結婚後 : 水谷蘭)1955年1月13日/東京都武蔵野市吉祥寺生まれ
伊藤蘭萩窪中学校に在学中の1969年、歌手を目指し東京音楽学院(渡辺プロダクション)に入学した。同時期に入学した田中好子と共にスクールメイツに選ばれ歌手のバック・コーラスやマスコットガールとしてTV等に出演していた。
また芸能活動をする傍ら、女優を目指し日本大学芸術学部演劇学科に進学した。
レコード・デビュー当初はコーラスを担当。伊藤蘭をイメージして作られた5曲目の「年下の男の子」以降は主にボーカルを務るようになった。(センタ-に立ち位置を移動)
キャンディーズ解散後、一時引退したものの1980年に芸能界に復帰し女優業に転身。1980年11月、日本アート・シアター・ギルドの青春映画『ヒポクラテスたち』で映画初デビューを果たし、ヨコハマ映画祭助演女優賞を受賞した。同年12月には松竹映画「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」で寅さんの忘れ形見の娘、すみれ役として出演。TVドラマ等にも数多く出演し、翌年の1981年には、劇団・夢の遊眠社の「少年狩り」を皮切りに舞台女優としても出演したりと、多岐に渡り活躍した。またTV CMではエチケットライオンや、スズキのスクーター「蘭」のマスコットガールとして登場。
1989年に俳優の水谷豊と結婚。翌1990年9月、長女の趣里(女優:2011年3月27日TBS放送「3年B組金八先生ファイナル」 柴崎茜 役で出演)を出産。
現在はTVドラマを主体とし、また舞台等でも活躍している。

ミキ(立ち位置・左) 藤村美樹(本名 : 同じ/結婚後 : 尾身美樹)1956年1月16日/東京都世田谷区生まれ(福島県福島市育ち)
藤村美樹父は音大の声楽科教授、母はピアノの先生という音楽一家に生まれ育ち、自然と歌の魅力に引き込まれていったという。
東京都世田谷の私立「聖ドミニコ学園」(小学生入学〜高等学校卒業)に在学中の1970年には両親に反対されるも、歌手を目指し東京音楽学院(渡辺プロダクション)に入学した。一年前に入学した伊藤蘭、田中好子らと共にスクールメイツに選ばれ歌手のバック・コーラスやマスコットガールとしてTV等に出演していた。
レコード・デビューからコーラスを担当。(立ち位置は左)アルトをメインに担当していたが、高音から低音まで幅広い声量があり、特に難しいパートを担当した。
キャンディーズ解散後、一時引退したものの1983年2月に芸能界に復帰し、カネボウ化粧品のイメージ・ソングとして「夢・恋・人。」をリリース。オリコン13位に入り、約16万枚の売り上げを記録した。同年3月、アルバム「夢恋人」もリリースしたが、期間限定の一時復帰との契約で復帰した事からこの一曲だけで終わり、実業家との結婚を機に主婦業に専念する為、芸能界から引退していった。

スー(立ち位置・右) 田中好子(本名 : 同じ/結婚後 : 小達好子)1956年4月8日/東京都足立区千住生まれ
田中好子足立区立第四中学校に在学中の1969年、歌手を目指し東京音楽学院(渡辺プロダクション)に入学した。同時期に入学した伊藤蘭と共にスクールメイツに選ばれ歌手のバック・コーラスやマスコットガールとしてTV等に出演していた。
レコード・デビュー当初は歌唱力を買われリードボーカルを担当、センタ−で歌う。5曲目の「年下の男の子」以降はコーラスを務た。左に立ち位置を移動)
キャンディーズ解散後、一時引退したものの1980年に芸能界に復帰しシングル1枚をリリースしたが、女優業に転身。同年12月封切りの松竹映画「土佐の一本釣り」で映画初デビュー。1982年6月封切り東宝「ひめゆりの塔」にも出演。6本目の映画、1989年5月に封切られた東映「黒い雨」では主役に抜擢され、「第13回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞」「ブルーリボン賞 主演女優賞」などを受賞。その功績が認められ、演技派女優として映画・TVドラマ・TV CM等に数々出演した。
1991年5月、夏目雅子の実兄である実業家と結婚。(夏目雅子とは結婚前から親交が厚く、その縁で結婚。)
1992年、乳ガンが発病。ガン治療しながら女優として活躍していたが、2010年にガンが再発。
2011年4月21日、懸命の治療も甲斐なく永眠。(享年55)
LinkIcon田中好子オフィシャルサイト