最終更新日 2014.04.24

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ザ・タイガース

ザ・タイガースは、1965年7月に京都で高校生の遊び仲間だった4人(岸部修三、森本太郎、高橋克巳、人見豊)により「サリーとプレイボーイズ」が結成された事から始まる。同年12月には京都のダンス喫茶「田園」に出演していた "サンダース" のヴォーカル沢田研二をスカウトし、グループ名を「ファニーズ」と変更。1966年2月からは大阪 "ナンバ一番" の専属バンドとなり、ローリングストーンズのカヴァーを主に演奏をしていた。そんな彼らには直ぐにファンクラブが結成され、その数は数百人規模にまで膨れ上がっていったという。同年5月 "全関西エレキバンド・コンテスト" に出場し優勝という快挙を遂げた。瞬く間に "ナンバ一番" でトップに君臨した彼らが内田裕也の目にとまり、渡辺プロダクションにスカウトされた。
東京進出が決まると "ナンバ一番" では "ファニーズさよなら公演" が催され、ファンに惜しまれつつ1966年11月9日に上京した。同月15日、フジTV「ザ・ヒット・パレード」に出演の為の収録に参加(※11月29日放送)。TV初収録のその日に、関西出身ということから熱狂的 "阪神タイガース" ファンの作曲家すぎやまこういち氏によってバンド名を半ば強引に「ザ・タイガース」に変更させられたという出来事があったようだ。
翌年の1967年2月、「僕のマリー」でレコード・デビューを果たした。
特にヴォーカルの沢田研二は<ジュリー>の愛称で数多くのファンから絶大なる人気を得ていった。更に「シーサイド・バウンド」の大ヒットにより彼らの人気は爆発し、「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「花の首飾り」など次々とヒット曲を放っていった。中でも「花の首飾り」はオリコンチャート1位を記録。ザ・タイガース最大のヒット曲となった。GS黄金期グループサウンズの王者として君臨していたが、GSブームも去った1971年1月、日本武道館での「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」を最後に解散していった。その後1981年11月にザ・タイガース同窓会と銘打って再集結し「十年ロマンス」「色つきの女でいてくれよ」などのヒット曲をリリースした。
(但し、瞳みのるは完全に芸能界から引退したので不参加)
2011年、ピー(瞳みのる)は40年ぶりに芸能界に復活し、9月からの全国ツアー『沢田研二 LIVE』に森本太郎、岸部一徳と共にゲスト参加する事となった。ライブでは、ザ・タイガースの名曲、僕のマリー、シーサイド・バウンド、モナリザの微笑などを披露する。
2012年1月24日、武道館で開催されたファイナルコンサートではシロー(岸部四郎)が参加し後期メンバーが全員揃っての熱唱。今回企画のツアーは大成功となった。後は加橋かつみだけだが、『ザ・タイガース』は復活するのか?今後を期待したい。
2012年3月23日、NHK・BSにて2012年1月24日に開催された『沢田研二 LIVE 2011~2012/武道館ファイナルコンサート』のライブ映像が夜10時より1時間30分番組として放映された。往年のタイガースファンにとっては、想い出深い番組であった事であろう。
2013年12月ザ・タイガース』のオリジナルメンバー5人が再集結!! 44年の歳月を経て完全復活、全国ツアーを開始した!

LinkIcon復活!! ザ・タイガースはこちらに

__成 : 1965年7月 (結成時グループ名 : サリーとプレイボーイズ) ※1966年11月 ザ・タイガースに改名
デビュー : 1967年2月 (デビュー曲 : 僕のマリー)
__散 : 1971年1月 (解散コンサート : 武道館)

ザ・タイガース : メンバー

沢田研二 : ヴォーカル
岸部おさみ: ベース、ヴォーカル
加橋かつみ: リードギター、ヴォーカル
一一一一一一('69年3月脱退)
森本太郎 : リズムギター、オルガン
瞳みのる : ドラムス
岸部シロー: タンバリン
一一一一一一(加橋かつみ脱退後参加)

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シングル・リリース

主なヒット曲
僕のマリー('67年2月) ※Vocal:沢田研二
シーサイド・バウンド('67年5月) ※Vocal:沢田研二
モナリザの微笑('67年8月) ※Vocal:沢田研二
君だけに愛を('68年1月) ※Vocal:沢田研二
銀河のロマンス('68年3月) ※Vocal:沢田研二
花の首飾り('68年3月) ※Vocal:加橋かつみ
シー・シー・シー('68年7月) ※Vocal:沢田研二
廃虚の鳩('68年10月) ※Vocal:沢田研二
青い鳥('68年12月) ※Vocal:沢田研二 & 森本太郎
※他、全16枚リリース
LinkIconシングル全曲AB面リストはこちらをクリック

アルバム・リリース

ザ・タイガース・オン・ステージ('67年11月)
世界はボクらを待っている('68年4月)
※他、全7枚 コンパクト盤(17cm LP)5枚リリース
LinkIconアルバム全曲収録リストはこちらをクリック

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日本初のスタジアム・ライブ

 〜ザ・タイガース ショー 真夏の夜の祭典〜
1968年8月12日、グループサウンズ・ブームのさなか、GSの頂点に立つザ・タイガースが後楽園球場で日本初のスタジアム・ライブとなる「ザ・タイガース ショー 〜真夏の夜の祭典」を開催した。スタジアムは21.000人のファンで埋め尽くされ、米国の第五空軍・軍楽隊の演奏で華やかにオープニング。打ち上げ花火が上がり、ザ・タイガースのメンバーは各自様々な扮装で登場。加橋かつみは白バイで、ピエロ姿の岸部おさみ、瞳みのるは山車で太鼓を打ち、森本太郎は駕籠に乗って、オープンカーに乗った沢田研二といった趣向で登場、ファンを熱狂させた。
このライブは録画中継され、翌月の9月1日、午後1時15分から3時45分まで日本テレビにより放送された。

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主な出演

テレビ
1966年11月29日~ フジテレビ 「ザ・ヒット・パレード」 ※デビュー前、テレビ初出演
1967年03月05日~ 日本テレビ 「シャボン玉ホリデー」 ※ゲスト出演(4月9日からレギュラー出演)
1967年04月05日~ フジテレビ 「若さで歌おう ヤァヤァヤング !」 ※レギュラー出演
1967年06月15日_ フジテレビ 「スター千一夜」 ※ゲスト出演
1967年06月22日~ TBSテレビ 「ヤング720」 ※準レギュラー出演
1967年09月05日~ TBSテレビ 「歌のグランプリ」
1967年12月31日_ フジテレビ 「さよなら1967年オール・グループ・サウンズ大会」
1968年09月01日_ 日本テレビ 「ザ・タイガース・ショー 真夏の夜の祭典」
1968年10月01日_ フジテレビ 「スター千一夜」 ※3003回記念番組「ザ・タイガース 富士山3003メートル」
1989年12月31日_ NHK総合 「第40回NHK紅白歌合戦」※再結成時メンバーにて
映 画
1967年10月 東宝 「ドリフターズですよ!前進!前進!また前進!」 ※ドリフターズ 主演
1968年04月 東宝 ザ・タイガース 世界はボクらを待っている ※久美かおり・松本めぐみ 他共演
1968年12月 東宝 ザ・タイガース 華やかなる招待 ※久美かおり 他共演
1969年07月 東宝 ザ・タイガース ハーイ!ロンドン ※久美かおり 他共演 GS「アダムス」ゲスト出演
1970年12月 東宝 「喜劇 右むけェ左!」 ※犬塚弘・堺正章 主演
※色字はタイガース主演作品

タイガース解散から再結成の軌跡はこちらのページにLinkIconLet's click

タイガース解散後の音楽活動

岸部おさみ ロックバンド「P Y G」結成に参加 LinkIconP Y G
沢田研二_ ロックバンド「P Y G」結成に参加 LinkIconP Y G
加橋かつみ ソロ・シンガー
森本太郎_ バンドタローとアルファベッツ」結成
瞳みのる_ 芸能界から引退→高校教師
岸部シロー フォーク・グループ「ブレッド&バター」と共にシングル1枚リリース→タレント、司会

プロフィール・そしてその後は?

岸部おさみ (本名 : 岸部修三) 1947年1月9日/京都市生まれ
愛称 : サリー (リーダー)
岸部おさみタイガース解散後、沢田研二と共に "P Y G" の結成に参加する。 "PYG" 消滅後は "井上堯之バンド" に参加する。1975年には俳優業に転身し”岸部一徳”へと改名した。映画、TVドラマ等にて活躍し「日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞」など数々の賞を受賞。1988年には "タイガース・メモリアル・クラブ・バンド" に参加。現在も名脇役として、その存在感を発揮している。
2011年9月からのライブ『沢田研二 LIVE』にゲストとして瞳みのる・森本太郎と共に参加。

沢田研二 (本名 : 澤田研二) 1948年6月25日/鳥取県生まれ (京都市育ち)
愛称 : ジュリー
沢田研二タイガース解散後、岸部おさみと共に "P Y G" の結成に参加する。1971年11月にはPYGとして活動する傍らソロ歌手としてシングル「君をのせて」をリリースした。1973年4月リリースした「危険なふたり」が大ヒットし「第4回日本歌謡大賞」を受賞。1975年7月、元ザ・ピーナッツの”伊藤エミ”と結婚。ソロ歌手として「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」(第19回日本レコード大賞・受賞曲)「憎みきれないろくでなし」などの数々のヒット曲を飛ばし人気を博した。1987年に伊藤エミと離婚したが、1989年11月には女優の田中裕子と再婚する。2009年からは、ザ・ワイルド・ワンズと『Julie With The Wild Ones』の新ユニットを結成。
2011年9月からのライブ「沢田研二 LIVE 2011〜2012」ではゲストとして瞳みのる・森本太郎・岸部修三を迎え入れ、事実上のザ・タイガースを復活させた。
LinkIcon沢田研二オフィシャルサイト
LinkIcon沢田研二2014年ライブ情報

加橋かつみ (本名 : 高橋克己 ) 1948年2月4日/大阪・堺市生まれ (京都育ち)
愛称 : トッポ
加橋かつみ1969年3月タイガース脱退後は、パリに渡りアルバム「パリ1969」を発表。
帰国後にミュージカル「ヘアー」にも参加。以降はソロ歌手として活動するがヒットには恵まれなかった。1988年 "タイガース・メモリアル・クラブ・バンド" に参加。1993年には森本太郎・岸部シロー・岩本恭生と共に "ザ・タイガースマニア" を結成し「涙のロマンス」をリリースした。
2012年1月2日に開催された「2012新春!グループサウンズ GOLDEN CONCERT ~これがGSだ!~」に出演
LinkIcon加橋かつみファンサイト(加橋かつみ公認)

森本太郎 (本名 : 同じ) 1947年11月18日/京都市生まれ
愛称 : タロー
森本太郎1971年 "タローとアルファベッツ" を結成。1973年解散し "森本タローとスーパースター" を結成する。その後、音楽プロデューサーとしても活躍し、1988年 "タイガース・メモリアル・クラブ・バンド" に参加。1993年には森本太郎・岸部シロー・岩本恭生と共に "ザ・タイガースマニア" を結成し「涙のロマンス」をリリースした。また1997年には沢田研二・岸部一徳と共にロックユニット「TEA FOR THREE」を結成。現在は "森本太郎とスーパー・スター" で活動中。
2011年9月からのライブ『沢田研二 LIVE』にゲストとして瞳みのる・岸部修三と共に参加。
.LinkIcon森本タローとスーパー・スター

瞳みのる (本名 : 人見 豊) 1946年9月22日/京都・嵯峨野生まれ
愛称 : ピー
瞳みのるタイガース解散後は、京都府立山城高等学校の定時制に編入、翌1972年春に慶應義塾大学文学部へ入学。そして大学院へと進み中国文学を専攻し修士課程を修了、北京大学に留学。
1977年より慶應義塾高等学校の教壇に立つ。漢文・中国語関連参考書の著者で文学博士。
2010年3月、慶應義塾高等学校を退職、拠点を北京に移し創作活動を始めた。
2011年2月25日には自伝『ロング・グッバイのあとで。ザ・タイガースでピーと呼ばれた男』を出版。2011年、40年ぶりに芸能界に復帰し、9月からの全国ツアー『沢田研二 LIVE 』に参加。
LinkIcon瞳みのる オフィシャルサイト
LinkIcon瞳みのる2014年ライブ情報

岸部シロー (本名 : 岸部四郎) 1949年6月7日/京都市生まれ
愛称 : シロー
岸部シロー岸部おさみ(岸辺一徳)の実弟であり、解散後はフォーク・グループ「ブレッド&バター」と共にシングル「バタフライ/ハッピネス」(※シローとBREAD&BUTTER名義)をリリース。その後はステージの司会や青春ドラマ等のタレントとして活躍し、特に”夏目雅子”主演『西遊記』で沙悟浄役を演じ大ブレイクした。1988年には "タイガース・メモリアル・クラブ・バンド" に参加。また、TVのワイドショー『ルックルックこんにちは』では1985年4月から司会を務めたが、1998年4月になると事業の失敗等に依る自己破産をし、自ら降板した。2003年には脳梗塞を患い歩行困難になるも芸能界に復帰、バラエティ番組などに出演。現在は病状が悪化、リハビリに専念。2012年1月24日には『沢田研二 LIVE 2011〜2012』武道館ファイナルにゲストとして車椅子で出演。「若葉のころ」(ザ・ビー・ジーズ)を熱唱した。
LinkIcon岸部四郎ブログ ※但し、病気療養中の為?2009年7月5日以降更新されておりません。