最終更新日 2014.10.05

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ザ・サベージ

ザ・サベージは1965年秋、大学生だった奥島吉雄と "テディ・ボーイズ" の寺尾聰、渡辺純一らが一緒になって結成されたバンドである。グループ名は敬愛しているエレキ・インスト・バンドの雄 "シャドウズ"(英国) のヒット曲「サベージ」から付けられた。グループサウンズのジャンルに分類はされるが、当時、流行していた"IVYルック"に身を固めたカレッジ・フォークに近いグループであった。1965年10月、テレビ番組の『勝ち抜きエレキ合戦』では4週連続チャンピオンとなり、また日本テレビでの『世界へとび出せ ニューエレキサウンド』でも見事優勝を果たした。様々なアマチュアエレキ合戦等のチャンピオンとなり脚光を浴び、1966年7月「いつまでもいつまでも」でレコード・デビューを果たす。10月には「この手のひらに愛を」をリリースし大ヒットに繋げ、名実共にGSのトップグループまで昇り詰めていった。同年11月には "東京ベンチャーズ" の渡辺昌宏が参加し5人編成となる。しかし人気絶頂だった折、1967年1月22日に寺尾聰、3月には林廉吉が学業優先を理由に脱退。メンバー補充したものの後発グループに押され、その人気は続かなかった。1967年10月「哀愁の湖」のリリースを最後に1968年3月解散していった。
(その後、オリジナルメンバー以外で再構成され、ザ・サベージは引き継がれたが、レコードリリースに至るまでにはいかず1969年には自然消滅した。)

__成 : 1965年0 (結成時グループ名 : 同じ)
デビュー : 1966年7月 (デビュー曲 : いつまでもいつまでも)
__散 : 1968年3月 (最終公演 : 不明 )※原一夫により再結成されるも1969年には自然消滅

ザ・サベージ : メンバー

奥島吉雄 : サイドギター、ヴォーカル
林 廉吉 : リードギター('67年3月脱退)
寺尾 聰 : ベース、ヴォーカル ('67年1月脱退)
渡辺純一 : ドラムス
渡辺昌宏 : サイドギター('66年11月1日参加)
原 一夫 : ベース(寺尾聡 脱退後の'67年1月参加)

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シングルリリース

いつまでもいつまでも/恋の散歩道('66年7月)
この手のひらに愛を/星のささやき('66年10月)
夜空に夢を/明日に向って('67年2月)
渚に消えた恋/青い海と白いヨット('67年6月)
哀愁の湖/ばらの香り('67年10月)

アルバムリリース

この手のひらに愛を/ザ・サベージ・アルバムNo.1 ('66年12月)
ゴー!スパイダース・フライ!サベージ ('67年3月)※スプリット盤
※他、コンパクト盤(17cm LP)1枚リリース
LinkIconアルバム・リリース全曲収録リストはこちらをクリック

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主な出演

テレビ
1965年06月~00日 フジテレビ 「勝ち抜きエレキ合戦」 グランド チャンピョン ※アマチュア時代
1965年10月~00日 日本テレビ 「世界へとび出せ ニューエレキサウンド」 グランド チャンピョン ※アマチュア時代
1966年11月23日~ TBSテレビ 「ヤング720」 ※準レギュラー出演
1967年04月~00日 フジテレビ 「若さで歌おう ヤァヤァヤング !」 ※ゲスト出演
映 画
1966年3月 日活 「青春ア・ゴーゴー」 ※山内賢 主演
1966年4月 日活 「青春のお通り 愛して泣いて突っ走れ!」 ※吉永小百合・浜田光夫 主演
1966年5月 日活 「涙になりたい」 ※西郷輝彦 主演
1967年7月 松竹 「また逢う日まで 恋人の泉」 ※三田明 主演

解散後の音楽活動

奥島吉雄バンド「サウンド・ボックス」結成→ 音楽プロデューサー
林 廉吉GS「ザ・ホワイト・キックス」に参加 LinkIconザ・ホワイト・キックス
寺尾 聰GS「ザ・ホワイト・キックス」に参加→ 俳優、ソロ・シンガー LinkIconザ・ホワイト・キックス
渡辺純一※解散前に永眠
渡辺昌宏渡米→ ギタリスト、音楽プロデューサー
原 一夫新生「ザ・サベージ」を新メンバーにて復活させるも翌年には自然消滅した。

プロフィール・そしてその後は?

奥島吉雄 (本名 : 同じ) 1945年9月26日/東京生まれ リーダー)
奥島吉雄サベージ解散後は "サウンド・ボックス" を結成し、東芝より再デビューするも1曲のみのリリースで終ってしまった。その後は、音楽プロデューサーとして活動し、ヤマハの総合プロデューサーを務める。
2006年9月には、神奈川・逗子で開催された「Re-Memberコンサート」のプロディースを担当するなど、現在も活躍中。.

林 廉吉 (本名 : 同じ) 1946年/東京生まれ
林 廉吉1967年3月サベージを脱退し、翌年の4月、寺尾聰と共に "ザ・ホワイト・キックス" に参加。1968年5月に、シングル「アリゲーター・ブーガルー」でデビューするが、この曲だけで解散に至った。

寺尾  (本名 : 同じ) 1947年5月18日/神奈川・横浜市保土ケ谷区生まれ
寺尾 聰俳優・宇野重吉の長男。サベージを1967年1月脱退。翌年の4月、林廉吉と共に "ザ・ホワイト・キックス" に参加した。シングル一枚を出してすぐに解散したが、すでに1968年2月には映画『黒部の太陽』で俳優としてデビューをしていた。”石原プロ”に所属し俳優兼ソロ歌手として活動。1981年2月にリリースした「ルビーの指輪」が大ヒットし『第23回日本レコード大賞』を受賞。現在も俳優・歌手として活躍中

渡辺純一 (本名 : 同じ) 1948年2月17日/東京生まれ
渡辺純一元"テディ・ボーイズ" のメンバー。寺尾聰と共に、"ザ・サベージ" 結成に参加した。サベージ解散後は不明。

1967年(月日は不明、ラスト・シングル「哀愁の湖」以降で有ろうか?)サベージ在籍中に他界されたそうです。

渡辺昌宏 (本名 : 同じ) 1945年1月30日/東京生まれ 
渡辺昌宏元 "東京ビートルズ" のメンバーで、サベージには1966年11月から参加する。サベージ解散後は、音楽の勉強をする為に渡米した。帰国後、米軍キャンプにてバンド活動を再開。その後、東京錦糸町「ライブハウス“38”」のプロデュースを担当したりと、現在も音楽関係にて活躍中。

原 一夫 (本名 : 同じ) 1945年11月15日/東京生まれ 
GS_notimage01.jpg立教大学のアマチュアバンド "ザ・ビートニクス" の元メンバー。寺尾聰 脱退後の1967年1月に参加した。サベージ解散後は新たなメンバーを集い"ザ・サバージ" を復活させるが、レコードリリースされる事もなく自然消滅していった。

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