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写真撮影2006年10月30日(最初の写真のみ9月24日)

釈迦内地区からほど近い西方に望む大山(375.6m)は釈迦内の人間にとってなじみが深い山。ほど近いとはいっても直 線距離にして3km強,道のりは5kmを超え,小学生の足では軽々とというわけにはいかない。

私自身,小中学校時代の登頂は僅かに2回,松峰神社までですら3回程度しか行ったことがなかった。遠いから行かないという感覚ではなく,逆に近すぎていつでも行けると思うと足が向かないのである。近所の観光スポットってそんなものだろう。最近はマウンテン バイクもあるし,車で松峰神社まで容易に行けることもあって,時折散歩のように行っている。参拝者や登山者を見ることは殆どなく,行くといつも山を独占できる。

大館を離れ,不思議なことに事あるごとに松峰神社を思い出した。就職してからも帰省するたびに子供や甥をつれて神社の石段と杉並木を見せに行った。精 気漂う境内,まるで無響室のような究極的な静けさ,屹然とした巨大杉,苔の生した長い石段,それらが私を惹き付ける。大館で私の最も好きな場所のひとつである。

松峰橋からスタートする,採鉱による地盤沈下で集落移転を余儀なくされた松峰地区,昭和48年頃から同和鉱業の補償によって105戸がこの北 西約500mにある旧中道上・下,仁王田地区一帯に移転。この時,同和鉱業から1戸あたり平均900万円余りの補償額が支払われている。

今は地区の痕跡を探すことすら容易ではない。私は以前に町内を通っていた道の一部らしきアスファルトを確認している。
橋から約100m,花 岡に向かう本線から左折し,大山方面へと向かう。

かつては住むことはおろか耕作すらできない荒れ地になり果てていたが,地盤沈下の終結報告を受け,稲作が再開されている。


右手に見える旧花岡鉱山選鉱場と松峰鉱山,昭和38年6月,ここ松峰地区の地下に日本最大の黒鉱鉱床が発見され,写真の大森山から立坑が降ろされて採鉱が行われた。
県道を跨いで隣には精鉱舎と呼ばれる巨大な建築物, 選鉱場で粗鉱から精鉱に精製され,ここで貨物列車に積まれ,精錬所まで鉄路輸送されていた。いずれも建物も外観からはまるで稼働中であるかのように綺麗で立派である。実際には鉱業は営まれてはいない。


途中でアスファルトの状態が違うこと に気付く,これは古い。昭和50年の国土交通省国土画像閲覧システムの航空写真を見ると,この部分は旧道であることが分かる。
釈迦内地区(板子石)から花岡を結ぶ県道192号(昭和42年5月1日開通)を跨ぐ交差点,県道の向こうに広がる家屋群が新しい松峰集落。


県道を越え移 転後の松峰地区に入る。道路が碁盤の目のように道が整備された整然とした集落,移転後にも古い近所関係を維持できるように,移転後の土地の配分時にはかつての近所関係が壊れぬよう配慮されたという。
さらに進み,大森川にかかる松峰上橋の直前,正面遠方に見える稲荷神社も旧地区から移転されたものである。碁盤目状の区画に家屋が整然と配置された集落だが, 無機質な印象は否めない。人間と土地の有機的な関係によって時間を掛けて熟成し形成された旧集落との違いはあまりにも大きい。

大森川にかかる松峰上橋を渡り右折する。か つては蛇行していた川も集落の移転に伴い直線の人工川に造り直され,集落をさらに無機質なものにしている。

集落より上流では川底に酸化鉄が沈殿し赤茶色の毒々しい色調を呈している。鉱山の場合,閉山後も坑道からの鉱水の中和作業が必要で,閉山後も存在する「○○鉱山」という会社はその管理を行っていることが多い。おそらくこの川には花岡鉱山からの中和水が今でも流され続けている。鉱山によって変質した集落の中を流れる汚れた鉱水の川,地区と川の関係が松峰地区の悲しい歴史をそのまま象徴している。

松峰上橋の親柱には「 大森川」のプレート,ここで疑問を感じる人がどれくらいいるだろう。

大森川水系の分断の歴史

ここで疑問が生じる。現大森川は花岡の北東に位置する大森地区から大森山の東を流れ,旧松峰地区の傍で下内川と合流している。しかし,この地区(上・下仁王田地区)を流れている大森川は上記合流部の約1.2km下流の高舘橋の傍で下内川と合流しており,先の大森川とは共通部分がない,下内川に2本の大森川が流入していることになるのである。

この疑問を解明するために古い地図を開いてみた。昭和2年の地図では大森川は大森地区より発し,大森山の東側を流れ,この地区(上・下仁 王田地区)で花岡地区から大森山の西側を流れる支流花岡川と合流し,さらに高舘橋手前で下内川と合流していた。花岡川は付け替え工事によって大森山の東に回され,従来の合流地点から約2km北北東の地点で大森川との合流し,大森川も旧合流点の1.2kmほど上流の旧松峰地区で強制的に下内川に合流させられ ていたのである。

この工事を語るには有名な花岡事件とその発端となった七ツ館事件という二つの悲惨きわまる事件から語らねばならぬが,簡単には言い尽くせないものなのでここでは割愛させていただく。詳細は大館市十二所在住のさいみつ氏のHP『花岡事件を歩く』を参照下さい。地図からみると, この松峰上橋付近よりも
上流は旧花岡川で下流は旧大森川ということになる。

昭和2年の大森川の走行,西側を流れる花岡川とこの地区で合流後,高舘橋付近で下内川と合流している。この時代,花岡川は氾濫しやすく厄介な川だったという。
昭 和32年のそれは,花岡川の水がより上流において大森川にバイパスされ,大森川本流もより上流で下内川と合流している。花岡鉱山の上を流れる河水量を減らす為の工事の結果である。

集落を過ぎて間もなく道は未舗装路へと変わる。旧花岡川に沿って砂利道を進む。
数百メートルほど進み,森にさしかかる部分。枝振りのよい木というのは歴史を感じさせる。旧道を探すポイントは古そうな「木」である。これは間違いない。


杉林の中の林道を上る,路面状態も良く,勾配もそれほどきつくはない。

周囲は植林された杉林で,歴史のある場所につながっているという印象は薄い。

100mほど林道をのぼると周囲がひらけ,「大山植林記念碑」なる石碑が目に入る。これが松峰神社旧参道の目印となる。


石碑のすぐ傍まで行くと旧参道の状態 がよく分かる。旧参道は向かって右側,神社に向かって直線的に伸びており,現在の参道である左の道より勾配がきつい。勿論旧参道を上る。
旧参道は腐葉土で覆われ草が生えているが下草が刈られており維持のための最小限の管理がなされている様子。自転車で上ると聞くと知らぬ人は驚くかもしれないが,普段マウンテンバイクに慣れていれば別 に大したことはない,かなり楽しい。ただ,自転車で参道を上るなどという横着をして神罰が下るのではないか,ただそれだけが心配。

さらに上っていく。腐葉土の中には腐木が埋まっていて,タイヤを引っかけて何度も立ち止まる。タイヤが埋まり,結構体力を使う。

遠い昔,この参道をかつて人が上っていた姿を想像してみるが三度笠の由美かおるの姿しか思い浮かばない。テレビの水戸黄門の世界に毒されているようだ。
汗を掻きながら旧参道を上ること500m弱,現在の道と合流する。普通の林道の走りやすさにほっとする。


走りやすい(ただしマウンテンバイクでの話)林道を上ることさらに200m,松峰神社の鳥居の前に到着。ここまでの植林されたこぢんまりとしたスギ林から一気に巨大天然杉林への変化は強烈で,誰もが立ち止まり口を半開きにして見上げるだろう。巨大杉は強烈な存在感で訪問者を圧倒し,耳鳴りがするほどの静寂な世界へ誘う,この精気漂う空気が好きで,私は何度もここを訪れている。
『大館市史第四巻』によると,松峰神社は大館市内で最も古い神社で,817年(弘仁8年)に弘法大師によって開かれ,891年(寛平3年)に「月山大権現」の額を与えられ月山系の修験山になったと云われている。

社への階段の途中から振り返り高い位置から見下ろす巨大杉,なんという強烈で神々しい存在感,何度も立ち止まって眺めてしまう。


150段余りの石段を登り,社の前に到着。残念ながら社には昔の面影は感じ取れない。

江戸時代の紀行家菅江真澄は1803年6月18〜21日松峰山伝寿院に宿泊し修験体験をしている。彼の紀行「にえのしがらみ」にはその時の事が詳しく書かれている。
社に向かって左側(南側)にも小さな祠がある。祠の横を通ってこちら側から大山に登頂することもできるが,登山者があまりにも少ないため,道の痕跡を探すのに一苦労する。


上の祠から社本殿を眺めてみる。大銀杏の落ち葉ででき黄色い絨毯と,そこの差した晩秋の陽光,本殿の赤い手すり,なかなかカラフルで絵になる。
鳥居まで戻り,所謂本来の登山道から登頂を目指すことにする。距離は若干長いが,こちらの方がずっと上りやすく,見所も多い。


途中に一箇所ある分岐路から山の北側 に回ると大山の北側の眺望がひらけてくる。右に見える一見美しい湖,実は鉱滓を溜める滝ノ沢沈殿池である。ここから花岡鉱山と釈迦内鉱山の鉱滓が能代市浅内までパイプ流送されていた。

この道は行き止まりになるので,この景色を見たら分岐部まで引き返すのがよい。無理するととんでもない藪の中に入っていくことになる。
登山道の中程にある奇岩群,菅江真澄の記述でも有名,写真は鏡岩。なぜ鏡岩という名がついたのかよく分からない。地面に接している部分が細くなっていて,不安定に感じる。


穴の空いた奇岩,窓岩

平凡社菅江真澄遊覧記第4巻によると「にえのしがらみ」の部分に次のように記載されている。


鳥居の東の道に入って,幸の神平(さいのかみたい)という野原に出た。小高い岡があるので,上って仰ぎ見ると,はるかな峰にそびえ立つ大石に穴があって,窓岩と呼び,そこを胎内潜り(くぐり)といって,この岩の窓をくぐって行くのを修行のひとつとしている。

中略

がけにある権現の岩というのは獅子頭に似ていた。ここを立ち去って,胎内潜りの岩窓にとりすがり,くぐっていったが,まことに危い。この岩のあい間ごとに松が群れ生えて,奇観を呈していた。
奇岩群を抜ければ頂上まではもうすぐ。頂上のテレビ中継塔が今年(2006年)改築され,かなり大きなものになった。建築のための資材を頂上に運ぶために山の西にある保滝沢集落から運搬路が開かれている。道幅は広いが勾配があまりにもきつく,特殊車両でなければ上れないほど。保滝沢側の登り口には一般車両の進入を防ぐ土塁状の盛土と空堀があり,歩行者と自転車以外は通ることができない。
頂上から西を望むと左手奥には田代岳(1178m),右手奥には槻ノ木山(691.6m)が穏やかな山容を見せる。

南東には広く大館盆地を望むことができる。

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