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写真撮影2006年9月24日
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松木方面からの通学路は下内川にかかる高舘橋付近からスタートすることにする。松木からの通学路は明治9年(1876年)に釈迦内村に よって建設された釈迦内・松木・館花(立花)に通じる道が利用されている。当時の高舘橋の橋材を得るために実相寺と稲荷神社の杉が伐採されたという。松木地区には篠村,桜庭,工藤姓が多い。
この高舘橋のすぐ松木側には昭和48年4月から同53年1月まで三菱金属鉱業松木鉱業所が操業していた。今では茂みの中に隠れた閉鎖された坑道口と通行止めの迂回路だけがそれを物語る。昭和61年にはこの高舘の森で大館市で一番古い旧石器時代(約2万年前)の遺跡が発見されている。

「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より昭和50年の松木鉱山の写真

高舘橋を通り過ぎて高舘下地区,かつてこの周囲には田んぼだけだったが今では住宅地。道路を隔てた東側には平成19年(2007年)に開催された 「秋田わか杉国体」 のため立派なテニスコートと小綺麗な公園が造られ,かつてのここの地区にはなかった垢抜けた文化的風景に変貌している。釈迦内に向かう道はすっきりとした直線の広い舗装道路に整備されている。
県道192号,釈迦内花岡白沢線と交差。信号機付きの立派な交差点に様変わり。 この県道は200mほど板子石寄り付近から旧花岡線と併走していた。軽トラが止まっている付近が軌道跡。花岡線の方がこの県道よりも歴史が古く,先に消えてしまった。
花岡方面を向くと槻ノ木山(つきのきやま,標高 691.9m)が聳える。あの山の向こうは旧田代町(現在は大館市)の山瀬ダム

槻ノ木山の南を通り
花岡経由で田代町に抜ける林道が舗装され,乗用車でも難なく行ける。
反対方向は大館西道路をくぐり板子石方面へと向かう。将来高速道路として機能することが予定されている大館西道路,その高い盛土のため遠方の視界が遮断され, かつての風景とはずいぶん変わってしまった。
信号を渡り進むと左手の高台に実相寺の墓所が見える。その手前の低地,ここにはかつて釈迦内鉱山の第3立坑(通称南坑)があった場 所。萩長森の第1立坑は主に鉱石の運搬に使用され,第3立坑は坑内作業員の移動に用いられたという。
今は釈迦内公民館となり,附属している体育館の東側に立坑跡が残っている。公民館には僅かに鉱石などの釈迦内鉱山関連の展示物がある。全般的に釈迦内鉱山関連の資料は驚くほど少ない。 郷土博物館によると,日本鉱業は鉱山関係の資料を殆ど残さずに大館を去り,郷土博物館にも関連資料は「皆無」,日本鉱業社史への記載も僅か。釈迦内鉱山は廃墟のみを残し歴史から消えようとしている。
閉山時(1987年)の南坑の写真, 北坑と違って平地から竪坑が下ろされている。友人の兄が釈迦内鉱山に勤務していて,ここにある大きな風呂に入浴させてもらったことがある。(写真提供:篠村忠義氏)
竪坑の降り口,トロッコを動かすための機動車と,なんやらごっつい掘削機械車両が見える,名前は分からない。役目を終え,寂しげである。(写真提供:篠村忠義氏)