93.善政味 基礎用語集

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犬追物(いぬおうもの)
 騎射の練習法の一つ。流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)とともに騎射三物の一。馬場に放した犬を馬上から弓で射た。犬を害さないように矢は蟇目(ひきめ)を使用することもあった。

鎌倉時代(かまくらじだい)
 (1185頃〜1333) 鎌倉に幕府が置かれ、武士が支配していた時代。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置や1192頼朝の将軍就任などによって始まり、源氏・藤原氏・皇族が将軍に就任、1219源氏滅亡後は北条(ほうじょう)氏が執権や得宗(とくそう)として実権を握り、鎌倉文化が栄えるが、1333後醍醐(ごだいご)天皇によって滅ぼされた。

鎌倉幕府(かまくらばくふ)
 (1185?-1333) 鎌倉時代の武家政権。源頼朝が鎌倉に1180侍所を・1184公文所(政所)・問注所を創設、1185守護・地頭の設置によりほぼ幕府は完成し、1192の征夷大将軍就任によって正式に発足した。1219三代将軍源実朝(さねとも)の暗殺・公暁(くぎょう)殺害によって源氏が滅亡してからは、外戚の北条(ほうじょう)氏が幕政を掌握し、代々執権(しっけん)を選出するが、末期には内管領・長崎氏が専横、1333新田義貞(にったよしさだ)に鎌倉を攻略されて滅亡し、幕府は解体した。 

執権(しっけん)
 鎌倉幕府の最高執政官。侍所別当(さむらいどころべっとう)と政所(まんどころ)別当を合わせた官。北条(ほうじょう)氏が世襲した。もとは院政における院司の長官のこと。初代執権は北条時政(ほうじょうときまさ)。最後の執権は北条守時(ほうじょうもりとき。赤橋守時)。

自由民主党(じゆうみんしゅとう)=自民党(じみんとう)
 (1955-)自由党と民主党の保守合同によって成立した政党。初代総裁は鳩山一郎(はとやまいちろう)。結党以来一貫して政権を保持したが、1993に分裂、初めて野党に転落するが、1994再び政権党に返り咲いた。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)≦将軍
 もとは蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための朝廷の軍事長官。後に武家政権の最高指導者の称号。奈良時代の征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。1192源頼朝(みなもとのよりとも)が就任して幕府を開いてからは世襲となった。将軍味

年貢(ねんぐ)
 平安〜江戸時代に領主が農民に課した税。江戸時代には原則として田は米、畑は作物で支払った。地租改正で廃止。

北条氏(ほうじょうし)
 @鎌倉(かまくら)北条氏。古代〜中世の武家。氏祖は北条時方(ときかた)。その子・時政(ときまさ)が源頼朝(みなもとのよりとも)の舅(しゅうと)として初代執権となり、代々世襲して繁栄するが、1333元弘の乱で敗れて滅亡した。
 A小田原(おだわら)北条氏。後北条氏とも。中世の武家。氏祖は北条早雲(そううん。伊勢長氏)。今川家の内紛で独立し、伊豆・相模を平定、小田原を本拠とし、五代に渡って関東に覇をなしたが、1590豊臣秀吉によって滅ぼされた。

北条泰時(ほうじょうやすとき)
 (1183-1242) 武将。鎌倉幕府三代執権(在職1224-1242)。義時(よしとき)の子。1221承久(じょうきゅう)の乱で叔父・北条時房(ときふさ)とともに京都へ進軍し、初代六波羅探題(ろくはらたんだい)北方に就任、1224父の死により執権を継ぎ、1225時房を連署(れんしょ。執権同格)に任命、評定衆(ひょうじょうしゅう。最高議決機関)を設置し、1232御成敗式目(ごせいばいしきもく。幕府基本法典。貞永式目とも)を制定、鎌倉市街を整備した。
善政味 栄光味

北条義時(ほうじょうよしとき)
 (1163-1224) 武将。鎌倉幕府二代執権(在職1213-1224)。時政(ときまさ)の子。父とともに源頼朝(みなもとのよりとも)の挙兵に従軍、1205姉の政子(まさこ)とともに父を追放して政所(まんどころ)別当に就任、1213和田合戦(わだかっせん。和田氏の乱)で和田義盛(よしもり)を滅ぼし、侍所(さむらいどころ)別当を兼ねて執権政治を確立、1219三代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)が暗殺されると、摂家(藤原)将軍・藤原頼経(ふじわらのよりつね)を迎え、1221承久(じょうきゅう)の乱に勝って後鳥羽(ごとば)上皇・順徳(じゅんとく)上皇・土御門(つちみかど)上皇を配流、仲恭(ちゅうきょう)天皇を後堀河(ごほりかわ)天皇に替え、多数の荘園を没収して新補地頭(しんぽじとう)を任命、朝廷監視のため六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置した。将軍味
栄光味

源頼家(みなもとのよりいえ)
 (1182-1204) 武将。鎌倉幕府二代将軍(在職1202-1203)。頼朝(よりとも)の子。実朝(さねとも)の兄。母は北条政子(ほうじょうまさこ)。父の死後に家督を継いで将軍となったが、北条時政(ときまさ)など有力御家人に実権を奪われ(十三人の合議制)、1203巻き返しをはかるも失敗、妻の父・比企能員(ひきよしかず)と息子・一幡(いちまん)は殺され、自身も失脚して伊豆修禅寺(しゅぜんじ)に幽閉され(比企能員の乱)、1204時政に殺されたという。

民主党(みんしゅとう)
 @(1947-1950) 1947日本進歩党と日本自由党の一部、国民協同党の一部などで結成。総裁は芦田均(あしだひとし)。1949分裂し、1950連立派が民主自由党と合同して自由党を、野党派が国民協同党と合同して国民民主党を結成した。
 A(1996-) 1996鳩山由紀夫(はとやまゆきお)と菅直人(かんなおと)が結成し、1997新進党分裂で野党第一党となり、2003自由党を吸収、2009自民党に代わって政権を担うが、2012再び野党に転落した。

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