★ 天下よ! 天下よ! なぜにあなたは逃げてゆくのか!?
〜越前の戦国大名・朝倉義景の宿命!!

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朝倉義景はそれほど凡将ではなかった。
1.上洛しないんかよ! 〜 足利義昭の嘆き
2.裏切るんかよ!〜 織田信長の嘆き
3.逃がすんかよ! 〜 武田信玄の嘆き
4.滅びるんかよ! 〜 義景自身の嘆き
 

 [問題] 以下の三つの事件について、共通点を述べよ。

源実朝暗殺事件(「将軍味」参照)

桜田門外の変 

二・二六事件

「どれも要人が殺害された事件じゃないか」

 それもある。
 が、それならば本能寺の変や、乙巳の変
(いっしのへん。蘇我入鹿暗殺)や、崇峻天皇暗殺事件(「襲撃味」参照)などもある。

「分かった。関東平野で起こった事件に限ったんだ」

 それもある。
 が、それならば五・一五事件や、原敬暗殺事件
(「暗殺味」参照)や、霜月騒動(「揉事味」参照)などもある。

「時事チップス」大雪関連記事
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http://blogs.yahoo.co.jp/rekishi_chips/51763771.html

「うわー! だったらほかにどんな共通点があるのだーっ!」
 錯乱されることはない。今月のお題は「大雪」である。すでに気づかれている方も多いことであろう。これら三つの事件は、どれも大雪の日に起こった大事件なのである。

 雪は一面を白く染める。
 騒がしい雑音も吸い取ってしまう。
 足音も物音も殺気も何もかも吸収してしまう。
 周りには何もない。

 音も景色も何もない。
 やけにしんとしている。
 そして、人の心まで、安心感で染めてしまう。
「こんな寒い大雪の日に、何も起こるはずがない」
 暗殺者はこれらを利用するのである。音も無く標的に近づき、安心感に浸っている要人を暗殺するのである。

 雪の日は怖い。
 大雪の日は、もっと怖い。
 要人は、用心すべきである。

*          *          *

 昨年(平成十四年)、北朝鮮日本人拉致事件で何かと注目された日本海側は、今も昔も雪が多い。
 戦国時代、この豪雪地帯にも名だたる戦国大名どもが割拠していた。
 戦う毘沙門天
(びしゃもんてん)こと越後の猛将・上杉謙信(「 撤退味」など参照)、山陰十一か国に覇を成した出雲の豪将・尼子経久(あまこ・あまごつねひさ)、そして、一乗谷(いちじょうだに。福井県福井市)に京文化を花咲かせた越前の名将・朝倉義景(あさくらよしかげ)――。

 こう連ねると、謙信・経久はともかく、
「うぷぷっ!義景が名将だってよ!」
 と、嘲笑
(ちょうしょう)される方も多いに違いない。いや、しない方のほうが少ないであろう。
 私も義景が名将とは、ちょっと言い過ぎたと思う。どちらかといえば「迷将」のほうがピッタリしている。
 それにしても、義景に対する評価は、あまりに低すぎるのではあるまいか。私は彼のことを世に語り継がれているほど愚将ではないと思っている。

 義景の盟友は、湖北の雄将・浅井長政(あさい・あざいながまさ)である。
 義景と長政は、天才・織田信長と琵琶湖の周りで死闘を繰り返し、ほぼ時を同じくして滅亡してしまった。
 朝倉義景・浅井長政連合軍――。
 この小ざかしい「目の前のたんこぶコンビ」がいなかったら、信長はあれほど畿内平定にてこずることはなかったであろう。延暦寺の焼打や、伊勢長島一向一揆の大虐殺
(「騒乱味」「暴力味」「泥沼味」「虐殺味」参照)といったほとんどヤケクソの究極の禁じ手をしでかすこともなかったかもしれない。信長が最も恐れた武将は駿河今川義元(「最強味」参照)甲斐武田信玄(「惨敗味」ほか参照)であろうが、実際に彼を最も苦しめたのは、この「目の前のたんこぶコンビ」にほかならない。

 天才信長を最も苦しめた武将として、浅井長政の評価はなかなかのものである。
 まるで戦国武将の鏡のような勇者として後世に語り継がれている。映画やドラマに登場する長政は、おおかた好青年で、あっぱれな名将に描かれている(伝わっている画像では鈍そうに見えるが……)

 一方、長政とタッグを組んで戦っていた義景は対照的である。長政の引き立て役である。
 映画やドラマに登場する義景は、たいてい陰険そうで神経質そうなオヤジに描かれている(画像では利発そうに見えなくもないが……)。戦略的にも優柔不断であり、まるでバカ殿様である。
「攻めまいか。やっぱり、やめまいか」
 顔が出てくるのはまだいい。顔すら登場しない筋書きのほうが多い。

 なぜ、一卵性双生武将のようなこの二人に、これほどまでの差が生じてしまったのであろうか?
 義景は何者かによっておとしめられたのではあるまいか

 怪しい女がいる。
 長政の三女・崇源院
(すうげんいん。江。お江与の方。「浅井氏系図」参照)という女だ。
 崇源院は父の滅亡後、母や姉とともに柴田勝家、次いで豊臣秀吉に引き取られ、後に江戸幕府二代将軍徳川秀忠に嫁し、三代将軍家光を生んでいる。
 彼女がこう人に話したのかもしれない。
父上はそれはそれはお強うございました。それにしても父上の相棒の義景が弱すぎましたのよ。父上は義景に足を引っ張られて滅ぼされたのです。なんてかわいそうな父上……。しくしく」

 崇源院がベラベラしゃべらなくても、彼女が長政の娘だということは周知の事実である。
 そのため江戸時代には、将軍の母方の先祖である長政のことを悪く言うものはだれもいなかった。その分、義景に汚名がかぶせられたのである。

 人々は義景のちょっとしたミスを、意地の悪い姑(しゅうとめ)のように責め立てた。
「義景は足利義昭に頼られ、せかされても、決して上洛しようとしなかった。上洛すれば天下を取れたのに、アホなんじゃ」
姉川の戦では、長政は奮戦したが、義景は怖がって出陣もしなかった」
「義景はせっかく武田信玄らと包囲網を形成して信長を追い詰めたのに、一人勝手に囲みを解いて領国に帰ってしまった。これでは勝てる戦いも勝てるわけがない」
「義景は人望を無くし、最期は一族にも裏切られて無様に死によった。最初からそうなる運命だったんだよ」

 義景は墓の下でなんと思っているであろうか。
「何も知らぬ後世の者に、私の本心が分かってたまるか」
 今回はそんな義景の言い分をお聞かせしたい。

[2003年1月末日執筆]
ゆかりの地の地図
参考文献はコチラ

「朝倉義景」登場人物 

【朝倉義景】あさくらよしかげ。管領代。越前一乗谷館主(城主)。朝倉孝景の子。

【朝倉教景(宗滴)】あさくらのりかげ(そうてき)。宗適。義景の守役。先代孝景の子。
【朝倉阿君丸】あさくらあぎみまる。義景の子。母は小宰相局。

【浅井長政】あさいながまさ。近江小谷城主。義景の盟友。信長の妹婿。

【 顕 如 】けんにょ。本願寺法主。一向一揆の総帥。義景の盟友。
【武田信玄】たけだしんげん。甲斐躑躅ヶ崎館主。義景の盟友。

【魚住景固】うおずみかげかた。奉行人。義景の家来。
【山崎吉家】やまざきよしいえ。義景の家来。

【足利義昭】あしかがよしあき。室町幕府15代将軍。義晴の子。義輝の弟。

【朝倉景鏡】あさくらかげあきら。義景のいとこ。

【織田信長】おだのぶなが。美濃岐阜城主。織田信秀の子。義景の仇敵。