★  天皇の皇子か? 有力豪族か? 渡来系亡命王族か?
 〜 うーん。キトラ古墳の被葬者は、ズバリこの人!

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キトラ古墳の被葬者は誰か?
1.被葬者は豪族か?
2.被葬者は渡来人か?
3.被葬者は天皇の皇子か?
4.被葬者はズバリこの人!
5.被葬者はエロだった!

 キトラ古墳奈良県明日香村にある円墳である。
 名前の由来は、古墳を盗掘した人が、
亀虎
(きとら)の壁画があった」
 と、人に話したのが始まりとも、字名「北浦
(きたうら)」ががなまって「キトラ」に転じたともいわれている。

 修築年代は古墳時代終末期。
 飛鳥時代後半
(白鳳時代)、七世紀末〜八世紀初めにかけてである。
 当然、高貴な人が葬られていると思うが、墓誌なども発見されておらず、被葬者は分からない。

 候補者は多くいる。
 大別して以下の三分野に分けられる。

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キトラ古墳[1][2][3][4][5][6]
高松塚古墳[1][2][3][4][5]
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巣山古墳[1][2][3][4][5]

   皇族
   豪族
   渡来人

 皇族で有力なのが、天武天皇の皇子たち。
 天武天皇には十人の皇子がおり、その墓がどこにあるか分からない人が多い。
 また、天智天皇の子孫のうち、川島皇子
(かわしまおうじ・かわしまのみこ。川嶋皇子)なども候補に挙げられている。

 豪族で有力なのが、右大臣・阿倍御主人(あべのみうし。布勢御主人)
 その名は『竹取物語』にも登場するので、御存知の方も多いであろう
(「2006年1月号 偽装味」参照)
 また、同じく登場する大納言・大伴御行
(おおとものみゆき)などの名も挙がっている。

 渡来人で有力なのが、百済王(くだらのこにきし・くだらのこきし)氏の人々。
 百済王氏は白村江の戦で完滅した百済の国王家であり、日本に亡命して帰化、飛鳥時代には準皇族として優遇されていた名族である。
 また、坂上田村麻呂の祖先・東漢氏の人々も候補に挙げられている。

 今回はこの中から、私なりにキトラ古墳の被葬者をズバリ断定したいと思う。

[2005年3月末日執筆]
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