22.非行味 基礎用語集

足利尊氏(あしかがたかうじ)←足利高氏(たかうじ)
 (1305-1358) 武将。室町幕府初代将軍(在職1338-1358)。貞氏(さだうじ)の子。1331元弘(げんこう)の変後、鎌倉幕府を裏切って後醍醐天皇(ごだいごてんのう)につき、1333六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻略、建武(けんむ)の親政(しんせい)に参加するが、1335中先代(なかせんだい)の乱を機に離脱、1336湊川(みなとがわ)の戦いで新田義貞(にったよしさだ)・楠木正成(くすのきまさしげ)を破り、光明(こうみょう)天皇に北朝を立てさせ、建武式目(けんむしきもく)を制定して室町幕府を開府、後醍醐天皇の開いた南朝と戦い、1339後醍醐天皇が没すると、夢窓疎石(むそうそせき)の勧めで弟・足利直義(ただよし)とともに天竜寺(てんりゅうじ)を創建、諸国に安国寺(あんこくじ)・利生塔(りしょうとう)を建て、1350-1352観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)では、執事・高師直(こうのもろなお)とともに直義とも交戦した。

安康天皇(あんこうてんのう)
 (401?-456?)伝二十代天皇(在位453?-456?)。允恭(いんぎょう)天皇皇子。兄の木梨軽(きなしのかる)皇子を自殺させ、仁徳(にんとく)天皇の皇子・大草香(おおくさか)皇子を殺害してその妃・中蒂姫(なかしひめ)と結婚したが、継子・眉輪王(まゆわ・まよわおう)に殺されたという。倭王興(こう)とされる。
 非行味

恵美押勝(えみのおしかつ)の乱
 藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ。別名恵美押勝)が孝謙(こうけん)上皇に対して起こした反乱。764太師(太政大臣)・藤原仲麻呂は、孝謙上皇のお気に入りの僧・道鏡(どうきょう)を除こうとして反乱を起こすが、吉備真備(きびのまきび)の采配(さいはい)や藤原式家(しきけ)の人々の活躍などにより近江にて敗死。これにより、仲麻呂が擁していた淳仁天皇は淡路に流され、孝謙上皇は称徳天皇として再び皇位に就いた。
 日朝味6

大臣(おおおみ)
 臣姓氏族(大王家の支流氏族)の中で最高位の者。葛城(かずらき)氏・平群(へぐり)氏・巨勢(こせ)氏・蘇我(そが)氏から選ばれた。

大王(おおきみ)
 ヤマト政権の首長。皇族の代表。七世紀から天皇と呼ばれるようになった。

『漢書』地理志(かんじょちりし)
 『漢書』は中国の統一王朝・前漢(ぜんかん)の史書。班固(はんこ)が編集。「地理志」には紀元前一世紀に倭(わ)に百余国の小国家群があったことが記されている。

『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)
 『魏志』は中国三国時代の史書『三国志』の一つ。陳寿(ちんじゅ)が編集。「倭人伝(烏丸鮮卑東夷伝倭人条)」に倭国大乱後に卑弥呼(ひみこ)が邪馬台国(やまたいこく)女王に擁立されたこと、239卑弥呼が魏に遣使し、「親魏倭王(しんぎわおう)」の印綬と銅鏡100枚をもらったこと、卑弥呼没後、宗女・壹与(いよ。台与とも)が後を継いだことなどが記されている。

楠木正成(くすのきまさしげ)
 (1294?-1336) 武将。1333元弘(げんこう)の乱で後醍醐(ごだいご)天皇につき、河内赤坂(あかさか)城・千早(ちはや)城に籠城(ろうじょう)、鎌倉幕府軍を撃退し、建武(けんむ)の新政(中興)に参与、摂津・河内・和泉守護・河内国司に任じられ、1336謀反を起こした足利尊氏(あしかがたかうじ)を敗走させるが、再挙した尊氏に湊川(みなとがわ)の戦いで敗死した。   窮地味

『後漢書』東夷伝(ごかんじょとういでん)
 『後漢書』は中国の統一王朝・後漢(ごかん)の史書。范曄(はんよう)が編集。「東夷伝」に倭(わ)の奴国(なこく)王が後漢皇帝・光武帝(こうぶてい)から印綬をもらったことや、倭国王・師升(すいしょう)が後漢皇帝・安帝(あんてい)に生口(せいこう。奴隷)160人を献上したことなどが記されている。

古事記(こじき)
 現存日本最古の歴史書。3巻。紀伝体。天武天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗唱していた昔話を太安万侶(おおのやすまろ)が編集。神代〜推古朝までを収録。

壬申の乱(じんしんのらん)
 皇位継承をめぐる飛鳥時代最大の内乱。671天智(てんち・てんじ)天皇の死後、子の大友(おおとも)皇子(弘文天皇)と弟の大海人(おおあま)皇子(天武天皇)が対立、672大海人皇子は吉野(よしの)で挙兵し、伊勢へ下向、村国男依(むらくにのおより)に美濃・尾張国司を懐柔させ、不破(ふわ)・鈴鹿関(すずかのせき)を封鎖、大伴吹負(おおとものふけい)に飛鳥古京を占拠させた。大友皇子は大和・伊賀で攻勢に出るが反撃され、近江の瀬田(せた)で完敗、大津宮(おおつのみや)で自殺した。乱後、大海人皇子は飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)へ遷都、673天武天皇として即位した。

『宋書』倭国伝(そうじょ・そうしょわこくでん)
 『宋書』は古代中国南朝・宋の史書。斉の武帝(ぶてい)の勅により、沈約(ちんやく)らが編集。「倭国伝」に倭の五王の遣使の記録がある。

蘇我氏(そがし・そがうじ)
 古代の大豪族。姓は臣(おみ)。氏祖は武内宿祢(たけちのすくね)の子・蘇我石河(そがのいしかわ)という。大和国高市郡(たかいちぐん)蘇我を本拠とした。大和政権で重きをなし、次々と大臣(おおおみ)を輩出、財政を担当したが、645中大兄皇子らに滅ぼされた。

大化の改新(たいかのかいしん)
 中大兄皇子(天智天皇)と中臣(藤原)鎌足らが行った政治改革。645蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼし、孝徳(こうとく)天皇を即位させ、中大兄皇子を皇太子、中臣鎌足を内臣(うちつおみ・ないしん)、阿倍内麻呂(あべのうちまろ。倉橋麻呂)を左大臣、蘇我(倉山田)石川麻呂(いしかわまろ)を右大臣、旻(みん)・高向玄理(たかむこのくろまろ・げんり)を国博士(くにのはかせ)とし、646改新の詔を発表、公地公民制を確立させ、地方制度を整備、班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)を定め、新税制を導入した。

大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)=大山(だいせん)古墳=伝仁徳天皇陵(でんにんとくてんのうりょう)
 百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の中心をなす日本最大(面積では世界最大)の前方後円墳(ぜんほうこうえんふん)。大阪府堺(さかい)市所在。五世紀の修造。伝仁徳(にんとく)天皇陵。墳丘全長四八六m。総全長約九百メートル。高さ三十五メートル。最大幅三百五メートル。円筒埴輪(えんとうはにわ)推定二万本。周囲に陪冢(ばいちょう。小古墳)十五基が点在。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

日本書紀(にほんしょき)
 日本最古の勅撰歴史書。編年体。30巻。系譜1巻(現存せず)。舎人親王(とねりしんのう)・藤原不比等らが編集。神代〜持統朝までを収録。

物部氏(もののべし・もののべうじ)
 古代の大豪族。氏祖は饒速日命(にぎはやひのみこと)という。河内国渋川郡(しぶかわぐん)付近を本拠とした。大和政権で重きをなし、次々と大連(おおむらじ)を輩出、軍事を担当したが、587守屋(もりや)が蘇我馬子(そがのうまこ)に滅ぼされて衰退した。

雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)←大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)皇子
 (418?-479?) 伝二十一代天皇(在位456?-479?)。允恭天皇の皇子。安康天皇の弟。安康天皇没後、八釣白彦(やつりしらひこ)皇子・坂井黒彦(さかいのくろひこ)皇子・眉輪王(まゆわおう)・葛城円(かずらきのつぶら)・市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を殺して泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)で即位した。倭王武とされる。
 非行味 日朝味1

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