★ 衝撃! まさかそんなことが……。七歳の少年が天皇を暗殺!?
〜 古墳時代の政変・眉輪王の変!!
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少年犯罪
1.大草香皇子殺害
2.安康天皇暗殺
3.眉輪王の最期
 

 少年法 第一条 この法律の目的

 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。

 つまり「少年法」とは、悪ガキを更生させるために、特別にこしらえてあげたバリアーなのである。

 少年法は、二十歳未満の男女、つまり「少年」に対して適用される。
 少年である限り、罪を犯しても氏名が公表されることはない。たとえ同罪でも、二十歳以上であれば名前が公表される。
 つまり、主犯が十九歳、共犯が二十歳の場合、共犯だけが公にされるという、おかしな事態が起こってしまうのである。

 犯罪を犯した少年のうち、十四歳以上二十歳未満を「犯罪少年」、十四歳未満を「触法少年」という。
「犯罪少年」は当然少年刑務所にブチ込まれるところだが、つい最近まで、少年法に「刑事処分可能年齢は十六歳以上」という特例があったため、たとえ犯罪少年であっても、それ未満の少年は罪を問われることはなかった。

つまり、十六歳未満の犯罪はチャラになるんだ」
 平成九年(1997)、この特例を逆手にとった凶悪犯罪が起こった。
 神戸連続児童殺傷事件である。
 当時十四歳だった犯人の少年は、「酒鬼薔薇聖斗
(さかきばらせいと)」なる奇怪な名を語り、いたいけな三児童を殺傷、うち一人を小学校の前に「さらし首」にした。
 少年は逮捕され、医療少年院に送られたが、この秋、この社会へ帰ってくる予定である。

 事件後、少年法改正が論議され、平成十三年(2001)の改正少年法では、「刑事処分可能年齢は十四歳以上」に引き下げられた。

 ところがこの規定も、平成十五年(2003)七月に長崎幼児殺害事件を起こした十二歳の犯人には、適用されることはない。
犯人に適用できないなら、その親を市中引き回しの上打ち首にすればいい」
 鴻池祥肇
(こうのいけよしただ)防災担当相がそんなことを言って批判されたが、少なくとも被害者の親は、それ以上に憤慨していることであろう。

 七月には、沖縄でも少年たちによるリンチ殺人事件が起きた。
 また東京では、少女四人が身勝手極まりない男の最後の晩餐
(ばんさん)の犠牲になる事件も発生した。
 被害少女の一人が言ったという。
私たちが悪いんです」
 とても被害者の言葉ではないが、彼女らは自分たちが「危ない橋」を渡っていたことに気付いたのであろう。うまい話にはリスクが付きものである。

 大人は信用できないものである。
 初めからそう思っていたほうが無難である。
 特に「信じろ」などと強制する大人ほど信じられないヤツはいない。

 大人を信用してはいけない。
 だからといって、無視しろと言っているわけではない。
 良きにせよ悪しきにせよ、自らの手本とするのである。大人をよく観察し、分析し、習得すべきものは吸収し、いらないものは切り捨てるのである。
 偉人の言動すべてを見習い、悪人の言動すべてを切り捨てろといっているわけではない。
 偉人にも悪い点はあり、悪人にも良い点はある。それを見極めて将来の指針とするのである。

 歴史上の人物は、その時々、各人々の都合によって偉人にも悪人にもなってしまう。足利尊氏楠木正成などは、その最たるものであろう。
 そもそも後世の者が誰かれが偉人だ、悪人だ、と判別することは不可能である。史料というものも、どこまでが真実なのか、改竄
(かいざん)なのか、危ういものである。
 歴史は真実であるべきである。ところが真実というものは、そうスムーズに伝えられるものではない。そのため、十人の歴史家がいれば、十通りの歴史が論じられることになる。それがまた、おもしろいのであるが――。

 少年には将来がある。
 危ない橋を渡り慣れている老い先短いバカタレ大人とは異なる。
 少年には、犯罪などという取り返しのつかない愚かな道草を食っているヒマはない。光陰は止められず、後悔は先に立たない。
 少年は、大志を抱くべきである。そして、何がなんでも実現すべきである。

*          *          *

 今回は古墳時代のクーデター「眉輪王(まよわのおう・まよわのおおきみ・まゆわおう)の変」をご紹介する。
 先帝・安康天皇暗殺を機に、古墳時代の暴れん坊大王雄略天皇
(「隕石味」等参照)が、日本最古の豪族・葛城(かずらき・かつらぎ)氏を滅ぼして政権奪取した重要な政変である。
 丁未の乱
(「イヌ味」参照)・崇峻天皇暗殺(「襲撃味」参照)・有間皇子の変(「ウソ味」参照)大化の改新壬申の乱・藤原広嗣の乱(「暴発味」参照)恵美押勝の乱・道鏡皇位事件(「女帝味」参照)などと並ぶ古代史上最重要級の政変にもかかわらず、教科書には載っていない。
「継体天皇
(けいたいてんのう。「国境味」参照)より前の『古事記』や『日本書紀』の記述は信じられない」
 それが理由である。
 だから、これより前の日本の歴史は、『漢書』・『後漢書』・『魏志』・『宋書』など、中国の史書の記述をもとに成り立っている。

 ではなぜきっかり継体天皇からなのか?
 その前帝・武烈天皇
(ぶれつてんのう)の暴君ぶりの記述が、教育にふさわしくないからであろう。
 だからといって、歴史を抹殺してよいというわけではない。

 葛城氏は蘇我氏物部氏に先んじて繁栄していた古豪である。天皇家が台頭するより前は、大王家だったかもしれない古代史上最古にして最強の政権豪族である。
 その大葛城帝国が滅亡した「眉輪王の変」が、架空の事件であったはずはない。

 それでは主に『古事記』『日本書紀』をもとに、私の見解を交えながら「眉輪王の変」を再現したいと思う。

[2003年7月末日執筆]
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参考文献はコチラ

「眉輪王の変」主な登場人物 

【眉輪王】まよわのおう・まゆわおう。大草香皇子の王子。

【大草香皇子】おおくさかおうじ・みこ。眉輪王の父。

【安康天皇】あんこうてんのう。大王。伝20代天皇。眉輪王の継父。

【中蒂姫皇女】なかしひめおうじょ・ひめみこ。眉輪王の生母。

【根使主】ねのおみ。安康天皇の臣下。紀氏の一族。
【香火姫皇女・円皇女・財皇女 】反正天皇の皇女たち。
【八釣白彦皇子】
やつりしろひこおうじ・みこ。大泊瀬皇子の兄。
【坂合黒彦皇子】
さかいのくろひこおうじ・みこ。大泊瀬皇子の兄。


【葛城 円】かずらき・かつらぎのつぶら。大臣。葛城氏の当主。

【大泊瀬皇子(雄略天皇)】おおはつせのおうじ(ゆうりゃくてんのう)。安康天皇の弟。