6.身代!松田将監!!

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日本は改憲すべきか?
1.没収!山名満幸!!
2.報告!古山満藤!!
3.裏切!荻野兄弟!!
4.鬼神!小林義繁!!
5.玉砕!大足一族!!
6.身代!松田将監!!

 南から攻め寄せる山名氏清軍二千は強力であった。
 たまらず大内義弘足利義満の本陣へ出向き、救援を求めた。
氏清軍二千騎、大宮大路を北上中!我が隊は五百足らず、すでに疲労困憊
(ひろうこんぱい)!数十名が討ち取られ、私自身もこの通りひじなど二か所に深手を負っております!もし我が隊が崩れれば、氏清軍は一気にここ本陣に押し寄せてきましょう!また、私のような勇士を討ち死にさせてしまっては、誰も将軍さまのために戦おうなどと思う人はいなくなりますぞっ!」
 義満は、返り血を浴びて赤鬼のようにわめく義弘に、太刀を与えてやった。
「誠に今朝の合戦、大義比類なし。赤松
隊を加勢させるが、これで足らねば余自らが赴くであろう」
「ありがたきしあわせー!」
 義弘は喜んで戦線へ戻っていった。
 一色詮範や今川仲秋はおもしろくなかった。
「なんたる無礼なヤツだ。自分だけで戦っているわけでもあるまいし」
「そうだな。まるで我々が将軍さまのために戦っていないような申し方であった」
 赤松義則隊七百騎が大内隊に加勢したことにより、とりあえず南方の脅威は少なくなった。

 一方、西方はといえば、火の玉軍団大足一族玉砕によって満幸軍は劣勢になっていた。
「敵軍畠山隊に巻き返され、我が軍後退中〜!」
「大足隊はどうした?」
「京極隊の急襲を受けて以降、何の連絡もありません。すでに壊滅したかと」
「ぬぬぬ……。悪いほうばかりに考えるな!前進して将軍本陣で戦っているやも知れぬ。オレも本陣へ突撃する!オレに続けーっ!」
「はい〜!」
「かくなる上は、将軍と一騎打ちあるのみっ!」
 満幸軍は内野へなだれ込んだ。
「ワー、敵が来たー!」
「まだいたのか!」
「後退したんじゃなかったのか!」
「山名軍、しぶとすぎー!」
 たまらず浮き足立って逃げる部下たちに、畠山基国は折れた刀を振り回して怒鳴り散らした。
「この愚か者めがー!」

 義満本陣にもちょくちょく敵が乱入してきてバタバタしてきた。
「反逆者の処罰はまだ終わらぬか?」
「はあ。もうしばらくご辛抱を」
「もう待てぬ!」
 義満は名刀「二つ銘」を抜いて声を上げた。
「満幸以下、叛逆与同の者どもを一人乗らず討ち取って六条河原
(ろくじょうがわら。京都市下京区)にさらすのじゃー!」

 と、そのとき、北野(きたの。京都市上京区)の森からヤマバトの集団が飛んで来た。
「ぽっぽー」
 ぱたぱたぱたたっ。
 そのうち二羽が将軍の旗上に止まって交尾すると、しばらく頭上で飛び回った後、満幸軍の陣の方へ飛び去っていった。
「吉兆じゃ」
 義満はこじつけた。
「北野の菅原道真
(「スト味」「受験味」「入試味」参照)公が、我が軍にお味方なされた!史上最強の怨霊が、我が軍の勝利を確信なされたんじゃー!我が軍の勝利は明白なり!押し出せーっ!」
「おおーっ!」

 幕府軍は再び巻き返した。
 もはや満幸軍には反撃の気力も体力も残っていなかった。
 満幸に側近の松田将監
(まつだしょうげん)が勧めた。
「お味方は総崩れです。殿もお逃げを」
「オレはまだまだやれるぞ」
「それは分かります。しかしここは退却するしかありません。いまだ氏清さまは戦っております。義理さまももうじき来援されるでしょう。いったん丹後へ戻り、再起を図ればいいのです」
「何を申す!義父はまだ戦っているのだ!オレだけ逃げるわけには行かぬ!義父はオレの逃亡を望んではいまい!」
「あなたさまの死は、もっと望んでおりませんっ!」
「……」
「さあ!ここは私が防ぎます!お逃げを!一刻も早く奥様やお子様に元気な姿を!桂川さえ越えれば、もう敵も追ってきますまい!」
「ううう……。分かった」

 満幸は逃亡した。逃げると決めたら猛スピードであった。
 敵軍は気づいた。
「あ!満幸が逃げていくぞっ!」
「逃がすな!追えー!」
「待て待て待てえー!」
 桂川の河辺で将監が追っ手をさえぎった。
「山名播磨守満幸が家臣、満幸軍きっての勇士、かの高名な松田将監とは拙者のことだー!我と思わんものは組むべし!」
「マツダショーゲン?そんなヤツ聞いたことないな」
「誰が組むなどと危険なことをするものか」
「遠巻きにして討ち取ってやるがいい」
 追っ手は将監を取り囲むと、
 ぴゅぴゅぴゅん!ぶすすすすす!と弓矢でハリネズミにしてやった。
「ううっ、卑怯!」
 将監は血を噴いてひざをついて観念した。
 座り込んで腹を切ると、抜いた太刀をくわえて倒れ伏してしまった。

 こうして満幸軍は巳の刻(午前十時頃)までに敗走した。
 ここまでに討ち死にした者は満幸軍が五百七十三人、幕府軍が百七十人。二条大路から梅津や桂
(かつら。京都市西京区)までは人馬の死体で埋め尽くされたという。

(「無念味」へつづく)

[2010年12月末日執筆]
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