6.世界で一番大きな歌とは?

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芸人恐るべし〜曽呂利新左衛門は実在したか?
1.新左衛門はいつ登場したか?
2.豊臣秀吉はサルそっくりか?
3.瓢箪からホントに駒は出るか?
4.黒駒騒動をどう収めたか?
5.新左衛門はなぜ狂歌がうまいか?
6.世界で一番大きな歌とは?
7.新左衛門はいつ没したか?

 天正十八年(1590)三月、豊臣秀吉は関東の北条氏政(ほうじょううじまさ)・氏直(うじなお)父子を討つべく、京都を出陣した。
 四月、秀吉は二十一万の大軍で北条氏本城・相模小田原城
(おだわらじょう。神奈川県小田原市)を完全包囲、兵糧攻めを敢行したのである。

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小田原城[1][2][3][4][5]

 小田原城内では連日議論が白熱した。
「敵は未曽有の大軍じゃ! 勝てるわけがないではないか! 一刻も早く降伏すべし!」
「なーに。この城は武田信玄上杉謙信すら落とせなかった天下の堅城じゃ。サルごときに何ができる!」
「そうじゃ。豊臣は弱い。小牧・長久手の戦では徳川の小勢にも歯が立たなかったではないか!」
「その徳川は、今回は敵じゃ!」
 いわゆる「小田原評定」で熱くなっていたのであるが、城外の豊臣軍は冷めていた。
「北条勢は何をしているのじゃ」
「城内で激しい議論が展開されているらしい」
「敵は城の外にいるんじゃ。城内だけで戦わんでほしいな」

 秀吉も退屈していた。
「ヒマじゃのう」
 そこで武将たちにこんな提案した。
「城内だけで白熱させておいても癪
(しゃく)じゃ。わしらも戦おうではないか」
 前田利家が驚いた。
「え! まさか、殺し合いをするのでは?」
「アホ! 歌合戦をするのじゃ。今夜は天下統一の前夜祭じゃ。日本全国からこれだけ多くの武将が勢ぞろいすることはめったにない。誰か一番大きな歌を詠った者には、望みのままに褒美を取らせるぞ」
「わーい!」
 武将たちは喜んだ。

「はい! 殿下!」
 いち早く手を挙げたのは、遠江浜松
(はままつ。静岡県浜松市)城主・徳川家康
「おお、家康殿が詠うか。楽しみじゃな」
「ではでは」
 家康は詠った。

  武蔵野(むさしの。関東平野西部の台地)雪かと見せし桜花
   天地にひびく花見歌々

 秀吉はうなずいた。
「なるほど、まさしく今の歌じゃな。家康殿は武蔵野が気に入られたのかな?」
「まことにいいところですなー」
「うんうん。それは結構」
 秀吉はニヤリとした。
 この理由は、小田原攻め後の仕置きに明らかである
(「2004年4月号 裏金味」参照)

「では拙者も」
 伊予今治
(いまばり。愛媛県今治市)城主・福島正則も続いた。

  両国(りょうごく。東京都墨田区)はびこる梅の枝に鳴きて
   天地もひびく鶯
(うぐいす)の声

 秀吉は不満だった。
家康殿の歌より小さくはないか?」
「そうでござるか?」
「まあ、武闘派のお前にしては上出来だ」

「それでは私が一つ、ガツンと大きな歌を――」
 今度は加賀金沢
(かなざわ。石川県金沢市)城主・前田利家が詠った。

  富士山(静岡県・山梨県境)枕となして昼寝せば
   足は対馬
(つしま。長崎県対馬市)の果てにこそあれ

 秀吉は突っ込んだ。
「うははっ! 太太法師
(だいだらぼうし。だいだらぼっち)か! こういう歌を待っていたんじゃよ」

「それでは私も」
 越後春日山
(かすがやま。新潟県上越市)城主・上杉景勝も続いた。

  崑崙(こんろん。チベット)腰打ちかけて水呑(の)めば
   太平洋の底は乾きぬ

「おおー、これはでかい!」
 一同、感心したが、
「いや、まだ小さいっ! これならどうだ」
 伊勢松坂
(まつざか。三重県松阪市)城主・蒲生氏郷(がもううじさと)も対抗した。

  崑崙に腰打ちかけて足出せば
   指は地球の外にありけり

「スゲー!」
「想像もつかないでかさだ!」
 こうなってくると武将たちの意地の張り合いである。
「ここは拙者がしめてつかわす」
 肥後隈本
(くまもと。熊本県熊本市)城主・加藤清正が渾身(こんしん)の歌を詠んだ。

  須弥山(しゅみせん。世界の中心にそびえる高山)腰打ちかけて大空を
   ぐっと呑めどものどに触らず

「うっわー!」
「でかいってもんじゃねー!」
「大空を飲んでものどにも触らないとは……」
 武将たちは軍配たたいて喝采
(かっさい)したが、秀吉はまだもの足りなさげである。
「何じゃお前たち、もう終わりか?」
「だって、これ歌以上の歌は不可能でしょう」
 秀吉は笑い飛ばした。
「情けないヤツばかりじゃ。それではわしの歌はどうじゃ?」
 秀吉は短冊にも書かず、大声で詠った。

  東西の地球を小脇に抱えつつ
   月をば呑んで太陽を吹く

 武将たちはいったんしんとした後、地鳴りにも似たどよめきを起こした。
「なんてこった……」
「地球が二つなど、とても常人が考えつく歌ではない」
「さすがは天下様じゃ」
 居並ぶ武将中随一の歌名人・細川幽斎
(ほそかわゆうさい。藤孝)も感服した。
「殿下。どうやら勝負ありのようですな」
 秀吉も付けヒゲを引っ張ってふんぞり返ったが、
「しかしわしが一番では、褒美をやりようがないのう」

 すると曽呂利新左衛門が手を挙げた。
「それでは私めが――」
 幽斎は驚いた。
「なんじゃ、そちはまだこれ以上大きな歌を詠うというのか?」
 秀吉はワクワクした。
「なあに。曽呂利には何か反則技があるのであろう。詠わせてみよ」
「へい、ありがとうございます」
 新左衛門は詠った。

  地球をばちょっと丸めて手に乗せて
   つまんで吹けばあとかたもなし

 武将たちは静まり返った。
「ぷっ!」
 誰かが吹き出したのをきっかけに、堰
(せき)を切ったようにみんなゲラゲラ笑い始めた。
「ウヒヒ! 地球をつまんで丸めて吹っ飛ばす? どっちへ向けて飛ばすんだ?」
「ヒーッヒヒ! しかも、あとかたもなくだってよ!」
「地球に住んでいるわしらはどうなるんじゃ? へへへ! ありえねー! 腹いてー!」

 秀吉も笑い涙をふきながら言った。
「曽呂利。わしの負けじゃ。地球を小脇に抱えるより、丸めて吹き飛ばすほうが明らかに上じゃ。約束どおり、望みのままの褒美をやろう。なんなりと申せ」
 新左衛門が少し考えてから言った。
「では、本日は米一粒だけ、いただきたく存じます」
「何、コメ一粒!」
「その代わり明日は二粒、明後日は四粒、三日後は八粒というように倍増していき、そうですな、五十一日間そのように続けていただきたいと存じますが、よろしいでしょうか?」
 秀吉はつまらなさそうであった。
「なんじゃ。お前のことだから、膨大な褒美を要求してくるかと思ったら、たったそれだけでいいのか。いいに決まっているではないか」
「ありがとうございます〜」
 すると、算盤
(そろばん)をはじいていた兵糧奉行長束正家の顔が青くなった。
「殿下! 大変でございまする!」
「なんじゃ?」
「そのように米粒を支払っていくと、四十九日目は二百八十一兆四千七百四十九億七千六百七十一万六百五十六粒、五十日目は五百六十二兆九千四百九十九億五千三百四十二万千三百十二粒、五十一日目は千百二十五兆八千九百九十九億六百八十四万二千六百二十四粒、合計二千二百五十一兆七千九百九十八億千三百六十八万五千二百五十七粒にもなってしまいます!」
「なんじゃそれは! 想像もつかぬ数じゃが、石高に直すとどうなるのじゃ?」
「おそらく、日本の総石高の三年分ぐらいにはなるかと――」
 これには秀吉、手をたたいて笑った。
「ハッハッハ! いかに曽呂利といえどもやれぬ褒美じゃ。何ぞ、ほかのものにせい!」
「それでは、『袋に一杯の米』で結構でございます」
「なんじゃ。急にまた小さくなったな。お前がそれでよいなら、それでよいぞ」
「ではでは、北条が降伏し、めでたく殿下の天下統一相成りましたら、袋を用意して取りに行きます」
「何、袋を用意して――? ま、まさか……」

 北条氏政・氏直父子の降伏によって秀吉の天下統一が成ったのはその年の七月のことである。
 それから何日か後、新左衛門はやって来た。
「約束どおり、『袋一杯の米』をもらいに参上いたしました」
 米倉が何軒かすっぽり入る大きな袋を持参して――。

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