★ あの赤穂事件と現代の国際情勢を比較する!
 〜御存知『忠臣蔵』に学ぶ報復の戒め!

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赤穂事件と現代の国際情勢

 年の瀬になると、日本人は「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」を観、「第九」を聴く。
 誰が定めたわけでもなし。好きで観聴きするわけでもなし。テレビをつければ忠臣蔵がやっているので観てしまい、ラジオをつければ第九が流れているので聴いてしまう。

 忠臣蔵は「仇討(あだうち)」の話である。
 言い換えれば、「敵討
(かたきうち)」である。「仕返し」である。「報復」である。「復讐(ふくしゅう)」である。

 平成十三年(2001)のアメリカでの「9.11同時多発テロ」以降、これらの言葉は連日のように新聞・雑誌紙面をにぎわし、テレビやネット上で乱れ飛んだ。
「やられたらやり返す」
 この精神は大事である。
 というより、生物にとって、他者からの攻撃に抵抗するという本能は、必要不可欠なものである。やられっぱなしでも黙っている人間は、堕落しているか、何か恐るべき魂胆を秘めているか、どちらかであろう。

 やり返し方にも方法がある。数限りなくある。
 アメリカは、テロを起こしたアルカイダ
(アル・カイーダ。Al-Qaeda)および、それをかくまったタリバン(タリバーン。Taliban)に対し「戦争」という手段でやり返した。
 その結果、きやつらをたたきのめすことはできたが、いまだに両ボスであるビンラディン
(Osama.bin.Laden)とオマル(ウマル。Muhammad.Umar)の所在は分からないでいる(2002年11月現在)。ボスを捕らえて裁かなければ、戦争を仕掛けた意味はない。

 そこでアメリカは考えた。
「実はアルカイダの黒幕はイラクだった。だから、イラクのフセインをたたけば、すべての形はつく」
 これでいいのであろうか?
 いくら吉良
(きら)が憎いからといって、浅野(あさの)は安易に刃傷(にんじょう)に及んでもよかったのであろうか?

*            *            *

 元禄十四年(1701)三月十四日、江戸城本丸の松之廊下(まつのろうか)にて、勅使接待役を務めていた播磨赤穂(あこう。兵庫県赤穂市)藩主・浅野長矩(ながのり。内匠頭)が、高家(こうけ)筆頭・吉良義央(よしなか・よしひさ。上野介)に突然切り付けた。
この前の遺恨、忘れたか!」
 ズビャッ!
痛い〜

 長矩が刃傷に及んだ原因については諸説がある。
 長矩は精神的に病んでいた、義央のイジメに耐えかねていた、などである。

 義央イジメ説にも、いじめた原因として諸説ある。
 長矩が賄賂
(わいろ)をケチった、赤穂の塩の製法を教えなかった、義央が長矩夫人に横恋慕して邪険にされた、などである。

 いずれにせよ、義央は額などを負傷、長矩は留守居番・梶川頼照(かじかわよりてる。与惣兵衛)に組み止められ、院使御馳走人を務めていた伊予吉田(よしだ。愛媛県宇和島市)藩主・伊達宗春(だてむねはる)らに取り押さえられた。

 老中阿部正成(あべまさしげ。正武。豊後守)らは梶川を尋問、事の次第は将軍徳川綱吉に伝えられた。
 綱吉は立腹した。
いかなる事由があったにせよ、勅使来訪の重要儀式を血で汚すとは何事か!」
 綱吉は、長矩に即日切腹を、赤穂藩に改易を命じた。
 一方、義央側の方はおとがめナシだった。

 綱吉の判決について片手落ちだと言う人があるが、当時の慣例からしても珍しいことではなかった。
 延宝八年(1680)に右筆
(ゆうひつ。秘書)同士のケンカがあったが、この時も脇差(わきざし)を抜いた水野伊兵衛(みずのいへえ)が切腹、相手の大橋長左衛門(おおはしちょうざえもん)はおとがめナシになっている。
 ようするに、当時のケンカはキレたほうが悪、キラレたほうが善というわけだ。
 現在の法律に照らしてみても、この事件だけ見れば義央は一方的な被害者であり、何も罰せられるようなことはしていない。

綱吉は『犬公方(いぬくぼう)』だから、何か判断が変わっているんだ」
 と、言う方がおられるかもしれない。
 そんなことはない。
 私は綱吉は歴代将軍の中でも指折りの名君だと思っている。彼は有名な「生類憐みの令」を出してしまったがために、評価を下げてしまっただけである。
 このときの綱吉の判決は英断ほどではないが、間違っていたとは思えない。

 それでも、突然藩が倒産し、全員解雇を言い渡された赤穂浪士にとって、この処分は我慢ならないものであった。
拙者どもは失業したのに、主君の敵の吉良は今でもぬくぬくと贅沢
(ぜいたく)に暮らしている……」
 赤穂浪士は義央を恨んだ。蓄えが減り、生活が苦しくなるに連れ、ますますその恨みは募っていった。
「いつか必ずやり返してやるからな」
 彼らは主君の位牌
(いはい)を前に涙し、報復を決意する。目的を達成するためには手段など選んでいられない。そんな彼らの一部が「討ち入り」という過激思想に身を投じていくのである。

*            *            *

 アメリカとタリバン、アメリカとイラク、アメリカと北朝鮮の立場は、浅野と吉良の立場とは異なる。
 大国と小国の関係である。

 小国は大国の脅威におびえる。
「このままでは攻められる。滅ぼされる。だから、今のうちに核を持ってでも武装強化しておかなければ――」
 大国は小国の台頭を恐れる。
「放っておけば、テロを起こされる。核を保有される。だから、今のうちにやっつけておかなければ――」
 そして、両国間に戦争が起こる。
 大国は勝ち、ホッと胸をなでおろす。
「平和は守られた。めでたしめでたし」
 と、勝手に幕を引く。
 が、小国は収まらない。おもしろくない。
「何がめでたい!」
 特に、大国の攻撃によって愛する家族や親しい友人を殺された人々は、このまま終わりにするわけにはいかない。
「いつか必ずやり返してやるからな」
 彼らは愛する者の写真を手に、思い出を胸に報復を決意する。目的を達成するためには手段など選んでいられない。そんな彼らの一部が「テロ」といった過激思想に身を投じていくのである。

*            *            *

 元禄十五年(1702)十二月十四日晩、元赤穂藩筆頭家老・大石良雄(おおいしよしお。内蔵助)以下四十七人の赤穂浪士が吉良義央邸へ向かった。
 映画やドラマなどでは、浪士たちはおそろいの火消し装束で身を固めているものが少なくないが、実際はそろえるほどカネもなく、てんでバラバラだったようだ。
 四十七人は二手に別れ、表と裏から吉良邸を襲撃、激闘は翌日未明まで二時間ほど続き、浪士たちは吉良家人十六人を斬殺
(ざんさつ)、二十人余りを負傷させ、物置に隠れていた義央を引きずり出し、間光興(はざまみつおき。十次郎)と武林隆重(たけばやしたかしげ。唯七)が首を討ち取った。
 浪士たちは雄たけびを上げ、本懐を遂げたことを祝った。

*            *            *

 平成十三年(2001)九月十一日午前(現地時間)、アメリカで旅客機四機がハイジャックされ、うち二機がニューヨークの世界貿易センタービルに、一機がワシントンの国防総省ビル(ペンタゴン)に突入、残る一機はペンシルベニア州(Pennsylvania)ピッツバーグ(Pittsburgh)郊外に墜落した。
 世界貿易センタービルは周囲のビルを巻き込んで南北二棟とも倒壊、死者行方不明者は一時一万人以上とも報道された
(実際は三千人余り)

● 赤穂四十七士メンバー
氏名(通称) 身分・役職・備考
大石良雄(内蔵助) 45 家老吉良邸討入の首領
大石良金(主税) 16 良雄の子。討入で裏門隊長
片岡高房(源右衛門) 37 内証用人・稚児小姓頭
原元辰(惣右衛門) 56 足軽頭
堀部金丸(弥兵衛) 77 元江戸留守居番
堀部武庸(安兵衛) 34 馬廻・使番。金丸の養子
高田馬場の仇討で有名
近松行重(勘六) 34 馬廻
吉田兼亮(忠左衛門) 64 足軽頭・郡奉行
吉田兼貞(沢右衛門) 29 蔵奉行。兼亮の子
間瀬正明(久太夫) 63 大目付
間瀬正辰(孫九郎) 23  正昭の子
潮田高教(又之丞) 35 郡奉行・絵図奉行。医学通。
三味線好き
富森正因(助右衛門) 34 馬廻・使番 
赤埴重賢(源蔵) 35 馬廻 
不破正種(数右衛門) 34 元馬廻・浜辺奉行 
岡野秀包(金右衛門) 24 物頭並 
小野寺秀和(十内) 61 京都留守居番。医学通
小野寺秀富(幸右衛門) 28 秀和養子
奥田重盛(孫太夫) 57 馬廻・武具奉行
奥田行隆(貞右衛門) 26 加東郡勘定方。重盛養子
大石信清(瀬左衛門) 27 馬廻 
木村貞行(岡右衛門) 46 馬廻・絵図奉行。詩人
矢田助武(五郎右衛門) 29 馬廻
早水満尭(藤左衛門) 40 馬廻。弓の達人。
磯貝正久(十郎左衛門) 25 物頭・側用人。討入で照明担当
間光延(喜兵衛) 69 勝手方・吟味役 
間光興(重治郎) 26  光延の長子。義央を討ち取る
間光風(新六) 23  光延の次子
中村正辰(勘助) 48 書物役・馬廻
菅谷政利(半之丞) 44 馬廻・郡代
千馬光忠(三郎兵衛) 51 馬廻
村松秀直(喜兵衛) 64 中小姓・扶持奉行
村松高直(三太夫) 27 秀直の子
岡嶋常樹(八十右衛門) 38 中小姓・札座勘定奉行
大高忠雄(源五) 32 中小姓・膳番元方・金奉行・腰物方
倉橋武幸(伝助) 34 中小姓・扶持奉行
矢頭教兼(右衛門七) 18 長助の遺子
勝田武尭(新左衛門) 24 中小姓・札座横目
前原定房(伊助) 40 中小姓・金奉行
貝賀友信(弥左衛門) 54 中小姓・蔵奉行
武林隆重(唯七) 32 馬廻。義央を討ち取る
杉野次房(十平次) 28 中小姓・札座横目
神崎則休(与五郎) 38 足軽徒・目付・郡奉行。歌人・詩人
茅野常成(和助) 37 横目
横川宗利(勘平) 37 徒目付
三村包常(次郎左衛門) 37 酒奉行・台所役。討入では門を破壊
寺坂信行(吉右衛門) 35 吉田兼亮組。足軽討入後失跡

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 赤穂浪士の討ち入りは、日本中に大きな衝撃を与えた。
 今でいえば、会社を倒産に社長を自殺に追い込まれた元社員たちが、こぞって敵会社の社長を殺しに行くようなものである。田中真紀子
(たなかまきこ)元事務所の人々が、鈴木宗男(すずきむねお)邸を襲撃しにいくようなものである。
 とんでもない事件だが、彼らの所業に喝采
(かっさい)する人々も少なくなかった。
「よくぞ幕府の鼻をへし折った。彼らこそ、武士の鑑
(かがみ)! これこそ武士道のきわみだ!」

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 アメリカで起きた同時多発テロは、世界中に大きな衝撃を与えた。
 アルカイダの連中は喝采し、ビンラディンは歓喜した。
よくぞアメリカの鼻をへし折った。彼らこそイスラムの鑑! これこそジハード
(聖戦)のきわみだ!」

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 幕府は赤穂浪士の処分を検討した。
 政治家だけではなく、知識人
(儒学者)の意見も聞いた。
 室鳩巣林信篤伊藤東涯・浅見絅斎
(あさみけいさい)らは赤穂浪士の行動を絶賛した。
赤穂浪士は主君の敵を見事に討ち果たした。これこそ義の神髄である。なにとぞ寛大なお裁きを」
 が、荻生徂徠太宰春台・佐藤直方
(さとうなおかた)らは断固反論した。
赤穂浪士は幕府の処分に対して見事に反抗してくれた。これこそ愚の骨頂である。なにとぞ厳格なお裁きを」

 綱吉は迷ったものの、荻生らの意見を採用、吉良邸に討ち入った赤穂浪士四十六士に切腹を命じた(四十七士のうち、足軽・寺坂信行(てらさかのぶゆき)は討ち入り以後に失跡したため処罰を免れた。一説に討ち入り以前に逃亡したともいう)

 翌年二月四日、四十六士は切腹、遺骸は長矩の墓所わきに葬られた。
 また、四十六士の子供のうち、十五歳以上の者四人が島流しにされた。

 一方で綱吉は、被害者の吉良側も処罰した。
 吉良家を取りつぶし、義央の継子・義周
(よしちか)信濃高島(たかしま。長野県諏訪市)藩主・諏訪忠虎(すわただとら)のもとに預けたのである。義周は四年後に没し、吉良本家はここに絶えた。

 綱吉はこう考えたのかもしれない。
(もし、鳩巣らの意見を聞き入れて浪士を助けたりすれば、今度は吉良の親族が仇討と称して浪士をつけねらうであろう。それで吉良が本懐を遂げたとしても、今度は浪士の親族が仇討と称して吉良の親族をつけねらうであろう。これでは永久にきりがない。どちらかがやめない限り、仇討の応酬が繰り返されるだけだ。それを食い止めるには、浪士を切腹させることだ。仇討の根源を除き、その永久連鎖を断ち切ることだ。そうすれば、浪士の子孫も吉良の子孫も共に代々救われることになる」

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 九月十四日、アメリカ連邦捜査局(FBI)はテロの実行犯として十九名の氏名を公表、ブッシュ大統領(George.H.W.Bush)はテロはビンラディンをボスとするアルカイダの犯行だと激しく非難した。
 十月、アメリカとイギリスは、アルカイダをかくまうアフガニスタンのタリバン政権に対し、報復と称して空爆を開始、アメリカと結んだ北部同盟
(反タリバン勢力)は十一月に首都カブール(Kabul)へ侵攻、十二月には本拠カンダハル(Kandahar)を陥落させ、タリバン政権を崩壊させた。
 同月、アフガニスタン暫定政権が発足、議長に選ばれたカルザイ
(Hamid.Karzai)は、翌年六月のロヤジルガ(国民大会議)にて大統領に就任した。

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 赤穂事件は、近松門左衛門の『碁盤太平記(ごばんたいへいき)』、竹田出雲らの『仮名手本忠臣蔵』を初め、現代にいたるまで、数多くの文学・演劇・メディアなどで採り上げられた。
 が、たいてい大筋は以下の通りである。

  吉良のイジメ(嫌がらせ)⇒浅野のブチギレ(刃傷)⇒大石らの仕返し(仇討)⇒大石らのおじゃん(切腹)

 これら一連の作品が言いたいのは、
「いじめられても我慢しろ。キレたら負けだぞ。キレたら悲劇が待っているぞ」
 という戒めなのであろう。
 忠臣蔵が毎年決まって年末に流行するのは、流行させているのは、討ち入りが十二月に行われたというだけではなく、何かとせかせかイライラしている師走の人々に自重を促す意味もあると思われる。

 その一方で、
「死を覚悟しているほど我慢ならないなら、そんなに恨んでいるなら、別にやってもいいよ」
 という「悪魔のささやき」も含まれているのかもしれない。

 赤穂浪士は幕府の裁きに反して吉良を討てば、命がないことは分かっていた。彼らはそれを承知で吉良を討った。
「吉良は敵だ。たとえ我が命と引き換えても、これを葬り去らねばならない」
 ある意味、自爆テロと同じである。身を犠牲にしてまで倒さねばならない敵と遭遇してしまったとき、ほかに手段がないとすれば、それはそれで仕方のないことかもしれない。

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 アメリカはタリバン政権を崩壊させることに成功した。
 しかし、ビンラディンもオマルもいまだに行方知れず、世界各国でテロや不可解な事件が頻発し、かえって戦前よりも物騒な世の中になってしまった。
 アメリカはイラクを攻めたがってある。今のアメリカは、鼻先にエサを突きつけられた飢えたイヌのようなものである。
「お預け!」
 と、いくら周囲の人々に止められても、結局は食べてしまうであろう。
 イラクの形がつけば、今度は北朝鮮である。パレスチナやイランも待っている。パキスタンやソマリアかもしれない。

 アメリカは「世界の警察」を自負している。
「アメリカに歯向かうものは容赦なくたたきつぶす。アメリカの上にアメリカはなく、アメリカより栄える国など絶対に存在してはならない」
 アメリカの最終目標は、やはり中国なのであろう。

 かつてユーラシア大陸の大半を治めていたモンゴル(元)は、今では中国とロシアの間に潜む「ひび」のようなちっぽけな国になってしまった。
 古代ヨーロッパで栄華を極めていたギリシャ
(ギリシア)も、西洋を制したイタリア(ローマ帝国)も、世界を二分しようとしたスペイン(イスパニア)とポルトガルも、ナポレオン率いた最強のフランスも、ヒトラー率いた恐怖のドイツも、今ではそれぞれ小さくまとまってしまった。
 七つの海を制したイギリス
(大英帝国)も、東アジア・太平洋に跋扈(ばっこ)した日本(大日本帝国)も、今では一介の島国に成り下がってしまった。
 史上空前の軍事大国であったロシア
(ソビエト連邦)ですら、どこに攻められたわけでもなく、いともたやすく崩壊してしまった。
 栄えるものはいつかは衰退する。歴史は例外なく繰り返されてきた。
 何年、何十年、何百年後か分からないが、いつか来る日があるであろう。
 案外、すぐそこまで来ているのかもしれない。人々がこうつぶやくときが――。
「アメリカよ、おまえもか……」

[2002年11月末日執筆]
ゆかりの地の地図

参考文献はコチラ