<井上くんのこと>
4.死刑求刑、最終弁論


1999年12月24日、クリスマス・イブ。東京地裁では井上くんに対する論告求刑が行われました。論告求刑では、検察が用意した文書を延々一日かけて読み上げ、最後に求刑内容が示されるのが普通です。開廷冒頭に、主任弁護士が論告内容の書かれた分厚い書類を彼の机の上にドンと投げ置くと、彼は驚いたように目を見開いて、しばらく表紙を凝視していました。その後はいつも通り、瞑想するかのように目を閉じたまま、検察の論告を聞き続けました。

サリン被害者の話に触れられると、彼は急に眉間にしわをよせ、自分の存在を消し去りたいかのように顔を歪めて頭を下げ、小さくなっていました。30歳の誕生日を目前に控え、しかし中身は16歳の少年のままの彼の顔が苦悩でくしゃくしゃになり、瞬時に40にも50にも老け込んでいくかのような奇妙な錯覚を、私は覚えました。

論告内容は、被告は自己の昇進や保身のために、積極的に犯罪に加担した旨述べられ、最後に極刑を持って臨まざるを得ないと結論付けられました。井上くんは目をつぶったまま、表面上は淡々と、それを聞き続けていました。

法廷を一歩外に出れば、街はクリスマスの華やぎでした。彼の人生がオウムと無関係であったなら、今頃パートナーにプレゼントの一つでも贈っているか、子どもにケーキを買って帰る父親にでもなっていたかもしれません。29歳の、どこにでもいる大人の男性になっていたことでしょう。それとも、こんな空想は虚しいのでしょうか。1999年、クリスマス・イブ。井上くんには死刑求刑が言い渡され、被害者家族には大切な人をもぎ取られた団欒が残されました。

年明けて2000年1月17日、最終弁論が行われました。論告求刑に対する、被告弁護側の最後の弁論です。弁護団は、論告求刑の際、検察が一言も触れることのなかったカルト犯罪の特異性、つまり「マインド・コントロール」を前面に打ち出した弁論を繰り広げました。オウム被告の中でも最年少の16歳のときに入信し、判断力が未熟であったこと、強い心理的拘束を受け、教祖の隷属下に置かれたこと、教祖に逆らえば、宗教的側面から植え付けられた地獄の恐怖と、現実に殺される恐怖とに苛まされ、拘束から抜け出せなくなったこと等が述べられました。私が断言できることではありませんが、オウム裁判の中でも、おそらくこれほどまでカルト犯罪の特異性を打ち出した弁論がなされたことはなかったのではないかと思えました。これは裁判も終盤に差し掛かった頃、心理鑑定によって彼の実際の姿が浮き彫りにされ、また、カルト・カウンセラーの接見により彼の態度が激変したことにより、弁護団が問題の核心を掴んだ結果なのではないかと思われました。

傍聴者の中には、井上くんのご両親の姿が見えました。列を作って入廷を待つ間、二人は終始無言のまま、目をつぶって立っていました。被害者家族もマスコミも第3者もいるその中で、二人がどんな気持ちでその時間を耐えなければならないのか、私には想像も及びませんでした。その場には、井上くんが関わったとされる事件の被害者と、そのお連れ合いの姿もありました。お連れ合いが井上くんのお母さんに近づき、挨拶をしかけると、お母さんは顔を合わせるのも苦しそうに、顔を横に背けながら何度も頭を下げ、目元を拭っていました。この被害者夫婦も、かつて息子がオウムに入信していました。被害者でありながら、同時に、もしかすれば息子が加害者になっていたかもしれない立場だったのです。法廷には、複雑に絡まった幾本もの感情の糸が見え隠れしていました。

最終弁論の最後は、主任弁護士がこう締めくくりました。

「弁護人は、被告人を何とか素の自分自身に戻してやりたいと思います。そうでなければ、被告人がやったことの意味を、本当にはわからないと思うからです。そうでなければ、社会で生きることの意味、社会で生きる喜怒哀楽の素晴らしさを、本当には分からないと思うからです。今、被告人を死刑にしてしまえば、被告人にそれらのことを本当に分からせることはできません。もし、被告人がそれらに気付けば、ボロボロになるでしょう。被告人は、ボロボロにならなければいけない、と思います。」

この言葉を聞きながら、私は涙が出ました。多分、死刑にしないで欲しいというような単純な理由ではなく、井上くんを、カルト犯罪に陥ることになった者をここまで理解してくれる弁護団の姿に、強く動かされるものがあったのだと思います。もしかしたら被告席にいたのは私で、私自身が弁護されていたのかもしれません。カルトのインチキ募金を、自分を責め立て実行させていた19歳の私が、被告席に座っていました。井上くんとはほんの少しの差でカルトからぬけられた私は、その後、"社会で生きることの意味、社会で生きる喜怒哀楽の素晴らしさ"を、少しくらいはわかるようになりました。その違いがわかるからこそ、彼にはどうしてもそこにまで到達してほしい、そして、真に自分のしたことを見つめ直し、被害者に謝罪できるようになって欲しいと願ってしまうのです。弁護団の言葉を受け、私は、「あなたにはすべきことがたくさん残されている」と彼に訴えていました。

弁護団の最終弁論が終った後、井上くんに最後の意見陳述が許されました。

「僕は人を愛するとか、人を信じることとか、人に心を開くことが全然分かってなかったんですよ。それが悔しい。…信じていたんです、当時は本気で。でも、こんなに多くの人を苦しめて、命を奪ってしまったんです。苦しくて、悔しくて、切なくて、どうしたらいいか、分からない…」

「真剣だった。地位や名誉のためじゃなかった。多くの人のためになると思った。麻原を信じていた。いずれ多くの人のためになると思っていた。でも僕は、実際は他人に対してイヤなことばっかりやっていた。救済なんだからって押し付けて。でも誰もそんなものは求めていなかった。亡くなった人のことを考えると、僕はもう何も言えません。何も言えない」

井上くんの語調が激しくなると共に、法廷に彼のお母さんの鳴咽が響きました。

・・・しかし、私はここで、少し嫌な人間にならなくてはなりません。正直なところ、彼の最終陳述を聞きながら、なんとも言えない後味の悪さを拭えなかったからです。なぜこれほど嫌な気分になるのか、私も戸惑いました。彼が反省していないとか、命乞いのために姑息な芝居をしているなどとは、これっぽっちも思わなかったのです。なのに、なぜ?

自分の気持ちを反芻しながら考えました。率直に言って、彼の言葉がなんだか芝居がかっているように思えたことが、後味の悪さの原因でした。芝居しているとは思っていないのに、芝居がかって感じる。その理由は、私自身には2つあるように思えました。

それは、彼の言葉を聞きながら、なんだか16歳の時のままの、自己陶酔に似たような感覚を感じ取ってしまったからかもしれません。思春期に誰もが通る、どこか現実から乖離した、ドラマじみた陶酔感。普通の人はそれを経験しつつも通り抜け、他者への感受性を磨いて成長していきます。けれど、彼はそこにまで到達していませんでした。彼は他者の気持ちを受け止める方法も、自分の気持ちを表現する方法も、16歳以降学ぶことがなかったのです。その現実を突き付けられて愕然とし、嫌悪を感ずる私がいました。

もう1つの理由は、彼の語調が、オウムで活躍していた頃を思い起こさせるからでした。法廷でしか井上くんに会ったことのない私は、なぜ彼が教団内で、それほどまでにカリスマ化され、美化されて伝えられているのか、ほとんど実感できませんでした。私から見える彼は、カルトに成長を阻まれた幼い少年でしかなかったのです。しかし、最終意見陳述のその語調は、どこかで聞いたような、カルトらしい、説得しようという魂胆の見え隠れするものに思えてしまいました。オウムにいた時、彼はこのような調子で人々を勧誘し、惹き付けていたのでしょうか。彼はカルトのやり方を、今も温存したままのように思えました。私はその現実に、愕然としたのです。同時に、カルトからぬけて12年になる私自身も、未だそういう表現にかつてのカルト経験を思い起こし、重苦しいものを感じたのも事実でした。

謝罪や反省は、劇的に表現して済むものではないと思います。細々とでも、地道に誠意を示していくしか、方法はないと思います。彼のような派手なアクションは、伝えられべきる誠実さを打ち消してしまうような気がしてなりませんでした。彼の様子を見ながら、その言動が被害者の気持ちを逆撫でしてしまうのではないかと、本当に冷や冷やさせられる思いでした。

彼はおそらく、自分の態度がこのような反応を呼び起こすことを自覚していないでしょう。繰り返しますが、私は彼が反省していないとも、姑息な芝居をしているとも、まったく思っていないのです。彼が裁判所に、最後の最後に必死で伝えたかった内容であることは間違いないと思うのです。しかし、彼がどんなに頑張っても、あのような表現が精一杯でした。それが彼の誠意だとわかるからこそ、その限界に私は愕然としたのでした。

私の点は辛いのかもしれません。厳しくも優しく彼を見つめている、いつも裁判をごいっしょしているジャーナリストは、彼の芝居がかった表現に限界を感じながらも、それまでの彼と比較しての、彼の成長を評価しました。オウムに殺されかけたはずの、元信者の息子を持つ被害者は、傍聴の後、「死刑は麻原だけでよい」と結論しました。私が遅れて来た傍聴者であり、彼の変遷を見届けていないこと、情報量が少なすぎることなどからして、彼の成長を正当に評価できていない部分は大きいと思います。ただ、それだけではなく、私の点が辛いのは、彼にかなり高望みをしているからでもあるように思えます。あなたはもっと変われる、成長できる、いや、そうしなければならない、そうなって欲しい…。そんな、カルト脱会を経験してきた者としての思い入れがあるからこそ、目標を高く置いてしまうように思えます。

"井上くん、これで終りだなんて思わないでよ。今、やっとスタート・ラインに立ったばかりなんだから。これからが始まりなんだからね"。私は、弟を励ます姉にも似た気持ちになりました。

最終弁論の後、くだんのジャーナリストからこんな言葉を受け取りました。「(弁護団の弁論を聞いて)坂本さん(弁護士)でも同じことを言うだろうと思った」と。それを聞いて私は、本当に嬉しい気持ちになりました。嬉しいという表現は合わないかもしれませんが、私にとって初めて、坂本さんの等身大の姿が見えた気がしたのです。オウム事件と距離を置き、冷ややかに見ていた私は、当然のことながら坂本弁護士の事件も、ニュースの向こうの出来事として捉えてきました。オウムを象徴する事件であればあるほど、坂本さんは遠く「神聖化された犠牲者」としてしか、私の中に残らなくなりました。私が属していた統一協会の問題を扱う弁護士たちは、私にとって身近な存在です。正義感や目的意識の明解さには頭が下がりますが、取りたてて神聖化されるわけでもなく、一緒に問題を考えてくれる仲間と捉えています。けれど、知る間もなく殺されてしまった坂本さんは、私には手の届かないところに行ってしまいました。私にとって身近であるはずのカルト問題に取り組んでいる弁護士でありながら、近づけない人になってしまっていたのです。

しかし、一番最初に坂本さんがオウム問題に取り組んだその場に居合わせたジャーナリストの彼女が、私も居合わせ、そして涙した井上くんの最終弁論について、「坂本さんも同じことを言うだろうと思った」と保証を与えてくれたのを聞いて、やっと坂本さんがどんな人だったのか、人物像を自分に引き寄せて考えることができた気がしました。殺されてしまった人が、井上くんの弁護団のように、死刑ではなく素の自分自身に戻してやりたいなどと言うだろうかと、訝しがる向きはあると思います。しかし、当時、信者の親たちから、すっかり変貌してしまった我が子のことを相談された坂本さんは、彼らがきっと素の自分に戻れるという希望を抱いたからこそ、この件に関わったのではないでしょうか。信頼した者たちに裏切られたのは悲しいことですが、それで坂本さんの点した思いを吹き消してしまってよいのだろうかと思います。殉教者でもなく、悲劇の主人公でもない、カルト問題に関わる一人の弁護士として、今、私はやっと坂本さんの像を描くことができるようになりました。そして、坂本さんが亡くなって10年経った今、坂本さんの意思が確実に、井上くんの裁判に息づくのを感じ取っています。

先日、職場で机の中を整理していると、前任者の残していった名刺が出てきました。『あなたのご協力をお願いします/地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件/特別捜査本部/担当者○○/警視庁築地警察署』とあり、急ぎで作った名刺なのでしょう、担当者名はゴム印で押されていました。背景が解明されるまで、警察は事件をこの名称で呼び、必死に捜査していたのだと思います。私の現在の職場は、サリンの袋を突き破った一人が犯行直後、ビニール傘を片手に降り立った営団地下鉄の駅を最寄りとしています。事件直後の4月1日付けで現在の部署に異動した私は、当時、この駅とは馴染みがありませんでした。しかし、当時現在の部署に勤めていた同僚たちは、もっとリアリティを持って事件を受け止めたはずです。そして、捜査のために警察は、私たちの職場にも足を運んでいたのでした。事件はまさに足元で起こったのです。一つ間違えば、私も被害者だったかもしれません。

名刺を前に、私は1995年3月20日に引き戻されました。わけのわからない液体で、想像を絶する人数の人々が倒れ、大騒ぎになっている。不気味さと不可解さを感じ、鳥肌の立つ思いで、一日中ニュースの動向を気にしたあの日がよみがえります。あの時、私はニュースの彼方に事件を見ていました。しかし、今私は、自分が思ったよりもはるかに、事件と近い場所に引き寄せられています。1つは、加害者は自分だったかもしれないという点で。もう1つは、被害者は自分だったかもしれないという点で。

この次に来る3月20日には、私たちは事件から5年の月日を数えます。もう5年、でしょうか。まだ5年、でしょうか。被害者、被害者家族には永遠に、褪せることのない重い記憶です。加害者たちにはどうでしょうか。辛い作業でしょうが、死ぬ思いで被害者の苦しみを噛み締めて欲しいと心から思います。そして、周りにいる、被害者でも加害者でもない私たちは…?

―どうか、他人事だなんて思わないで下さい。考えにくいでしょうが、加害者は特別な人なんかじゃなかったのです。被害者はもちろん、私たちのすぐ隣にいた人たちなのです。オウムはオウムだけで終わらない。次のオウムを生み出さない、次の悲劇を生み出さない社会を、私たちは作り上げる義務があると思います。被害者と被害者だったかもしれないすべての人と、加害者になってしまった人たちのために。(2000.1.28)

井上くんのこと
1.井上くんのこと
2.被害者と加害者の狭間で
3.心理鑑定、カルト・カウンセリング、そして論告求刑へ
5.判決