<井上くんのこと>
3.心理鑑定、カルト・カウンセリング、
そして論告求刑へ

『井上くんのこと(2)』をアップして間もない日、彼がこの1ヶ月で激変していることを知りました。彼の裁判にはなるべく足を運ぶようにしてはいるのですが、このところ忙しく、しばらく行けない日が続いていました。そのわずかの間に、彼が変わっていたらしいのです。

99年11月9日、彼の心理鑑定結果が東京地裁に提出され、社会心理学者の鑑定人がそこで証言しました。彼がオウムに理想を見出すまでの個人的な背景、入信当初から次第に教団のコントロールが強くなり、教祖が変貌していくと同時に彼の内面も変化していったこと、しかし身体的には限界を極め、血を吐きながら、半ば投げやりになりながらワークをしていたこと、などが鑑定文には盛り込まれていました。

また、傍聴の際ご一緒しているジャーナリストは、鑑定人の、「本当の仏教を知ったというプライドから多弁になる」、「純粋だが年齢の割に現実感がないため、幼く見える等」の、彼にとっては厳しい証言を記事に取り入れました。

実際、被害者のご遺族やジャーナリストと彼の裁判を傍聴する度、私たちは、「彼は、麻原は否定したが今度は自分が教祖になっている」「喋りすぎる」といった共通の感想を持っていました。彼は一連のオウム裁判の中、誰よりも早く麻原を否定して、当時、世間の注目を浴びました。そのため、いつまでも帰依を表明したり、曖昧な状態で裁判を進める他の被告に比べ、評価の低くない被告の一人ではあったのです。けれど、彼の姿勢は実際の遺族には誠意を伝えず、次第に傲慢さすら感じさせるようになってしまいました。それは上に記したように、仏教や修行に対するプライドが捨てられないからであることが、ごく最近傍聴に加わるようになった私にもわかりました。ご遺族から彼への非難を聞く度に、"この人にこんなことを言わせるような井上くんではいけない、どうしても彼が誠意を示せるようになってくれなければ"と、強く思わされました。

その彼が変わったこと知ったのは、ジャーナリストの記事を通してでした。11月25日の裁判、心理鑑定者の証言からわずか数日後のことです。あの多弁で流暢に言葉を操る井上くんが、答えを言いよどんだり、声に張りがなく、話し方のテンポも遅かったと書いてあるのを見て、正直なところ、かなりびっくりしました。裁判官すら彼の異変を気に掛けて、健康状態を尋ねたそうです。彼はその裁判官に、「精神的に・・・いろいろ考えています。」「御遺族の方の証言を聞いて、自分なりにこれまでも精一杯やってきたつもりだったけれど、甘かったことに気づき始めて、何が足りなかったのか突き詰めようと・・・」と答えたそうです。

彼は前回の裁判の後、あるカルト・カウンセラーと接見し、劇的な心境の変化を起こしたのでした。このカウンセラーは元々統一協会問題に詳しいキリスト教の神学者で、統一協会の脱会者である私たちには馴染みの深い人でした。しかし、オウムに対してカウンセリングを行う人は少なく、オウムの元信者たちも、カルト・カウンセリングを受けることには馴染みがありません。そこに、そのカウンセラーが現れたのです。

カウンセラーは井上くんについて、「いくらお詫びの言葉を言っても、自分の気持ちが通じないことに、どうしていいか途方に暮れているようだ」、「彼は被害者の苦悩を修行によって自分も体験しようとしているが、被害者は『本当に悪かった。自分はどうしていいかわからない』と率直に伝えられないかと感じている」と証言しました。また、彼に対し、「真実の解明に協力する義務があるとか、そういう身構えたことではなくて、一人の29歳の青年として、自分の妹か弟が被害にあってしまった人を思い、本当に申し訳ない、という気持ちを持つ方が、君の思いが伝わるのではないか。ただの普通の人として、どんなに申し訳ないことをしたのか、それをいつも思えるようになるといいね」と伝えたそうです。

彼はその次の裁判で、それまで立て続けに行われた被害者たちの証言に対し、「ものすごく恐かった」と証言したそうです。傍聴して間もない私が正確なことは言えないかもしれませんが、今までの彼なら「申し訳ない」とは言っても、「恐い」とは言わなかったのではないかと思います。体を取り繕った「申し訳ない」ではなく、一人の人間の叫びとして「恐い」という感情を伝えたという事実。これが、今まで4年間、彼が避けつづけてきた現実との直面を表す言葉だと思います。彼は今やっと、スタート・ラインに立とうとしている。被害者と向き合う、はじめの一歩を踏み出しつつあるのだと思います。

しかし、今まで自分を守りつづけた修行という隠れみのを失った彼は、今こそ一番辛い時期を迎えていると思います。私は『井上くんのこと(1)』で、"ただの犯罪でしかなかったことに気付く時"という表現をしましたが、今こそ彼が、修行ではなくただの殺人を犯してしまい、償う術もわからない状態に気付いた状態だと思います。自分の成したことに、恐れおののいていることと思います。こんな時こそ、彼を支える人が必要です。彼が潰れてしまわぬよう、現実を見つめる辛い作業を進めていけるよう、どうか誰か一緒にいてあげて欲しいのです。弁護団は裁判所に、引き続き同カウンセラーとの接見許可を申請しており、答えは保留されています。彼はやっとここまで来ることができたのです。どうか、償いの作業を進めることができるように、接見許可を出して欲しいと心から切望します。

12月7日、サリン事件の実行犯である豊田さん、廣瀬さん、実行犯を現場まで運んだ運転手の杉本さんの3被告に対する論告求刑がなされました。論告求刑とは、検察側が要求する刑のことです。私は刑が言い渡される時間まで法廷にいられませんでしたが、後で知ったニュースでは実行犯ではない杉本さんが無期懲役である以外、豊田さんも廣瀬さんも極刑が求刑されたとのことでした。検察の要求する刑ですから、極刑以外であるはずもないと予想はできるのですが、この時初めて本物の3人を見た私は彼らに情が移ってしまい、辛く、重たい気分になりました。特に、廣瀬さんは拘置所で自殺未遂をしてしまったことがあるのですが、それ以後接見に当たっている、私が親しくしていただている、牧師であるカルト・カウンセラーが傍聴席から彼の顔を心配そうに覗き込んでいるのを見ると、余計に居た堪れない気分になりました。私の周りのいろんな人を通して、被告の一人一人が私に近づいてくるのです。井上くんの心理鑑定人、被害者遺族、ジャーナリスト、弁護士、カルト・カウンセラー…。その時、私には彼らが極悪非道な犯罪者としてではなく、一人の孤独な人間として映るのです。そして、他の、犯罪者になることなくカルトを抜けた人たちに対するのと同じように語り掛けたくなるのです。しかし、それを法廷の柵が阻み、被告を取り囲んだ刑務官(被告が逃げないように監視する人たち)が阻み、被害者感情が阻み、何よりも彼ら自身が起こした恐ろしい現実が阻んでゆきます。

その日、私は初めてお会いする被害者遺族の若い女性と食事をご一緒しました。初め、私は彼女がどういう立場で傍聴に来ていたのか知らず、尋ねたのですが、彼女の口から「遺族です。」という言葉が出た途端、なんという愚問だったのだろうと自分を責めました。彼女は「…って言うと、そこで終わっちゃうんですよね」と、まさに私の態度を言い当てるかのように続けました。今まで何度も、こんなシチュエーションを経験してきたのでしょう。慣れた様子が痛ましく思えました。

少しずつ初対面の私たちの緊張が解れてきた頃、彼女がクリスマスの小物作りをしているという話題になりました。和やかな雰囲気ではあったのですが、彼女がその時ぽつりと言った「何かしていないと、おかしくなりそうで…」という言葉に、心をえぐり出される気がしました。寒く、日の入りも早い、家の中の生活が中心になる冬の季節、そして世間では家族が集まるクリスマスや正月の季節、ある日突然家族を奪われた人たちは、どんな思いで過ごすのでしょう。かつてその人が過ごしたのを記憶しているその家で、空いてしまった空間を埋めるのがどんなに大変なことなのか、誰がわかってあげられるでしょう。井上くんたちのしたことの代償は、あまりにも大きいのです。

彼女たちと食事に行く途中、少し離れたところに検察官たちが通りかかりました。彼女ともう一人のご遺族は「検事さ〜ん」と親しげに呼び掛け、手を振っていました。裁判は紛争解決のための、高度に機能化された社会的な制度です。裁判官も検察も弁護人もそれぞれの役割を担い、法廷の場で公正な処理を行うよう位置づけられています。いつもご一緒しているご遺族は、被告の弁護人とも親しげに話すなど、立場に対して私的感情をぶつけないスタンスを守っていて、私も尊敬の念を抱いています。私自身も、基本的に制度に対してドライで公正でありたいと考えています。

しかし、この時ばかりは、私は彼女たちのように、笑顔で検察官に手を振ろうとはとても思えませんでした。その日の裁判の最後には、彼らが極刑を口にするのがわかっているのです。被害者にとっては、自分たちを守ってくれる頼り甲斐のある人たちでしょう。でも、私にとっては違う。「検事さん、違うんだよ。そんなんじゃないんだ!」という、被告の叫び。それが私の叫びともなって、心から飛び出しそうになる。検察官はそんな存在なのです。この時ばかりは、ご遺族が遠い、違う世界にいる人に思えました。

12月24日には井上くんにも論告求刑がなされます。井上くん自身も先日終えた求刑前の最後の裁判で、厳しい刑を覚悟している旨発言したそうです。

その4日後の28日には、彼は拘置所で30歳の誕生日を迎えます。精神年齢は10代に見える井上くん。オウムに触れてから、もう倍の年数を数えることになる井上くん。一方で、二度と誕生日を迎えることのない被害者たち。そんなことを考えると、彼が歳を重ねることに感慨深さと奇妙さとが入り交じります。翌日の29日には、上佑受刑者が刑務所からオウム教団に戻ります。井上くんが歳を重ねることが、遺族にとってどんなに赦しがたいことであっても、一方で、オウム教団がどんなに現実逃避を続けようとも、井上くん、あなたは償いを続けてください。今、新たな一歩を踏み出したのです。その足を引っ込めることなく、勇気を出して歩いてください。陰ながら応援しています。(1999.12.12)

井上くんのこと
1.井上くんのこと
2.被害者と加害者の狭間で
4.死刑求刑、最終弁論
5.判決