<井上くんのこと>
1.井上くんのこと

井上くんのこと。あえてこんなタイトルを付けてみました。

井上くんとは、地下鉄サリン事件他、多くのオウム真理教の起こした事件に関与した幹部・井上嘉浩くんのことで、教団内でのホーリーネームをアーナンダと言いました。私は彼と面識があるわけでもありませんし、少し前までそれほど関心を寄せることもありませんでした。

それがたまたま、親しくしてくださっている社会心理学者が彼の心理鑑定をすることになり、接見での話を直接聞いているうちに、とても近しさを覚えるようになりました。彼をメディアの向こうにいる「犯罪者」としてではなく、同じようにカルトを経験した同世代の人間として見始めたのです。

井上"くん"と呼ぶことに、抵抗や奇妙さを感じる方もいらっしゃるでしょう。でも、彼が手を下したことの重大さとは別にして、あえて同じ目の高さに立ちたいと思い、このように綴ることにしました。

1999年9月2日、私は初めてオウム裁判を傍聴しました。世間的にはほとんどニュース・バリューはなく、もうマスメディアも裁判を取り上げようとはしなくなっていました。

その日はまず、「坂本弁護士一家殺害事件」について端本悟くんが証言をし、後に「かりやさん殺害事件」の証言者として、井上くんが法廷に現れました。

被告の証言を間近で聞くのは、当然のことながら初めてでした。新聞で比較的詳細に掲載される裁判もかつてありましたが、今になって思えば、私にとってその記事は大した意味を持っていませんでした。他の記事・情報といっしょに瞬時に流れ去ってしまう消費の対象でしかなかったのです。

しかし、実際の彼らを目の前にして、私は自分でも驚くほど彼らに感情移入していました。手錠を掛けられ、腰縄を付けられ法廷に入り、証言台で話す彼らが自分のことのように思えました。端本くんや井上くんが傍聴席に顔を向ける時彼らの目にする光景が、まるで自分のものであるかのような気にさえなりました。

彼らは検事の質問に答えながらも、それらに苛立ちや葛藤を覚えているようでした。検事の質問内容、確認内容に、自分の実感と沿わないものを強く感じるのでしょう。それがなぜなのか簡単には言えないと思いますが、私には彼らの葛藤がとても痛いものに感じました。

逮捕された95年からの4年間、彼らはこうして独りぼっちで苛立ちや葛藤と闘ってきたのでしょうか。そう考えたら、オウムのことなどさして気にもとめず過ごしてきた自分の日常が、急に情けなくなりました。彼らの気持ちを理解できるのは、数少ないカルト経験者です。なのに他人事にして、"メディアは騒ぎたければ騒げばいい。どうせ親身になって考えようとなどしていないんだから、そんなのに躍らされるのはごめんだ。"とばかりに、オウムを意識から排除してきた自分がいました。見なくてはならないものまで、切り捨ててしまっていたのです。それがかつての自分の姿をした、証言台の彼らの苦悩でした。

私がカルトにいる時やらされたのは、2,000円程度のインチキ募金の回収でした。1件1件家を回り、哀れみを請うて募金を訴えました。実際、そのお金がどこでどう使われるのかなどわかっていませんでしたが、目の前の人に募金をさせれば、その人は救いに一歩でも近づくことが出来ると本気で信じていました。お金を出させることに躊躇を感じると、それは自分の罪の重さがそうさせるのだと自分を戒め、さらに活動に励みました。相手の確認もないまま一方的にドアを開け、困惑した顔に微笑みを向け、こちらのペースに巻き込むという技術も覚えました。常識で、"こういうことをされたら嫌なんじゃないかな?"と思う気持ちはすべて、超越しなければならない煩悩でした。

2,000円のインチキ募金と、証言台の彼らの行った殺人行為。どの程度の違いがあるように思えますか?私には、大した違いがないのです。インチキ募金はカルトから使命感を与えられて行いました。同じように、使命感を持って人を殺せと言われたら、たじろいだり躊躇したりはするでしょうが、それを自分の至らなさと考え、実行へと自分を駆立てたのではないかと思います。

彼らが逮捕され、自分の行為を振り返った時、一体どんな思いを抱いたのでしょう。それが使命を果たすためのものではなく、本当にただの殺人でしかなかったことに気づいた時、彼らは自分の行為をどう捉えたのでしょう。2,000円を人から奪う程度で済んだ私ですら、それがただの詐欺行為でしかないことに気づいた時、自分の過ちを認めるのは困難でした。彼らもオウムに入る前までは、殺人は悪いこと、許されないことだという倫理規範を備えていたことでしょう。事件を終え、その規範が自分の中でよみがえる時、カルトの思考で行った自分の行為とどう照らし合わせ、折り合いを付ければよいのでしょうか。

彼らが自分の行為を認めるのが困難な理由の1つは、自分が置かれたカルト的状況を理解しにくいことにあると思います。なぜ、使命感を持ってこれらの残虐行為を行えたかという仕組みを理解する機会や気持ちの余裕がないか、あっても少ないのではないでしょうか。このプロセスが上手くいかないために、自分だけが犠牲者であるかのように考える人も出てくるでしょう。そして、それは被害者をはじめとする社会全体からの反感を買うことになるでしょう。

2つめには、上に記した、自分の犯した罪の重さにおののき、事実を受け止めきれないという状況が挙げられるでしょう。おそらく犯罪に臨んでいる時も、彼らは相当な葛藤状況に置かれていたと思います。それでも、それを乗り越えなければならない理由が彼らにはありました。そして一線を越えてしまったからこそ、彼らには自分の行為をなおさら強く正当化しなければならない理由ができました。しかし、それらをすべて否定しなければならなくなった時、自分を騙し正当化し続けた彼らの感性は厚い皮膚層をまとい、ちょっとやそっとでは真皮にたどり着けないほどに硬くなってしまっていたのではないかと思います。否定すれば、それまでの自分が崩壊してしまうような恐ろしさと向き合わなければならないからです。

3つめには、これら2つの状況を抱えながら過ごす環境が、カルトを理解してもらいにくい場所であるという理由が挙げられるでしょう。法律は成された行為を裁くものであって、動機や実行に至る過程はどうしても二の次になってしまいます。被害者の気持ちを考えれば、このような側面が第一義になるのは当然かもしれません。しかし、カルト的状況での事件は、その他の事件に比べて極めて複雑な構造の中で起きています。それに対応できる思考が、法的なシステムには備えられていません。彼らをただ責めて脅しても、彼らは混乱するばかりです。逆に、"何を言っても理解してもらえない"という不信感や反発や抵抗にがんじ絡めになり、頑なになっていく彼らの姿が目に浮かびます。

そして最後に、これらを前提とした上での、彼ら自身の背負う煩悩です。誰でも自分が可愛いのですから、自分の都合のよい解釈をすることは当然あるでしょう。上記3つの状況を抱え、切羽詰まった中、なんとか逃げおおせられるものなら逃げ出したい気持ちになるのは、人間として致し方ないとも思います。

隣席してくださった、坂本事件からオウムを克明に追って来たジャーナリストは、私があまりに井上くんに肩入れするのを危惧して、「でも、彼は教団の中で、他人を蹴落としてまで這い上がろうとした側面があるのよ」と教えてくれました。

確かにそれは狡さかもしれません。けれど、仮に彼が実社会に出て同じように他人を蹴落としても、多少嫌われる程度であって、社会全体から非難され、存在を脅かされることはなかったでしょう。行為自体はごくありがちな煩悩です。しかし、それがカルト的状況で発揮されたがために、今彼は、社会的、生物的な死の瀬戸際に立たされているのです。

あるいはカルト的状況に身を置くに従って、それまでの感受性が摩耗することもありえます。カルトの使命が何よりも優先される思考に晒されるうちに、目的達成しか頭の中からなくなってしまい、それまでなら気遣っていたはずのことにも関心を失ってしまうことはよくあります。それが他者への感受性の欠如という形を取っても、なんら不思議はありません。やはりカルト的状況という前提を抜きにしては、一人一人の行動、意思を測ることはできないと思います。

これらの障壁が彼らの、"検事さん、違うんだよ。そんなんじゃないんだ!"という苦悩や葛藤に形を変えているように思われてなりません。

私はあまりにも彼らの立場に寄り過ぎているでしょう。被害者からすれば、こんな加害者を弁護するような文章は受け入れ難いに違いありません。けれど、加害者となった彼らが自分の行為を受け入れ、悔い改め、謝罪できるようにならなければ、一番報われないのは犠牲者なのです。加害者が抵抗しながら、あるいは殉教者気分で死刑を受けたところで、どうして犠牲者の気持ちが晴れるでしょう。謝って済むような問題ではないことは、誰にでもわかっています。でも、謝れもしない状況で彼らの口を塞ぐのはもっと悲惨なことです。何としてでも彼らには、謝ってもらわなくてはならないのです。そのためには、彼らが安心して罪を悔いることのできる環境が必要です。しかし、法廷で見る彼らの姿からは、そのような環境が与えられているとは感じられませんでした。

私が井上くんのことが気にかかったのは、オウム幹部の中で彼だけが、高校生の時に入信しているという点からでもありました。超学歴偏重社会であるオウム真理教で彼だけが唯一、高卒の幹部だったのです。彼がしゃかりきになって教祖への忠誠を尽くしたのは、他の幹部との学歴の差を埋めることが動機になっていたのは想像に難くありません。

しかし、私が気になったのは、高校生と成人してからとでは選択能力が大きく違うという点です。もちろん個人差を前提としての話しですが、一般に10代後半といえば、いろんな考え方をあれこれ見聞きして、どれを選んだらよいのか迷う年代です。そして、それは極端な熱心さを帯びたり、潔癖さや辛辣さを伴います。そんな風に極端から極端へ走りながら次第にバランスを見出していくのが、普通、誰もが通る道でしょう。高校生だった彼がその極端の1過程としてオウムを見出したとしても、不思議はありません。しかし、カルトは一度捉えた彼を逃すことなく、代替えの考えを選ぶチャンスも与えませんでした。事件を起こし逮捕されるまで、彼は10代の極端さを留めたまま、オウムを突き進んだのだと思うのです。

先ほどのジャーナリストは、彼の弁護士が「少年事件を扱っているようだ」と感想を述べていると伝えてくれました。彼の中では10代のまま、時が止まっているのでしょう。カルト的状況は人を成長させてはくれません。自分の頭で考えることを許さず、人とのコミュニケーションから学ぶことを許さない。そんな環境でどうやって、多元的に社会や人間を見つめる力を培うことができるでしょう。

事件に及ぶきっかけとなった、入信時の判断力が他の信者と異なるという点は、私は考慮されてしかるべきだと思います。カルトでは、入った時点から成長が止まってしまうのですから。詭弁に聞こえるでしょうが、彼の責任能力は十代に留まっているのです。

私の周りにはカルト脱会者のネットワークがあり、脱会者たちは傷を癒し、安らぎを得るために度々会う機会を作ります。カルトにいた自分を見つめ直し、独りぼっちであれば嫌悪感に苛まされるところを、仲間と一緒に時に笑い飛ばすこともできます。

しかし、一線を越えてしまった彼らには、もうそんなチャンスも与えられないのです。傍聴席から見えた、手錠を掛けられ、腰縄を括り付けられた彼らの姿は、脱会者のコミュニティからすらも隔絶されていました。夢物語ですが、一時間だけでも拘置所から彼らを連れ出して、脱会者仲間で話し、笑い合う時間を作ってあげられないかと思ってしまいます。また、若い時を奪われた彼らに、オウムに入らなければ皆と同じように味わったであろう、ごく普通の仲間とのはしゃぎ合いや馬鹿騒ぎや、ごく普通の恋愛経験もさせてあげたかったと胸が痛みます。

井上くんは今、お母さんを通して自宅の自室に祭壇を築いてもらい、犠牲者一人一人を覚えて供養してもらっているそうです。長くなった拘置所生活の中で、英語の仏教書を3冊訳し終えたとも聞きました。

私は、井上くんをはじめとした"オウム被告"となった彼らに謝らなければなりません。なぜ今頃まで彼らの存在に気づかなかったのか、なぜ4年間も放っておいたのか、私には言い訳の余地がありません。カルト経験者という同胞として、私にはやることがあったはずでした。加害者弁護ではなく、彼らが償いをすることができるよう、他の人には出来にくい彼らの立場への理解を示すことが必要でした。本当にごめんなさい。

井上くん、近いうちに手紙を書きます。直接届けることはできなくても、ご家族に読んでいただいて内容を伝えることはできるのだそうですね。どう受け止められるかわかりませんが、あなたから発信された意思に答えたいと思います。

最後に、心理鑑定のための接見を終え、そこでやり取りされたことは全部話してもいいですよ、と伝えてくれた井上くん、それを受けて話してくださった社会心理学者の西田公昭さん、オウム裁判の期日を私に知らせ、足を運ぶきっかけを与えてくれた元在家信者の沢木くん、傍聴の抽選に外れた私に当選券を分けて下さり、隣席し、色々なことを教えてくださったジャーナリストの江川紹子さんに心より感謝を申し上げます。(1999.9.2)

井上くんのこと
2.被害者と加害者の狭間で
3.心理鑑定、カルト・カウンセリング、そして論告求刑へ
4.死刑求刑、最終弁論
5.判決