科学エッセイ「生命の森をさまよう」        下田 親

 

第144回 ハダカデバネズミが癌にならないわけ
   先週、理化学研究所の小保方晴子さんが新しい万能細胞(STAP細胞)の作り方を発見したというニュースがマスコミを席巻しましたね。ノーベル賞の山中伸弥教授のiPS細胞(エッセイ第103104)とは異なる原理で、分化した細胞をリセットすることに成功した文句なしの大発見なのですが、マスコミは小保方さんがお洒落で可愛いリケジョ(理系女子)という外見に飛びついたようです。彼女の論文は英国の超一流学術誌ネイチャーに発表されたのですが、数年前に初めて投稿したときは審査員から「細胞生物学の常識を愚弄した」とまで酷評されて突き返されたそうです。たまたま、僕らも先週、「酵母の性フェロモンの人為的進化」についての成果をまとめて、同じネイチャーに投稿しました。残念ながら、エディターが我々の研究の意義を認めてくれずあえなく却下されました。(小保方さんと違って僕は、一夜涙にくれることはありませんでしたが・・・)、2年後くらいにリベンジを果たし、掲載が叶うと僕も“リケロウ(理系老人)の星”としてマスコミを賑わせるかも知れません。いや、まったくの冗談です。ところで、“外見がものを言う”という真理に関するお話を以下に。



ウィキペディア「ハダカデバネズミ」の記事より転載。
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犬や猫などのペットは可愛いですね。永く飼っていた黒ラブ「ゴンタ」が天国に召されて以来、我が家にはペットはいません。ご近所のMさん宅のピレネー犬「カイ君」が目下の僕の愛犬です。近づくと嬉しそうな顔をして(?)、頭をなでてやると体中で喜びを表します。一般に哺乳類は可愛いものですが、中には可愛くない哺乳類もいます。ネズミが出てくると逃げ出す人も多いでしょう。しかし、なんと言っても可愛くない哺乳類の最右翼は今回のエッセイの主人公ハダカデバネズミ(写真)でしょう。差別するわけではありませんが、ほとんど毛が生えてなくてブヨブヨした裸で、しかも細長い前歯(出っ歯)ときたら、とても飼いたいとは思わないでしょう。でも、このハダカデバネズミは生物学上とても興味深い性質を持っています。

ハダカデバネズミはエチオピアなどのアフリカ大陸の東部に棲息しています。モグラのように地中で暮らしているので、視覚がほとんどなく、また体温調節できない珍しい哺乳類です。土中の植物の根などを食べて生きています。穴を掘って巣を作るのですが、長い前歯が口の外側に生えていて口を閉じたままでこの前歯で土を掘るのだそうです。土を掘りやすいように文字通りの出歯となり、一方で必要のない目は退化してしまいと、生物進化はうまくできているなと感心します。面白いのは100頭近い個体が巣の中でコロニーを作る真社会性の哺乳類である点です。つまり、女王が1頭いて繁殖能力を持ち、他のメスは繁殖には関与しません。女王以外のメスに繁殖能力がないのは、女王の尿に含まれるフェロモンの働きによるそうです。女王以外の個体はそれぞれ子育て、外敵の撃退などの仕事を共同で行います。真社会性の生物はハチやアリ、シロアリなどの社会性昆虫がよく知られていますが、哺乳類ではきわめて珍しいのです。

もうひとつハダカデバネズミが注目されるのは寿命が長く、癌にならないという性質です。寿命は30年を越える場合もあり、例えば小型の哺乳類であるハツカネズミ(マウス)がせいぜい34年の寿命しかもたないことに比較して、いかに突出した長寿であるかわかるでしょう。さらに、これまでに研究者が飼育したハダカデバネズミで癌を発症したケースが一つもないことが注目されます。癌にならない哺乳類。その秘密が解明されたら、人間の癌を防ぐ方策が見つかるかも知れません。

生物から細胞を取り出してシャーレの中で培養してやると一層に拡がって増殖します。どんどん増えてきた細胞同士がぶつかり接触すると、栄養がまだあっても増殖がストップします。これが正常な細胞の接触阻害という性質なのです。ところが、癌細胞では細胞同士が接触してもその上に積み重なってさらに盛んに増殖を続けます。これが癌細胞特有の性質なのですね。ですから、癌細胞は身体の中でコントロールを失ってどんどんと増殖して腫瘍化するのです。細胞同士がぶつかって接触すると増殖をストップするのはある特定のタンパク質が機能することがわかっています。ハダカデバネズミではこのタンパク質の働きがとても強いと考えられてきました。そのために、癌にならないというわけです。

ネイチャーに最近、論文が出て、別の説が唱えられています。ハダカデバネズミの細胞を培養してやると、外液がねばねばになってくるそうです。これは細胞から粘性の高い物質が分泌されているからです。細胞を移そうと、ピペットで吸い上げようとしても、ピペットが詰まってしまうほどだそうです。研究者泣かせの困った粘り物質なのですが、この論文の著者達は、この粘りを与える物質が細胞の癌化を防いでいるのではないかと考えたのです。この謎の粘性物質が何かを調べてみると、ヒアルロン酸であることが判明しました。ヒアルロン酸とは砂糖分子が多数つながった多糖類というポリマーです。デバネズミのヒアルロン酸はとりわけ巨大な分子なので、粘性が強いのです。

ヒアルロン酸。この名前は聞かれたことあるでしょう?今はやりのサプリメント。肌に潤いを持たせる夢の物質として、化粧品はもちろん、飲む保湿剤としてもてはやされています。実はハダカデバネズミの肌は美しいとは言いがたいのですが、潤いがあり、弾力性に富んでいるのです。これは肌に多量のヒアルロン酸が分泌されているからだそうです。研究者はこのヒアルロン酸を沢山作るというこの動物の性質が癌化を防いでいると考えたのです。このことを確かめるために、遺伝子操作によりヒアルロン酸を分解する酵素を強くしたり、ヒアルロン酸の遺伝子の働きを抑えると、予期したようにハダカデバネズミでも普通に癌が起こりました。実験結果はヒアルロン酸が癌化を防ぐことを示しています。人でも将来、こうした遺伝子操作によりヒアルロン酸の遺伝子を強化して癌を防ぐことができるかも知れないと期待されるのです。

ハダカデバネズミは生物学研究では重要な実験材料です。また、今回の発見により、癌研究の花形実験動物になるかも知れません。外見がどのように悪くても、その動物を嫌ってはいけないですね。これは人にも当てはまるかも知れません。他人を見かけだけで判断してはダメ。中味が大切ですね。

 

 

 





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