
【 淋しそうに、寄り添うように 】
「まるで、背中に翼があるみたいだ」
「え?」
体育館横の外にある水飲み場で、汗まみれの顔をザブザブと洗っていた相葉一樹は、
背後から声をかけられ、驚いた声を出す。
そして振り返る。
「よお」
右手を上げて、空気のように笑う彼は、同じクラスの浦川直哉。
「・・・。」
相葉は、パチクリと瞬きをする。
顔や髪の毛からは滴がしたたりおち、着ているTシャツをグッショリと濡らす。
「さっき、サッカー部が練習してるとこ見たよ。すごいな」
浦川は、スラックスのポケットに両手を突っ込んで言う。
「ドリブルしながら、次々と相手を交わしてく姿。鳥みたいに見えたよ」
「・・・。」
相葉は、水飲み場の手すりに引っ掛けておいたタオルを取ると、頭から被り、ワシワシと髪を乱暴に拭く。
相葉は、人とコミュニケーションを取るのが得意ではない。
まして、いま目の前にいる人間は、同じクラスとはいえ、まともに口を利いたこともない相手だ。
それに彼は身体が弱く、入退院を繰り返している。
なので、クラスは一緒だが、実年齢は相葉よりも二つ上。
愛想笑いすら得意じゃない。
なので、思わず黙って下を向く。
そんな相葉を見て、浦川は、ふふっと笑ってしまう。
笑って、水飲み場の手すりに背中を向けて寄り掛かる。
「またしばらく入院することになってね。思い出に、こうしていろんな場所を見て歩いてるってわけ」
「え?」
相葉は思わず顔を上げる。
浦川と目が合った。
目が合った浦川は、瞳を細めて微笑む。
「今度は少し長引きそうなんだ」
「・・・いつから?」
「これからさ。明日には先生から話しがあると思うよ。おれはいないけどね」
「・・・。」
相葉は、浦川の横顔を見たまま、被っていたタオルを取る。
「なあ、サッカーは面白いか?」
浦川が尋ねる。
「え、あ、ああ」
相葉は、頭を掻きながらシドロモドロに答える。
「そうか」
その様子に、浦川はまた笑う。
「おまえみたいに、・・・あんな風に自由に駆け回れたら面白いよな、サッカーも」
浦川は、空を見上げる。
相葉も、つられるようにして空を見上げた。
スカイブルー、というのだろうか。
スカッと晴れ渡った空はどこまでも高く、まるで湖の湖面のようで。
吸い込まれる青さ。
「一人旅、したことあるか?」
浦川が言う。
「いや・・・」
相葉は答えて、浦川を見る。
後頭部を後ろにのけぞらせ、空を見上げる浦川の横顔は、男にしては華奢で、脆い印象を受ける。
白い開襟シャツを着た背中も薄っぺらで、肌は透けるように白い。
血管が透けて見えそうなほど白い。
「昔、まだほんの子供だった頃。病院生活がたまらなく嫌でさ、着の身着のままで脱走したことがあった。
とにかく何処でもいいから遠くへ行こうって決めて。夜通し歩いたよ」
そこまで言って、浦川は微笑む。
まるで、思い出し笑いでもするかのように笑う。
「だけど次の日の夕方、隣町の畑で倒れてるところを通りがかった人に助けられて、病院に連れ込まれた。
夜通し歩いたもんだから熱が出たんだな。今でもそうさ。ちょっと身体を動かしただけで、すぐに熱が出る。
・・・いやになるよ」
「・・・少しずつ身体を慣らしていけば・・・」
相葉が、小さな声で言う。
ようやく口利いたな、とばかりに笑って、浦川は相葉を見る。
「・・・。」
何だか余計なことを言ったかなと、相葉は口をへの字に曲げて、また目をそらす。
「相葉って、教室で見てたのと印象違うな。
いつもは酷く退屈そうなのに、サッカーやってるとき、すごくパワフルなのな」
「・・・。」
相葉は、口をへの字に曲げて薄っすらと頬を赤くする。
浦川は、そんな相葉を見てから、それからまた空を見上げる。
「もうすぐ日が暮れる。今はこんなに青い空も、もうすぐ朱に変わる」
儚い言葉たち。
言葉はけして目に見えない。
なのに、相葉はそれを見ようと顔を上げた。
浦川の唇に視線を向けた。
「さようなら、今日の日よ。また逢う日まで」
相葉は、黙って瞳を見開く。
見開いて、ただ、浦川が言った言葉の旋律を、まるで噛みしめるかのように目を見開く。
「おれは、ちゃんと存在してるのかな?」
浦川は、まるで空に問い掛けるように。
「この場所に、ちゃんと生きているのだろうか?」
儚さは、まるで夢の中から来るように、そっと身体を包み込む。
儚さはまるで、寂しさと寄り添い合うかのように。
人が、こんなにも透けて、まるで昼間の月のように見えたのは初めてのこと。
なので、相葉は胸が詰まる。
泣き出す手前の、あの、息苦しさを思い出す。
「おまえは、いいな」
「・・・え?」
「あんな風に自由に走り回れるおまえが、うらやましくてしかたない」
「・・・。」
「病室の窓から見る空には、もう飽きたよ」
相葉は、言葉が出てこない。
ただぼんやりと立ち尽くすだけ。
それだけが、いまは精一杯。
「少し、日に当たり過ぎたかな。なんだか眩暈がする」
浦川は、そう言うと自分の額に指を。
枯れ木のように細い指を、そっと当てた。
「話しが出来て良かった。もう行くよ。元気で」
浦川は、ゆっくりとした動作で背を向けると、その場から立ち去った。
残された相葉は、蜃気楼を見たかのような。
そんな儚げな気持ちに胸を、少しだけ締め付けられる。
“さようなら、今日の日よ。また逢う日まで”
言葉が残す旋律は、いつまでも心の中に
寂しげな微笑が、まるで陽炎のように瞳に焼きつく。
見上げた空は、まだ青く
淋しそうに、寄り添うように
見つめる者に何かを諭すかのように―――――――
+ FIN +