Rachmaninoff Piano Concerto No.2


1999年9月17〜19日・デトロイト公演
ネーメ・ヤルビー指揮 / デトロイト交響楽団


Detroit Free Pressの記事

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に関して、99年9月17〜19日のデトロイト公演直後の投稿はこのようになっている。99年9月28日付デトロイト・フリー・プレスのDavid Kesselによる文章で、「ポゴレリチはまるで、時間給を決められているかのようだった」(=長く弾けばそれだけギャラが多くなるかのようだった)。この段階から、ポゴレリチのテンポ設定は独特のものがあった。「これくらいの時間があれば、ラフマニノフ本人やホロヴィッツやアルゲリッチだったら、協奏曲をとっくに弾き終えた後ディナーをとり、場合によってはデザートさえ食べ終えることが出来ただろう」。(99年9月28日付Detroit Free Press)



1999年9月22日〜25日・ミネソタ州ミネアポリス公演
大植英次指揮 / ミネソタ管弦楽団


Star Tribune評

99年9月23日のスター・トリビューンに、Michael Anthonyによる評が掲載されている。それは、作曲者ラフマニノフに関する逸話から始まる。「イーゴリ・ストラヴィンスキーはかつてセルゲイ・ラフマニノフのことを『6フィートのしかめっ面』と描写した」と。実際、残されている写真を見ても、彼がおよそ明朗な男だったとは考えにくい。その彼が「もし、水曜日の夜オーケストラ・ホールにいて、この世界的に有名なクロアチアの40歳のピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチが、自分の第2協奏曲を弾くのを聴いたなら、絶対に厳しい顔つきになっただろう」。ポゴレリチはその主観的な解釈で有名だが、今回のは、「解釈などではなく、破壊というべきものだった」。

筆者はこの日の演奏を全く認めず、「詩的な箇所でのテンポは重苦しいまでに遅く、フレーズはタッフィーのように引き延ばされた。暖かい音色で聴きたい部分で、ポゴレリチは固いカラテ・チョップのごときトーンで演奏し、低音部を、巨大な爆発音のように打ち付け、音の幅は常に『大きい』から『やかましい』の間を行き来した」、と一貫してポゴレリチの解釈を否定している。

筆者の感じた、この日のポゴレリチの究極の目標とは、「多分、通常は聞き取れないような部分のみを目立たせようとすることだった」。その例として「二楽章など、左手の伴奏部分を誇張し、その一方で実際にメロディラインを奏でる右手パートの和音は、ほとんど聞き取れないような弾き方をしていた」という指摘がなされている。

「不幸なことに」、指揮の大植英次(OUE Eiji 1957年10月3日広島生まれ。ミネソタ管弦楽団第9代音楽監督)はこの「気味の悪い、低速の演奏」に寄り添っていて、その結果、「音楽をゆがめてしまった」。この演奏は、しかし、スタンディング・オヴェイションによって受け入れられた。筆者はそれをも「慣習的」な反応と書いている。




Star Tribuneにおける大植英次のコメント

99年11月19日付Star Tribuneに、日本人指揮者・大植英次の、ポゴレリチに関するコメントが掲載されている。Michael Anthonyの書いた同記事によると、大植英次はミネソタ管弦楽団を指揮して同年9月下旬にポゴレリチと共演し、例のラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」の公演を行ったのだが、「あまりにも遅く、反ロマン主義的な、このピアニストの解釈に添ってしまったことを後悔している」と述べたそうである。

記事には更に、「この演奏の約一週間後、ポゴレリチはフィラデルフィアで同じ協奏曲を演奏しブーイングを浴び、ニューヨーク公演をキャンセルし、その後、性懲りもなくロンドンで同曲を演奏して再びブーイングに見舞われた」とある。

大植英次は、「ポゴレリチとの共演は、実に面白いものだとは思った。最初、僕は好奇心を持ち、何か新しい洞察を、総譜(スコア)の中に探ろうと試みた。だが四回演奏してみて、僕が強く感じたことは、このソリストは、他者に有益な音楽的経験を与えようと意図して、これを弾いているのではない、ということだ。彼はただ、自分のために弾いているだけだった」。




1999年10月1日・オハイオ州シンシナティ公演
ロペス=コボス指揮 / シンシナティ交響楽団


地元新聞二紙の批評

99年10月1日シンシナティ・ミュージック・ホールにて行われた、ポゴレリチによるラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」について、翌日、地元新聞に批評が二種類掲載された。オケはシンシナティ交響楽団、指揮はロペス=コボス

まず、『シンシナティ・エンクワイヤ』のJanelle Gelfandは、ほぼ全否定に等しい酷評をしている。サブタイトルは『ポゴレリチは伝えてくる---火星からの電話で』。「 80年のワルシャワから挑発的だったポゴレリチは、40歳になって更に堕落し」、この夜は「ラフマニノフの傑作を台無しにした」。彼の解釈には叙情性のカケラもなく、その演奏は単なる放縦を見せびらかしたに過ぎない出来だった、という。

「第一音から突飛」で、「緩徐楽章では今レッスンの真っ最中かというほど遅いテンポで、しかも奇妙な箇所でのルバートが曲の流れを完全に壊した」。「左手を強調し過ぎて右手が聞き取れないほど」で、「ロペス=コボスがオケのトゥッティになるとテンポを取り戻そうとするが、ソリストがまたそれを無にしてしまう」。「技術的には目を見張るような箇所もあったが、全体としてすべてのフレーズがねじ曲げられ、トリルでさえ居心地の悪いものに聞こえた」。

フィナーレになるとポゴレリチは突如テンポを上げ、今度はオケが懸命について行かねばならないほど。しかし「奇跡的に両者は同時に曲を終えた」。1326名の観客は、この演奏をスタンディング・オベーションで讃えたとのことである。

一方、『シンシナティ・ポスト』のCindy Starrは、同じ演奏会について、やや曖昧ではあるものの、概ね肯定的な態度で批評している。「ポゴレリチはこの協奏曲を魔法のような手技で扱い、全体を引き延ばし、すべての音に意味を与えて染め上げた」。開始から意表をつくテンポとトーンで、その驚くべき解釈のため、聴き手はオケよりピアノばかり聴くことを強いられた。ゆったりとした第2楽章での右手だけの旋律になると、ポゴレリチは一度ならず、非常に印象的な旋律線を描いてみせ、その冷たく硬い音が耳障りになる直前で和らげてみせた手法も目覚ましかった、という。

彼女はまた、オケについても何名か特筆すべき演奏者を挙げて称賛しており、ゆったりとした弦の音色に乗って「ポゴレリチのピアノは、まるでビロードの上の宝石のようにきらめいていた」と書いている。



Amalong論文

99年10月1日の、シンシナティ交響楽団との共演によるポゴレリチの『ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番』について、地元オハイオ州シンシナティ出身のピアニストでありCollege of Mount St.Josephの音楽科助教授でもある、Philip Amalongが、非常に力の入った論文を書いている。ラフマニノフ2番における、表面的な演奏技術やテンポ設定の話題に止まらず、背後にあるポゴレリチの哲学に迫ろうとした最初の記録として注目すべき点が多々ある。

彼はポゴレリチの意図を高度に理解し、ある面では支持しつつも、この日の演奏が決して成功ではなかったことを指摘している。あまりに有名なこの協奏曲に対し、ポゴレリチは、従来の演奏法はもはや終わったものだということを示し、彼独自の手法で楽曲をすみずみまで解体してみせた。その試みには確かに意義はあった。が、観客を説得することが出来たとは言えず、結果として創造的な何かを生み出すには至らなかった、とAmalongは述べる。ポゴレリチの演奏が「単なる放縦などでないことは開始部分から明らか」であり、これは「徹底的に計算されたコンセプト」による、ラフマニノフ2番への「ポスト・モダン的レクイエムというべきものだった」。ポゴレリチは象徴的な意味で、この名曲を葬ろうとしたのだった。

ポゴレリチは、楽譜通りに演奏することに価値などなくなったと考えているらしく、通常32〜36分で演奏されるこの協奏曲に、50分以上も費やした。ポゴレリチは、自分のテンポではこの曲の旋律が維持されないことは承知の上で、敢えてそのテンポを選び、その演奏を通じて、「『幾度も演奏されたこの楽曲は、今や、死んだも同然だ』と言っていた」。

なるほど、ポゴレリチの意図はわかる。しかし彼のしたことは、「根拠に乏しい偶像破壊となってしまい、新たな何ものをも描き出せなかった」。ポゴレリチはこの曲を、一片一片が血の通わぬ骨組みと化すまで解体しつくした。2楽章最後の鐘の音を表す低音部E音など、ポゴレリチによる検死のようだった。「ラフマニノフは粉々にされた」のだ。だがその屍に等しい姿は果たして、血の通っていた頃の、もとのラフマニノフより魅力的になったのか?

部分的には、ポゴレリチのピアノは大変に魅惑的で美しかった。だが、それはラフマニノフの狙いに添ったものとしての魅力は備えていなかった。ポゴレリチは、彼が従来的な演奏に絶望しているのと同じくらい、自分の聴衆が彼の演奏に辟易していることを、視野に入れるべきだった。

それにしても、当夜の「スタンディング・オベーションに参加した者の何人が、『弔い』に対して喝采を送っているということを自覚していただろうか」。




1999年10月7日〜9日・ワシントン公演
レナード・スラットキン指揮 / ナショナル交響楽団


ピアニストMichael Sayers評

米Yahoo!のPogorelich GroupのリーダーであるピアニストMichael Sayersは、この年の11月にポゴレリチのワシントン公演の録音を聴く機会があり、そこでのラフマニノフ第2番について、自分のサイトに短いコメントを書いている。

「この録音では、ポゴレリチは、この作品の『再構築』を成し遂げている」。これは前掲のAmalong論文を踏まえてのSayersなりの賛辞であり、「ポゴレリチにはこの方向の努力を今後も続けて貰いたいし、そうすることで、楽曲に内在する、新しく深淵な魅力を引き出して見せて欲しい」という。なぜならば、ポゴレリチのそうしたアプローチこそが、「通常よくある、陳腐でお決まりの演奏や録音から、楽曲を解放する」行為なのだから。




ワシントン・ポスト評

99年10月8日付けのワシントン・ポストに、7日夜ケネディ・センターで行われた、ポゴレリチとナショナル交響楽団との演奏会についての、Joseph McLellanによる評が掲載されている。タイトルは「Grand Piano」。ポゴレリチの演奏の特異性を指摘しながらも、その成果を肯定する評となっていて、指揮のスラットキンとの間にも協調の雰囲気のあったことが伺われる。

指揮のレナード・スラットキンは、演奏に先立って、ポゴレリチの演奏は我々が通常なじんでいるものとは『急進的なまでに異なる』と描写しており、このピアニストは『作品を文字通り再検証し、伝統というものを取り払った』とし、その解釈は『音楽界におけるエドマンド・モリスである』と述べた。「ポゴレリチがこの曲に、新しい命を与えた、と彼は付け加えたかったかもしれない」、と記事では更に言葉が添えられている。

記事によると、ポゴレリチの解釈で最初に目についたのは、ある種の「持続」という特徴であり、この日は全体の演奏時間が48分だった。その一方で、「音楽より弾き手が目立たってしまうというありがちな演奏のように一瞬一瞬が間延びして感じられる、というものではなかった」。

ポゴレリチに最も近い例として、「かつてのグレン・グールドの、バッハやベートーヴェンの弾き方」を筆者は挙げている。両者は、あたかも、この音楽が今初めて演奏される曲であるかのようであり、楽譜を読むのも全く初めてであるかのような演奏だった、という点で似ていると筆者は言う。「ポゴレリチの、テンポ、フレージング、内声のバランス、そしておそらくは手の込んだアドリブ、などの扱い方が、通常の演奏とは明らかに異なっていて、それらは次第に楽曲を支配する、巨大な影響力を持つようになった」。

前掲のSayers評も好意的であることから見て、この日の演奏はソリストと管弦楽の調和という点で、ポゴレリチにしては稀に見る幸運な出会いであったかもしれない。そうだとすれば、スラットキンの並はずれた度量の広さも称賛されて然るべきだろう。ワシントン・ポストでも、「スタンダードなものであった管弦楽が、ソリストの見解に寄り添い、みごとに調和の道を見つけ出していた」と書かれている。





1999年10月14〜16日・フィラデルフィア公演
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 / フィラデルフィア・オーケストラ


フィラデルフィア・シティペイパー評

ポゴレリチは1999年10月14日から、問題のラフマニノフを今度はフィラデルフィアで披露した。指揮はヴォルフガング・サヴァリッシュ、管弦楽はフィラデルフィア・オーケストラ。これを報じた『フィラデルフィア・シティペイパー』のSteven Cohenの書き出しは「演目は『Rach 2(ラック2)』であって、『Rocky(ロッキー)』ではなかったのに」。ポゴレリチがこの協奏曲を弾き終えた瞬間、観客の間には物凄いbooとbravoが同時に沸き起こり、それはまるで、格闘技の会場を思い起こさせるほどの騒ぎだったという。

理由は、ポゴレリチがこの曲を、前例のないほど引き延ばしたテンポで演奏したからだった。そのためにこの夜のコンチェルトは、「胸がわくわくするほど魅惑的だと思った者もいれば、耐え難い責め苦にあっているようなものだと感じた者もいた」という結果になった。ここでも争点となったのは、その特異なテンポ設定の是非だった。

そもそもRach 2(ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、現地のクラシックファンによってこう呼ばれている)は、フィラデルフィアの人々にとって特別な曲だ。1928年に作曲者のセルゲイ・ラフマニノフが、レオポルド・ストコフスキの指揮で、これをフィラデルフィア・オーケストラとの共演で録音しているのだから。その録音は映画音楽にもなり、大ヒットを記録し、今でも幅広い世代の支持を得ている。そして何より、その録音が重要である理由は、それが作曲者本人が、この曲の在り方を自分の手で示した演奏だったのだ、という点だ。「ポゴレリチの演奏を聴いたとしたら、ラフマノニフは草葉の蔭で嘆いたであろう」。

ポゴレリチと組んだウォルフガング・サヴァリッシュは、ソリストのテンポ設定に良く合わせて立派にオケを指揮した。演奏会は三夜に渡って行われたが、そのうちでは最終日の、16日土曜日が、最も観客の反応が大きく激しかった。演奏が終わった途端、「bravo!」「magnificent(壮大だ)!」との大歓声があがったが、続いてそれを打ち消すような「boo!」が沸き起こり、これを聞いたポゴレリチ支持の観客たちはスタンディングして、更に大声で「bravo!!」と叫び始め、それに負けじと「boo!!」の声もいっそう大きくなり……。「論争好きだったストコフスキが聞いたら、さぞかし喜んだことだろう」。

観客たちはその日、すぐには劇場をあとにしようとせず、ロビーに残って、いつまでもこの演奏について語り続けたとのことである。(Philadelphia Citypaper Oct.21-28,1999)



フィラデルフィア・インクワイヤラー評

フィラデルフィア・インクワイヤラー』紙のLesly Valdesは、99年10月16日付けで次のように書いている。この演奏会のプログラムは、「前半がポゴレリチによるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で、後半がショスタコーヴィチの交響曲第14番だったが、両者はあまりにも対照的な出来だった。そうなった原因はほとんどポゴレリチのほうにある」。

Valdesはショスタコーヴィチについてはそれなりに好意的な評価を与えている。だが、これに対して、ポゴレリチの弾いたラフマニノフには、問題が多すぎた。「この有名な曲に、ポゴレリチは彼独特の個性を刻印した。彼は自ら論争を招いたのだ」。ポゴレリチがこの日弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、「あまりにも広大、というより冗長過ぎるもので、通常より演奏時間が15分も長かった」。しかしここで「問題なのは、何分かかったかという時間の話ではなく、その音楽的な思考のほうである」。

「ポゴレリチは芸術家であり、その発想は人目を引く」。Valdesは、彼の解釈の独創性や、妙技とも言える演奏技術については、全否定はしていない。けれども、やはりこのときの演奏に関して許容し難い点がいくつもある、としている。まず、非常な違和感を覚えたのが、彼独特の休符の扱い方だった。「このピアニストが、フレーズの終わりの休符を引き延ばすやり方が、私には大変、嫌なものだった。それは、フェルマータをあまりにもしばしば多用したことになり、そのアクセントが一定の決まりのように聞こえたからである」。

また、他の批評でも指摘されている通り、ポゴレリチの弾き方では「テンポが遅すぎて、音楽の推進力が損なわれた。そうなると、解釈が聴衆を惹きつける力は弱まってしまう」。極端なスローテンポのために、ラフマニノフの紋章とも言える重要なリズム感が失われていたのだ。また、「もうひとつうんざりしたのは、彼の、あまりにも硬すぎるタッチだった」。ロマンティック・スタイルのピアノ演奏は、ニュアンスの多様さや、柔軟性、タッチの美しさによって、その魅力を発揮するものだが、ポゴレリチの硬質一辺倒の音は、独特の気障な調子に聞こえ、「セルバンテスが頭に浮かんだ。『気取りなんてものは、全部、悪だ』と『ドンキホーテ』に書いてある」。

ポゴレリチの弾き方は時に「わざと強く打ち付ける弔いの鐘の音」となっており、サヴァリッシュは忍耐強く舵取りを行ってはいたが、「この挑戦的な演奏を、指揮者としてどう思っていただろうか」。



公開リハーサル

フィラデルフィア公演の最中に、一度、公開リハーサルが行われたのだそうで、それを見学したBarryと名乗る人が、The Classical Music Guide Forumsに短い投稿をしている。それによると、指揮のサヴァリッシュは普段ならソリストに対して暖かく接することが多く、演奏の終わりには相手を抱きしめたり、少なくとも握手くらいはするのに、この公開演奏の場では、彼はずっと目をぎょろぎょろさせており、リハーサルの終わりには、ポゴレリチのほうを見ようともしなかった、とのことである。



ウェブサイトConcerto net.com評

97年以来、世界中の音楽会について批評や情報を提供して来たウェブサイト『Concerto net.com』でも、ポゴレリチの99年のラフマニノフは取り上げられている。Frederick L. Kirshmitはまず、約40年前の、カーネギーホールにおける指揮者レオナード・バーンスタインのエピソードに言及している。「あの歴史的な、グレン・グールドの極度に遅いブラームス・ピアノ協奏曲第1番を指揮するにあたり、バーンスタインは『これは私には賛同できないテンポだが、ここではソリストに従っておく』と断ってから演奏を始めたものだった。ヴォルフガング・サヴァリッシュも、同じように言いたかったことだろう」。

99年10月16日、ポゴレリチは、かつてラフマニノフ本人もよく演奏した、フィラデルフィア・ミュージック・アカデミーにおいて、フィラデルフィア・オーケストラと共演したのだが、指揮者のサヴァリッシュが、ソリストのテンポ設定と氷のような演奏に、同意していないことは明白だった。「ポゴレリチは自分の改革の問題にばかり傾倒していて、オケが幾度も彼を急がせようとしていることがわかっているのに、断固としてtrop lent(=非常に緩やかに)を貫いた」。

ロリン・マゼールも、マーラーを非常に遅いテンポで指揮するが、時には彼でさえぐらつく。素晴らしく旋律の美しいラフマニノフの第2番では尚更で、指揮者もオーケストラのメンバーも、そして聴衆も、これに満足できずにいることは明らかだった。ポゴレリチの演奏は「ロシアのトリュフをねじ曲げて、ひきちぎられたタッフィ(キャンディの一種)にしてしまった」に等しかった。

壮大な管弦楽の部分に差し掛かると、サヴァリッシュはなんとか聴ける程度にまでテンポを取り戻して、オケを指揮したが、それはせいぜい、同じ旋律を反復するところでのポゴレリチの演奏が、今までの半分程度の減速にとどまった、という効果しかなかった。「第3楽章の開始の、有名なテーマをヴィオラが演奏し、ポゴレリチが、一音一音が聞き取れるかというくらいの極端なテンポでそれに応えた頃には、もう、誰もが、一刻も早く終わらないかと苛々していた」。

それでもどうにか協奏曲が終わり、休憩時になると、皆は一斉に今の演奏について語り合い、観客のひとりなど、「ソリストのネジをまいて、早く進ませてやりたかったよ」と話していたそうである。


追記:フィラデルフィアでの「演奏時間50分」事件の後、どこかの記事でポゴレリチ本人が、『今回のブーイングに関しては自分は少しも気分を害していない。聴衆にとって、どうあっても無視できないものを演奏したということだから』と述べていたそうだ。これはアメリカの某ピアノ系サイトの投稿からの孫引き。彼は半ば確信犯的に、聴衆のブーイングに満足したようだ。



1999年10月19日・ニューヨーク公演キャンセル


AP通信の記事

99年10月14〜16日にフィラデルフィアでラフマニノフの2番を弾いたポゴレリチは、次には10月19日にNYカーネギーホールで、やはり同曲を演奏することになっていた。が、彼は直前になってそれをキャンセルした。AP通信社の99年10月20日朝7時半の記事で「ピアニスト・ポゴレリチ、ニューヨーク公演キャンセル」と一行のみ報じられ、その続報では、フィラデルフィアの演奏会がかなりの不評であったことや、演奏時間が52分に及んだこと、カーネギーホールでの演奏をキャンセルしたことについてポゴレリチが「個人的な理由」と述べていることなどが報じられている。



フィラデルフィア・インクワイヤラー記事

10月20日(ポゴレリチの誕生日!)の、『フィラデルフィア・インクワイヤラー』の見出しは、「フィラデルフィアでヤジられ ピアニストがNY公演をキャンセル」。

ポゴレリチ本人はこの決定について「"personal reasons"(個人的な理由). 」とのみコメントしていて、単に誕生日前夜をオフにしたかっただけだろう、との見方もあったが、真相はどうやら、NYではポゴレリチが要求するほどのリハーサルの時間が取れなかったことが、彼の気に入らなかった、という事情らしい。一方、オケの芸術監督サイモン・ウッズは「彼のために出来る限りの努力をしたつもりだが、不可解なことだ」と述べた。

音楽評論家Peter Dobrinは書いている。「昨夜の演奏会は、今シーズン唯一の、ポゴレリチのNY公演になるはずだった。近年、彼は幾度かNY公演を中止しているが、それにしても、開演11時間前のキャンセルは極めて異例である」。

ポゴレリチの代役として登場したのが、アンドレ・ワッツ。この日、ニューヨーク市に近いところにいて、この曲をレパートリーにしていて、かつこの夜に体が空いているピアニストというと彼しか居なかった。皮肉なことにワッツ自身、最近、オーケストラとの共演をキャンセルしたばかりのピアニストだったが、この日はわずか15分のリハーサルで本番に臨むことになった。ポゴレリチの、ひどく遅いテンポ設定によるラフマニノフ解釈のことはワッツの耳にも入っていたが、彼はそんなことには捕らわれず、この協奏曲を32分で弾ききり、盛大なスタンディング・オヴェイションと四度のカーテンコールをもって称賛された。「ポゴレリチは(ちょうど、きょう41歳になったのだが)、先週の演奏会ではフィラデルフィアの聴衆から、喝采と嘲笑とを引き出した。彼のラフマニノフは、異常なほど遅かった。彼は51分かけて演奏したのだ」。

ところでひとつ興味深い指摘がある。ポゴレリチの三夜に渡るフィラデルフィアの公演の第一夜を聴いたJohn Turner氏のインターネットへの投稿によると、その初回公演での演奏時間は43分だったというのである。三日の間に、ポゴレリチの演奏は顕著にスローなものへと傾倒していったのだ。「あのラフマニノフが、あれより10分か15分長くなったとしたら耐え難いだろうとは思う。しかしそれなら、心地よく聴ける限界とは結局何分までなのか」とTurner氏は疑問を投げかけている。



ロサンゼルス「デイリー・ニューズ」記事

ポゴレリチのニューヨーク公演キャンセルはニュースとなり、西海岸でも報道されている。99年10月21日ロサンゼルスのデイリー・ニューズは、先のAP通信の文面に拠るカーネギーホール公演キャンセルの記事を掲載している。




1999年10月25日・ロンドン公演
アレクサンダー・ラザレフ指揮 / フィルハーモニア管弦楽団


The Philharmonia ForumにおけるJeremy Jones 評

ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団のHPにあるフォーラム欄に、投稿者Jeremy Jonesによるロンドン公演評が残っている。ロイヤル・フェスティバル・ホールでのポゴレリチのラフマニノフは、やはり「エキセントリックな解釈」という印象であったようだ。「協奏曲をどのように演奏するかについて、ソリストと指揮者の意見が合っていないのが聞き手にも明らかにわかるという例は、これまでもいくつか聴いたことがあったが、このラフマニノフを聴いて初めて、私は自分の目でそれを見た」と彼は書いている。

フィラデルフィア・シティペイパーのSteven Cohenが書いた、Rocky2の例えを彷彿とさせる語り口で、この日の演奏会はあたかも格闘技のようだった、とJonesは言う。「ラフマニノフ第2番による12ラウンドの闘い、赤コーナーにイーヴォ・ポゴレリチ、青コーナーにアレクサンダー・ラザレフ&フィルハーモニア管弦楽団」。

ポゴレリチは、セルゲイ・ラフマニノフ本人よりもこの協奏曲のことは自分が知っている、と言わんばかりの態度で演奏し、「この協奏曲から活力も生気もすべて吸い上げ、枯渇させようとした」。この日のラザレフほど、ソリストをなんとか急がせようと苦労している指揮者を観たことがなかった、とJonesは書く。だがフィルハーモニアのパトロンたちは、一般客の不満の声を無視してポゴレリチに大喝采を送ったそうである。

ちなみに、ポゴレリチから解放された後半のプログラムでは、ラザレフとオーケストラはやっと本領を発揮し、興味深いショスタコーヴィチの5番を演奏したとのことだ。



Star Tribuneの報じたロンドン公演

99年11月5日のミネソタ州Star Tribune紙に、ポゴレリチのロンドン公演についての記事が掲載されている。「フィラデルフィアとロンドンでヤジられてひるんだとき、『だがミネアポリスでは好評だったのだから』というのが、ピアニスト・イーヴォ・ポゴレリチのより所だったかもしれない。41歳のユーゴスラヴィア生まれのピアニストが、9月22日に、あの愛すべきラフマニノフの第2協奏曲を、ミネソタ・オーケストラとの共演で、超低速の、反ロマン主義的な演奏にしてしまったとき、聴衆はスタンディング・オヴェイションをもって称えたのだから」。不評の多かったアメリカ公演のうち、ミネソタ公演は少なくとも聴衆の反応に関する限りは、非常に好意的なものだったようである。

だが、「一ヶ月後、フィラデルフィア・オーケストラと同曲を演奏したら、ポゴレリチは嘲笑され、彼はこのオケとのカーネギー・ホールでの演奏会を、『個人的な理由』と述べてキャンセルした。そして大胆にも、彼は先週、今度はロンドンに登場し、またしてもラフマニノフの二番を弾いた。結果は、更に大きなブーイング」。ロンドンのデイリーテレグラフ London Daily TelegraphMatthew Rye は『ピアニストの独りよがりのひねくれた行為に対する、(聴衆の)明らかな勝利」と結論づけている」とのことである。



2003年6月20日バート・キシンゲンにおける録音
マンフレッド・ホーネック指揮 / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


海賊盤批評Rachmaninoff co.uk

ポゴレリチのラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番の録音で、存在が確かめられているのは、2003年6月20日に録られた海賊盤で、指揮はマンフレッド・ホーネック、オケがチェコ・フィル。録音場所はドイツのバート・キシンゲン

この録音についてはRachmaninoff co.ukというラフマニノフ専門のサイトで紹介されていて、Elger Nielsによる手厳しい批評が、最初に掲載されている。その概要は、

「褒めることが出来る点としては、概ね、速いパッセージは極めて優れた演奏になっている、ということ。だが問題はそれ以外の部分。全体としてあまりにテンポが遅い。そのようなテンポ設定にする構造的な根拠など無いにも関わらず。この演奏から受ける印象は、まるで『人間はどこまで行けるか』という限界を探るかのような未熟さ、あるいは、『水は流れることをやめれば腐敗し始める』というような病的な気分、のいずれかだ。この種の試みは、もしかしたらスクリャービンの後期ソナタならば、成果が得られたかもしれない」。


同じページに、Bahman Barekatが9月1日付けで論文を掲載している。タイトルは、ポゴレリチはファンをひとり失った

筆者は、まず、開始部分の「盲目の人が手探りで進むかのような」ハ短調カデンツを指摘し、オケとの共演のあとピアノが再び前面に出てきたところで、「ピアニストの解釈の真の狙いがわかる」としている。その狙いとは「凄まじい減速」による、この楽曲の「道理に反した果てしのない検死解剖である」。彼は目覚ましいまでの正確さを持って、この協奏曲の内臓をひとつひとつゆっくりと取り出し、その後、再びゆっくりと元の位置に、「上下逆に、裏表に」再挿入した。その精緻な外科技術により、数え切れないほどの小さな旋律のひとつひとつまでが、細胞の覆いをことごとく剥がされ、和声の対位法の構造が一片一片に至るまで、あまりにも克明に描き出された。

筆者は「この演奏の風変わりな点を並べ立てようと思ったら、一生かかる」と一刀両断にし、具体的な指摘は数カ所に留めたいと断り、次のような点にのみ、触れている。例えば、第2楽章のpiu animato(=さらに生き生きと)の表示に対して、ピアノは、カタツムリの葬列よりもずっと遅く進んでおり、ここでのポゴレリチはテクスチュアの中の上昇音型にのみ固執していて、その他の音はピアニシシモのもやの中にぼやけたままで放置されているということ。また、最終楽章開始の装飾楽句を二分し、オケが普通のテンポで演奏しようとするのを、ソリストは様々なやり方で台無しにしているということ。それら全体の印象は「解釈の死後硬直」というもので、才能のきらめきが感じられる部分もあるがそれさえも、「死んだ惑星の回りを巡る明るい月のような」効果に終始している。

「彼はラフマニノフの傑作を、地底奥深くにある自分だけの秘密の領域へと導いた」。もはや地上には戻って来られないその場所で、音楽は酸素と光を求めてあえぎ、苦痛に満ちた50分間の死を体験する。そこでは彼こそが最高位の支配者だ。「だが、『彼』とは誰か?その名は、イーヴォ・ポゴレリチ、かつてデビュー当時に、もうひとつのロマン派のコンチェルトで「サーカスの曲芸のような解釈」と非難された、あの美貌のピアニストである」。



HOME