満州 旅行





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
こちらでは満州の旅行に関する画像をアップします。

『旅行』から。
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旅行につきましては、当時の書物に紹介された朝鮮半島経由で満州の主要都市を回るルートにそって、私が収集しました画像を紹介します。なお、満州写真館は主に満州を特集しておりますが、今回は朝鮮半島も触れながら工程を紹介してまいります。



続いて、『旅行に関する資料』を。
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『ホテルの画像』も集まりましたので、アップしました。
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では以下、戦前図書から満州(朝鮮半島含む)の旅行を
紹介する文を紹介します。
ファイル名は『旅行』にかんするもので並べてみました。

第一日 下関
『夜の関釜連絡線に乗る。
鉄道省自慢の四千噸(トン)級の客船、心地よくすべるような公開。
八時間あまりで釜山に着く。
船の中で税関の検査がある。極く(ごく)簡単の検査、億劫のことはない。』
 
第二日 釜山
『僥明(ぎょうめい)、左舷に墨絵のごとく対馬を望む。朝、釜山につく。桟橋に奉天行きの汽車が待っている。
乗れば夕方には京城に着く。船車接続の時間を利用し、市内を
瞥見(べっけん)すれば、龍頭山、殷賑(いんしん)の弁天町。』
File 01釜山港桟橋
釜山桟橋の画像です。ただ、恐らくこれは満州国が設立するよりも前の撮影です。
左の長い屋根が鉄道のホームです。船の目の前で列車に乗り換える形です。クレーンなどは見当たりません。日本の大陸の窓口でもある釜山ですが、大連などと違って、あまり港の設備は見当たりません。貨物は人の手で積み下ろしをしたのでしょう。満州国設立後は整備がなされたのでしょうか。

第三日 京城
『窓の宿に朝鮮の陽がさしこむ。今日は朝から市内見物。
商品陳列間、南山公園、動植物館、博物館、昔王朝の豪勢をしのぶ
景福宮。』
京城、今のソウルです。朝鮮王朝の建物群は人気だったのだそうです。
File 02朝鮮 京城 独立門
ちなみに、これらは画像で入手できておらず、かわりに独立門を紹介します。
周辺は路面電車が走り、地元の人と思われます白い服の人も見え、向こうに鉄筋と思われます建物も見えます。地元学生さん達の修学旅行の記録もあります。


第四日 仁川
『京城発の急行で仁川下車
市内をめぐり、月尾島の潮湯へ。午後には京城へ十分帰れる。
龍山方面の見物、お土産あさりに午後の時間を当て、夜行列車で平壌へ。』
File 03朝鮮 仁川 月尾島遊園潮湯の水泳プール
File 04朝鮮 仁川 月尾島遊園潮湯クローズアップ
仁川といえば、今日では国際空港で有名です。当時は、閘門を持つ港が有名でした。こちらでは月尾島の潮湯の画像が入手できました。テラスを持つプールが見えます。クローズアップからカンカン帽をかぶった人、白っぽい服装が多く、暑そうです。
仁川周辺は、こののちの朝鮮動乱で破壊され尽くしましたので、この建物は、残っていないでしょうが、この場所の潮湯は今日も盛況とのこと、韓国旅行のおり訪問してみるのも一興です。またこの島を一周する月尾銀河モノレールも作られるなど、賑わっている様です(なお、モノレールはすべてが完成した段階で運用が破棄されています)。
ちなみに、今日は島と陸地の間が埋め立てられて繋がっています。

第五日 平壌
早朝に汽車が着く。瑞気公園に登れば市の内外が一目に見える。大動向の上流は名高い牡丹台。平壌見物後、午後の汽車で奉天へ』

第六日 奉天
『筏流るる鴨緑江は夜に入りてわたる。安東駅で税関の検査に立ち合う。
一眠りして醒めれば最早、奉天の朝。
流石に東三省の舊都(旧都、古い都)、付属地の日本人街、城内の支那町、北陵など見るところが頗る(すこぶる)多い。』
画像は安東の税関です。
File 05安東国境税関検査所
また安東から奉天は夜行で記載されており、途中の名所は省略されている様です。安東から奉天までの名所を紹介します。
File 06安奉釣魚台
File 07安奉線鳳凰山
File 08秋木停車場
秋木停車場ですが、煉瓦造りの多い満州の駅では珍しい木造の駅です。木材の産地であることを示したい為に木造にしたのだとか。独特の形状です。

File 09奉天駅頭早朝
File 10奉天小西邊
皆様にもおなじみ、奉天です。ちなみにこちらで紹介します小西邊につきまして、元のイラストはカラーですが、残念ながら現時点では白黒しか入手できていません。

第七日 撫順
『奉天から一時間で撫順に着く。
年に七百万トンを掘り出す大炭鉱、世界で珍しい大露天掘りの偉大さ、意志から石油を搾り取る油母頁岩工場(オイルシェール)、只だ目を驚かす此の地の視察、夕刻、大連へ向かう。』
File 11撫順オイルシェール
画像はオイルシェール工場です。
撫順では、容易に視察を受け入れていた様です。別途、撫順のページで掲載しております写真にも、巨大な装置エキスカベーターの現場を、作業者には見えない人が行列して写りこんでいます。
 
第八日
『渾河(こんか)で乗り換え、夜の荒野を走り
汽車は此の朝、大連に入る。
立派な市街、素晴らしい港湾、満蒙産業を一同に集めし資源館、公園、工場、郊外遊覧地等等、三四日滞在見物したいところ。』
大連は見どころが沢山ある様です。
File 12大連埠頭の盛観
File 13大連西崗子_情調豊かなる娯楽場

第九日 旅順
『大連から汽車も自動車も一時間余で達する。白玉山招魂社、東鶏冠山などの戦跡めぐりは馬車で出来る、記念品陳列場、水師營なども訪うべきところ。夕刻、大連に帰る。』
旅順観光の画像です。
馬車、という紹介がありますが、バスでもタクシーでも戦跡めぐりができる様です、
File 14旅順満電バス待合所付近
File 15旅順満電バスクローズアップ
File 16旅順満電バス待合所付近旅順タクシー

バスは内側にカーテンが見えます。タクシーですが、タクシー会社の前で止まっているのがそれでしょうか(車庫の中は暗くて見えません)。

第十日 出帆
『時間的に余裕ある日とは自弁に伸ばせば三日間充分に大連視察が出来る。
此の日、出発する人は、朝の内に埠頭を視察する、
午後十時、出帆、午前。船は七千噸(トン)の大汽船、二日間にて門司に着く。
船中で税関検査あり。』
File 17大連港
 
第十二日 門司
『午前七時、関門水道に停戦、上陸。
二週間ぶりで踏む可愛いの郷土!
町の狭いこと!人の多いこと!』
満州は広く日本は狭い、というのが当時の表現物にも再三出てきます。こちら旅行記でも同じ認識です。


 さて、ここまでの12日間の旅費についての費用の概算も紹介されており、一覧にしてみました。学生割引でも、相当な出費になります。宿については、あまり高くないところ、むしろ安いところを想定した表となっています。
ちなみにこの資料には一等は紹介されていません。一等席をつかっての旅行となると費用は何倍にもなったはずです。
File 18旅費

追加
先の日程に、蒙古の一部を見るため鄭家屯(てんかとん)、そして北満洲の大都市哈爾濱(ハルビン)、長春(新京)、公主嶺を四日で見るルートも追加できるとあります。
先の7日めと8日めの間に以下の行程を付け加えます。

追加第一日  鄭家屯(てんかとん)
『撫順から奉天に帰り、その夜発の列車で四平街に早朝着。
兆南行列車に乗り換え約二時間で鄭家屯に下車、蒙古の情趣を瞥見(べっけん)、午後の汽車で四平街へ帰る、夕刻、長春へ向かう。』
鄭家屯は、遼源とも呼ばれる街です。蒙古廟と呼ばれる寺など古い建物があり、また街を離れると砂丘や砂山がありました。蒙古の情趣とある所以でしょう。あまり大きな町ではない様ですが、旅行者には人気があった模様で、鄭家屯駅のスタンプが押された砂丘の絵葉書を見たことがあります(未入手)。
また満鉄の農業試験施設もありました。もしかすると、砂の多い土地での農業の試験を行っていたのかもしれません。ちなみに私が見た資料では鄭家屯の満鉄農業施設の名称は、「農事試験場」ではなく「試作農場」でした。諸々の試験をへた作物を実際に耕作してみる施設か、とも想像しています。(兆南の兆は、正しくはさんずいに兆)
File 19鄭家屯
File 20遼源_鄭家屯_草原
鄭家屯の駅舎を満洲写真館・地方都市その3へ掲載しています。


追加第二日
先の日程に、二日程度の追加コースが提案されており、追加部分を記載します。

哈爾濱(ハルビン)
前夜、長春で乗り換えた東支鉄道列車が朝、哈爾濱に着く。北満洲の大都会見物箇所はキタイスカヤ街、新市街、傅家甸(でんかでん/フウジャーデン)
異国情緒を味わう夜の舞踊。
傅家甸はハルビンにあった中国人街で、大きな娯楽施設、大観園があったところです。娯楽施設、と書きましたが、売春宿、アヘン窟で、犯罪組織のアジトでもありました。
『極秘 魔窟・大観園の解剖』(原書房)という本に詳しいそうですが、『満洲 大観園』で画像検索しましても様子が判ります。
File 21ハルビン駅
File 22哈爾濱_埠頭区
File 23哈爾濱_冬の松花江極寒期には零下二十から三十五度に降下する


追加第三日 長春
『朝、哈爾濱を発し、午後、長春に着く。
新市街、伊通河、 寛城子、新首府廟を視察し、宿泊。
ここでもし更に一日を費やせば、松花江の流筏で名高い、吉林の見物に往復せらるべし。』

追加第四日 公主嶺
『朝、長春を発し、一時間で公主嶺に着く。ここでは満鉄が経営する農事試験場を視察する。
満蒙の農畜産の事情は何でも視察研究することが出来よう。
夕景、急行列車に乗る、翌朝、大連着。』
File 24公主嶺駅
File 25公主嶺農事試験場
移民希望者の見学や一般の見学者も広く受け入れていた様に読み取れます。
研究施設だけでなく、資料の展示や見物コースの設定がなされていたのでしょう。画像の高台から周囲の施設を見渡すだけでも十分な見学になりそうです。

このほか、満州旅行を案内するモデルケースとして8日で主要都市を急いでみて回るという内容です。

こちらは大連をスタートし、朝鮮半島経由で日本に戻るものです。
・第一日大連
埠頭、油房、満蒙物資参考館、市場、沙河口工場(鉄道車両工場のことか)、星ケ浦、
老虎灘

・第二日旅順往復
白玉山表忠塔、各戦跡、博物館、二○三高地

・第三日
栄口、遼河、東亜煙草工場、市街地、午後列車にて湯崗子温泉一泊。

・第四日
午後列車にて鞍山(製鉄所)、午後初列車にて奉天泊、

・第五日
奉天(城内、北陵、らま塔、新市街、南満州製糖会社、満蒙毛織会社)
・第六日
撫順(露天掘り作業、大山坑、モンドガス工場)夜行列車に乗る。

・第七日
長春(商品陳列館、新市街、支那市街、公園)
午後初列車にて安東直行。

・第八日
安東(鴨緑江、鎮江山)夜行列車にて朝鮮へ
朝鮮より入る場合も、大略、右同様の日数にて一巡が出来る。

以上のコースですが、これらを一気に回るのには、相当な体力が要るように思われます。

では、季節別の旅行情報を紹介します。
春 : 四月の発芽(冬着)、五月の開花、六月の新緑(間着、薄外套、夏着)の候は多少、塵埃と風が伴うが、旅行季節として良好である。

夏 : 七、八両月は雨季に入るが大陸気候の関係から内地に見る如き連日の細雨または鬱陶しき事、殆どなく従って洋傘の必要を認めない。
暑さも相当厳しいが、一般に内地と大差なく、朝夕は薫風絶えず吹いて、きわめてしのぎよい。
暑中休暇利用者は無論、深緑の満蒙の爽快に接せんとするものはこの季を逃してはならぬ。
夏仕様、レーンコート持参便利(レインコートのこと)。

秋 : 九月下旬より十月いっぱい(間着、薄外套)、暑からず寒からず、満州晴れで連日澄みわたる天気は内地に見られぬ現象で旅行季節として最も望ましき時である。

冬 : 十一月より翌年三月迄(冬服、厚外套)は結氷期で奥地は零下三十度となるが、防寒設備至る所に完備していてなんら驚くに当たらないばかりか、この季節は満蒙特産の搬出が行われ市場盛況、大豆豆粕等、各駅に山積み殺到し、その壮観は創造を許さざるものも合って、この頃の旅行を回避してはまことの満州は見えない。

四季を通じて、満州は旅行するには良いところ、という紹介となっております。

前述しましたが、旅行に関する資料を、ランダムですがアップ致しております。
満州への旅行は修学旅行も含めて盛んだった様ですが、さすがに戦争が始まると、浮かれた旅行も、というわけにはいかないのか、『旅にも銃の心意気』とあります。
旅行は日本人だけでなく、満州国民、隣の中華民国からも多数が訪問していた様です。
『旅行する家族連れと停車場の賑わい』にも中国人とおもわれる家族の旅行風景が写っています。なお、真ん中の緑の荷物を持っている男性は旅館の客引きで、旅館名を書いたはっぴを着て駅前で客を待ちました。写真では荷物運びのサービスもしている様です。

そのほか、いくつか当時の書籍から引用してみます。

『満州方面の旅行には便利な割引乗車船券がある。日満往復券、内地と満州を往復する切符。朝鮮経由(各鉄道、関釜連絡船共に二割引)のものと大阪商戦大連航路経由(一割引)の二つがある。鉄道省主要駅および満鉄東京、大阪鮮満案内書等で発売している。』

『(満州支那汽車時間表注意書き)
旅行者の心得
旅行者は規定事項につき遺漏なきを期する外、大国民の態度を持し徒に支那民衆を蔑視せず、見聞せる軍の機密などに関しては濫りに方言刷ることなく、尚、慰問視察の名を借りて私利を貪る等の事なき様、充分戒心の上、旅行することが望ましい。』

護照旅行免状は、当時を描いた表現物ではなかなか出てこないものですが、携帯必須と考えてよいかと思います。さらに予防注射の証明書を携帯する例もありました。旅行者が地スフ等に感染した場合、潜伏期間中に遠くへ移動してしまう危険も想定されます。

前述で、十二日間の宿賃について、あまり高くないと記述いたしました。
と申しますのも、過去に見た資料から判断して、二等から三等で計算したものと思われたからです。
過去に見た資料からランダム抽出します。
哈爾浜ホテルで、一泊二日で6円55銭。
チチハル鉄路ホテル理髪部で顔そりが30銭。
大和ホテル8〜17円
大連ホテル、一等6円以上、二等4円50銭(食事2円以上)
大連遼東ホテル、3円以上(一等と三等は無い?)
金州ホテルで一等5円、二等4円、三等3円
昭和初頭の旅順ヤマトホテル1泊二日で、値段には幅があることがわかりました。
シングルで3円〜30円、ツィンで6円50銭から30円。
食事は食堂で、朝食1円50銭、昼食2円、夕食2円50銭。
東京は浅草でかつ丼が35銭だったことを考えると相当に割高だと感じます
一方で、そうした値段の設定があることをみましても、居心地良く旅をしたくある程度の出費をしても良いホテルに、というニーズがあったとも考えられます。
大和ホテル系列では星ケ浦ヤマトホテルの相場を「大連星ケ浦その2」にアップしております。


最後に埠頭・大連駅間連絡バスにつきまして。
旅行者の利便性を図るため、様々な工夫がなされていましたが、大連港と駅を結ぶバスもその一つでしょう。
File 『 40大連_船車連絡』 にも紹介しておりますが、ドイツMAN社のバスを導入し、サービスにあたっています。大型のバスですし、乗り心地はよかったのでは、と想像します。
サービス内容について紹介します。
『船車連絡:埠頭・大連駅間連絡バス
大阪商船日満定期船出入港日に限り、左のとおり、埠頭・大連駅
間に連絡バスを運行せしめ連絡旅客及び携帯手荷物を無賃にて
輸送している
大連上陸奥地向け旅客、アジア、はと接続に限る。
定期船及び上記列車に接続せぬ場合は運休す。
大連駅内地行き旅行客大連駅発バス、七時二十分、九時四十分の二回発車。
手小荷物取扱所は先客待合所玄関西側にあり、乗降旅客手荷物運搬のほか、手小荷物の市内配達をもなしている。手荷物運搬料金は手小荷物取扱所・船舶相互間一箇所につき、五銭である。』
特急列車専用の連絡バスで、おそらく既に切符を買っている(国内で船と列車の切符を同時に購入している)旅客者専用であったと思われます。


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