陸奥平和祈念公園

平和公園展示の戦艦陸奥副砲
正面から。
戦時中に戦艦陸奥が瀬戸内海に沈没、戦後に大掛かりな引上げ作業が行なわれました。その際に回収された遺骨と共に、戦艦の一部が海のそばの小高い丘に設置されています。
丘の向こうには陸奥平和記念館と水族館があります。
背景は、朝日を反射する海面。
山口県は大島郡東和町での撮影です。

周囲は青い綺麗な海と白い砂浜で、海水浴客で賑わいます。
写真は同じく東和町で泳ぐ児童。
戦艦陸奥は、昭和18年6月8日に、先の大砲と記念館のある場所の沖2キロの柱島泊池に停泊中、何らかの原因で前から三番目の主砲火薬庫から出火、あっというまに大爆発を起し沈没。
1,121名が船と共に海底に共に没しました。
以下は公園に展示してあります副砲を掲載しております。ちなみに戦艦 陸奥の主砲は船の科学館に展示されているそうです。

副砲解説文
『戦艦陸奥副砲(50径14センチ砲)は両舷9門づつ計18門装備されていましたが、これはそのうちの1門で左舷の16番砲です。
射程は14800mにも達したと言われています。
砲身の長さ7m、重量は砲座をふくめて約18トンあります。
昭和48年6月28日引揚』
旧日本軍の戦車は十数トンくらいなので、陸奥の副砲1門あたりの重さが如何に大きいかがわかります。
それにしても18トンを18門も搭載すると、副砲だけで320トンを超える計算になります。

副砲を正面から。
砲の左右に1名づつ要員が配置出来ることが判ります。板の歪みの為か、現在展示してある大砲の左右に人が入るには狭すぎました。
その向こうは、舳先を切り取った物。
戦艦陸奥は、40センチの主砲を2門搭載した砲塔を4基、そしてここに掲載の副砲を18門搭載していたそうです。
これが18門も?となるとどれくらい巨大な存在だったのか、ちょっと想像が及びません。

下を覗いてみます。がっしりとした台座の上に乗っていることが判ります。

副砲は2門展示してあります。その左側。正面を遠景から撮ったのはこちらの大砲です。左側から。大砲の向きを変える為の大きなハンドルが付いているのだと思っていたのですが、それらしきものは無し。
引き上げ等の際に外れてしまったとも考えられます。
が、考えてみれば、米海軍のボーフォース40ミリ4連装という大きな対空砲は油圧駆動でした。
この副砲も、そういった駆動系が付いていたかもしれませんし、正面の基部あたりにそうした物が付いているのでしょう。しかし、展示品ではそれらしいものは確認出来ませんでした。

先の大砲から、戦艦のへさきを挟んで反対側に展示してあるもう一門。こちらは角度をつけて展示してあります。
上部を背伸びして上側をやっと見たところ。さて防盾ですが、鉄板が薄いという印象です。
戦車の模型ばかり作っていた為か、戦艦も全身を装甲板で覆っているような錯覚をしていました。そういえば、至近弾で船体に被害が生じたり、魚雷で穴があくのも何となく納得です。
また船の中で被弾に対する保護区間を集中する設計が成されますが、大砲が一つで、これだけの大きさと重さですから、全身を装甲で覆えないという事情も想像されます。
飛行甲板を装甲板で覆った英空母は英断だったんですね。

比較のために人物を配置してみました。通りすがりの方にご協力頂いております。
兎に角、非日常的な大きさと形です。
大砲と予め知っているから、見てみてわかる、といった感じです。

クローズアップ
右側の四角い覗き窓です。
ガラスなどが入っていた様な形跡はありませんが、なにしろタール状のペンキで覆われているため、そうした細かな跡というのは全くわかりません。
ドイツ軍の戦車で、砲塔正面の照準器窓に雨除けのひさしを付けている例があります。
しかし雨に加えて波しぶきも被りそうな軍艦の副砲に、そうした樋の様なものが見あたらないのは、ちょっと不思議な気がします。資料館に、船内の不具合箇所修理に関する依頼と対応を記した記録が展示されており、「ひさしを付けてくれ」と申請したら付けてもらえたかも知れませんね。

左側
両方に丸い治具があります。

兵員側から
左右の覗き窓を兵員側から見てみます。
丸い表示板と思われる物、筒をはめたであろう治具が見えます。
筒をはめたと思われる治具は、装甲板の覗き窓に向かって付いています。
ここに光学機器が取りつけられていたとすれば、照準器の一つであったことが想像されます。
タール状の表面処理で表面が覆われており、大まかな形以外は、全て埋まっており、詳細はまったく見て取れません。
想像としましては、左右にある丸いものには矢印がついていて、時計のように左右で大砲の向きと角度を表示するのでは、と想像します。対空砲でも右と左に配置した人員が向きと角度をそれぞれ分担する例はありますので、ここでもそうでは、と想像します。
そして射撃情報を指揮所から入手、その角度表示を円盤状のもので確認、また光学機器を覗いて目標方向へ大砲が向いているかを確認するという流れです。               

下から覗く
小さなギア類が見えます。また多くのコードがぶら下がっています。このコードは大砲の上部へ繋がっているのですが、どこへ接続しているかは確認出来ませんでした。機器類はかなり複雑そうに見えますが、これもタール状のペンキに埋まり詳細はわかりません。右下に砲身が見えます。

スクリュー
大砲と並んで展示してあります巨大なスクリュー。
錆びもなく、今も光沢を保っています。

付近の風景
陸奥記念館から広島方面を見る。海は青く波も静かで、平和な風景です。

付近の風景
山の上から島の間を進むタンカーを見てみます。
きっと戦艦陸奥もこんな感じで見えたのかもしれませんね。

陸奥の夜間航海を描いた戦前の絵葉書。
いわゆる錦絵ですかね?
月夜の晩に、四方をサーチライトで警戒しながら進む、勇ましい姿です。
全体のシルエットが影になっていて、副砲や高角砲の位置がわかりません。また、船室の窓から明るく室内灯の光が漏れています。客船なみで、これでは潜水艦に撃ってくれといわんばかりです。
同じタッチで夜間の軍艦を描いたものでは戦艦比叡、巡洋艦などがありますが。これらも側面に設置された兵装が影になっていてわからないタッチでした。
軍事機密うんぬんで、こうした影のタッチにしたのかもしれませんね。
もしもそうだとすると、窓が明るいのは兵装を暗くする代わり、船の形を浮かび上がらせるために必要以上に明るく描かれているのかもしれません。こうしたものが絵葉書になるということは、陸奥は国民に広く知られた存在だったということでしょうか。

演習を描いた戦前の絵葉書
甲板から船内へ降りる階段の様です。蓋の配置、雨避けのテントを取り付けると思われる支柱などが見えます。

陸奥記念館 交通アクセス情報
おたまじゃくしのような形をした大島の端っこに位置します。
現地までは海水浴客向けの幅の広い道路が建設されていますが、一部はまだ工事中ですので、交通安全にはくれぐれもご注意を、特にバスは地元の貴重な交通手段ですので離合時は特に優先させましょう。
海水浴場・キャンプ場・水族館が隣接します。陸奥は、その沖約2キロの位置で沈没。
また、夏は海水浴客が集中します。特に、大島へ渡る大島大橋手前で渋滞する可能性があります。
秋口以降には人の行き来も少なくなりますので、時期を外すのが良いでしょう。
http://channel.goo.ne.jp/map/map.php?MAP=E132.26.24.6N33.56.52.5&ZM=9&SZ=0&MT=%BB%B3%B8%FD%B8%A9%B6%EA%B2%D1%B7%B4%C2%E7%C8%AB%C4%AE&sw=&OPT=e0000011&KN=0&COL=1&P=e21E132.26.24.6N33.56.52.5

尚、野外展示の大砲やスクリューが並ぶ左右には慰霊碑があります。
また陸奥記念館にも慰霊のモニュメントがありました(ちなみに館内は撮影禁止)。
いずれにも慰霊のお祈りと、今日の我々が平和であることの感謝をしてきました。
しかしながら写真のフィルムが見当たらないため慰霊碑の写真、そして記念館の全景が掲載できませんでした。
真に申し訳ありません。機会を持って撮影しなおしたいと思います。




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