フォッカー・スーパーユニバーサル旅客機



先日、ご紹介いたしました中島フォッカー・スーパーユニバーサル旅客機に加えまして、さらにスーパーユニバーサルに関連した画像を紹介いたします。
まずはフォッカーユニバーサルの機体の写真と内部の写真が昭和6年の科学画報に掲載されておりましたので紹介いたします。
機体は中島でライセンスした機体とは別で、またヨーロッパで運航されたものです。
またこの機体は胴体横の窓が日本で運用されたものより少ない様です。胴体の翼の真下付近に窓は見えず、翼の後ろあたりにしかなさそうです。こうしてみますと窓の配置は、いろいろとあったようです。
胴体の翼の下に、横向きに斜めの線が見えますでしょうか。これは、垂直尾翼、水平尾翼を操作する操縦索と思われます。

先ほどの機体の内部です。内装も凝った作りで、豪華な雰囲気の室内です。そして、胴体の太さからか、背の高い空間が確保されています。ベッドの向かって右側は背もたれに見えます。これは、ソファーを広げたベッドでは、と想像します。
キャプションから引用します。
『世界各都市を結ぶ航空路網は益々延びて地球上の交通距離は日に日に短縮されつつある。
そしてそれらに用いられる飛行機の安全率は殆ど100パーセントに近く、内部の設備も大洋上を走る旅客船を凌ぐ有様となった。右の写真はフォッカー飛行機の寝室で、上下二段式になって四人分あり、この外に食堂その他が設けられている。』
4名分のベッドに食堂、なかなか贅沢な空の旅が楽しめそうです。
それにしても、当時の飛行機が、内部で一泊するほど長時間を飛行できるとは思えません。
また、寝台を設けるより座席を設けるほうがより多くの乗客を乗せられると思うのですが、どうも定員は4名までの様です。

これは私の想像ですが、まず一人でも多く乗せるのではなく、まず居住性を優先、その分、旅客人数は減ってしまいますが、それでも採算の合う高い料金を取っていたのではないかと考えます。その為、一人でも多くではなく、4名程度で良しとしたのではないでしょうか。高いお金を払ってでも乗ってくれる人向け、つまりお金持ち向けに、人数は絞り、その代わり内装を凝ったのかもしれません。
また、ベッドが完備している点、これは機体の揺れ対策として乗客に楽な姿勢をさせていたのではないでしょうか。
今日あるようなジェット旅客機より、機体も小さくエンジンのパワーも小さい当時の飛行機は、風や気流でとても安定した飛行は出来なかったと思います。そこで、椅子よりもベッドであれば少しはましだったのではないでしょうか。

漫画から
戦前の漫画、のらくろから、陸軍病院を訪問する慰問団が到着した場面です。
旅客機にフォッカー・スーパーユニバーサルの形が見て取れます。主翼には斜めの支柱があり、実際のフォッカー・スーパーユニバーサルとは異なります(実際のユニバーサルが車輪以外の支柱をむき出しにはしていませんが、それだけ頑丈な翼が設計できていた、ともいえます)。
フォッカー・スーパーユニバーサルは、日本でも旅客機のおおよその形としてイメージ付けられていたのでは、と思います。
今日、大型旅客機、というと"ジャンボ"を思い出すのと同じく、当時は飛行機で皆が遠くへいく場合、おおよそフォッカー・スーパーユニバーサルが思い浮かんだのではないでしょうか。勿論、DC−2など、次々と優秀な飛行機が輸入されていましたが、最初に得た印象としても、やはりこのユニバーサルが強かったとも想像しています。


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