「ラマナ・マハリシの教え」

 

 

 

 

 

今ようやく、ラマナ・マハリシ、この最もインド人らしいインド人の魂が日本の魂にも知られる時が来たのだと思う。

彼が瞑座したアルナチャラの赤い山からは、今なお一筋の白い光がわれわれを射る・・・・「私は誰か?」

 

 

 

(山尾三省氏による「あとがき」他より)

 

 

 

 

 

  

 

 

 

ラマナ・マハリシ著  山尾三省訳

めるくまーる社 82年12月15日刊行 当時の定価1400円 現在絶版

原本 「The Spiritual Teaching of Ramana Maharshi」

 

 

 

 

本書は「秘められたインド」「南インドの瞑想」と並んで82年12月に刊行された、日本におけるラマナ紹介の先駆的書籍の一つである。

 

既に70年代には佐保田鶴治氏・橋本創造氏・山田孝男氏などがそれぞれ主宰するヨーガや瞑想実習グループの活動の場において、諸氏による英文書籍からの翻訳などをメインとして紹介されてきていたが、これらは各グループの機関誌という極めて限定的な範囲での営為であった。(アシュラム図書館には、当時寄贈されたこれらの文献の一部も保管されている)

そして80年代に入ってからの日本における「精神世界」への興味の高まり・ニューエイジ運動勃興の中で、一般読者を対象とした出版社による発刊書籍として初めて広く一般にラマナが紹介されることとなった。

 

それ故にこの書籍によってラマナの存在を知った人はかなり多く、当時10代後半~20代という多感な時期を送っていた「後に信奉者となった」人たちのほとんどが、この書籍の影響を受けている・・といっても過言ではないだろう。

 

 

 

「ラマナ・マハリシの教え」解題 (柳田文献より引用)

 

 

本書は米国シャンバラ社から出版された The Spiritual Teaching of Ramana Maharshi の邦訳であり、ラマナ・マハルシの散文による作品3編を含む。ラマナは少数の詩を除いて自発的に作品を書かなかったから、これらはいずれもデヴォーティの質問にたいする答えを彼らが整理したものであり、問答形式をとっている。

 

第1の「私は誰か」はマハルシの作品中もっとも基本的で重要なもので、彼の生涯の教えのすべてがこれにもとづいているとさえ言われている。早い時期のデヴォーティの一人であるシヴァプラカサム・ピライー彼は哲学士であり、当時南アルコット管区(タミル地方)の税務官であったーの問いへの答えとして、1902年頃に書かれた。これを整理してバガヴァーンの承認を得て、1923年に彼により出版された。後に、問いと答えを連結した解説形式に変更されたが、本訳書では原作の形式がとられている。

 

第2の「霊的な教え」は、もっとも早い時期のデヴォーティの一人であるシュリー・ナタナーナンダがある日、バガヴァーンと何人かのデヴォーティとのあいだの会話を書き留めていた。後に彼のノートを整理し敷衍したものをバガヴァーンに見せたところ、彼はそれを評価した。これが1934年に「ウパデーシャ・マンジャリー」という名で出版された。ウパデーシャ(教え)、アビャーサ(実践)、アヌバヴァ(経験)、アルダ(達成)という4つの章から成り立っている。

 

以上2編はラマナのオリジナルな作品であり、「ラマナ・マハルシの言葉」に新しい訳文がある。(サイト管理人注記:「私は誰か」については、その後出版された「あるがままに」にも福間訳が掲載されている。)

 

 

第3の「マハリシの福音」はヴェーダーンタの博識な学者であり、ラーマクリシュナミッションの著名なメンバーであったスワミ・シッデーシュワラナンダ 彼は熱烈なバガヴァーンのデヴォーティでありしばしばアシュラムを訪れていたーが、デヴォーティたちとバガヴァーンとの質疑応答をまとめ、1939年12月27日のバガヴァーン生誕60周年を記念して出版したもの。

 

仕事と放棄、沈黙と孤独、心の抑制、バクティ(帰依)とジュニャーナ(知識)、自己と個我、自己実現、グルとその恵み、ジュニャー二(知識者)と世界、ハートは自己である、アーハーン(私)とアハン・ヴリッティ(私であること)の13の章から成る。シュリー・ラマナアシュラム発行の原書では「ハートは自己(真我)」のあとに「ハートの場所」という別の章を立て14章となっているが、本訳書ではこの章を「ハートは自己」の中に含めている。

 

 

 

 

ユング序文について

 

 

この書籍の巻頭には序として、深層心理学の大家C・G・ユングによる「シュリ・ラマナと現代人へのメッセージ」という文章が紹介されている。

 

概要を抜粋引用すると、

 

 

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序 シュリ・ラマナと現代人へのメッセージ C・G・ユング

 

シュリ・ラマナはインドの大地の真の息子である。彼は誠実でありながら、どこかまったく常ならぬものを持っている。インドにあって彼は、白い空間の内なる最も白い一点である。

 

我々がシュリ・ラマナの生涯と教えの内に発見するものは、最も純粋なインドである。インドの解き放たれた世界および人間解放の呼吸は、ひとつの千年至福の聖歌である。そのメロディは、ただ一つの大いなるモチーフに添って奏でられており、千もの彩りの反射を伴って、インド精神の内につねにそれ自らを若返らせできたのだが、その最後の化身が、シュリ・ラマナ・マハリシその人である。

 

自己と神を同一視する事は、ヨーロッパ人にとっては、ひとつのショックとして響くであろう。このことは、シュリ・ラマナの言葉の内に示されているように、特別にオリエンタルな「自己実現」であると言える。心理学は、このような自己実現の問題を提示する分野からは遙か隔たっているという見解の他には、何ひとつこの問題に貢献することはできない。しかしながらインド人にとっては、精神の源としての自己は、神と異なるものではないということは明瞭であり、人が彼の自己の内に在るかぎりは、彼は単に神の内に含まれて在るだけでなく、神御自身でもあるということが明瞭である。シュリ・ラマナは完全にこの見地にある。

 

(略)

 

「私」と自己の間の変化してやまない関係は、東洋の内省的意識が、西洋人によってはほとんど到達しがたいほどに探求しつづけてきた経験のフィールドである。東洋哲学は、われわれの哲学とは大変異なっており、われわれに高度に価値のある贈り物をしてくれる。われわれは「それを所有すべく、手に入れねばならない。」シュリ・ラマナの言葉は、インド精神が、過去何千年にもわたって内面の自己を黙想することによって集積してきた原理的な事柄を、もう一度簡単にまとめなおす。マハリシの個人的な生涯と仕事は、解脱に関してその原初の源を見いだそうとしてきたインド人たちの内面の努力をもう一度例証してみせてくれる。

 

(略)

 

シュリ・ラマナの生涯と教えは、インド人にとって大切なものであると同時に、西洋人にとっても大切なものである。これは、人間の最大の関心事についての記録であるばかりでなく、無意識の混沌と自己制御の欠如の中で自分自身を喪失する恐れのある人間性にとって、ひとつの警告のメッセージである。

 

(ジンメル著『自己への道ーバガヴァン・シュリ・ラマナ・マハリシの生涯と教えー』の序文より引用)

 

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というわけでこれは翻訳された本体の原書とは別の書籍からの引用であるのだが、この文章が冒頭に序として掲載されるという構成がなかなか巧みな演出でもある。

 

精神分析・臨床心理の地平に画期的な展開をもたらした深層心理学の巨星であり、広範なニューエイジ思想・運動の展開にあっても抜群の知名度を持つ、かのC・G・ユングがラマナを紹介している文章である・・・ということが、日本ではあまり知られていなかったラマナの存在を広めるには「大いにポジティブな役割を果たしていた」と言い得るのではないだろうか?

 

これが後年尾鰭がついて一部出版物には、「ユングがラマナに会った・・」という記述まで登場したがこれは全くの誤謬である。

 

またユングのラマナへの評価は、あくまで彼の深層心理学的見地からの見解であり(「老賢人」のアーキタイプの典型として、ラマナほど相応しい存在もあるまい)、例えばマハトマ・ガンディーがラマナに寄せていた半ばディヴォーショナルな「敬慕の情」とは全く別物である。

 

故・柳田先生はその点について以下のように言及されている。(柳田文献より引用)

 

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なお巻頭の序、C.G.ユングの「シュリ・ラマナと現代人へのメッセージ」は、ツィンマーの遺作に付せられたユングの序文の一部分であり、ユングのラマナ・マハルシにたいする評価を正しく伝えるものではない。

 

出典

 

「東洋的瞑想の心理学」より『インドの聖者』P251~269

C・G・ユング著 湯浅泰雄・黒木幹夫訳 創元社 1983年11月20日初版

 

 

ラマナ・マハルシへの熱烈な関心を抱きながら訪問の機を逸し、亡命先のニューヨークで死去した亡き友ハインリッヒ・ツィンマーを追悼して出版したツィンマーの遺作「本来の自己への道ーインドの聖者ティルヴァンナマライのシュリ・ラマナ・マハリシの教えと生涯」に付されたユングの序文。

 

ユングはツィンマーが東洋の魂に対するはかり知れない深い洞察と学識と直感によって私を啓発してくれたこと、シュリ・ラマナの言葉はインド精神が長い間蓄えた最高のものを今ふたたびよみがえらせ、西洋がすでに忘れてしまっている魂の要求に注意を向け、警告を発していることを評価しながらも、この聖者に対してきわめて冷めた見方をしている。

 

すなわち、彼はインド各地を訪問する機会に恵まれながらシュリー・ラマナを訪問しなかったし、もう一度チャンスがあっても訪問するつもりはないことを述べている。それは「実のところ、私は、彼の独自性には疑いをもっている。彼は、過去に常に存在し、また将来も存在するであろうところの、一つの類型なのである。したがって私は、彼を探し求める必要などなかった」からである。

 

この点について湯浅氏は序説「ユングにとっての東洋」の中で、彼は「聖者や宗教家といわれるような人たちに会うのをさけている。自伝によると、彼がそうしたのは『私自身が到達できるものの外は何も受け入れたくなかったから』であり、聖者から教えを受けて彼らの真理を自分のものとして受け入れるのは、盗用だと思ったからである」と述べ、「もともと彼は、インドの文化に高い評価を与えながらも、それは自分とは異質の世界だとつよく感じていたようである」としている。

 

ユングがマハルシを訪問したという事実はなかったのである。

 

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どうも柳田先生は「ユングを引き合いに出してラマナを語る」というスタンスにあまり好感を持たれていなかった・・・ように感じられるのだが、

 

それは厳密な意味での「真我の探求・実現」と「深層心理分析(による自己実現)」という本来全く性質の違う営為が、どちらも「私は誰か?」という究極のアプローチのキーワードが表層的には共通しているために(この「私」という言葉が指している概念内容が全く異なるのだが)、精神世界・ニューエイジ思想の展開の様相の中で、「幾分はごっちゃになってしまっている」ような理解のされ方を危惧されていたからではないだろうか?

 

ユングは先に紹介した序文の中で、

 

「このことは、シュリ・ラマナの言葉の内に示されているように、特別にオリエンタルな「自己実現」であると言える。心理学は、このような自己実現の問題を提示する分野からは遙か隔たっているという見解の他には、何ひとつこの問題に貢献することはできない。」

 

と表明しているし、ラマナのお言葉には「エゴの放棄・明け渡し」についての有名な、

 

「台所のごみを捨てるとき、その中身をいちいち調べる必要はない」

 

という譬えがある。

 

これらを考え合わせてみれば、「ラマナ=アルナーチャラ」に関する諸般日本語情報が往時とは比較にならないほどもたらされるようになった現代においては、「ユングを引き合いに出してラマナを語る」というスタンスはもはやさほどの意義は持ち合わせていないのではないだろうか?

 

 

 

翻訳者山尾三省氏の「あとがき」の功罪?

 

 

山尾氏の翻訳文はもちろんのこととして、さらには「あとがき」の秀逸さが(ラマナの生涯の紹介などにおける若干の事実誤認を含むとしても)大変印象的である。

 

ただしこの後書きにおいて、山尾氏はラマナをラーマクリシュナと対比させる形で「ジュニャーナを体現した聖者」として強調して紹介している点が、その後の「日本におけるラマナ受容史」の展開において「バクタであるラマナ」という重要な側面への理解がかなり後退してしまう・・・という弊害を生む原因ともなってしまったことは否めない。

もっともそれは山尾氏自身が言明しているように、この書籍が刊行された時点では山尾氏は現地を訪問したことが無く、限られた文献情報からの先駆的翻訳作業では致し方ないことではあるのだが。

 

 

しかしながらこの後書きによって誘発される「ラマナ・マハリシ」という聖者への魅力はかなりのインパクトがあり、

 

加えてカバー表紙の高邁なシンプルさ・紹介されている写真から発せられている比類無き波動・有名な「針一本落としてもその音が響く静寂さに満ちたホール」という描写紹介・当時にあっては数少ない滞在経験者である長沢氏の詩・・・といったエレメントとの相乗効果により、

 

「沈黙の聖者」というイメージ喚起・形成をリードした役割は大きいだけでなく、これらによる構成が書籍全体にある種の品格・風格の高貴さを醸し出している。

 

現在絶版となっているが、一部の文章は夫人の承諾を得て「静寂の瞬間」に再収録されている。

「南インドの瞑想」の場合は出版社自体が倒産したこともあってその後復刊されずに来たが、この「ラマナ・マハリシの教え」の方は、2000年代に入ってから一度だけ復刊されたこともある・・・ので将来の「再復刊」も期待したいところであり、めるくまーる社の英断を望む次第である。

 

 

 

長沢氏の詩の紹介

 

 

この書籍では「アルナーチャラ」そのもの、及びラマナアシュラムについての記述はごく一般的な簡単な紹介しか出てこないのだが、訳者後書きの中で、

 

「十数年前、ティルヴァンナマライのアルナチャラのアシュラムに滞在したことがあり、現在は鹿児島のトカラ列島の諏訪之瀬島で漁師をしている長沢哲夫が、私が本書を訳出していることを知って次のような題名のない詩を送ってくれた。」

・・というキャプションを添えて、長沢氏による詩が紹介されている。

 

82年の時点で『十数年前』という時期のアルナーチャラを訪れた稀少な体験から表現されたその詩は、何か「深いところに強く訴えて迫る」もの・・が確かに感じられる。

 

 

山尾氏は「この詩を読みつつ、私は胸にあふれるものを感じる。」と述べているのだが、

 

私事にて恐縮ながら、サイト管理人にとっても「アルナーチャラに行ってみよう!」と決断したのも、この詩がもたらす「胸にあふれる」ビジョンに突き動かされた・・からに他ならない。

 

 

ということで最後にこの長沢氏による詩を紹介して、この書籍の解題・紹介の結びとしたい。

 

 

 

 

アルナチャラ

ラーマナアシュラムの瞑想室

ラーマナの前に坐る

一つの言葉がくり返される

”私とは・・・・?”

アシュラムの食堂

南インド風の豊かな食事

バターミルクをすすりながら

一つの言葉がくり返される

”私とは・・・・?”

 

アルナチャラをまわる田舎みち

アルナチャラをながめ

アルナチャラと口ずさみ

アルナチャラを想い

アルナチャラに礼し歩きながら

一つの言葉がくり返される

”私とは・・・・?”

 

雲一つない青空が

はてしなく広がる平らな大地と接するところに

陽がかたむきはじめ

みるみるうちに赤くそまっていくのを

アルナチャラの小さな岩に腰をおろし

ながめる

アルナチャラ 火の丘

アシュラムにもどり

ラーマナの姿の前に坐る

”私とは・・・・?”

 

ラーマナが暮らし 息をひきとった小さな小屋

まわりの静けさよりも静かにたたずむ

ラーマナの笑みの輝き

 

アルナチャラ

目に見えないさまざまな光がたむろしている

アルナチャラ 限りなくまばゆい光

人がうまれ そこに死んでいく

世界がうまれ そこに消えていく

アルナチャラ 光り

心のむくそこに消えることなく輝き続ける

”私とは・・・・?”

とさぐる心のおくそこに

アルナチャラ

アルナチャラ

アルナチャラ ラーマナ

 

 

 

 

 

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