そのV   「ドラえもん海底列車」レビュー





 平成12(2000)年の記事で紹介したとおり、青函トンネルでは昭和63(1988)年の開業以降、旅客利用者が年々減少傾向をたどっている状況を打開するため、さまざまな企画を打ち出していた。平成10(1998)年から始めた「ドラえもん海底ワールド」もその一環である。

 筆者は当時吉岡海底駅を訪問しているが、この時「ドラえもん海底ワールド」をも訪問しているはずである。“はず”と曖昧な書きぶりになるのは、訪問した記憶は確かにあるものの、いつの記憶だったかがぼやけているからだ。筆者が青函トンネルを通過した経験と、「ドラえもん海底ワールド」営業期間とを照合し、ようやく確信を持つに至ったほど、記憶の線は細かった。要するに、当時の印象があまりにも薄かったのだ。ちなみに、写真は一葉も撮っていない。


ドラえもん塗装ED79が牽引する快速「海峡」(函館にて平成12(2000)年撮影)

 さらにいえば、魅力に欠けるちゃちな企画、というのが偽らざる率直な感想であった。青函トンネル作業坑の大空間を活用しているとはいえ、多くの客を呼びこむには手狭で、制約条件が多すぎた。U-3からわかるとおり全ての展示に動きが乏しく、面白味がまるでなかった。人形の造作はTDLの質感を大幅に下回る。こども騙しといっても決して酷評ではないとさえ感じた。

 なによりも厳しかったのは、相客が少なすぎたという状況である。一緒に回った客の数は、吉岡海底見学をあわせわずか 100名程度。「ドラえもん海底ワールド」はあまりにも閑散としており、流行っていないことが一目瞭然であった。

 観光地の魅力とは、ニワトリタマゴの表現になるが、来客の多さに依存する部分が実は大きい。多くの客が魅力を見出したという安心感、そして客数の多さが醸し出す賑わい。そのような要素が観光地の魅力の大きな部分を占めていると、筆者は見る。

ドラえもん海底列車
「ドラえもん海底列車」(五稜郭)

 転機となったのは平成14(2002)年12月の東北新幹線盛岡−八戸間開業である。この時津軽海峡線の輸送体系には大刷新が加えられた。老朽鈍足の51系客車快速「海峡」は全廃され、JR北海道では最新鋭 789系電車を投入、「スーパー白鳥」として運行を開始した。これに伴い、「ドラえもん海底ワールド」へのアクセスも「海峡」に間借りし続けるわけにはいかなくなった。高速化を目指したダイヤにマッチするよう、当時余剰となっていた 781系電車が平成15(2003)年までに改装され、専用の「ドラえもん海底列車」としての運行が始められたのである。

ドラえもん海底列車
「ドラえもん海底列車」(五稜郭)

 「ドラえもん海底列車」が成功といえるかどうか、評価は微妙な線上にある。「海峡」から独立して、強烈な個性と独自性を備える専用編成での運行となったことで、集客力が高まった可能性を指摘できるものの、確証は持てない。予定臨として「82号」→「81号」のダイヤが用意されたことが、潜在的な集客力を示す傍証にはなるが……。

 営業面でいえば、「ドラえもん海底列車」の採算ラインは遠いと思われる。というのは、たとえ満員の乗客があっても、スタッフ数が多いからだ。「ドラえもん海底列車」の正価は大人 3,000円、小人 1,500円にすぎない。一日二往復運行満員乗車でも収入は 100万円を超える程度にとどまるはずだ。これに対し、運転士に車掌、主にこどもの介助・案内・監督に要するスタッフ、ステージ上の司会及び着ぐるみ役者、物販要員など、目の子30名ほどはいたと見受ける。人件費や付帯費用を考えれば、赤字にならなくとも大きな黒字は得にくい。ツアー向けに割り引いているならば尚更だろう。

ドラえもん海底列車
「ドラえもん海底列車」(久根別)

 「ドラえもん海底列車」のもう一つの転機は、平成17(2005)年の北海道新幹線着工である。北海道新幹線は、青函トンネル前後で在来線と線路を共有し、三線軌化工事などを行う計画となっている。青函トンネル内での作業空間を確保するため、「ドラえもん海底ワールド」の存続は難しい、という噂は新幹線着工当時から既にあった。

 はたして、平成18(2006)年 3月JR北海道ダイヤ改正の概要がアナウンスされた時、「ドラえもん海底ワールド」はこの夏限り、と正式に発表された。ここで人気に爆発的な火が点いた。なくなるものを惜しむ心は老若を問わないようで、「ドラえもん海底列車」は瞬時にしてプラチナ・チケットと化した。実は筆者は、 5月連休の際にもチケット確保を試みていたのだが、当時はまったく歯が立たなかったのだ。

ドラえもん海底列車
「ドラえもん海底列車」(久根別)

 採算が合わないからやめるというのであれば、ここまで人気は沸騰しなかったであろう。新幹線工事によりやめざるをえないという一種の悲劇性が、「ドラえもん海底ワールド」の人気を普遍的な線まで押し上げた。先にも記したとおり、観光地の魅力は客数で決まる部分が大きい。「ドラえもん海底ワールド」にこどもたちが多数押しかけることで、空間制約の厳しさ、人形造作の安っぽさなど、あらゆる要素が浄化されたのは大きかった。

 筆者は今回「ドラえもん海底ワールド」を訪れて、前回ほど悪い印象は持たなかった。まずは、多数の参加者に囲まれた安心感が効いた。さらに 6年の月日が経ったことに加え、こどもの目線がわかったことが、筆者の価値観に微妙な変化をもたらした。こどもたちは「ドラえもん海底ワールド」に魅力を感じて集まってくるのではない。ドラえもんたちに会い、自ら楽しむためにやってくるのだ。

 ジャンケン大会にしても、他愛ないイベントといえばそれまでだが、こどもたちの乗りは良かった。写真はないが、ドラミちゃんの家でボールプールに興じたり、のび太の部屋に座りこんでコミック単行本に読みふけるこどもたちも少なくなかった。せっかく海底に行ったのに何故、というのはおとなの感覚に違いない。こどもたちは多分、ドラえもんの着ぐるみがヴァーチャルにすぎないことを知りつくしたうえで、参加しているのであろう。それでも楽しむ、楽しめる精神構造は、おとなだって持っているではないか。

ドラえもん海底列車
「ドラえもん海底列車」(上磯−清川口間)

 惜しまれるのは、ここまでの盛り上がりを見せた素材を全国展開できなかったことだ。筆者がチケット確保に難儀したように、本州からの参加は物理的に困難である。そもそも、わずか一時間強の海底ワールド体験のために、大枚はたいて函館まで飛ぶ感覚の持ち主がどれほどいるか(※)、という問題もある。結果として、北海道(それも道南)ローカルの企画にとどまった(*)ことは、物語「ドラえもん」にとってもJR北海道にとっても苦しいところだろう。

※筆者親子は、「ドラえもん海底列車」乗車当日午後は函館市内を観光し、その夜は温泉にのんびりつかり、翌日を大沼観光に充てることで、この問題を回避した。

*「ドラえもん海底列車」車内では、中国・韓国からの観光客が散見された。今日の道南観光入込はこれらの国からの観光客が支えている。「ドラえもん海底ワールド」の説明書には略体漢字やハングルが使われていた。おそらくツアーのオプショナルに組みこまれたものと思われ、その意味では全国展開をいきなり超え、アジア展開されているといえる。

ドラえもん海底列車
「ドラえもん海底列車」(木古内西方)

 最後の盛況を受けて、「ドラえもん海底ワールド」を別の場所で展開できないものか、という意見もあるようだ。しかし、「ドラえもん」登場人物の肖像使用は、青函トンネル海底という極めつけの“異次元”ゆえに許諾された、といわれている。例えば札幌近郊に「ワールド」を持ってきたところで、それは到底“異次元空間”とは認められないだろう。

 確かに惜しい素材ではあるものの、惜しまれるうちにやめるのが華、というのも一面の真理といえる。かくして「ドラえもん海底ワールド」そして「ドラえもん海底列車」は、平成18(2006)年 8月27日に幕を閉じることになる。





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