古屋佐久左衛門の手紙   現在4通

超簡易現代語訳版古屋佐久左衛門ver.。
古屋佐久左衛門さんは衝鋒隊総督。元京都見廻組今井信郎さんなどが配下にいました。
箱館病院の高松凌雲院長の実のお兄さんでもあります。

【参考文献】
『箱館戦争史料集』 『箱館戦争銘々伝』上


明治元年11月9日 梶原雄之助・酒井兼三郎へ

お手紙差し上げます。
さて、海軍は回天丸と蟠竜丸が出動し、陸軍は彰義隊を先鋒として松前城に進んだところ、
敵兵は防戦していましたが、先日の5日にとうとう落城しました。
松前城内も松前市中もほとんど敵(松前藩兵)が焼き払い、(松前藩兵は)江差方面に逃げ去ったそうです。
松平太郎と大鳥圭介から聞いたところによると、
逃げ遅れた兵士などが警備場所近辺にウロウロしているかも知れないので、
番兵の配備などにはもっと気を付けるように(との事でした)。
このことをお知らせします。では。

 11月9日   古屋作左衛門より      梶原雄之助  酒井兼三郎へ

また、この手紙の内容を彰義隊の武田司などにきちんと伝えるように。では。

※梶原雄之助さんも酒井兼三郎さんも衝鋒隊の隊士です。
この頃、衝鋒隊の主な警備地は鷲の木方面、森町方面だったようです。
というか、この頃は鷲の木が榎本軍の本陣でした。
11月7日付の松平太郎さんの手紙から続けて読むとちょっとホホウと思います。笑


明治元年11月14日 天野新太郎へ

速達でお手紙差し上げます。
だんだん寒くなってきましたが、皆さんお元気ですか。

さて去年(こないだ?)の12月8日(11月8日?)、敵からの手紙とそれに添えられた文書が夕方に届き、
江差方面に出陣すること、確かに承知しました。

こちらは異状ありません。
とりあえずオタスツから2里半、スツニと言うところに12人ほど警備を備えました。
こちらは松前・江差海道とその他にクロマツ森を通る道と2つの道があって、
なんと言ってもオタツミは本陣なのでイワナキを警備する人数が足りません。
万一のことがあった時は都合が悪いと思います。
ハミノキから山越内に出動することになれば、そちらの警備も人数が多くなるので、
こちらへ半隊ほど遣わせるようにしてください。
もう隊長達にはこのことを文書で伝えて、答えを待っている状態ですので、返事をお願いします。

撒兵隊(洋式歩兵)の鉄蔵、藤右衛門、幸次郎の件、その他4番小隊嚮導役の福田要三、(欠)寅蔵の件、
先日こちらで3人に話した通り、榎本泉州(武揚)さんと大鳥(圭介)君に話しておいてください。
松平(太郎)さんは松前に出張中と聞きました。
今井(信郎)さんにも会って、理解を得てください。
今井さんにいろいろ頼み込んで、砂原のことは今井さんに全て話して置いたので、
今井さんから他の人々に伝わるでしょうから、このことを承知しておいてください。
もっともこのことも3人が昨日の朝、森村を出発する時に私が行って話して置きましたので、
3人は知っていますし、永井太郎の件も先日、知っての通り大鳥(圭介)さんから手紙もきたので、
審査の結果を話しておいてください。
他のことは今井さんに言葉を託して置きましたので、今井さんから聞いて、全て相談した上で、
元井(和一郎)に用事を言いつけ次第、話してください。このことを伝えました。では。

 11月14日

費用が足りないので、長鯨丸の船将・浅羽甲次郎から先月の10月1日に金25両を借りて、
そちらに榎本対州(榎本対馬:会計奉行)が費用を渡すときには、天野新太郎が受け取ると、
対州(榎本対馬)に手紙を書いて置きました。その後半月経って受け取ったと返事がありました。
まあ詳しくは今井さんに文書を送っておいたので、調べた上でまた計算してください。
この返事をお待ちしています。では。

 11月14日   古屋より      天野君へ

また、110両のうち今井さんに5両貸しておきました。
各方面に出動している兵もいますので、臨時の時には(今井さんから)5両ほど受け取ってください。
今井さんに伝えておきました。

※天野新太郎さんも衝鋒隊。何気に今井さんにすごい頼ってるんですね、古屋総督。
太郎さんも出張とかするんだ…。大鳥さんからの手紙ももらってるようですが、まだ発見されてないのかな?見たい〜。
ちょっとそれ以外の衝鋒隊の内部事情に関しては全然わかりません;;わかる人いたら教えてください;;お金のこともさっぱり。
あ、ちなみに元井和一郎さんは元新選組の人です。てか、なぜ浅羽さん個人から大金を借りているのかは謎。海軍費?


明治2年2月11日 梶原雄之助へ

お手紙差し上げます。
一昨日の9日、五稜郭から出発したところ、途中で風邪をひいてしまい、
どうにも(森村へ)帰ることがむずかしくなってしまいました。
しかし、2,3日中には帰りますので、森村山嘉(地名?)を本陣とします。
この件、ご承知おきください。

また先日送った荷物は、(私が)帰るまでそのまま置いておいてください。
帰ってから、いろいろな荷物の分配をします。
このような次第です。以上。

 2月11日   古屋作左衛門より      梶原雄之助様へ

なお、天野新太郎へもよろしくお伝えください。以上。

※古屋さんの名前って、「佐久」じゃなく「作」が正しいのかな…。
古屋さんの養父が久左衛門さんなので、その名を譲ってもらって佐久左衛門だと勝手に思ってたけど。
風邪ひいちゃったとか可愛いな。(そこか


明治2年2月24日 秋田屋番頭平吉・八郎太一へ

証書

1.金275両

以上は、軍用金として確かに借り受けました。

もし返済が遅れた場合には、預からせていただいた玄米150俵、
5月・8月二回の納入の際にそちらへ等価分、計算してお渡ししますので、
そのつもりでよろしくお願いします。

 巳2月24日   天野新太郎 ○

 平吉殿
 八郎太一殿


この文書は借用証書であることを認めます。

古 佐久左衛門 (印)

※秋田屋さんは鷲ノ木(森村?)にある商家。悪徳商法の臭いがする…笑。
納入、てのが相手側からこっちにか、こっちからあっちにか詳しいやりとりがよくわかりませんが、
借りた金をもらった米で返すってどうよ。たぶんそんな感じの取引です。(たぶんて)
前の手紙で書いてあるようにとことん財政難なので仕方ないっちゃ仕方ないんですが、、、涙。


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