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 江戸後期の絵画1 琴と画 浦上玉堂

琴詩書画
江戸文化人の中国文人への憧れ
玉堂はその憧れを、江戸後半の文化の爛熟の中で、中国文人文化の粋である琴の音楽と詩と書と画を一人の人格が嗜み総合する(琴詩書画一体)のものとして体現しようとする

浦上玉堂 1745-1820
浦上春琴画 玉堂七十歳寿像 [生涯]
姓は紀,諱(いみな)は弼,字は君輔、号は玉堂
1745年延享二 岡山池田藩の支藩鴨方藩士、浦上兵右衛門宗純の末子として生
浦上氏は玉堂の父宗純の伯母常が、鴨方藩の藩祖池田政言(まさつぐ)の側室となって2代藩主政倚(まさより)を生んだことから代々鴨方藩に仕える
7歳 父の死により家督を継ぐ、母子のみ〈玉堂琴士,幼にして孤〉 三番町に屋敷
9歳『小学』を読む
10歳藩学へ入学
16歳藩学大生、1歳年上の4代藩主政香の御側詰、「水魚の交わり」といわれる
1768年明和五24歳 政香没
 政香の言行を記録した『止仁録』と序を書き、政香の政治の理想を継承
たびたび江戸在勤、岡山と江戸を往来 玉田黙翁(たまだもくおう)から儒学を、多紀藍渓(たきえらんけい)1731-1801から琴を、谷文晁などと結社して画を学ぶ
1779年35歳、明の顧元昭作の古琴「霊和」を得る
 朱文刻印「玉堂清韻」から「玉堂」を号に、以降飛躍的に琴境を深める
1781年37歳 大目付となる
1787年43歳 大目付役罷免、大取次御小姓支配役となる
『玉堂琴譜』より梅枝冒頭 1791年寛政三47歳 『玉堂琴譜』再刊 皆川淇園序文
       →玉堂琴曲の例:催馬楽梅枝 演奏時間:2分55秒
1792年寛政四48歳 妻、安亡くなる
1793年寛政五49歳 致仕、琴詩書画にふけり官職をいっさい退く
「性質隠逸を好み、常に書画を翫び、琴を弾じ詩を賦し、雅客を迎へ世俗のましらひを謝し、只好事にのみ耽りけれは勤仕も心にまかせすなりゆき」『池田家履歴略記』斎藤一興編
脱藩以降漂泊期:
1794年寛政六50歳 春琴、秋琴の2人の息子を連れ出奔、
 丹後の城崎温泉(温泉寺に逗留記録)から脱藩届け、4月21日藩に届く『履歴略記』
 4月3,6日玉堂が2子をつれて大坂木村堂を訪問『蒹葭堂日記』
 漢詩集『玉堂琴士集』讃岐高松で刊
1795年寛政七51歳 秋琴と共に会津に赴き雅楽復興、秋琴は会津にとどまる
1796年寛政八52歳 春、春琴と共に諏訪を経由し江戸へ、
         京都を経由し大阪蒹葭堂へ、谷文晁と再会
1797年寛政九53歳 秋琴、舞楽修業のため京都へ、父子再会 「自識玉堂壁」を書く
1798年寛政十54歳 2月蒹葭堂を訪ねる この前後京都嵯峨野に定住か
1803年亨和三59歳 『玉堂雑記』(門人長瀬真幸校)この頃上梓か
1804年文化元60歳 「飲茶記」を書く
         名古屋で平岩元珍、大阪で森川竹窓宅に逗留
         10月3日北野播宇亭雅会 市河米庵、小栗十州など出席
1805年文化二61歳 九州へ、5月長崎聖福寺で太田南畆と会う
         熊本で細川家儒官辛島塩井、高木紫溟と会う
1806年文化三62歳 九州から京都への帰途、頼春水、菅茶山を訪ねる
         池大雅旧蔵の李珩(りこう 楚白)《腕底煙霞帖》を購う
1807年文化四63歳 田能村竹田と大阪持明院で40日間同宿
1808年文化五64歳 奥羽へ、
         水戸で立原翠軒、杏所父子、飛騨高山で田中大秀、
         金沢で寺島応養と会い、会津に秋琴を訪ねる
1810年文化七66歳 伊丹で《煙霞帖》を描くか(翌年竹田跋)
晩年京都定住期:
1811年文化八67歳 京都へ戻る 春琴、藤木氏瀧と結婚
         この頃柳馬場御池上ルに仮寓 以降画が多作に
1812年文化九68歳 春琴、頼山陽と交流
1813年文化十69歳 春琴夫婦と柳馬場二条北に同居『平安人物誌』文化十年版に春琴と共に掲載
1814年文化十一70歳 春琴画 玉堂七十歳寿像 林原美術館
浦上玉堂・春琴父子の墓
京都本能寺 1815年文化十二71歳 春但馬の鳳 来訪、姉小路旧蔵の琴を贈る
1816年文化十三72歳 堺に上条柳廬を訪問
1818年文政元74歳 大倉笠山らと詩仙堂に遊ぶ
1820年文政三76歳 9月4日京都に卒、本能寺に葬られる

[作品]
玉堂独特な思想から琴詩書画の世界が絡まり全体を作る
琴:1791年47歳『玉堂琴譜』前集(下記参考書欄参照)、後集は手写のみ
 平安催馬楽の琴による復古
 催馬楽とは「所謂詩の国風にして其声ハ元三代の古国より伝はり来れる楽曲。房中の遺声なるべし」『玉堂雑記』
 政(まつりごと)において国を和す理想の楽が、日本の催馬楽にあると考えた
詩:1794年50歳『玉堂琴士集』前集・後集(1797以降)
書:独特の隷書、奔放な行草
1781年行草「草亭」 落款:天明紀元三月書于華府
1797年行草「東壁圖書」 落款:丁巳之春日書于風月亭中玉堂 出光美術館
1808年行草「花月」
1808年行草「乾泉」 武家屋敷寺島蔵人邸跡
1808年隷書「黄松琴處」 武家屋敷寺島蔵人邸跡
1815年隷書「曉園」 春塘老處士のため
1818年◎隷書五言絶句 74歳款記 愛知県美術館
隷書「音之発」 岡山県立博物館 音が発せられるような波磔のリズム
画:憂愁をおび縹渺とした渇筆擦皴の様式、中国文人画の本質を理解
 酔作(胸中の逸気の表現、職人的な技巧の否定による拙さ)
 筆墨の律動と重なりの美(米法山水を日本の翠緑青紅の自然に改変)
 空間の構築性と解体(玉堂の場合は心象風景に自然の実質感)
田能村竹田1777-1835 『山中人饒舌』の本質的な同時代評:
A 古人書画有借飮興而作者。紀玉堂亦然。盖醉中有天趣而異於人爲也。酣飮始適、落墨娓々不休、稍醒則輟。一幅或經十餘醉甫成。至其合作使人神往、掬之不竭。但極醉時、放筆頽然、屋宇樹石、模糊不可辨別也。
秋色半分図 B a)余評畫有三可
 1.樹身小而四面多枝、一可也。
 2.點景人物極小、望之猶知文人逸士、二可也。
 3.烘染皴擦、深透紙背、三可也。
 b)又有三稱人稱屋、屋稱樹、樹稱山
或曰、苟作畫悉当然也。何難而已哉。答曰、然而今史不爲如何也。
C 李日華曰、繪事必以微茫惨澹爲妙境(『紫桃軒又綴』)。昔人苦其不如此。至或再滌去而後揮染、或以細石磨絹、要令墨色着入絹縷(『春渚紀聞』)。其用心可知也。紀玉堂稍解此旨、故吾有取斯人。
習作期:
1786年42歳晴溪釣艇図 款:丙午重陽醉作 中山高陽に学ぶ(杉本説)
1787年43歳南山寿巻 紙墨淡 岡山の豪商河本一阿七十の寿のため
1792年48歳◎山中結廬図 絹墨淡 寛政四年自賛 反町英作→東京国立博物館
漂泊期:
1794年50歳盆石図 紙墨淡 五言律詩題詩 出光美術館
1796年52歳頃山水画帖 紙墨淡 6図、秋琴12歳1図
 (この間10年ほど記年作が見つかっていない)
1805年61歳頃?江山覓句図 太田南畆に贈る(一説に1798年)
1806年62歳頃?秋江独釣図 「黄葉夕陽邨舎」(菅茶山私塾)詩箋に描く
1808年64歳7月頃?飛騨田中大秀訪問時の作(佐々木説)
 風雨釣艇図 題:浅水橋之歌
 曳杖野橋図 飛騨・蒲家蔵
 雨後観山図 飛騨・熊野家蔵
1808年64歳8月頃?金沢寺島家訪問時の作
 溪声書声図 紙墨 武家屋敷寺島蔵人邸
 艇子載春図 絹墨淡 武家屋敷寺島蔵人邸跡
 緑染林皐図 紙墨淡 武家屋敷寺島蔵人邸跡
 山中読書図 紙墨 武家屋敷寺島蔵人邸跡
1811年67歳以前◎煙霞帖 紙墨淡 12図 浦上春琴、田能村竹田跋 梅沢記念館
  青山紅林図 黄唐紙 鮮烈な代赭のかすれ
  水流花謝図 清李珩(りこう)腕底煙霞帖の凍雲欲雪図に倣う(cf.山霊出雨図)
  山溪欲雪図 凍雲篩雪図と同構図
晩年京都定住期:
1811年頃●凍雲篩雪図 紙墨淡 133.5×56.2 川端康成記念館
 落款「東雲篩雪 玉堂琴士醉作」 漂泊期の総決算
抱琴訪隠図 1812年文化九年頃 山高水長図 紙墨淡 177.7x95 岡山県立美術館
1813年頃抱琴訪隠図 紙墨淡 112.0×62.8 静岡県立美術館
1814年文化十一年70歳3月山中無事図 紙墨 甲戌之三月余七十寿宴作之
 担雲閣雨図 紙墨淡 甲戌之三月予七十之寿宴酒間作此示諸君
1814年文化十一年70歳 秋山晩晴図 絖墨淡 半円窓形
1815年文化十二年71歳2月15日 夏山欲雨図 紙墨淡
 鳳兮君贈琴記(「存古」琴の贈答について)と合装
1815年文化十二年71歳 琴写澗泉図 130.7×56.2 紙墨淡 岡山県立美術館 弾琴
1817年文化十四年73歳 密林軼雲図 紙墨 丁丑試水筆,時年七十三也 出光美術館
1817年文化十四年73歳◎山水図(鼓琴余事帖) 紙墨淡 10図 東京・竹本泰一
1818年文政元年年74歳◎圜中書画 愛知県美術館(下段参照)
1819年文政二年75歳 耳得爲聲図 紙墨淡 河田病院蔵レ賜氓フうち
1819年文政二年75歳 懸崖絶壁図 紙墨 最晩年の略筆化
[大画面] 構成の破綻を意に介さない表出的表現
◎双峰挿雲図 紙墨 175×91 出光美術館 西湖両峰挿雲の画題
◎一晴一雨図 紙墨淡 175.5×94.5 東京・個人
 一晴一雨路乾濕,半淡半濃山疊重。遠草平中見牛背,新秧疎處有人縦。(南宋楊万里「過百家渡」)
 山澗読易図 紙墨 168.1×92.4 岡山県立美術館
 山中無事図 紙墨 177×95 京都国立博物館
[小画面] 晩年の滋味あふれる繊細な表現
◎山雨染衣図 紙墨淡 京都・大原謙一郎 墨色のしっとりとした美
◎籠煙惹滋図 紙墨 出光美術館 擦筆のふるえる空間
◎山紅於染図 紙墨淡 36.5×65.5 「醉作」 木村定三→愛知県美術館
 春山欲雨図 東京国立博物館 春琴識語
[小画面のセット]圜中書画 
1818年文政元年圜中書画 上記の隷書《五言絶句》と以下の3画を同一紙面に
 ◎秋色半分図 紙墨淡 愛知県美術館 「醉郷」印
 ◎酔雲醒月図 紙墨淡 愛知県美術館
 ◎山水図 紙墨 愛知県美術館
圜中書画(雲煙模糊図、夏雲欲晴図、「長相思」書、酔月狂花図) 紙本墨画
 琴詩書画の例:「長相思」は『東皐琴譜』中の琴歌 玉堂が実際に歌ったか

圜中書画  長相思  馮延巳 903-60

 紅満枝      紅 枝に満ち,
 緑満枝      緑 枝に満ち,
 宿雨厭厭睡起遲  長雨は厭厭として、睡りから起きるのを遅らせる。
 閑庭花影移    静かな庭に花影が移る。
 憶歸期      あなたが帰る時を憶い,
 數歸期      帰る時を数え,
 夢見雖多相見稀  夢に見ることは多いのに、相い見るのは稀。
 相逢知幾時    相い逢うのは幾時のことだろう。


浦上春琴 1779-1846
[生涯]
名は選、玉堂の長男 幼少のころより画を父に学ぶ 父の脱藩後共に遊歴
その後京都に住み頼山陽など多くの文化人と親交を結ぶ
[作品]
精彩巧緻で親しみやすい花鳥画、山水画 在世中は玉堂より売れっ子の画家
父玉堂の評「針箱画」「行燈画」と的確にけなす
竹田の評「その画の妙、詩の巧、書の精、自ずから来たる所また深し」
詩文:1830年『睡庵清秘録』、1842年『論画詩』
書:行書 1830年玉堂春山欲雨図識語 東京国立博物館
 鳳林に学んで琴を弾く龍涎と傍らに掛けられた玉堂の画(上掲春山欲雨図)について、画中の玉堂が琴を弾いているのか、画外の龍涎が弾いているのか区別がつかず、ただ清らかな音が聞こえる(自不知画中人鼓琴耶?抑画外人鼓琴耶?唯一清音耳)と琴画一体の様を述べる
画:
1814年玉堂七十歳寿像 林原美術館
1818年待渡図 紙本着色 193.5×155.3 最上稲荷総本山 頼山陽賛 力作
1821年春秋山水図屏風 六曲一双 絹本墨画淡彩 178.7×370.8 MIHO MUSEUM
1823年花鳥図屏風 六曲一双 東京国立博物館
1830年兢秀争流図 絹本着色 55.6×121.0 静岡県立美術館 温雅端正
1837年花鳥図 葛布地墨画 東京芸術大学大学美術館
1844年花卉果蔬図巻 紙本著色 京都国立博物館 晩年の穏やかな作
倣董北苑山水図 絹本墨画 清代康熙年間の画家施溥1677年山水図を模した作

浦上秋琴 1785-1871
[生涯]
名は遜、玉堂の次男、3人の内では最も長命 琴士、音楽家、画家
幼少のころより父に学ぶ 父の脱藩後共に遊歴、会津藩に音楽方として定住
[作品]
 →浦上秋琴の音楽するように楽しい山水画



参考書
浦上玉堂 岡山県立美術館、千葉市美術館編カタログ 2006年
岸辺成雄 江戸時代の琴士物語 有隣堂 2000年
武田光一 世界美術双書8 日本の南画 東信堂 2000年
佐藤康宏 新潮日本美術文庫14 浦上玉堂 新潮社 1997年
久保三千雄 浦上玉堂伝 新潮社 1996年
浦上玉堂生誕二百五十年特別展 林原美術館編カタログ 1995年
玉堂と春琴・秋琴:浦上玉堂父子の芸術 福島県立博物館編カタログ 1994年
佐々木丞平 浦上玉堂 小学館ブックオブブックス日本の美術56 1980年
鈴木進,松下秀麿,吉沢忠 浦上玉堂畫譜 全三帙 中央公論美術出版 1977-9年
龍川清 浦上玉堂:人と芸術 国書刊行会 1976年
浦上玉堂『玉堂琴士集』 1794年 名古屋市立図書館河村文庫
玉堂琴
1.玉堂蔵琴
明琴 顧元昭制 二連珠式 「雷和」銘、「玉堂清韻」印
 来歴:明顧元昭作…清李子福が寛文年間(1661-73)長崎に請来→彭城某→長崎通事劉益賢→長崎鎮台某…小倉侯→江戸散楽人北条→溝口子繇→浦上玉堂→秋琴→1851弟子国井羽邨(清之助、新潟素封家)計50両で売却…国井家
2.玉堂自制琴
玉堂1786年作雷琴式琴 正宗文庫蔵 1786年雷琴式琴 108.0cm 黒漆 正宗文庫
 腹款墨書「模唐雷玨之制天明六年春正月紀弼造」
1786年雷琴式琴 109.0cm、幅14cm 黒漆 布施美術館 市村三枝盛晴のため
 腹款「惟天明六年三月三日玉堂主人模唐雷玨之制用作此琴,爲石室拳兄。」
1789年雷琴式琴 108.5cm 栗殻色 林原美術館 河本立軒のため
 腹款「𢽾蜀雷玨式,日本天明九年歳在己酉二月既望爲河恭作紀弼。」
1792年雷琴式琴 102.0cm 黒漆 山形・本間美術館
 腹款墨書「寛政四夏□□日作于玉堂中。」
1792年雷琴式琴 106.9cm 黒漆 会津・法華寺
 腹款墨書「寛政壬子之小春製■■。玉堂琴士。」
1795年雷琴式琴 108cm、幅17cm 黒漆 山陰歴史館 杵村源次郎旧蔵
 腹款玉堂隷書墨書「寛政卯季小春(日?)造于玉堂中 琴士 弼 印」
1795年雷琴式琴 107.5cm 黒漆 1796年諏訪神社矢島正卿に贈る
 腹款「乙卯之小春造于会津山下玉堂琴士。」
1804年二連珠式琴 121.3cm、幅17cm 黒漆 福島県立博物館 岡崎田翁のため
  腹款「余有琴,曰「玉堂」。遠遊宊訪河本,岡崎田翁就其斎中一再行。翁観余琴喜之,已模作其式以似翁。去歳甲子春夏之交也。」
制作年不詳瑤芳琴 西山拙斎のため
1808年浅水琴 飛騨高山田中大秀訪問のさい赤田臥牛のため
1815年二連珠式琴 豊田信厚のため
 腹款「文化十二年春三月望日也玉堂琴士書」
参考:明琴 仲尼式 118cm 栗殻色 蛇腹断 雲華上人旧蔵 出光美術館
 琴袋に玉堂、春琴の題詩があり「玉堂作」と誤記されるが優れた明時代琴
玉堂琴譜
1791年寛政三年3月京都玉樹堂・芸香堂翻刻(1789年寛政改元刻)
巻頭序文:
 1783年天明三年毛利扶揺(1730-86 豊後佐伯(さいき)藩主毛利高広二男)序
        赤松滄洲(1721-1801 儒学者)
 1791年寛政三年皆川淇園((きえん)1734-1807 儒学者)
本文:玉堂所蔵明顧元昭琴図、琴銘「霊和」「王堂清韵」拓本
   「玉堂琴記」「答問八則」
 玉堂琴曲17曲 長町竹石((ながまちちくせき)1757-1806 讃岐張元徽琴翁)校訂
巻末跋文:紀徳民(細井平洲 1728-1801)
 →参照:国会図書館蔵今泉雄作旧蔵本『玉堂琴譜
     岡山県立図書館本『玉堂琴譜』(《淺緑》など錯簡あり)
     (閲覧はDjVu Plug-inをインストール)
     宮内庁書陵部蔵『仁智要録

参考サイト
田能村竹田 山中人饒舌 上巻12 浦上玉堂
平安人物誌 江戸後期のWho's Who 画像とデータ検索
岡山県立美術館所蔵作品検索システム
 浦上家寄贈浦上玉堂遺品類など キーワード「浦上」「絵画」で検索
デジタル岡山大百科
 岡山県玉堂関係史料、「郷土情報ネットワークTOP > 詳細検索」のページでコンテンツ種別「すべてを選択」してからキーワード「浦上玉堂」で検索
文豪が愛した美の世界 川端康成記念會のサイトから、玉堂作《凍雲篩雪図》
琴と玉堂 坂田進一『NHK国宝への旅』出演時のエッセイ

展覧会
浦上玉堂と春琴・秋琴ー父子の芸術
2016年11月10日(木)-12月18日(日) 千葉市美術館
2016年9月23日(金)−10月30日(日) 岡山県立美術館
10年ぶりの大規模な玉堂展
玉堂と文人画の世界ー春を彩る館蔵名品とともにー
2016年3月5日(土)−4月3日(日)  林原美術館
浦上家寄贈「浦上玉堂遺品類一式」143点を岡山県立美術館へ寄贈する記念の展覧会
浦上玉堂展
2006年9月29日(金)−10月29日(日)  岡山県立美術館
2006年11月3日(金)−12月3日(日) 千葉市美術館
代表的な書画作品や七絃琴など関連資料約240点余による最大規模の回顧展
 1812年文化九年頃〈山高水長図〉(岡山県立美術館蔵)など →展示リスト
木村定三コレクション名作展
2008年1月25日(金)-2008年3月23日(日)
2004年3月1日-30月 愛知県美術館 木村定三コレクション玉堂書画の展示
浦上玉堂と七絃琴―文人の愛した音色―
2003年8月26日-9月28日 福島県立博物館 七絃琴を中心に玉堂と秋琴の関連資料
川端康成 文豪が愛した美の世界展
2002年10月29日-12月8月 サントリー美術館 《凍雲篩雪図》の展示
 参照:川端康成作1950年「琴を抱いて」「天授の子」、1951年「名人」
生誕250年記念 浦上玉堂
1995年 林原美術館 70点余展示
没後150年記念 浦上玉堂名作展
1970年 日本経済新聞社主催 東京・岡山会場 70点余展示
大阪市布施万載氏蔵 浦上玉堂展
1934年11月 恩賜京都博物館 《凍雲篩雪図》の展示、玉堂評価始まる(源豊宗)




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 日本美術史ノート 琴と画 浦上玉堂   2002.12写 

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