シンドラーのリスト


1993年、ナチによるホロコーストを描いた映画が発表された。 スティーブン・スピルバーグ監督による「シンドラーのリスト」だ。映画はナチの狂気からユダヤ人を救おうとする実在の人物オスカー・シンドラーを主軸に描かれる。 公開時、あまりの作品の凄さに戦慄とショック受けた人々も多いだろう。また、ラストは感動と感銘を受けたはずだ。


【物語】
ポーランドは、1939年にドイツ軍の侵攻により占領されていた。ナチの党員であり実業家でもあるオスカー・シンドラーは、大儲けを企んで占領下のポーランドにやって来た。 自分の野望を果たすべく、資金に物を言わせ軍の幹部を垂らしこんでいく。シンドラーはブーツハイスター商会の会計士イツァーク・シュテルンを訪ねる。シュテルンはユダヤ人で彼を通じ、ユダヤ人の所有していた工場を手中に入れる。シンドラーはシュテルンを仕事のパートーナーに選んだ。この出会いがシンドラーの人生を大きく変えるきっかけとなる。 1941年3月、ユダヤ人は住みなれた住居を追われ、ゲットーという城壁に囲まれた居住区に狩り立てられる。シンドラーの工場には、ゲットーからの無償労働のユダヤ人が集められた。 工場は軌道に乗り、シンドラーは人生の絶頂にあった。これは、すべてシュテルンの影の力のおかげであったが、シュテルンは敵であるシンドラーに心を許せない。 1943年2月、プワシュフに強制労働収容所が作られゲットーが解体されることになる。ゲットーが閉鎖される日、ナチは恐るべき行動に出る。命令に従わないユダヤ人達を虐殺し始めたのだ。銃声と悲鳴がゲットーに響きわたる。殺された人々は山積みにされ焼かれた。死体を焼いた灰がゲットーを覆いつくす。銃声は夜になってもやむことはなかった。この言語に絶する光景を見たシンドラーは、ナチのやり方に怒りを覚えた...。

・・・物語はここで止めることにする。これから先は、作品をご覧になって頂きたい。・・・

【スタッフ】
製作 : スティーヴン・スピルバーグ
ジェラルド・R・モーレン
ブランコ・ラスティグ
監督 : スティーヴン・スピルバーグ
製作総指揮 : キャスリーン・ケネディ
原作 : トーマス・キニーリー
脚本 : スティーヴン・ザイリアン
撮影 : ヤヌス・カミンスキー
音楽 : ジョン・ウィリアムス
美術 : アラン・スタルスキ
編集 : マイケル・カーン


【キャスト】
オスカー・シンドラー: リーアム・ニーソン
イツァーク・シュテルン: ベン・キングズレー
アーモン・ゲート: レイフ・ファインズ
エミーリェ・シンドラー: キャロライン・グッドール
ボルデク・ヘファーベルク: ジョナサン・セガール
ヘレン・ヒルシュ: エンベス・ダビッツ


【思想という名の狂気】
アドルフ・ヒトラーによるユダヤ人虐殺を説明するにはユダヤ民族の歴史を話さなければならない。
紀元70年と132年、二回にわたって行われたローマによるエルサレムへの攻撃以降、街を破壊され、 追放されたユダヤ人達はその後2千年にわたる放浪、迫害の歴史を辿る。国家権力を持たない彼らは 相互の団結と金銭以外に頼るものが無かった。
ドイツにおける反ユダヤ主義は1873年の株の大暴落と、つづく経済危機、社会的困窮が原因となり 激しさを増してゆく。 こうした反ユダヤ主義はオーストリア・ハンガリー帝国にまで広がり、ウイーンはその中心となった。 ヒトラーが青年期を送ったのはこうした時期であり、ヒトラーはウイーンでその青年期を送っていた。
ヒトラーはアーリア人種を人類の文化の創始者、ユダヤ人は文化の破壊者と位置づけし、 その「人種理論」を先鋭化していった。そしてユダヤ人への攻撃を強めて行き、1935年には 「ドイツの市民はアーリア人でなければならない。」としたニュルンベルク法を施行する。 1938年11月、一ユダヤ青年によるパリのドイツ大使館員殺害により、ドイツ国内でユダヤ人91人が惨殺される 「水晶の夜」と呼ばれる事件が起こった。 これを契機にナチスのユダヤ人に対する残虐行為が増してゆき、ゲシュタポによる「ユダヤ人全滅作戦」の実行へと至るのだ。
ニーチェの思想や、ダーウィンの進化論はこの間違った人種思想を正当化、強化するために使われたのだ。

【映画について】
「シンドラーのリスト」はオーストリアの作家トーマス・キニーリーの原作をもとに、脚本の構想を含めて 7年の歳月と25億円をかけて制作された。最初の脚本は原作者であるトーマス・キニーリー自身が執筆したが、 それはスピルバーグが満足できる出来ではなかった。スピルバーグは言う、「原作者が脚本を書くと、 自分の小説から別なものを生み出そうとする。それが、もとの良さを損ねてしまう。」これは、「ジェラッシク・パーク」の 制作時のマイケル・クライトンにもいえることだった。その後脚本は2転3転し、最終的には「レナードの朝(1990年)」、 「今そこにある危機(1994年)」のスティーブン・ザイリアンが執筆することになった。 また、スピルバーグはリアルさを求めアウシュビッツでのロケを行いたいと思っていたが、ポーランド政府の許可がおりず、 セットを組み撮影された。 映画はモノクロとパートカラーで撮影してあり、パートカラーはスピルバーグが尊敬する黒澤明監督の「天国と地獄」から 真似たもので、劇中に赤い服を着た少女に使用された。

オスカー・シンドラーを演じるのは、リーアム・ニーソン。ニーソンは、北アイルランド出身の舞台俳優で 「エクスカリバー(1981年)」、「ミッション(1986年)」、「スター・ウォーズ/エピソード1(1999年)」がある。 今回の作品ではブロードウエイで舞台に立っていたところスピルバーグから白羽の矢が立ち、主役に抜擢された。 イツァーク・シュテルンを演じるのは、ベン・キングズレー。キングスレーは、「ガンジー(1982年)」 「スピーシーズ 種の起源(1995年)」があり、「ガンジー」ではアカデミー賞、ゴールデングローブ賞など の主演男優賞を受賞した。 アーモン・ゲートを演じるのは、レイフ・ファインズ。ファインズは、イギリス生まれ。王立演劇学校を卒業後、 ロイヤル・シェークスピア・カンパニーで活躍した舞台俳優。収容所所長の狂気をみごとに演じた。 「イングリッシュ・ペイシェント(1996年)」、「プリンス・オブ・エジプト(1998年)」がある。

「シンドラーのリスト」は演出と俳優陣の演技が素晴らしい。モノクロで撮影されたこともあり、 ホロコーストをまじかで体験するような戦慄と恐怖がはしる。この映画を最初に劇場で見たときの 衝撃はすさまじいものだった。ドキュメントフィルムを驚愕するような映像なのだ。 スピルバーグは本来このような演出をする監督なのだと思う。事実、「プライベート・ライアン(1998年)」 でも本作と同様なリアリズムのある演出をしている。

音楽はスピルバーグ映画でお馴染みのジョン・ウィリアムス。ウィリアムスの音楽は今までにみられるような 華やかさは鳴りを潜め、音楽は優しく切ない。ホロコーストの犠牲になった人々への鎮魂曲のようだ。 演奏はボストン交響楽団、バイオリン・ソロはイツァーク・パールマン。パールマンは1945年イスラエル 生まれのバイオリニスト、その優れた感性と素晴らしいテクニックは世界的である。 サントラ盤は、ユニバーサルミュージック/ビクターエンタテイメントから発売されており、製品番号はUICY3570。 ウィリアムス屈指の名盤だ。

映画が公開された、1993年。「シンドラーのリスト」は“ホロコーストを商売にした!”との評価もあった。 忌まわしい歴史を映画化するときはこのような批判は必ず出てくるものだ。日本人の大多数は戦争を体験していない。 ドキュメンタリーのフィルムを見ることもあるが、体験していない者にとっては別世界のものと映ってしまう。 悲惨さはわかるが、その恐ろしさが実感として分からないのだ。これは人の痛みは自分で体験しないと分からない事と よく似ている。したがって、疑似体験というものが要求されることになる。映画は作りものではあるが、 登場人物とストーリーがあるので見る者にとって感情移入ができる。さらに音楽が感情表現と音響がリアリティ を与えてくれるので、恐ろしさが疑似体験として伝わってくる。

筆者は、「シンドラーのリスト」の映画化に踏み切ったスピルバーグをはじめ、そのスタッフとキャストに 敬意を表したい。なぜならば、後世の人にこのような歴史があったこと。 いまの私たちは、戦争の犠牲になった方々のおかげで生かされているのであり、忘れはならないことなのだ。 さらに、このような歴史を繰り返してはならないことを伝えるべきで、「シンドラーのリスト」は在るべき作品なのだ。

「シンドラーのリスト」は第66回のアカデミー賞、作品賞以下7部門を独占した。 さらに、ロサンゼルス映画批評家協会賞、ニューヨーク映画批評家協会賞、ボストン映画批評家協会賞、 全米映画批評家協会賞、ゴールデン・グローブ賞(ドラマ部門)、ナショナル・ボード・レビューの最優秀作品賞を受賞した。

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