徳島城

蜂須賀家家紋
「丸に卍(まんじ)」

阿波国主・蜂須賀家
286年間の居城

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▲鷲の門(わしのもん)<平成1年(1989)復元>

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旧徳島城表御殿庭園
徳島城データ
別名 渭山(いのやま・猪山)城、渭津(いのつ)城
所在地 徳島県徳島市徳島町城内
地形 徳島市の標高約62mの渭山(猪山・城山)の山上と、その山麓に築かれた平山城
史跡区分 国指定史跡、国名勝(表御殿庭園)
歴史  豊臣秀吉に仕え、四国征伐の際にめざましい活躍をした蜂須賀家政(はちすかいえまさ)は、その戦功として、天正13年(1585)秀吉から阿波一国(17万6千石)を与えられ一宮城(徳島市)に入り、中世の守護細川頼之(ほそかわよりゆき)時代からの渭山城と、麓の寺島城を併せて本格的な築城を開始、翌年、ほぼ完成して徳島城と改称し、城下を徳島と名づけた。
 
 徳島城は標高約62mの城山と北を助任川(すけとうがわ)、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には堀を設けた、自然の地形を巧く利用した城であった。
 
 藩主の居城として徳島藩のシンボルであった徳島城は、明治になると役目を終え、明治8年(1875)に解体され、現在では石垣や表御殿の庭園を残すだけとなった(写真は徳島城跡に立つ蜂須賀家政像)
縄張     
徳島城の構造は、山上の本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸、南麓の御殿(一部は現徳島城博物館)、西麓には隠居した藩主等の住んだ西の丸からなる平山城。
遺構 山上に本丸跡・郭跡・石垣、麓に堀・石垣・表御殿庭園等が残る

東二の丸の天守跡

山上に残る石垣

御殿を巡る堀と石垣

表御殿庭園と徳島城博物館
復元
整備
鷲の門(再建) 山麓は公園として整備
鷲の門(再建)
山麓は公園として整備(左写真)
写真の建物は、旧表御殿庭園に隣接して建つ徳島市立徳島城博物館