しもついじょう
下津井城
『所在地』 倉敷市下津井


■岡山県指定史跡 下津井城・三の丸石垣
沿革 文禄年間(1592〜96)に、宇喜多秀家が既存の小城を改修したといわれる。秀家が関ヶ原の役(1600)で敗北したあと備前に入った小早川秀秋は、瀬戸内海の制海権を考えてこの城を強化した。しかし、秀秋が病死して小早川家が断絶後、慶長8年(1603)、池田忠継(徳川家康の外孫)が備前藩主となり、老臣池田長政(禄高3万2千石)の守るところとなり、城郭に一大整備がなされ城は慶長11年に現在の遺構にみるような本格的な形態をととのえるに至る。のち池田由之、荒尾但馬、池田由成の歴代城主を経て一国一城令(1615)の制令のため寛永16年(1639)廃城となり、池田由成は倉敷市藤戸町天城に移って陣屋を構える。
▼下津井城は、連郭式平山城(標高88m.)で丘陵に沿って東西に縄張されている。本丸は最高所にあり北側に一段高い天守台がある。本丸の西に二の丸、本丸から東に下ると三の丸、中出丸、東出丸へと続く。城の建物は残っていないが、石垣などは良好に保存されている。近世城郭の遺構として貴重な城郭である。なお、城門のひとつが倉敷市藤戸町天城にある正福寺に移築されている。

▼城跡は公園となって、登城道も整備され、各所に休憩所が設けられている。

▼北側からの下津井城址
後方(南側)には瀬戸内海、瀬戸大橋を望む。
児島半島唯一の
近世城郭







馬場跡よりみた登城道後方の西の丸
西の丸跡


西の丸跡に残る土塁と思われます
二の丸跡
二の丸跡の石垣

石段を登ると本丸跡で、ここは城山の頂上です
本丸跡に建つ下津井城碑
本丸跡〜右側(本丸の北)に天守台が位置します
一段と高い天守台跡
■西の丸跡■
■二の丸跡■
■本丸跡■
■三の丸跡■


■掘割■




■中出丸跡■
三の丸跡
底部が遊歩道となっている
三の丸から中出丸の間ある掘割跡
後方は瀬戸内海に架かる瀬戸大橋
中の丸跡

■移築城門■

倉敷市藤戸町天城にある正福寺に移築された城門




■その他の遺構■
下津井城は、岡山県において岡山城・備中松山城・津山城に次ぐ近世城郭といえる




■城跡からの眺め■
下津井漁港と瀬戸内の島々
瀬戸大橋

北側より望む下津井城址全景
後方が瀬戸内海
瀬戸大橋記念公園の駐車場