仙台城データ
<東北一の雄藩、仙台藩62万石の居城>
所在地 宮城県仙台市青葉区川内
別名 青葉城
地形種類 仙台市街の西部、標高144mの青葉山の東端部に築かれた平山城
(山城ととする資料もある)
築城年 慶長5年(1600)
築城者 奥州の覇者、独眼流伊達政宗
以後約270年間伊達家の居城となる
文化財区分 国指定史跡
天守 天守は築かれなかったが、62万石の大名にふさわしい広大な御殿が建ち並んでいた
遺構 石垣、建物遺構跡
復元整備 本丸跡北面石垣の修復(平成9年〜16年)と中門跡・清水門跡石垣の復旧(平成15年に地震で被災のため)
隅櫓(大手門脇櫓)
HP最終作成日〜平成25年(2013)11月 
 
伊達家家紋{仙台笹}


伊達政宗画像(青葉城資料展示館にて撮影)

 広瀬川の架かる大橋から望む青葉山(仙台城跡)
   
 仙台城の天然の外堀、広瀬川
   
 
 修復された本丸北面石垣


▲本丸北口脇の石垣
昭和30年から経年劣化で変形しはじめた石垣を、平成9年から平成16年にかけて補強、
修復。石材の横目地が通るように、隙間なく積み上げられた切石積みによる石垣(切込接) 

 
▲本丸北面の石垣
道路を下って行くと大手門跡に至る

 
▲本丸北面の出隅部分の石垣
本丸北面で最も高い17mの高石垣

 
▲本丸北東部の石垣
解体修復工事にともなう発掘調査により、内側から築城期の石垣と、元和2年
(1616)の地震で崩壊したあとに築かれた石垣が埋没していることが確認された

 
大手門脇櫓

 
▲大手門跡のわきに建つ脇櫓
大手門とともに戦災で焼失し、昭和42年(1967)にコンクリート造りで脇櫓だけが復興した


城内側から見た脇櫓

城内側から見た大手門跡。左側の二の丸石垣と脇櫓の間には、重厚な大手門(二重門)が建っていた

  
大手門・脇櫓復元模型(青葉城資料展示館)

{歴 史}
 仙台城は、初代仙台藩主・伊達政宗によって造営された城。関ヶ原合戦後、徳川家康の許可を得て、慶長5年(1600)、城の縄張が開始された。工事は慶長7年(1602)には一応の完成をみたとされる。

 政宗の築いた仙台城は本丸部分で、千畳敷と謳われた大広間をもつ豪壮な本丸御殿や、広瀬川を望む断崖に懸造りの書院が建造された。

 第2代の忠宗の時代になると、山上の本丸は不便なことから山麓に二ノ丸を構え、政庁と藩主の私邸として、城の中心的な役割を担った。

 城の四方は、広瀬川を天然の外堀として、本丸の南側は竜ノ口渓谷という約40mの深い谷、東は広瀬川に面した高さ約60mの断崖、西は青葉山の原生林が迫る天然の要害である。仙台城は天守台を設けるが、天守は造られなかった


仙台城跡


二の丸跡
 二の丸は、1638年(寛永15)に2代藩主忠宗が造営。幕末まで藩の政治の中心地であり、藩主の日常生活の場でもあった。


二の丸の石垣
 大手門脇櫓の北側に位置する。

三の丸跡に建つ仙台市博物館

本丸北口
 鳥居をくぐり石段を上がった右手が詰ノ門跡。石垣は、修復された本丸北面の切込接(きりこみはぎ)の石垣。


詰ノ門跡
 当時は、門両側には東西に櫓が建っていた。

詰ノ門跡から本丸を望む
 石段を上がると本丸広場となり、今では、伊達政宗騎馬像が建つ。


本丸跡に建つ伊達政宗騎馬像
 後方は仙台市街。

埋門跡
 本丸の南側に位置する門

本丸跡に展示の本丸北壁の石垣モデル(17世紀後半/4代藩主綱村)
 この石垣モデルは江戸時代に築かれた石垣の石材。石垣の積み方は、「切込接ぎ(きりこみはぎ)」といわれる技法で、石切り場で規格された大きさの石材を調達し、石積みの際に、石垣の横方向の目地が通るように積まれた手法。


本丸跡に展示の築城期(17世紀〜初代藩主政宗時代)の石垣モデル

 本丸北壁石垣の全面的な解体工事により、伊達政宗が仙台城を築城した時期の石垣が地中から発見された。石垣の積み方は、石材の石面を加工することなく、自然のままの石や粗削りした石を用いて積む技法の「野面積み(のづらづみ)」を用いている。

本丸跡の土居晩翠胸像と荒城の月詩碑
 土居晩翠は仙台市の出身。代表作「荒城の月」の全詩が刻まれた詩碑が立つ。

♪春高楼の花の宴
 めぐる盃影さして
 千代の松が枝わけいでし
 むかしの光いまいづこ
伊達政宗公御廟・瑞鳳殿の涅槃門
 伊達政宗は1567(永禄10)年米沢城に生まれ、幼名を「梵天丸」といい、幼少の頃、疱瘡により右目を失明、10歳で元服、伊達家中興の祖・9世政宗の名を継ぐ。東北南部を中心に諸勢力を平定し、世に「独眼流政宗」の異名を轟かせる。

 岩出山、仙台と居城を移し、徳川家康によって天下が統一されると、伊達62万石の藩祖として河川の大工事や新田開発をすすめる一方、松島瑞巌寺の再興、大崎八幡宮、国分寺薬師堂の造営等を行い、産業、経済、文化の振興をはかった
瑞鳳殿(ずいほうでん)
 瑞鳳殿は1636(寛永13)年、70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の遺命により、その翌年、ここ経ヶ峰に造営された御廟。

 桃山様式の威風を伝える豪華絢爛たる廟建築として、1931(昭和6)年、国宝に指定されたが、1945(昭和20)年の戦災で焼失後、1979(昭和54)年に再建され、2001(平成13)年に改修された
仙台発祥の地「芭蕉の辻」
 
城の大手からのびる大町通りと奥州街道が交差する地点であり、政宗自身による町割りはこの辻を中心としておこなわれたとされる。
「芭蕉の辻」に立つ碑
 仙台藩城下町の中心点。

「芭蕉の辻」復原模型(東北歴史博物館にて撮影)
 真中の通り後方が仙台城。 

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仙台城周辺図〜JR仙台駅からバス25分

城より仙台市街を望む

 仙台城は、江戸時代を通して伊達62万余石の居城として明治維新を迎える。本丸の建物は破却され、二ノ丸の遺構は明治15年(1882)に火災によって焼失。残った大手門は昭和6年(1931)に国宝に指定されたが、惜しくも戦災により隅櫓とともに焼失し、現在は復興脇櫓が建つ。近年、本丸跡の調査が進み、北面の高石垣が修復された。

 本丸跡に建つ伊達政宗騎馬像