能島城
(のしま)
 能島城は、能島村上氏の本拠地であった。村上氏は、南北朝から戦国時代に
     かけて瀬戸内海で水軍として活躍した一族である。俗に三島村上氏と呼ばれる。
 能島・来島・因島の三家からなり、互いに強い同族意識を持っていた。


▲中世の瀬戸内海を支配した三島村上水軍の一つ能島村上水軍の根拠地・能島城(国史跡)

【所在地】愛媛県今治市宮窪町能島 
【形 式】海城
【遺 構】桟橋跡ピット・曲輪跡等
【創築年】応永26年(1419年)
【創築者】村上雅房
※写真は、カレイ山展望公園より撮影。以下同じ。

▲能島城は、大島と鵜島(うしま)の間の能島に築かれた水軍城
 能島は周囲約1kmの無人島。南隣りにある鯛崎島を含め二島全体を城郭化した海城。かっては橋で結ばれていた鯛崎島にも曲輪跡が残る。

▲能島は島全体が要塞化され、本丸・二の丸・三の丸・出丸などの曲輪が残る
 島の中心の山頂を削平して本丸となる曲輪を設け、その下の段に第ニの曲輪がとりつき、さらに海上にむかって三方に延びる岬上の南端に出丸、北端に三の丸、東端に矢櫃(やびつ)の曲輪を配している。さらに、西下段の削平地には、船着場兼倉庫などの施設があったと考えられる。北下段は波が穏やかな砂浜で、船溜りと称されている。

 東側の海岸の岩礁上には無数のピットがうがたれており、桟橋用の柱穴跡と考えられている。周辺海域は潮流が速く複雑で自然の要害となっており、天然の外堀としての役割を果たしていた。

C右端が宮窪魚港・村上水軍博物館方面

A伯方島と鵜島。この二つの島の間の水道が船折瀬戸

B鵜島・能島・鯛崎島と続く

@伯方・大島大橋と伯方島。中央の島は見近島

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 ◆カレイ山展望公園から望む能島城周辺◆
写真は、伯方大島大橋から右方向(能島)へと順次(@〜C)写した写真です

海上から眺める村上水軍博物館
訪問した時は残念ですが、休館日(月曜日)でした。日本初の海賊衆をテーマにした博物館で、勇猛果敢な海賊衆の実態が、貴重な文献や出土品から垣間見ることができるそうです。

◆村上水軍博物館に展示の小早船と繋船石◆

[能島城(のしまじょう)の歴史]
 能島村上氏は、村上武吉(たけよし)の時代、厳島合戦で毛利軍の勝利に貢献するなど活躍し、武吉は「日本一の海賊」といわれた。

 しかし、1585年(天正13)の秀吉の四国攻めに従わず、小早川隆景の攻撃を受けた。武吉は全軍をあげ反撃。攻めあぐねた隆景は、強風の日に麦藁をいっぱい積んだ何百という小舟に火を付け、潮流に乗せて流した。火は建物に燃え移り、島全体が火に包まれ落城したという。



村上水軍博物館
                           

 ◆潮流体験船で巡る能島城跡◆

潮流体験船から見る発着場と村上水軍博物館
▲犬走(いぬばしり)
 海との境目あたりには、犬走り状(狭い通路状の平面)の部分が設けられている。


▲船溜り
 能島で最も波が穏やかなな砂浜で、船溜りと称されている場所。満潮時の為、砂浜は海水で覆われている。


▲船着場
 能島は無人島のため、普段は渡ることはできないが、桜の花見時期には2日間だけ上陸できる。


▲船着場と出丸
 船着場の右側全体が出丸。さらに、この右方向に、鯛崎島が位置する。


▲鯛崎島
 能島城の出丸として、城の一部であった。

▼カレイ山展望公園・展望台にある展望案内図

<能島城跡へのアクセス&インフォメーション>
能島城跡は、カレイ山展望公園から芸予諸島に位置する能島が展望でき、また、能島は無人島で定期船がないため、村上水軍博物館前から体験型観光として潮流体験のコースにより、船で能島城跡の周囲を巡ることができる。

▲<村上水軍博物館前の村上武吉公像>