Kamikaze Taxi

 

KAMIKAZE TAXI 』 は、1994年の4月から5月にかけて撮影され、まず、『復讐の天使/KAMIKAZE TAXI』というタイトルで全2巻、200分のオリジナルビデオという形で発表されました。この作品はその年の東京国際ファンタスチック映画祭で好評を博し、批評家の絶賛を得て、翌年の4月に、短期間だったけれど、単館上映されたという経緯を経ています。今、『KAMIKAZE TAXI』としてビデオ版で出ているのは、96年春に発売された、150分のデイレクターズカット版です。(映画版は169分) 何となく冷遇されてきたようなこの名作が、役所広司 さんと原田眞人監督の評価がたかまるにつれて、広く知れ渡るようになったのはうれしいことです。

 

かくいう私は、新聞でこの映画の広告を観て行きたいと思ったけれど、映画館がどこにあるかわからず、しかも早く終わってしまったようなので、結局観ずじまいでした。それが、96年春にデイレクターズカット版が出て、WOWOWでも 同年4月20日に映画版を放送してくれたので、一挙に両方を観られることになり、オリジナルビデオもレンタルで観られるという、幸せを味わいました。

 

この映画の見所はいろいろあると思いますが、私が惹かれたのは、「ミュージックが聞こえる」とか、「スナフキン」みたいと映画の冒頭で評された、役所さん演じるミステリアスな日系ペルー人タクシー運転手の予想外の過去が、彼の出会う人々によって徐々に、徐々に、明かされていく面白さでした。

 

原田監督作品に出たかったという役所さんは、脚本を読んで、「何だか、風のような寒竹さんの雰囲気が好きになって」出演を決めた( 『映画芸術』97年春号)そうです。この映画での日系ペルー人タクシー運転手寒竹一将役は、これからも異色中の異色と語り継がれていくのではないでしょうか。私は、役所さんの顔から、インデイオを連想した原田監督はすごい、と、デイレクターズカット版を観て感嘆したものでした。私には、本物の日系ペルー人に見え、あのどこか、地方の訛の混じったたどたどしい日本語が実に魅力的でした。聞けば、役所さんは、スタッフがブラジル食堂で実際の日系人にインタビューしたテープを何度も聞いて練習したそうです。

 

さて、寒竹さんの初乗客は、根岸季衣さん扮するホステス風の女性。道を全く知らないのに、東京板橋のブラジル食堂前から埼玉県幸手に行くことに。ここでわかるのは、彼がペルー人で、奥さんが亡くなって、子供が一人いるらしいこと。

 

次の客は、政治家土門(内藤武敏)宅を仲間と襲って億という金を奪ったものの、その土門に依頼されたヤクザのボス(ミッキーカーテイス)の配下に追われる身になったチンピラヤクザ達男(高橋和也)。伊豆に行きたい、という達男を乗せての車内での会話の面白かったこと。「アー、ソーデスカ」をこの運転手は連発するけれど、どこまでわかっているかわからない。「ペルーってソ連の一部だろ?」、「ア、チョト、ホーコーチガイマスネ」「さむいたけ ひとりのしょうぐん」と達男の読んだ名前の運転手と達男のこうしたチグハグな会話は笑わせますが、この間に彼への謎は深まっていきます。

 

この達男との道行きのなかで、最初にこの男の重要な手がかりが得られるのは、達男が盗んだ金を持って母親の墓参りに行く途中、鄙びた駅のコインロッカーに大部分の金を隠したあとのシーンです。金を隠して身軽になった達男が、寒竹さんの所に戻ると、彼は小さな棒で無心にタケノコを掘り出しています。寒竹という名字を読めない達男に、彼は「私の名前はかんたけかずまさ」です、と自己紹介をします。そして、廃線の踏切に、母親の葬式の日に達男が描いたという幼稚な絵が残っているのを見ながら、二人のする会話のなかで、寒竹さんは、東京オリンピックの年に、家族と移民したというエピソードを語ります。寒竹さんがタケノコを掘ったのは、日本で過ごした幼い日の思い出につながっていたのでしょうか。踏み切にアップになった達男の絵と、寒竹さんの置いた小さな二つのタケノコは、二人の幼い日の悲しみを無言で語っているようで、話をする二人に、桜の花びらが風に舞いながらやさしく降り注ぐシーンは息飲むほど美しく叙情性をたたえていました。最初に観た時には気づかなかったのだけれど、この会話の後、達男が唐突に駆け出すと、寒竹さんが追いかけるのですが、この時の彼の走り方は、まるで小さな子供がガキ大将を追っかけて走り出したようでした。 

ただの出稼ぎだけの男ではないらしい寒竹さんの出自が次に察せられるのは、達男を拉致したやくざたちに、達男が車内で発砲して死者が出たとき。血に染まった車をチラと見た寒竹さんは、そのままどこかへ走り去ったかと思いきや、逃走中の達男のそばで車を止めます。「どうして?おれが拳銃をぶっ放すの見てただろう」、と訝る達男に、寒竹さんは、「ア、マダ、メーターウゴイテルデス。」とか、「オキャクサンニ、ヤトワレタダカラ。」とか言い訳するけれど、どうも、説得力がない。そして、顔には晴れやかな笑顔が。寒竹さんの背後には、何か、暗い暴力の匂いがすることが感じとれます。そして、暴力の世界に生きているらしい達男に共感を感じ、友情を感じ始めているのでは、観る者にはそう映り始めます。

寒竹さんをまだ信じ切れない達男が山中で彼に拳銃を突きつけながら、彼の素性を問いただす場面も印象的です。彼に子供がいて、奥さんが亡くなったらしいことは、先のホステス風の女性を乗せた時にわかっていましたが、ペルー人の奥さんのことを聞かれて、「オクサン、シンダダカラ。」 と言って河原の方に歩き出す後ろ姿に悲しみがあふれていました。役所さんの演技の凄さを感じたものです。

 

伊豆の旅館での素顔の芸者(?)たちとの自己開発セミナーごっこ。最初は長すぎると思ったけれど、見慣れて来ると実に愉快な場面としてと楽しめます。コミック・リリーフの役目を果たしているようにも見えました。一つ云えるのは、この遊びのなかで、「核シェルター」のように殻の中に閉じこもっていた寒竹さんが少しづつ人間性を見せ始め、ついには、達男と、タマ(片岡礼子)、チャプリン(田口トモロヲ)に、自分の過去を語り始める効果をもったことです。この遊びの始まる前、寒竹さんが、温泉の湯船から上がる時に背中に無数の傷跡が認められますが、尋常の生活のなかでは決してできない傷跡のように見え、寒竹さんの過去を暗示しているようで、はっとさせられました。)

 

デイレクターズカット版には収録されていないのですが、映画オリジナル版には、この自己開発セミナー遊びがフルに入っていて、寒竹研究には大いに役に立ちました。例えば、男女が向き合って、「何が欲しいの」と繰り返して聞く場面で、寒竹さんは、遠慮がちに、「お金」、次に「力」と答えていました。それから、お膳を何段にも重ねて、一カ所だけ人一人がくぐり抜けられる隙間を作り、全員が協力して一人、一人、そこを渡す場面があります。最後に寒竹さんが、そこをジャンプして、全員がさしのべた腕のなかに飛び込むと、彼は、満面の笑顔で、ガッツポーズさえ作るのです。この部分をなぜ、カットしたのかしらん?思うに長すぎたから?そういえば、あの神社の境内で、寒竹さんがケーナを吹く場面もカットされていましたっけ。あのシーンで、達男は寒竹さんから、奥さんが「胸の病気」で亡くなったこと、空気のきれいなアンデス山中から、「若い町」、都会のスラムに降りてきたインデイオたちは、たちまち、胸をやられてしまうという悲しい事実を聞き出しています。センデロ・ルミノソによるインデイオの村々襲撃の悲惨な情報もこの時、達男の友人(塩屋俊)が語っています。説明過多を避けたかった、のも一因でしょうか。

 

さて、映画は前半の山場、寒竹さんのペルーでの身の毛もよだつ告白へと進んでいきます。彼の告白を聞き終わった後は、今までこの映画でみてきた暴力シーンなんぞ、お子さま向きと思えるほどの迫力が感じられました。そして、この恐怖物語を役所さんは、ただ、語るだけなのですが、その淡々とした語り口のなかに、観る者の想像をかきたてる凄さがありました。「オトサンハ、ガッコウノセンセイタチヲニガシタダカラ、テトアシヲキラレタデス。クビヲシバラレテ、ツルサレタデス。」 寒竹さんは、自分と医者の父親の住むアンデスの平和な部落を、女性リーダーに率いられたゲリラの一団が襲撃した時の惨劇と、そのリーダー、ラブリンガを同志と部隊を作って4年間、復讐のために追いかけたのに、自分の手で殺すことが出来なかった無念さを告白し、また、その間、彼らが殺したのは、ゲリラに加わった女性と子供が多かったという苦い告白も、彼は、聞かれるままに達男やタマ達に語るのです。

 

「ジブンハ、ラブリンガ、コロスコトデキナカッタデス。ソノコト、チョット、ココ、キモチ、クルシンダデスヨ。」 「コレハ、ジブンノタメデス。オトサント、タツオサンガ、カゼノカミサマにタノンデクレタデスヨ。」達男が亜仁丸の配下に射殺され、寒竹さんが達男の残した大金を持ってペルーに帰国する日、強風のため、飛行機が欠航と発表されると、彼は思い詰めた表情で見送りのタマにこう告げます。この後に展開する、土門宅への襲撃と、亜仁丸射殺に至る復讐劇は、寒竹さんが、殺しのプロであることがわかってからは、もう安心してというか、寒竹さんに感情移入して、喝采をおくりつつ観ていられました。

 

終焉近く、寒竹さんの真の復讐は、実はこの土門に向けられていたというのも、意外性の面白さがありました。元特攻隊員といって議員に当選した土門は実は、特攻隊員達に死ぬ勇気を与える「シャブ」を売って金儲けをした男(多分、父親の上官)だったから、彼の父親は日本に嫌気がさしてペルー移住を決意した、と寒竹さんは土門に告げるのです。寒竹さんの父親、寒竹中尉は、シャブを拒んだから出撃しても何度も帰ってきて、「メメシイ男」というレッテルを貼られたまま、終戦をむかえたという事実も二人の会話で判明していきます・・・

 

『カミカゼタクシー』は、アンデスの風を思わせる、軽快ななかにも哀愁を秘めたケーナの曲と、寒竹さんの不思議なアクセントのある日本語の響きが耳に残り、また、天使のような無垢の表情から苦渋に満ちた表情、そして、怒りの表情、最後には、再び、殻に閉じこもったような無表情へと変化する寒竹さんを演じた役所さんの、その時々の表情が深く眼に焼き付いた映画でした。

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