映画<夜と霧>
アウシュビッツ収容所関連の映像や資料は大量に存在していますが、それらの頂点に立つのが<夜と霧>という映画でしょう(昭和31年フランス製作)。あまりの残酷さから、6年に渡って日本公開が見送らましたが、1分弱の映像をカットする事を条件に、昭和37年に一般公開されました。わずか30数分の映画ですが、モノクロームによる当時の衝撃的な映像と、カラーによる現在の収容所跡の映像を交互に配置し、観るものに強烈な印象を与えます。大きなレンタルビデオ店に行けば置いてありますが、ここでその内容を詳細に記しておきましょう。
なお現在のビデオでは、当時カットされていたブルドーザーでの死体処理場面、切断された生首が無造作にバケツに置かれているシーンなども、ちゃんと映っています。DVD版も出ています。
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広大な草原地帯、やや曇りがかった秋の空が映し出される。雑草が生い茂る田舎道の真ん中、周りには何もないこの場所に、収容所があった。今も残る、何重にも張り巡らされた鉄条網と無数の収容施設。ここで一体何が起きたというのか。
収容所が建てられた頃のドイツの映像。ハーゲンクロイツの旗の下、軍隊が行進する。ドイツ国民はナチを盲信していたのか。そしてついに、収容所の建設が始まる。山小屋風、ガレージ風、日本風など、さまざまな監視棟の写真が残っている。まだユダヤ人は、この収容所の存在を知らない。
しかしワルシャワで、プラハで、ブリュッセルで、死の逮捕・連行劇は始まった。駅に集められる大量のユダヤ人。子供をあやす母親、絶望にうつむく女性の姿が悲しい。


彼らはやがて、貨車にすし詰めにされる。ユダヤ人である事を証明する腕章をつけた人々。子供連れの老人や、リヤカーで運ばれてくる老婆もいた。警察犬を連れたゲシュタポが、指揮をとっている。茫然とした表情でカメラを見つめる若い女性の目の奥は、不安と恐怖に満ちている。やがて汽車は出発した。狭い隙間から、何かが書かれたメモが落とされる。必死の抵抗文か、それとも遺言なのか。
霧に煙る夜、汽車は収容所に到着した。SSが貨車の前に整列している。今も残る線路。その線路が尽きる所に、収容所の門がある。
到着したユダヤ人達でごった返す収容所の敷地内。彼らは男も女も全裸にされ、頭は丸められた。選別の為に刺青や刻印を押される。ここにはドイツ人の刑事犯(カポ)も収容されていた。その上部組織には、SSと所長が存在していた。 収容施設は、いまでもそのままの形で残っていた。木製で天井が低く、狭い3段ベット、煉瓦作りのベッド。ここで脅えながら暮らした人々の心境はどんなものだったのか。
収容所には音楽隊がいて、毎朝の点呼時に曲を演奏したらしい。点呼の後は強制労働だ。猛暑だろうと極寒の中だろうと、極限の労働が彼らを待っている。3000人が死んだと言われる階段建設、地下壕の奥には軍用工場も作られていた。厳しい労働で、収容所の人間は数ヶ月しか生きることができなかった。カポ達が壁に線を引いて、死者達の数を数える。
労働の合間に、支給されたわずかなスープを飲む老人。しかし弱者は自分の食料を守りきれない。
囚人が使ったトイレは、完全な形で残っている。幅1メートル弱くらいのコンクリートに、左右2つの穴。いわゆる旧式のボットン型である。長さは数十メートルあるだろうか。支給されるスープには利尿剤が含まれており、夜中のトイレは混雑したらしい。ここは囚人達が様々な情報交換を交わした場所でもあった。
空しく響く標語・・<清潔すなわち健康>、<義務を果たせ>、<シラミが死を招く>・・収容所内には、動物園や温室、ゲーテのカシの木など、様々な<人間的>な施設もあったようだ。
孤児院に出入りする子供たちの動画、杖や義足をつけた人々が、ケガ人専用施設に向かって歩く行列。監視棟から、絶え間なく監視を続けるSS達。現在の監視棟から見えるのは、広大な雑草に埋もれる収容施設だ。鉄条網からの逃走を試み、有刺鉄線に手をかけて死んだ人間。裸で整列させられ、棒で叩かれる。囚人の体は皆、痩せて皮だけだ。絞首台、銃殺に使用された高い塀・・恐るべき残虐の証。


そんな絶望的な状況下でも、人々は何かを生み出そうとした。ワニのような怪物の像(石像か?凄い出来栄えだ)、金属製の箱、メモなど。カポ達と戦う組織も作られたらしい。病んだ仲間をかばおうとするが、最後に運ぶ病院では、死の注射が待っているだけだった。赤レンガの綺麗な病棟、20号棟。激しい息遣いの患者が横たわるベッド。目を見開いたまま死んだ患者もいた。隣の21号ブロックでは、SS用の医者や、見るからに怪しい看護婦が待つ。老看護婦の不気味な笑み。この手術台で、切開・切断・皮膚剥がし、化学薬品会社の実験・・信じがたい行為が行われたのだ。
分厚い名簿が映る。ページをめくると、名前に線が引かれている。死亡者には線を引いている模様だ。ほとんどのページ、ほとんどの名前には線が引かれていた。めくってもめくっても・・その一方で、カポ達には売春宿が用意され、所長宅では一般駐屯地と変わりない生活があった。優雅な生活を思わせる当時の写真と、すぐ隣の収容所での愚行とのギャップ・・
死体処理が間に合わない為、収容所では生産性の向上した釜が作られることになった。ヒトラーの側近・ヒムラーが収容所を訪問し、<生産的に処分せよ>と命令。巨大な煙突、オレンジの建物。生産するのはもちろんユダヤ人自身だ。 各地から続々と連行されるユダヤ人達は、すし詰め列車でアウシュビッツに到着する。到着した貨車には、息絶えた人々の死体の山。窒息・脱水死したのだろう。しかし生き延びて到着したとしても、ここではすぐに<選別>が行われる。労働に耐えないと判断された人々は即皆殺しだ。丸裸にされ、ガス室に送り込まれる。女性は腕で胸を隠し、脅えながらガス室へ歩く。
毒ガス・チクロンの缶が残っている。見せかけだけのシャワーがついた、天井が低く狭い部屋。コンクリートの冷たい壁に、ここに入れられた人々がつけたと思われる爪痕が残っている。固い天井にも・・。
ここからは、正視に堪えない画像の連続である。モノクロであることが、せめてもの救いである。



ガス室で死亡した人間の姿。口が半開きになり、白目をむいて死んでいる。これがチクロンの威力なのか。無造作に積み重ねられ、外で焼かれる。灰になった人体はあまりに無残だ。
火葬の釜もフル稼動だ。いくつもいくつも釜が並ぶ。一体何体の遺体がここで焼かれたのだろう。遺品の山も凄い。食器・靴など・・・こんなに保管してどうするというのか?衝撃的なのは女性の毛髪だ。束になった毛髪。カメラが次第に後ろに引いていく。引いても引いても捉え切れない毛髪の山・・その毛髪で作ったという毛布のロール。人骨の量もハンパではない。地面一面に敷き詰められた骨は、肥料目的だったらしい。半ばミイラ化した遺体から、ナチは石鹸を作ろうとしたようだ。何層にも重ねられた皮膚・・紙を作ろうとした。


終戦間際になって、収容所は更に拡大を続けた。数え切れない建物の映像。富豪企業が労働力に見込み、この収容所はナチの支配下から私有収容所に変わろうとしているのだった。しかし、これだけの労働力を持ってしても、ドイツは敗戦した。
ようやく解放軍が到着する。女性も多数いる。しかし彼らの面前に広がっていたのは、地面一面を覆い尽くす裸の死体の山だった。目の部分が陥没しているものもある。処理を早める為、ブルドーザで押しながら、深い穴に向けて死体を落としていく。ブルドーザが進むにつれ、死体が幾重にも盛上がって、シャベルからこぼれ落ちそうになる。まだ柔らかく、生生しさが画面から伝わってくる。



人力で死体を運び、穴に放り投げる。下半身むき出しの女性の死体。鉄格子越しに死体処理の様子を見つめる、生き延びたユダヤ人達の目は、何を語るのか。。 逮捕されたカポやSS達が裁判にかけられている。彼らは一様に<命令に逆らえなかった。自分達に責任はない>。では誰に責任が?
現在の収容所の映像に変わる。崩れた建物や、楽団指揮者が使用した譜面置きが残っている。ナレーターは語る<これはある時代にたまたま起きた、偶然でしかない事件だと考える人がいるが、それは現実から目を背けようとしているに過ぎないのだ。戦争は終わっていない。今もナチやカポ達は、我々の隣にいる>