| 高山病、そしてランシサ・カルカをめざす |
7月24日 6:00−起床、モーニングコーヒー、洗面 7:00−朝食 智之君の調子は昨夕より良くなってきたとの事。計画では本日もキャンジンゴンパ泊であり、大事をとって彼には本日は静養日としてもらった。 残りの3名はパーサンとともに高度順応を兼ねて近くの小ピークに登る事になった。 7:38−キャンジンゴンパ発 とりあえずキャンジンゴンパの小屋に一番近い小ピーク(4300m)をめざす。頭痛はしていたが、まだ耐えられそうな状況だった。途中、3回程度小休止。 9:50−タルチョーがはためく小ピーク(4300m)に立った。一瞬、高い山並みと氷河らしきものが見えたが、すぐに雲にさえぎられてしまった。 パーサンの話ではこの奥に4500mのピークがあるとの事。本日の目的はそのピークである。頭痛はどうか?と聞かれたが、あと200m、何とか耐えられそうな気もした。しかしながら頭痛は時々激しくなり、思わず目をつぶってしまう状態でもあった。一刻も早く下山しようか、疑問の中で足だけは進んだ。やがて頂上らしきものがすぐ上に見えたが、頭痛に耐えられず、パーサンにここで待っていると提案。が、下りのルートは頂上経由で反対側にあり、とりあえず頂上まで登らねばならぬとの事。頭痛は側頭部に集中し、こめかみ部分が締め付けられるようであった。もう少しなので早く登って、早く下山しようと気分を入れ替えて、一気に登った。先生はまだ登って来ず、パーサンはそれを待ってまだ下ろうとはせず、下山までのその数分間が非常に長いものに感じられた。 11:15−タルチェ・ピサ4497m(高度計では4535m)に登頂、ただちに下山。 200m程度下ったところで昼食。持参のランチボックスを開けたが食欲は全く無かった。みそ汁だけをいただいた。 13:47−キャンジンゴンパのロッジに帰還。 頭痛が治ったわけではなかったが、下へ降りたから緩和されたはずだと自分に言い聞かせた。少し気になったのは先生の下りの重そうな足取り。智之君の体調はだいぶ改善されたようだ。 キャンジンゴンパのロッジには計3名の日本人女性が入っていた。いずれもテントは持参しないでロッジとそこで出される食事を基にしたバックパッカー風であった。ブルーポピーに興味を示し、この先のランシサカルカに行きたいようだった。しかしながらテントは持参していないので、日帰りも厳しそうであり、行動指針が揺れているようだった。 7月25日 昨夜も頭痛で眠られず、頻繁にトイレへ通い、水を飲み、正座をし、深呼吸を繰り返した。 パーサンはランシサカルカで智之君の様子を見て、容態が悪そうだったらすぐにキャンジンゴンパに戻すと言っていたが、この分では私が先かなと思ったりした。 6:00−モーニングコーヒー、洗面、パッキング 7:00−朝食 7:40−キャンジンゴンパ出発 |
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30分ほど歩いて増水した沢の渡渉があった。ガイドを初めとする現地側スタッフの協力で、濡れずに渡渉成功。 そしてすぐに飛行場の跡地を通った。この飛行場は現在は使用されていないが、以前はヤクのチーズをカトマンズへ運ぶために使用したとの事。 その付近の谷の上に雪をいただいた山塊がかすかに見えたが、パーサンは「ガンジャラ」と言っていた。その横に「ガンジャラ・パス」と呼ばれるルートがあり、その昔、深田久弥もこのルートを利用してカトマンズからランタン谷へ入ったらしい。 やがてヤクの番人が季節に利用する粗末な石積みの小屋の前を通った。 ここが「ジャタン」のようであった。 |
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さらに道は続き、ヌバマタンが見えてきた。ガイドの判断で、我がチームはこの付近の牧草地にテントを設営する事となった。 11:00−テント設営地到着 ここからランシサまでは遠くなく、日帰りでその先の氷河付近まで行けるとの事。 午後から氷河を見に出かけるつもりでいたが、雨となり、テントで待機。やがて雨が止んだが、中途半端な時間となり、一時間ほどテント場の周辺を散策。この周辺にはヤクが多かった。数は少なかったが、馬も放牧されていた。 タルチョーの立つ近くの丘に登ったら、雲の切れ目に「ランシサ・リ」と思われる山が部分的に姿を見せた。しかし、すぐにまた雲間に消えた。 |
| 遠くの方で村人が集まって何やら仕事中だった。詳細が見えないので、ビデオカメラの倍率を上げてファインダー越しにのぞいて見たら、動物の解体作業中だった。大きさからいってヤクのようであった。 夕食時、ヤクの様々な肉料理が出された。美味かったが食欲は無かった。 もったいない。パーサンの話では、落石に当たり、死亡したヤクがおり、解体したばかりとの事。どうやら先程ビデオカメラでのぞいたヤクのようだった。 キャンジンゴンパにいた3名の日本人女性はテントを持たずにランシサをめざし、本日は「ジャタン」の石積み小屋に泊まったとの事。 |
7月26日 ![]() 雨期なので、毎日こんな天気だった。 歩き始め、後ろを振り返ると谷間に 雲が出てきており、ランシサ方面の 視界は悪そうであった。 |
私にとって長い夜がやっと明けた。夜間2時間ぐらいごとにトイレに通い、頭痛に耐えながら、ほとんど眠れない状況であった。 6:00−モーニングコーヒー、洗面 ガイドのパーサン、先生に頭痛を訴え、キャンジンゴンパへ戻る事を希望した。いろいろ考えた末、下記の通りに日程が変更された。 朝食後、私は一足先に直ちにキャンジンゴンパをめざす。 ・他のメンバーはランシサ・カルカ、氷河周辺を歩いてから、ここに戻り、昼食。その後にキャンジンゴンパへ戻る。 (というわけで、ランシサ・カルカ周辺での宿泊数は当初の予定では2泊であったが、1泊で切り上げる事となった。) まもなくして、荷物のパッキングをし、朝食後はテントの撤収作業を開始。 7:00−朝食 7:50−先生夫妻と智之君はパーサンとともに4名でランシサ・カルカ方面へ出発。 8:20−私はテントの撤収作業を待って、ポーターとともにキャンジンゴンパを目指して出発。(サブガイドのラクパは頭痛を訴え、昨日のうちにキャンジンゴンパへ戻っていた。) コック&キッチンボーイは昼食準備の都合もあり、残った。 |
| 初めてポーターだけと歩くことになり、改めてポーターたちを観察したが、足廻りはズック、ゴムぞうり等であり、満足な登山靴を履いている者はいなかった。そして常に30キロ程度の荷物を背負い、マイペースで歩いている。年の頃は若い者で16,17歳、上はせいぜい25歳程度か。 行動中に水を飲んでいたポーターに一度もお目にかからなかったので、水筒は所持していないようだった。彼らの力量では、こんなルートは水筒の心配をする程のルートではないのかもしれない。昨日やっと渡った沢も荷を担いだまま飛んでいた。強い。 11:00−キャンジンゴンパ到着 ロッジの前に昨日一足先に下ったサブガイドのラクパがおり、手を振っていた。 ラクパに状況を説明した。 |
![]() サブガイドのラクパ |
私は個人的にサブガイドのラクパと良く気があった。チーフガイドのパーサンは若いながら(22歳の独身)体力、技術、人格とも申し分なく、いわば今後のネパール山岳ガイド協会を背負って立つような人材であるが、ラクパは9年も兵隊を努め、年齢も36歳とパーサンよりも一回り以上も年上である。両親はカンチェンジュンの村に健在で、彼の妻と子供(3名)はカトマンズに住んでいる。 私がキャンジンゴンパの冷たい水でパンツを洗濯していたら、彼がやって来て手伝ってくれた。外国人男性にやってもらって非常に恐縮してしまった。また、彼は率先して我々の持ち物に注意を払ってくれた。頼まなくとも濡れた傘があれば広げたり、宿泊地に到着すればスパッツ、靴を集めて乾かしてくれ、洗濯物はないかと聞いて回った。 彼は非常に家族思いである。道中、日本側メンバーから時々出てくるアメ等は絶対口にしないでとっておいた。いつか家族の話になったら、今まで分け与えていたアメ類がそっくり彼のバッグから出てきた。帰ったら子供達にやるとの事。いつか与えたタバコもカンチェンジュンガのお父さんに渡すと言っていた。控えめなナイスガイである。高所障害には私と同様に弱そうだったが、無理をせずにさっさとキャンジンゴンパへ戻ってくるのも気に入った。 |
| 午後になり、小雨模様の天候が続いた。15時半、先生一行はまだ戻って来ない。飛行場手前の沢は無事渡渉出来ただろうか?少し心配になる。ラクパに傘を渡し、沢まで様子を見に行ってもらうが、結局私も沢まで出迎える事とし、霧雨の中、ラクパの後を追った。間もなくキッチンボーイ、しばらくして先生の奥さん、智之君と合流。先生はまだ見えなかったが、沢は全員無事に渡渉出来たそうだ。 そして、間もなく先生やパーサンと合流。先生はだいぶ足取りが重そうであった。 昨日ランシサ・カルカを目指した日本人女性3名は、昨夜はジャタンの石積み小屋に泊まった後、2名が私に2時間ほど遅れてキャンジンゴンパへ戻った。残りの女性1名はガイド、ポーターの男性2名と共にランシサ・カルカ方面を目指しているのを先生グループが目撃したとの事。 |