10年後、20年後の皆さんのご活躍を・・・・・・楽しみに

三宅研究室20周年に寄せて

三宅 理一

想い返すと早いもので、芝浦工業大学に着任してからもう20年が過ぎてしまいました。今年の11月に東大の建築学科卒業30周年の会を行ないましたので、大学を卒業してちょうど10年で教職についたわけです。それまで実は定職についておらず、大学院,フランス留学と気ままな生活を送っており、1982年になってようやく日本に戻ったのが30歳を過ぎてからです。パリ生活は7年に及び、ミッテランがジスカールデスタンを破って大統領に就任した時に、フランスを離れました。
 私にとっては1982年以前と1982年以後という自分史の「時代区分」があって、前者は大学時代から海外生活へと発展し自分自身が世界を飲みこんでいく時代、後者は大学の教職に就いて研究と教育という型通りの生活の中で世界と対峙する時代、と考えています。芝浦工大に着任したのがそのきっかけでした。
 田町の生活は本当に便利でした。といっても,建築学会などがあるために、現在でも田町とは切っても切れない関係です。1982年当時の芝浦サイドは、ろくに食事するところもなく、当時二階家だった「駒草」でいつもアジフライ定食を食べていたのを思い出します。銀行の支店ができ、橋が改修され、マンションが建ち並び、ついには博報堂がやってくるに及んで,芝浦は東京の重要なビジネス・セクターと認知されるようになりました。それでも建築工学科の入っている別館2号館は昭和20年代の建物のまま変っていないようです。
 この20年間の間にずいぶんと海外のプロジェクトに関わりました。当初はパリを引きずり、ポンピドーセンターやパリ装飾美術館の企画、ブリュッセルのユーロパリアの企画など、いわゆるファッショナブルなところとお付き合いしていましたが,その後、ロシアやルーマニアといった旧社会主義圏、エチオピアやジブチといった途上国にも深く関わるようになり,学生諸君とアドベンチャラスな旅を楽しみました。最近ではそのあたりが整理されて「韃靼ロード」とか「紅海の道」といった連続的な空間としていろいろなプロジェクトが動いています。
 1999年になって慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に移り、藤沢を本拠とするということで古巣の神奈川県に大きくシフトしましたが、大宮校舎での授業は続けており、一都二県を走り回っています。SFCの研究室が昔と大きく違うとしたら、それは女子学生が大半の研究室となったというところでしょうか。相変わらず海外プロジェクトが続いており、研究室メンバーも世界各地に散っています。
 最初の研究室OBたちはもう社会の中堅です。社会のいろいろな場面でご一緒することがありますが、皆忙しそうですね。20年という月日の厚みを感じます。これからの時代を担っていく皆さんが先輩後輩諸氏と手を合わせ、ますます発展していくことを心よりをお祈りしています。