地名余録(7)

斉藤廣志

(35)

 「一事をもって万事を律することなかれ」とは重々心得ているつもりだが、印象的ミスをしでかせば、その記憶はなかなか消え難く、相当のポストの御仁がある席上、「晴耕読雨」とおっしゃった話を又聞きして以来、そのお人を計るスケールになってしまったと嘆いている友人もいた。
 ある地名辞書を大枚をはたいて購入し、開巻して「愛染山…蒼前(相染)信仰の山」という記述を見つけてしまった。眼を疑ったが確かにそうなっている。その瞬間以来信用度が五割方削減してしまった。これは単なる誤植などではない。「一事をもって…」と改めて自分に言い聞かせながらも、その辞書を手にするごとに、やりきれぬ不信感が伴うのをおぼえざるをえないのである。

(36)

 秋田市上新城石名坂字石名坂の「名」は「…の」であって、ノはダに転訛して、同市豊岩石田坂の大字やそこの小字の石田坂の姿になるのだが、県内に同名の字が総数10以上を数え、石名坂や石名館もある。
 この「…の」の意味のナに「名」を当て字しているうちはよいが、これが「無」を使われると、とんだ誤解を誘発する。青森県三戸郡新郷村戸来に石無坂があり、イシナシザカと称しているらしいが、表記につられて生まれた呼称か、その逆かによって、プラスがマイナスにもなるのである。このように「無」を当て字にされては人心を惑わすこと甚大。
 陰暦六月の水無月は梅雨が終わったあとで、水は極めて豊富であって、田に必要な水を引く月、水の月の意味であるけれども、字面ではとてもその感じがなさそうである。
 神無月もまたしかりであって、春以来の農作業を終了して、十分な収穫を収めたお礼をするための神事をする神の月だったのが、諸国の神々が縁結びの相談に出雲大社に集合するので、国中は神さまお留守の神無月、出雲だけは神有月などという伝承が全国にひろまっている。これも「無」の字のまねいた絵空事であって、なんとも迷惑至極な話である。
 毛無谷地は秋田市下新城長岡の小字名だが、この地名も丁寧な解説を要する。毛は草木、植物一般と考えてよいが、無はナシと読み、「成し遂げる」とか「成し立つ」「為し出ず」などのナシデあり、草木が十分に繁茂した湿地が毛無谷地である。従って毛無の反対が不毛ということになろう。
 このケナシにはアイヌ語解もある。北海道の道南部に豊城という地名があって、アイヌ語ではケナシ・オロ・コタンと言い、そのケナシは川端の林という意味だという。従ってアイヌ語で解しても、木や草の生えていない状態ではないことになる。
 余談だが、無という漢字は「一説によれば」と注記はしてあるが、舞の原字だという。袖をひろげて舞う姿の象形文字なのだそうで下の四つ点は連火ではなく袂の飾りだというのである。それが専らナッシングの意味に使用されだして、やむなく舞を新しく作ったらしい。予想だにせぬことがあるものである。

(37)

 随分前のことだが、名の知られた古老が五城目の富津内はアイヌ語に相違ないと言っているのを聞いた記憶がある。  まさか昨今なら居ないだろうが、ナイと聞けばすべてアイヌ語などとは思ってはならない。富津内は明治二十二年に富田、中津又、下山内の三村が合併した時、各村から一字づつをとって合成した地名なのだから早とちりしてはならない。
 米内沢は秋田県にあるが、米内はない。しかし東隣りの岩手にはある。
 これはアイヌ語だろうと久しく信じていた。だが、これと重複するような地名は北海道にはなくて、どうも日本語らしいという説が有力になってきた。年貢を多く納める余荷、余納にかかわる地名といわれているので、くれぐれも要注意。従って米内沢の「沢」は異言語間の同義重複の好例としていたが、そんなことには無関係ということになるようだ。

(38)

 旧国名が県内の大字や小字になっている例は多く、平鹿町浅舞の豊前は昔豊前という浪人が開拓し、十文字町越前の越前は開拓した浅野喜右ェ門の生国が越前であったと言うような記述が菅江真澄の「雪の出羽路・平鹿郡」に見られる。
 これは旧国名だが、人名が地名の中に組み込まれている実例も甚だ多い。
 そのいくつかを拾ってみると、鹿角市三ッ矢沢の清助林、徳右ェ門林、長右ェ門林、久治林、大森町袴形の東、上、下を冠した太郎左ェ門林などは林の例である。
 阿仁町荒瀬馬見長根の文右ェ門森、鳥海町中直根の初蔵森、与平森などは森の例である。
 羽後町床舞の八郎右ェ門堤、能代市槐の五郎左ェ門堤などは堤の例だが地名由来が明白な場合はよいが、今調べておかないと永久に解明できなくなってしまうおそれがあるのもあろう。ご存じの古老がお元気なうちに是非とも後世に悔いの残らぬようにご尽力願いたい。既に手遅れのケースもあるだろうとは思うが…。

(39)

 北方四島と呼称される歯舞は明治三十年の五万分の一地図ではアポマイとなっているそうで「流氷・ある・もの(島)」の意味とされる。色丹は「大きい・村」。択捉は諸説あるようで、一例を挙げれば「岬・ある・所」。国後については幕末の蝦夷地名解という文献では「クナシリ。夷語キナシリなるべし。キナとは草の総称、シリとはモシリの略言にて島のことなり」と書いてある由である。
 時折、ロシアが返還をほのめかす、そぶりをみせるのは四島中の歯舞、色丹の二島だが、四島の半分だから大英断のつもりだろう。
 しかしながらそれぞれの面積は平方キロ単位で歯舞が周辺の小島を併せて101.59、色丹が255.12、国後が1500.04、択捉が3138.99、従って二島は併せても7.1%にすぎない。島数では二分の一だが面積では一割にも程遠いのである。
 沖縄の返還が話題になり出した頃、「アメリカとはソ連は違う、ソ連が相手なら百年はかかる」という識者の声があったのを記憶している。激戦を繰り返して占領した沖縄をさえ返してくれたのだから終戦のどさくさまぎれに奪取した四島ならという理屈が通用しない世界もあるのである。フランスには「不可能」の字句がない辞書もあるということだが、辞書に「火事場泥棒」が載っていない国もあるのであろう。

最初のページへ戻る