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(山腹に広がる緑豊かな町・ラメーゴ)
Portugal Photo Gallery --- Lamego

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丘の上の教会

ノッサ・セニョーラ・ドス・レメデイオス教会

踊り場の彫刻

ワインの里

朝もやの町

市長庁

ラメーゴ美術館

カテドラルの回廊

カテドラル

戦車と教会

うろこ壁

買い物帰り

旧市街への入り口

たずね人は・・・

早朝のお掃除部隊

赤鼻の靴屋さん

皮のギター

焼きたて

看板

七面鳥

アヒルの散歩

☆ラメーゴの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトから、バスで、ヴィラ・レグア乗り換えで3時間半ほどかかる。
古くからこの地方の宗教や商業の中心として繁栄したことを、
16世紀に建設された修道院や18世紀の領主達の館が物語っている。
アフォンソ・エンリケス王がポルトガル初の国会をラメーゴで開いた。
発泡性のワインとおいしいスモークハムがラメーゴの自慢である。

 スライドショウはこちらからどうぞ!

「ポー君の旅日記」 ☆ 山腹に広がる緑豊かな町・ラメーゴ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 4月19日(月)。ブラガンサからラメーゴへの移動日。 予定していた11時発のバスを、早朝6時発に切り換えた。
昨夜、スーパーで調達したサラダ具材を調理(?)していた相棒が『明日は早朝の一番バスでラメーゴに行こう、ポー』と、予定変更はひらめきか。 すんなり決まる。 予定では、バスが1日3本しかなく、昼のバスにしていた。 明日の朝も、雨模様らしいので早く先の旅がしたかったようだ。 ホテルのモーニング付を捨てて、まだ暗い5時10分に、街灯の明かりが石畳を照らす坂道を登ってバスターミナルに急いだ。 ポーの腹がグ〜ッと、鳴った。 相棒がウフッと、笑う。5時30分にバスターミナルに着いたが切符売り場は閉まっていた。 ベンチで相棒はリックからバナナを取り出し、モグモグ。 『ポーも食べる?おなかが泣いて、たよ』 空が少しずつ明るくなってきた。 ブラガンサからラメーゴまで3時間10分かかるようだ。 昨夜、ここで下調べしておいた。

 「けいの豆日記ノート」
 余裕もって早く来すぎて30分も待っていた。 6時になり、やっと、バスが来た。 朝、切符売り場が閉まっていたので、切符を買わずに、バスに乗り込んだ。 バスの運転手さんは、切符がないとダメだといっているらしい。 でも、切符売り場に戻って買う時間はないと判断したのか、そのまま乗せてくれた。 次のバスターミナルで運転手さんは、切符売り場までついてきて係りの人に説明してくれた。 無事に切符を買うことができた。よかったよ。 朝、早く来すぎて、かえってダメだったね。 10分前くらいだっったら開いていたのだろうけどね。 運転手さんが親切でよかったよ。

 ラメーゴまで直通だと信じていた。 乗客は他に3人しかいなかった。ガラガラだったので、席をひとつずらして座った。 それが、失敗だった。写真家はいつものように即、眠りにおちていた。 だから、後の席で文庫本を読んでいた。 どれくらい走ったのか、うとうと眠ってしまった時、運転手に起こされた。 乗換えだと知らされた。 急いで荷物をまとめて降りた。 (ブラガンサから2時間ほど走ってきたヴィラレアルの小さなバスターミナルだった。) 30分後にラメーゴ行きが来ると言う。乗換えなんて、聞いてない!あわててしまった。 仕方なしにベンチに座って待つことにした。 その時、気が付いた。 座席のネットに、ガイド本とポルトガル語の会話本、それに旅の記録帳を忘れたことを。 既に、さっき乗っていたバスは出発した後だった。 ガイド本がないとこれからの旅の情報が停止だ。旅を続ける羅針盤がない。 あ〜あ。予期せぬ出来事は突然やって来るものだ。 ガイド本がない。旅の羅針盤がない。これからの旅に不安が迫る。

 教訓【ガイド本は二冊、持参すること】と知った。でも、悩んでも仕方がない。 こんな時こその『まっ、いいか!』だった。 ブラガンサからの運転手は親切だった。 口ひげで怖い顔だったが心はとろけるほど優しかった。 忘れ物の手配は勿論のこと、任務が終ったのにラメーゴ行きのバスが来るまで待っていてくれて、若い運転手にポーたちの下車駅を指示してくれた。 口ひげの運転手に出発前、相棒は手製の折り鶴をお礼に差し出した。ひげの下から白い歯が光った。
「オブリガード!」と、ポーは運転手に頭を下げた。

 「けいの豆日記ノート」
 ガイド本がないとは、この先、不安だなあ。 普段、慎重なのに、こんな失敗することあるんだなあ。 ポルトガルには日本語のガイド本売っていないしな。 でも、ないものは、しかたがない。 まあ、なんとかなるでしょう。

 ラメーゴまでの1時間はポルトガルの広大さを知らされた。 バスの車窓に展開してくる風景に飽きなかった。 ぶどう畑が急斜面の山肌にしがみつくように耕され、それが走っても走っても車窓に続く。 さすが、ポルトワインの国。地の果てまでぶどう畑のようだ。 ぶどうの芽が出始めていた。その緑がパステル画のように色鮮やかに車窓を飾ってくれた。 綺麗だった。 ラメーゴに着いたのは、雨上がりの午前9時過ぎ。 わざわざ、若い運転手が座席まで知らせに来てくれた。頼まれた約束を守ってくれたのだ。 お礼の折り鶴が1羽、相棒の手から彼に飛んでいった。 ガイド本がないので、まず、トリズモ(観光案内所・インフォメーション)を探した。 地図と資料が欲しかった。カテドラル(大聖堂)の斜向かいにあった。 しかし、閉まっていた。10時オープンらしい。

 「けいの豆日記ノート」
 ラメーゴのホテルは、日本から、ファックスで予約しておいた。 普通、OKの場合、返事がくるのだが、このラメーゴのホテルは返事が来なかった。 再度、確認のファックスを送ったが、やはり返事が来なかった。 だから、予約が通っているのか心配であったが、繁盛期でもないので、ダメなら、ほかを探すつもりでいた。 でも、実際、尋ねてみると、すんなりOKで、心配することもなかった。 返事は、ほしいよねえ。

 まず、頼まれた用事を済ますことにした。 ラメーゴに行くなら届けて欲しいと3枚の写真を預かってきた。 1年前ここに写真仲間の友人が6人組ツアーで来た時写したおじいさんの写真だった。 高台にある城跡の旧市街地に住んでいたという。通りから町を見上げ城跡を探す。 トリズモの脇にある狭い石畳の坂道が城跡に向かって伸びていた。 おじいさんの家の門扉には《3》の数字が書かれている、その写真が手がかりだった。 旧市街の石畳を20分も登っていくと、12世紀に造られたという城跡が目の前に迫ってきた。 狭い路地に建ち並ぶ家々の門扉に書かれた数字を捜す。 《3》の数字が角を曲がったところで眼に飛び込んできた。その家の呼び鈴を押した。 返事なし。もう一度、押す。白髪の老人が渋い顔で戸をあけた。 写真の顔と違う。でも、写真を見せた。老人は黙って隣の扉を指差した。 門扉の番号は《5》だった。ごめんなさい、と頭を下げた。隣の門扉、《5》の家のベルを鳴らす。 女性がふたり出てきた。写真を見せると、困った表情に曇り、手を振る。在宅ではないようだ。 ふたりには笑みがない。でも、帰宅したら渡して欲しいと、写真と友達からのメッセージを渡す。 話せないから、この写真を届けに来たなり行きを細かく伝えられない。 だから、家族の人も写真を届けにこられても、なぜおじいさんの写真なの、と戸惑ったに違いない。 押し渡すように写真は無事、家族に。役目を果たした。 『チヤオ!』と、声を張り上げ家族に別れを告げた。不機嫌そうだ。 あの時、不機嫌だったのは、おじいさんは不在ではなく、亡くなっていたとしたら・・・ 幸せの郵便配達人になりたかったが、雰囲気が冷めて感じられた。 悲しみの後を土足で踏み込んでしまったのではないのか、無頓着に。 意志を伝えられない苛立ち(いらだち)に、そんな自分に腹立たしかった。 何が幸せの郵便配達人だと後悔した。

 「けいの豆日記ノート」
 友人は、おじいさんの家の場所をかなり正確に覚えていて、地図まで描いてくれた。 でも、家がくっついているので家は、勘違いしていたのかもしれない。 日本から、わざわざ、写真を持ってたずねていったのだから、普通、歓迎してくれるものなのだけどね。 友人の手紙はポルトガル語で書いてあったし、状況はわかりそうなのに。 折鶴をあげてもすごく感激されること多いのになんでかな。 ちょっとがっかりしてしまったよ。

 城跡に登った。空が開けた。そこからの展望が暗い気持ちを一掃してくれた。 ラメーゴの町が一望だった。相棒もその景観に気持が吹っ切れたようだ。写真家の顔に戻った。 小さな町だったが、中世を感じさせてくれる風景であった。笑顔が相棒に戻った。 城跡から狭い石畳の坂道を下る。両側に小さな店が列車の窓のように連なる。 チキンの丸焼きの香ばしい匂いが堪らない。 店先から細長く奥深く何千本ものワインが並ぶ酒屋、肉の固まりが店先に吊るされる肉屋、手を振る可愛い売り娘の八百屋など楽しい路地だった。 トリズモに、出た。11時、オープンしていた。 小柄な眼のクリクリした女性が笑顔で迎えてくれた。 観光資料と地図をカウンターにひろげ、熱心に地図を説明してくれた。 ここを訪れる日本人は珍しい訪問客のよう。 相棒は、言葉は判らなかったが、失くしたガイド本のラメーゴ地図が頭に残っているのか『sim!sim!』と返事も軽やか。 奥から、ラメーゴの絵葉書のセットをもってきてくれた。 けっこうりっぱなものだ。
彼女の対応が心地よかったのか、持参していた「愛しのポルトガル・山之内けい子写真集」を1冊あげた。 大きな瞳が更に大きくなって、喜んでくれた。 彼女の名はマリア・ヨゼ・フェレイラさん。アドレスの交換をした。

 「けいの豆日記ノート」
 未知の旅先で優しくされると嬉しいよ。特に、この3時間あまりに起こった事件? 《ガイド本紛失・おじいさん写真》で心が沈んでいたのでマリアさんの優しい対応に心が解けたよ。 どこのトリズモでも、だいたい親切にしてくれる。 特に、田舎のトリズモは、やさしいのでうれしい。 こちらから、なんにもいわなくても、この地域の名所などの場所など説明してくれる。 言葉は、わからなくても、地図に書き込みながらの説明はわかるものなのだね。

 朝食抜きだったので、腹ペコ。 11時半すぎ。トリズモの目の前、カテドラル側に中華店の看板を発見。 看板が呼んでいた中華店に入った。客は誰もいない。 昼にはまだ早い。若い女性が注文に来た。 「ニーハオ!」と言うと、えっ?という顔が笑顔に変わり「ニーハオ!」と応えてくれた。 美味いか不味いかは二の次。奮発した。驚く顔がくずれる。 無理もありません。注文は、海老チャーハン3・5 鳥のあんかけとナッツのチャーハン2・5  モヤシとレタスときくらげサラダ2・5 ワンタンスープ1・3 ジャスミン茶2・0 計11・8ユーロ(1534円)。 眼を丸くするのも当然だ。大奮発だ。 たまにはいいよね。 気がついたらガラガラだった店内が地元の人で満員になっていた。 ラメーゴの人は中華が好きなんだあ〜。久し振りの中華。お腹が空いていたので美味しかった。

 「けいの豆日記ノート」
 中華店は、どこの町にいってもある。 赤い派手な提灯がぶらさがっているので、すぐに中華だとわかる。 安くて、量が多くて、ヘルシーだということが、ポルトガルでも人気のようだ。 昼時には、どこの中華店も満員になる。 ポルトガルで、モヤシが食べれるとは思っていなかったよ。 野菜炒めは、もちろんのこと、サラダにもたっぷりとモヤシが入っている。 普通のスーパーや、八百屋では、見たことがない。 中華専門の店があるのだろうか。 リスボンでは、中華食材店に入ったことがある。 日本のインスタントラーメンなどの食材も売っていた。 値段は、少し高いがしかたないかな。

 店の前はラメーゴのメインストリートだった。マリアさんから貰った地図が役立った。 ありがたい。巾40m、中央が公園になって南北に300mほど伸びたストリートの先は丘。 その丘の上に建っているのが、ノッサ・セニョーラ・ドス・レメディオス教会。 教会までは400mほど急な石段が続く。 その石段を数えて登ったら、557段あった。 石段の途中には、7箇所ほど踊り場があり、そこには見事なアズレージョの壁面が残されていた。 その壁面が楽しみで登りきれた。 隠れた横には、ケーブルカーが作ってあった。 やはり、信仰のない、観光客には、この階段はかなり辛いと思われる。
 教会は大きく壮絶だった。歴史の重みで、迫る。 1771年に完成したバロック様式。まず、ファサード(正面入り口)に圧倒される。 内部では、息を呑んだ。壁面に埋め込まれた天窓のステンドグラスの見事さ。天井のデザイン。 祭壇の華麗さ。それらが、心を溶かすほどの調和で降り注いできた。 何故か、嬉しかった。この国で沢山の教会に出会ってきたが、この教会は心に残った。
 翌朝、4月20日(火)。ホテル「ソラール・ダ・セ」の部屋の窓から、丘の上の教会が見えた。

 「けいの豆日記ノート」
 ホテルの0階はレストラン。1階(日本で2階だが)から上がホテル。 ホテル客の食堂は1階にあった。レストランに下りる階段から焼きたてのパンが運ばれてきた。 お腹をくすぐる香ばしい匂いがたまらない。 3種類のパンにバターとジャムをたっぷりぬって、香りと共に食べた。 おいしい、また太りそうだよ。 普通、食事がまずいとか、水が合わないとかで、痩せて帰るというのがよく聞く話だが、いつも3キロは太ってしまう。 質素な生活しているのになんでかなあ。 パンにバターをたっぷり塗りすぎるのが原因のような気がする。 歩くので、お腹が空いてたくさん食べてしまうからかな。 どこでも適応できる自分が恐ろしい・・・

 万歩計の25322歩の数字を0に戻した。昨日はよく歩いたものだ。 ポルトに帰るバス出発時刻までの2時間を歩き回った。 お店屋さんがあると覗いてみる。 靴の修理をする鼻の赤いおじいさん。 革製品を作るおじいさんはお手製の皮製のギターで生演奏してくれた。 アヒルの軍団を散歩させるおばあさんにも会う。相棒もアヒルに仲間入り。 アヒルとの散歩にご満悦。 七面鳥にも会えた。 白い大理石の墓碑が並ぶ墓地では、生花を飾る中年夫婦に会う。 撮影させていただいたお礼の《折り鶴》は忘れない相棒。その出会いの弾ける笑みがいい。 ポルトガルでもう何羽の折り鶴が舞って行っただろうか。 4回の訪問で、1500羽は下らないと思う。

 今日は、ポルトに戻る予定の日だ。 行きは、バスだったので、帰りは、列車にすることにした。 列車の駅のペソ・ダ・レグアまでは、バスに乗る。 野外バスターミナルのベンチで、6人のご婦人方との《折り鶴教室》が始まった。 時間があれば何処でも「お礼の折り鶴」を作る相棒。それを見て、おばさんたちは教えてと言う。 千代紙を配って、相棒は先生となる。言葉は、いらない。一枚の千代紙があればいい。 紙が鶴に変身。六つの皺だらけの両手から六羽の鶴が誕生していくと、その度に拍手と歓声が起こる。 皺の笑顔が弾ける。バスが来た。

                              *「地球の歩き方」参照*

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