Laika
pupa「floating pupa」/2008年
Words高橋幸宏・天辰京子

※pupa「floating pupa」には、ジャケットの歌詞に日本語訳が付されています。
ここに筆者が個人的に訳したのは、あくまで一例としての試みで、正確にはそちらの方をご覧下さい。


空ン中 宇宙ン中 どんどん上がったよ
ぼく 地球のぐるりを飛んでるンだ
キラキラの星の海に投げ出されたの
夢の軌道を さまよい流れてるの
どこに行くか知りたいよ
きみ 知ってる?

ウチュージダイノトーライ(宇宙時代の到来)なんだってサ
ジンルイノギセーシャ(人類の犠牲者)らしいよ
ぼく この場所から きみを見てる
地球の周りを回るこの場所からね
だんだん景色が薄れていく
まるで夢みたいだな

ぼく もいちど 原っぱを走りたいなあ
雨に濡れた緑の草の中をかきわけてさ
鳥とみつばちの歌をききながら
地球の星に戻って行った宇宙飛行士サンみたいに
いつか帰れるンだ
ぼく 信じてるよ
ぼく 信じてる





「ライカ」
って、最初聞いたときはてっきりカメラのことかと思っていたのですが、
これは、ライカ犬のことなのだそうです。
1957年、ソ連が打ち上げた人工衛星スプートニク2号にたった1匹、実験動物として乗せられた犬。
スプートニクは衛星軌道に到達し、地球を周回しましたが、役目を終えると大気圏に突入してバラバラになりました。
乗せられたライカ犬は、安楽死させられた、いやその前に過熱によって死んでいた、などいろいろ取り沙汰されているようですが、いずれにしろ、宇宙の塵と消えたことに間違いありません。

幸宏さんは、映画「マイライフ・アズ・ア・ドッグ/1985年」を観て、この犬のことを知ったのだと、ライブのMCで語っていました。
おれは未見なのですが、監督はスウェーデンのラッセ・ハルストレムで、この人はリンドグレーン原作の「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春夏秋冬」などを撮った方。
こちらの映画はとてもよかったんで、今度「マイライフ……」も観てみようかなと思います。

さてしかし、映画「マイライフ……」にライカ犬が直接登場するわけではないんだそうです。
スプートニク打ち上げのニュースに揺れる1950年代のスウェーデンの小さな町を舞台にした少年の物語。
彼は不幸に見舞われるのですが、
「人工衛星で死んだライカ犬より僕はまだ幸せだ」
と星空につぶやくのだとか。
それほどにライカ犬は、世界でいちばん不幸な……というより、宇宙でいちばん不幸な、象徴的な存在だったのでしょう。

村上春樹さんも「スプートニクの恋人」という作品で、ライカ犬に触れていました。
アメリカ文学の流れの一派である「ビートニク」という言葉を思い出そうとして、「スプートニク」と言い間違えた女性のことを
「スプートニクの恋人」
とあだ名した、というエピソードから表題が付けられています。
主に東京を舞台にした男女の物語なのですが、しかし、随所に人工衛星に乗せられたライカ犬のイメージが盛り込まれ、その絶対的な孤独が、現代を生きる登場人物たちの孤独と重ね合わされています。

アルカトラズに幽閉された囚人も、孤島に生きたロビンソン・クルーソーも、山ごもりして修行した大山倍達も、その孤独のかたわらにはいつも地球の自然がありました(過酷な自然であれ)。
しかしライカ犬は、地球の自然からも切り離され、莫たる宇宙の深遠に放り出されたわけです。
引力を唯一の絆として地球を回る衛星の中に閉じ込められて。
(小説の中で、“スプートニク”というのはロシア語で「旅の仲間」というロード・オブ・リングみたいな意味であることが説明されています。
ライカ犬を閉じ込めた鉄の塊が「旅の仲間(連れ)」というのは皮肉なものです。)

知世さんは、幸宏さんが書いたこの詞を読み、号泣したのだとか。
(もっとも号泣した後、そんな自分がおかしくなり、笑ってしまったそうですが。)
無限の宇宙の中、家族、仲間、人間も故郷も自然も地球のすべての絆を断ち切られ、ぽつねんと死を迎えようとするその存在を想い、幸宏さんの詞を読むと、たしかに知世さんの気持ちもわからないではありません。

ちなみに、ライカ犬はメスだったそうです。
が、ここでは、中性的な感じで「ぼく」として訳してみました。

しかし。
地球の上に住み、家族や仲間や自然に囲まれ生きているおれたちだって、誰でも心のすみにライカ犬を1匹飼っているような、そんな気もします。