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IT組織 失敗の方程式 〜分断と丸投げの行き着く所

目次

はじめに p1

第1章 あなたの組織はこうなってはいませんか p2

1.潰れた組織の悲惨な状況 p2

2.機能不全に陥っている組織の特徴 p3

 1)コミュニケーションの不全 p3

 2)手抜き行為の蔓延 p3

 3)丸投げ行為の横行 p4

第2章 組織崩壊の一里塚〜こうすれば組織は潰れる p5

1.組織の細分化が招く弊害 p5

2.コミュニケーションの断絶が招く弊害 p6

 1)情報共有化阻害の進行 p6

 2)人材共有化阻害の進行(人材の固定化) p7

 3)資金共有化阻害の進行 p7

 4)リスクの増大 p7

3.組織ミッションの不透明化 p7

4.動機付けの喪失(コストドライブ対プロフィットドライブ) p7

5.組織構成員の高齢化と管理職ポストのばらまき p8

第3章 多重請負構造と丸投げが招くもの p9

1.外部委託と丸投げ p9

2.丸投げは破滅地獄への一里塚 p10

 1)業務委託が責任放棄にいたる悪魔のステップ p10

 2)膨張我欲の行き着くところ p11

 3)責任なき業務委託は破滅地獄への一里塚 p12

3.なぜ丸投げをするのか p12

 1)なぜ丸投げが横行するのか p12

 2)丸投げを生む背景 p13

 3)バブル崩壊による社会の二極分化 p13

 4)過去の勝因が今日の敗因となる p14

4.IT業界における丸投げの実態 p15

 1)客先から開発ベンダーに対する丸投げ p15

 2)開発ベンダー親会社から子会社に対する丸投げ p15

 3)開発ベンダーから外注に対する丸投げ p15

 4)開発ベンダー社内における丸投げ p16

 5)上司から部下への丸投げ p16

 6)最下層現場の生の声 p16

 7)階層間の利益格差に合理性および妥当性はあるのか p17

 8)丸投げが及ぼす害毒 p19

 9)責任放棄のアウトソーシング・丸投げは組織の最大リスク p20

第4章 開発組織崩壊の背景〜日本株式会社の深層崩壊 p21

1.丸投げによる人および組織の崩壊 p21

2.日本の組織の現状 p21

3.伝統的「和」の組織の劣化 p22

 1)組織行動原理の情緒化・独善化 p22

 2)セクショナリズムの蔓延 p22

 3)年功序列の弊害 p23

 4)契約精神の欠如 p23

 5)責任意識の欠如 p24

4.バブル崩壊による市場の収縮 p24

5.グローバル化による利益至上主義 p25

 1)利益至上主義の弊害 p25

 (1)膨張我欲 p25

 (2)利益至上主義の暴走 p25

 (3)失われたホームポジション(安住の地) p26

 2)丸投げの横行 p26

 3)空洞化の意味するところ p27

6.日本的「タテ」組織の深層崩壊 p27

 1)非正規雇用者の異常な拡大 p28

 2)多重請負構造 p29

 3)二極分化による組織の崩壊 p29

第5章 開発組織再生への道筋〜こうすれば潰れた組織は再生できる p30

1.我々の現在の姿 p30

2.分断から統合へ p32

3.丸投げからの脱却 p33

 1)丸投げをやめよう p33

 (1)再生に向かって p33

 (2)再生へのステップ p33

 (3)めざすべき道 p34

 2)丸投げからの脱却 p34

 (1)自律的な組織の確立 p34

 (2)妥当性・合理性の追求 p35

 (3)相互義務の履行 p36

4. 組織再生に向けたアクション p37

 1)利益至上主義からの脱却 p37

 2)丸投げ行為の排除 p38

 3)価格競争から価値競争への転換 p39

 4)妥当性に基づいた合理的行動の復活 p41

 5)組織の若返り p42

5.新しい組織の姿 p45

6.組織再生の具体策 p45

 ◎ポイント1.いきなり全てを改善することはできないと言うこと p45

 ◎ポイント2.負荷の軽減策の実行 p46

 ◎ポイント3.資金の投入 p46

 ◎ポイント4.どこのだれが助けられるのか p46

 ◎ポイント5.細分化された組織の統合 p47

おわりに p48

参考・参照文献 p50

引用 p50


はじめに

 「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」という名言をご存知の方も多いと思いますが、この言葉を文字通りに解釈すると、「偶然や運による勝ち方もあり理由が判然としない勝ち方があるが、負けた理由ははっきりと特定できる」ということを言っているように思えます。もう一段深く解釈してみると、「勝利に至る道筋にはさまざまな不確定な要因が絡み合うが、敗因はすべて確定した原因がある」と言えます。

 私たちのITプロジェクトにも同様のことが言えると思われます。ITプロジェクトの成功に関してはさまざまな不確定要因が絡み合い、100%の成功の方程式などはないが、失敗に関してはすべて確定した原因があるということになります。

 そういうわけでITプロジェクトを成功に導くための指南書や方式およびツールが山ほどあったとしても、それらは100%の成功を保証できるわけもなく、何十年たっても努力の甲斐もなく、成功プロジェクトは現在においても30%台と低迷し続けています。さまざまな指南書等は一定の効果は持っているものの、自分の現在の環境下において果たしてどれ程の実効があるのかは大きな疑問符がつかざるを得ません。

 このような経験則によって導き出された真理は、私たちに「成功の方程式を追い求めるのではなく、失敗の方程式を追求せよ」と語りかけているように思われます。

 そういうわけで本書においては、どのようにすればIT組織が潰れるのかという視点に立って我々の失敗の本質を明らかにしていきたいと思います。その本質が分かれば、幾百幾千の成功の指南書を追いかけることに無益な労を費やすことなく、失敗の方程式が示すところの失敗のパターンを回避することが逆に現実的な成功の実りを獲得できる有効な方法になるものと思われます。

 本書は、以下の構成で記述されています。

 第1章「あなたの組織はこうなってはいませんか」においては、機能不全に陥っている組織の特徴を示し、読者の組織ないしはプロジェクトの現状と対比してみることで、その健康状態を自己診断できるようにしました。 第2章「組織崩壊の一里塚」においては、どのような過程を経て組織やプロジェクトが機能不全に至るのかを示しました。 第3章「多重請負構造と丸投げが招くもの」においては、組織における死に至る病ともいえる「丸投げ」行為がもたらす災禍およびその対策について取り上げました。第4章「開発組織崩壊の背景」においては、日本特有の文化および環境の変化の視点から組織崩壊の本質を分析しました。 最後にまとめとして、第5章「開発組織再生への道筋」において崩壊してしまった開発組織およびプロジェクトの再生法について具体的な対策を示しました。

 組織をダメにするのも再生できるのも結局人間であって、まだあきらめていない皆さん宛てに組織の再生を託したく、そのメッセージを本書に込めて贈りたいと思います。


第1章 あなたの組織はこうなってはいませんか

1.潰れた組織の悲惨な状況

 下記に示したチェックリストは機能不全に陥った組織における典型的な症状を示したものです。これらの症状は組織が組織として機能していないことを表わしているもので、所属のメンバーたちにおいては組織的な活動ではなく皆バラバラな行動をとっている状況、すなわち組織戦ではなく個人戦を行っているということを意味しています。 あなたの組織において下記のチェックリストに示した症状に該当するものが幾つあるのかチェックをしてみてください。

(組織内部の問題)

 □ 不都合な情報の隠蔽が常態化している。

 □ 長時間残業で皆疲弊しており、もうこれ以上働けない。

 □ 要件定義能力・設計能力・仕様変更影響度表作成能力・技術指導能力が低下している。

 □ 複数の工程および複数の協力会社の統合コントロール能力が低下している。

 □ 協力会社には丸投げ的な指示しかできていない。

 □ 協力会社等への開発指示遅延が常態化し開発生産性の極端な低下を招いている。

 □ 他の開発チームとの仕様やテクニカルに関するノウハウ共有を可能にする環境ではない。

 □ 責任を取る人・取れる人が誰もいない。

 □ 若い社員が定着せず辞めていく。

 □ 各チームは組織戦ではなく個人戦的な状態に陥っている。

(改善活動の状況)

 □ 個々のQCD改善活動によって再生できる状態ではない。

 □ 改善活動などを行う暇もない。

(開発費の問題)

 □ 累積赤字で人材投入もままならない状態に置かれている。

(対顧客の問題)

 □ 市場不具合が継続的に発生し続けている。

 □ 要件定義を初めとし顧客とのコミュニケーションがうまく行かない。

 □ 多すぎるリリースによる同時並行的な開発に悩まされている。

(対営業・SEの問題)

 □ 営業・SE組織とのコミュニケーションがうまく行かず協調・連携ができない。

 これらの問題のほとんどは、開発者個人における能力的な問題というよりもマネジメント・リスクに原因があると言えます。組織の問題はマネジメントの問題であり、組織のマネジメント能力に強く依存しています。

2.機能不全に陥っている組織の特徴

 組織の役割はその機能を果たすところにありますが、その役割を見失った結果として機能不全に陥った組織に現れる重篤な症状として、コミュニケーションの不良、手抜き行為の蔓延、および丸投げ行為の横行の三つを挙げることができます。

1)コミュニケーションの不良

 機能不全に陥っている開発組織の特徴で最も顕著な症状は、コミュニケーションの不良です。チーム内での定例的なコミュニケーションは形式的・表面的であり、問題の真因に対しての究明は行われず、必要な情報の交換も行われず、更には不都合な真実の発言さえも許さないような雰囲気に覆われています。

 なぜそのようなチームになってしまったのかよく考える必要があります。

 大方の原因は、要求されている仕事がリーダーを初めとした各メンバーの能力を超えてしまっていることにあるでしょう。処理能力がオーバーフローしてしまった場合に人は過剰な自己防衛的状態に陥り、自分の行為がすべてリスキーなものに感じられる結果、沈黙を保つようになってしまうのでしょう。

 大騒ぎしているプロジェクトは、ある意味でまだ元気が残っている組織だと言えますが、沈黙のプロジェクトは崩壊状態にある不健全な組織だと思った方がいいでしょう。

2)手抜き行為の蔓延

 不条理な要求ないしは見積もりの失敗によって最初から不可能な開発期間および開発費しか与えられなかった場合や,いつまでたっても決まらず二転三転する要求仕様に振り回されて多くの時間を失ってしまった場合,開発チームの全員はまちがいなく“あせり”のモードになってしまいます。“あせり”とは目標未達の危険性に対する感情的な反応であり,開発に必要な最低限の期間および資金が実際に失われてしまったのならば,このプロジェクトは間違いなく失敗することになります。必要時間および資金の不足は,業務品質の劣化を招き,調査・検討不足に始まり,工程中断,ひいてはある工程自体のスキップという重病を招きます。

 重篤な手抜きの例を挙げてみます。どれくらい該当するものがあるのかチェックしてみてください。

 □ 基本仕様が未確定なまま根拠に乏しい見積り回答をしている。

 □ 基本仕様が未確定なまま想定仕様に基づく開発に着手している。

 □ 仕様の意味や背景を理解しないまま設計に着手している。

 □ プロセス管理表に基づくことなく各自勝手に開発を進めている。

 □ 設計書を作成せずにコード作成を始めている。

 □ コード作成やドキュメント作成において安易なコピー&ペーストを行っている。

 □ 各工程のレビューをスキップしている。

 □ 必要十分な設計書の作成をしていない。

 □ 必要なテストを中途で放棄している。

 □ 成果物の現物確認や動作確認を実施していない。?

3)丸投げ行為の横行

 ソフトウェアの開発はどのような方式であったとしても他のモノづくりと同様に複数の工程を経て最終成果物が生み出される仕事です。最初に何を作るのかを定義する要件定義工程があり、続いてその開発に要する時間と費用を算出する見積り工程があり、続いて設計工程、評価テスト工程があることはご存知の通りです。

 このような一連の連鎖した工程によって成立している開発において重要なことは前の工程のアウトプット(成果物)は次の工程のインプットとなるという強い認識を持つことで、その精度が悪ければ次の工程はその役割を十分に果たせず更に品質の落ちた成果物を次の工程に渡すことになってしまいます。このような常識を理解しているはずなのに自分の時間不足や能力不足によって、欠陥が多い成果物を次の工程に渡してしまう行為は丸投げ行為と言っても過言ではないでしょう。

 主な丸投げ行為には次のようなものがあります。これらは主に元請けベンダーから下請け会社に対する丸投げ行為にあたります。どれくらい該当するものがあるのかチェックしてみてください。

 □ 不完全な要求仕様書ないしは要求仕様書なしの開発依頼を行っている。

 □ 仕様の骨子・意味・背景の説明を行わない開発依頼を行っている。

 □ 合理性・妥当性に反した開発期間を強要している。

 □ 合理性・妥当性に反した開発費を強要している。

 □ 見積り範囲外の仕様追加を強要している。

 □ 締め切り期限を守らず要求仕様を二転三転させている。

 □ 仕様の不明点・疑問点の質問に対していつまでたっても回答を出せない/出さない。

 □ 複数の下請け開発組織の有機的な統合プロジェクト管理を実行できない/していない。


第2章 組織崩壊の一里塚〜こうすれば組織は潰れる

 カイゼン活動にも手がつかない、ましてやPMBOKもCMMIも遠い世界のこと。日々の仕事に追われ火の粉を振り払うだけで精一杯。全ての原因は自分たちの能力のなさにあると思い込んでいるプロマネ・リーダー・開発者の方々が多くいることだと思います。そのようなみなさんに自分たちの現在の姿を本文と対比しながら冷静な目で見つめることで何らかの新たな突破口が見つかるのではないかと思います。

 競争における勝利の方程式は、力(人間力・モノ・資金・情報)の集中とスピード(組織のパフォーマンス・生産性)にあると言われていますが、失敗の方程式はこれとは逆のことを行うと言うことに尽きます。 すなわち、力(人間力・モノ・資金・情報)の分散と組織のパフォーマンスの低下を行うことに他ならないと言えます。

 最初は健全だった開発組織がある日突然機能不全に陥ることはありません。人も組織も時の経過とともに徐々に崩れていくし、また徐々に健全化していくものです。

 組織崩壊の典型的な要因を示すと次のようになります。

〜反イ虜拱化

▲灰潺絅縫院璽轡腑鹵農笋凌聞

 ・情報共有化阻害の進行

 ・ノウハウ(技術&マネジメント)の共有化阻害の進行

 ・人材共有化阻害の進行(人材の固定化)

 ・資金共有化阻害の進行

 ・リスクの増大

A反ゥ潺奪轡腑鵑良堝明化

て圧”佞韻料喙

サ浸的な管理職ポストのばらまき

α反ス柔員の高齢化

1.組織の細分化が招く弊害

 組織崩壊は多くの場合、まず組織の細分化によって始まる場合が多いと考えられます。組織の細分化の例として最も多いのが一つの部や課を複数の部や課に分離することです。組織を細分化する場合の絶対的な条件としては、分離した後においてもそれぞれの組織が自律性をもって独立した活動運営ができること及び分離された組織を有機的に統合管理できることの二つを挙げることができます。その条件が整わないような組織分離が行われるということは、組織の間に新たな壁を作る結果をもたらすということを意味しています。これらの壁は、情報の分断、ノウハウの分断、人材共有の分断、物的リソースの分断、資金の分断などの壁となって新たな組織にとって無視のできない強大な壁となって立ち現れて来ます。 さらに分断化された各組織の物理的な所在場所が分散されてしまった場合は、分断の壁は更に乗り越えることが不可能になってしまうことでしょう。

 組織の細分化が招く弊害を整理すると下記のようになります。

 □ 仕様ノウハウ共有化の阻害

 □ 技術ノウハウ共有化の阻害

 □ マネジメントノウハウ共有化の阻害

 □ 人的リソース共有化のび阻害

 □ 物的リソース共有化の阻害

 □ 資金的リソース共有化の阻害

 □ 連帯意識の脆弱化

 □ 総合組織力の低下

 細分化された組織を軍隊のイメージで表すと次のようになるでしょう。

【A中隊24名】                      【B1~B4小隊群】

【図2.組織の分断イメージ】

 一人当たりの能力および装備がすべて等しい場合、A中隊24名の軍とB1〜B4小隊群24名での戦闘能力は果たして同じになるでしょうか。あなたならどちらの軍が勝利すると思いますか。

2.コミュニケーションの断絶が招く弊害

 分断化された組織の間には必ずコミュニケーションの断絶が発生します。コミュニケーションの断絶が招く弊害には以下のようなものがあります。

1)情報共有化阻害の進行

 組織分割後、最初に起こることはコミュニケーションの断絶です。コミュニケ―ションを意図的に断絶しようと思わなくても部とか課が分かれるだけでもコミュニケーションの糸が細くなるのはみなさん経験済みのことでしょう。コミュニケーションが細くなるということは、他の開発チームの技術的ないしはプロジェクトマネジメントなどに関する有用情報が入ってこないことを意味し、また失敗情報などのリスク回避情報も入ってこないことになります。

2)人材共有化阻害の進行(人材の固定化)

 また組織の壁は有用な人材の流動的な起用を阻害し、有能なプロマネによる複数のプロジェクトのコントロールを不可能にしてしまいます。また、例えば二人のメンバーで三つのプロジェクトをコントロールできる可能性などもつぶしてしまうこともあるでしょう。

 だだでさえ人材不足の組織においては人材の固定化は短期的な見方では安心材料にはなるかも知れませんが中長期的な視点でみればマイナス要素が大きいと言わざるをえません。

3)資金共有化阻害の進行

 組織の細分化は、組織活動の血液ともいえる開発資金の柔軟な運用を妨げチーム能力を不活性な状態に陥れます。例えば50人で一つの組織が運用可能な資金が一億円あった場合、この組織を5分割し均等割にした場合各10人のチームが利用可能な資金は2千万円づつとなり、他のチームからの資金の融通は全く期待できなくなり、少ない資金の中だけでのやり繰りに苦しむことになります。さらに均等割りでない場合、ある特定の一チームに利用資金が6千万円と偏ってしまった場合、残りの4チームはそれぞれ1千万円の貧乏所帯に転落することになってしまいます。冗談みたいな話ですが、このような話は現実の世界にはよくあることで、カネの切れ目が縁の切れ目となりチームの能力の著しい低下を招いている例もあります。

4)リスクの増大

 上記で指摘したように組織の細分化は、情報共有の阻害・人材の有効利用の阻害・資金の柔軟な運用の阻害などによるプロジェクト失敗のリスクを拡大する結果を生むことになります。

3.組織ミッションの不透明化

 組織崩壊の一因として、その組織の役割(ミッション)認識の低下をあげることができます。

 組織をとりまく社内外の経済活動環境の大きな変動により、自組織の進むべき方向や役割が判然としなくなり、単に経済原理だけに従って進む内に責任あるアウトソーシングはいつしか無責任な下請け丸投げ型となってしまい、要件定義力も設計力も評価テスト能力も、最後にはプロジェクトの統合管理能力も弱体化していることに気が付かないようになってしまいます。

 自分たちの組織がこのような状態に陥っていないか振返ってみる必要があります。

4.動機付けの喪失(コストドライブ対プロフィットドライブ)

 組織の衰退化には組織構成員たちにおけるやる気が大きく関わってきます。ボーナスやインセンティブを与えることで一時的なやる気を喚起することはできるでしょうが、みんなの本当のやる気を持続的に喚起することができないことは皆さん経験的にお分かりのことだと思います。

 一般的な開発会社においては、営業担当部署はプロフィットセンターで開発担当部署はコストセンターとして位置づけられていることが多いものと思われますが、長年コストドライブ的な運営を行ってきた開発組織は必ずといってよいほど、いつの間にか生産性も品質も落ちて行き、その組織力も大幅に弱体化して行きます。

 その理由は明白でしょう。自分たちの仕事がいつもコスト扱いにされ、口を開ければいつも高いと言われ続けて、まるで会社のお荷物的な取り扱いを受けていれば誰しも自分の仕事に誇りを持つこともできずにいつしかやる気もなくなってしまうのは当然のことでしょう。コスト扱いされた人間や組織はついには消耗品のモノ扱いにされ有能な人も組織も時間とともにやる気を失っていくものです。

 例えば、プロジェクト活動についてみても自分たち自身で直接的に利益を獲得するというプロフィットドライブのやり方と、他人からコスト削減を強要されるコストドライブでは、その仕事に対する取組みの意欲には天と地ほどの差が出てくるものです。 同様に組織や個人の成長発展に不可欠である改善活動においてもコストドライブの組織においては低調であり、プロフィットドライブな組織においては活動的であるということは経験が示す通りのことです。

 プロフィットドライブからコストドライブへの移行はモチベーションの大幅な低下を生むだけではなく、組織の保有可能な資金の大幅な減少を発生させるということを肝に銘じておく必要があります。

5.組織構成員の高齢化と管理職ポストのばらまき

 また組織構成員の高年齢化に伴って組織に対する忠誠心をつなぎとめるために実体を伴わない疑似的な管理職ポストの乱発が行われるようになり、同時に分割する必要のない組織までも細分化することがあります。名目上の職位の格上げ、いわゆる名ばかり管理職の大量増産は、確実に組織機能性の弱体化を招くことになります。

 極端な例としてはそのチームの構成員はすべて部下のいない管理職となり、課長だらけのチームにおいて実務の実行主体者が不明だという事例もあります。自分は管理職になったのだからといって、それまで担当していた実務を放棄し外注に丸投げするような事態も決して珍しいことではありません。

 50人の組織を10人の5つの組織に分割し、元々一人の部長であった組織を5人の部長で差配するようにしたら何が起こるでしょうか。新たに部長に昇格した4人はがぜんやる気を出して、組織の能力を倍増させるでしょうか。答えは“No”です。

 これまでに示したように不適切な細分化によって弱体化した組織は、以前は処理できていた顧客要求に応えることができなくなり、能力以上の要求をこなさなければいけない状態に陥り、あたかもコップに入り切れない水があふれ出すかのように品質・コスト・納期(生産性)の劣化を招き、最終的には回復不可能な組織の崩壊に至ることになってしまいます。 どうあがいても1000馬力の戦闘機は1000馬力しか出せず、1200馬力の要求には応えられないという自然界の鉄則の罰を受けるだけです。


第3章 多重請負構造と丸投げが招くもの

1.外部委託と丸投げ

 日本の企業組織は最も強力な少数の企業を頂上にいだき、それに続く企業群が第二層、第三層という風にいわばピラミッド状の階層を構成し、一個の共同体として組織化されてきました。それらの共同体を維持発展させてきた原動力は上から下に向かっては上位組織による下位組織の庇護であり、下から上に向かっては滅私奉公をいとわない忠誠心でした。この構図は戦前においても江戸封建時代においても全く同様であり、すべての日本人においては何らの違和感もなく受入れられるものでした。ただしこのやり方がうまくいくためには一つの条件が絶対的に必要でした。その条件とは先に述べた、上から下に対する「庇護」とそれに対して応える下から上に対する「絶対的な忠誠心」でした。この原理は現代の日本においても弱くなったとはいえ、まだその効力を失ってはいません。日本のあらゆる共同体は「庇護と忠誠」によって動き、欧米の共同体は「契約」によって動かされているということを知っておかなければ、現在の日本の企業における多重請負構造の問題を認識することはできないでしょう。多重請負構造がもたらしている致命的な数々の問題を指摘したとしても「それがどうした」「それのどこに問題があるのか」「仕方のないことだ」とかいうような反応しか得られないのが大方の日本人の反応でしょう。

 さて多重請負構造における外部委託の何が問題なのでしょうか。組織階層間にまたがって仕事を遂行する場合に、上位階層の者たちが自分の重責を認識もせず果たすべき役割も実行せずに、ただ単に命令するだけになってしまったとしたら何が起きるのでしょうか。

 たとえば、車という製品を受注した場合について考えてみましょう。親会社が顧客から特注の車を受注した場合、当然その顧客からその車に要求される仕様の全てについて聞き取りを行い、それを基本設計書に表し、その開発に必要な費用および製造価格について顧客の了解を得るでしょう。その合意契約の成立後に、親会社は自分で製造してもよし、子会社に製造委託してもよいわけです。製造委託を受けた子会社は、親会社から顧客の要望および基本的な設計について十分な説明を受けて自社における製造に関する詳細な設計および製造に着手することになります。世間の庶民は、仕事というものは分業体制においても、このように各階層の会社は相互に自らの役割と責務を果たしながら連携して製品作りを行っているものと信じています。

 しかしながらソフトウェアの開発業務においてはすべてこのようになっているのでしょうか。ソフトウェア製造開発業界に40年近く身をおいた筆者の実感としては1990年あたりまでは、そのような共に相互の義務を果たす共有分業が行われていましたが、それ以降は急激にこのような体制は崩れて続けて現在に至っているように感じています。すなわち第一階層の会社は顧客の要望を把握する力を徐々に失い、第二層の会社に対して十分な仕様の提供も基本設計書の提示も行えないようになり、下位階層の会社は不透明な仕様の穴を長時間労働によって埋める作業を強いられているような状況が蔓延しているようです。

 丸投げとは、このように上位層における会社が自分の責務を放棄し下位層の会社に仕事の責任も含めて押し付ける行為のことを指しています。日本という共同体社会においては、当然のことながら下位層の会社は、上位層の会社にその不条理さや非合理性について強く指摘することもできず、その結果不都合な製品が世の中に出て行く結果となっています。

 世の中のいわゆる頭の良い人たちは、このような状況を見ても、その責任は契約を遵守しない子会社や外注会社に責任があり、自分たちには責任がないと主張しがちです。しかし本当に責任がないのか良く考えてみていただきたいものです。日本の社会はいわゆる西欧的な厳格な契約の社会ではないということを再度思い起こす必要があります。日本の組織共同体は常に妥当性と合理性の両方を磨きつつ、そのバランスを取ることで、ここまで発展することができて来ました。そのような相互の義務を果たすことを放棄し、一方的に丸投げ的な仕事のやり方を続けていると、ついには上も下も共々滅亡への道を歩んでしまうことになりかねないことになります。

 日本のあらゆる組織共同体は現在も上から下へ広がる階層構造を持っており、あらゆる社会的な行為はこの階層の上から下へ、すなわち上意下達のやり方で実行されてきました。またものごとの実行には洋の東西を問わず必ず責任というものが伴うものです。その責任の持ち方についての大原則は、社会の上位層になるに従って重くなり、下位層になるに従って軽くなるということを知っておく必要があります。すなわち上位・優位のものはより大きな利益を得る代わりにより重い義務の履行が求められるということです。西欧においてさえも、これはノブレス・オブリージュ(位高ければ、徳高きを要す)という言葉で表現されている重要な徳目の一つです。これは上位・優位に立つものこそ率先して困難を背負わなければならないという日本の伝統的な行動規範の一つでもあるということです。

 外部委託という名の下に行われている責任まで放棄した丸投げ行為は今や日本全体をその深部まで蝕み、ほぼ全ての組織活動に蔓延しているのではないかと危惧されます。外部委託の原点はそもそも、自分の組織において不足しているモノやヒトを外部から調達して補うことで自組織の本業を完結させることだったはずです。当然外部に委託した仕事についてはその統合管理・監督のみならず教育・指導・調整などあらゆる問題の主な責任は委託元にあります。残念ながら現代日本においては、多くの委託元の人々は、金を払っているのだから委託した仕事の全責任は外注先にあると思っているようです。

2.丸投げは破滅地獄への一里塚

1)業務委託が責任放棄にいたる悪魔のステップ

 外部委託の仕事がどのような経過をたどって責任放棄の”丸投げ”になっていくのかを次に示します。

step1 仕事が忙しくて間に合わない。

step2 外部の業者から人を派遣してもらい、仕事を手伝ってもらう。このときはまだ仕事の責任は自分にあると思っている。派遣者のミスが自分の指示の悪さに有ったとしたら、自分が責任を負うのは当然だと思っている。

step3 派遣者で穴埋めしてきたが、仕事の忙しさが限度を越えてきたため、業務のまとまった部分を外部の業者に委託するようになる。最初のうちは委託した業務についての進行状況、品質、問題点について委託先と綿密にコミュニケーションを取っており、余り問題は発生しなかった。

step4 さらに忙しさが増し複数の仕事を抱えざるを得ない状況になってきた。もう委託先の仕事の状況を見る余裕すらなくなってきた。委託業務の細かい指示もできなくなり、自分の専門領域の技術を学習する時間も無くなり、自分の主な仕事は多数の外注に仕事を割り振ることだけになってきた。

step5 外注から納入される成果物に多くの欠陥が発生するようになった。

step6 多数の欠陥品に対して自分では到底その責任を負い切れないので、委託先外注に対してその非を責め続け製品責任の転嫁をせざるを得ないようになってしまった。

step7 step4〜step6の悪循環がくりかえされると同時に、学習不足の結果は自分の専門的なスキルを劣化させ、外注へまともな指示すら出せなくなってしまった。

step8 回復不可能な大障害が発生してしまった。

 この悪魔のサイクルはstep3で止めるべきでした。悪魔のサイクルを止める役割・責任は発注元の管理者にあり、単なる負荷の分散だけではこの問題は解決できないでしょう。仕事のプロセスの見直しや仕事のやり方の見直しも必要となります。更に業務力の強化も必要で、多くのムリ・ムダの排除のためのリスク排除活動も必要となります。担当者に大きな責任はありませんが、担当者はそのひどい状況およびそれを放置していては危機的な状況に陥るということについて諦めることなく管理者に発信し続ける義務はあります。

2)膨張我欲の行き着くところ

 これらの考え方は、「自分は利益を享受するが、負担は他人あるいは社会に押し付ける」という膨張した我欲の行き着くところなのでしょう。この無際限な膨張我欲は個人における悪癖を越えて今やあらゆる企業組織にまで浸透してしまったかのようです。

 大企業は利益が上がっている間は沈黙していますが、一旦不況に突入した途端、多額の内部留保金(参照.2012年、財務省「法人企業統計」内部留保金データ 304兆円)の話には触れずに、政府に対して法人税の大幅減税を声高に要求し、穴埋めは個人の消費増税でと言っているのです。「利益は自分に、負担は社会で」というわけです。

 これで世の中がうまくいけばいいのですが、この膨張我欲は企業も個人も破滅地獄への一里塚と思った方がいいでしょう。膨張我欲による不都合な行為の実例は次のとおりです。

 「やっかいな仕事を、金を払って外注にやらせる」「ゴミ処理場を、金を払って過疎地に押し付ける」「毒性産業廃棄物を、金を払って後進国に輸出する」「迷惑な米軍基地を、金を払って沖縄に集中させる」「危険な原発を、金を払って地方に建設する」「金を払って後進国の人間から臓器を買ってくる」などです。

 ビジネス契約が成立すれば、どのような行為でも許されるのでしょうか。

 マスコミや学者たちは深刻な顔をして原発立地問題は非常に難しいと口々にいうばかりで、誰も東京で消費される電力をまかなう原発を東京に建設すべきだとは言いません。東京圏の国民や企業の大部分が東京圏に立地したくないというなら、自分で消費する電力もあきらめるしかないのが道理です。自分の始末は自分でつけるのが大人のやるべきことです。利益を享受したければそれに伴うリスクや責任を負うことは当たり前のことです。と言っても当たり前が通用しないのが現在の日本の姿のようです。だれも私の問題、私たち自身の問題とは思っていないのでしょう。

3)責任なき業務委託は破滅地獄への一里塚

 責任を放棄した業務委託を自分のまわりに日常的に見かけないでしょうか。もしかして自分もそうしてはいないでしょうか。冒頭で、「業務委託が責任放棄にいたる悪魔のステップ」のstep1からstep8までを示しましたがこのステップにはまだ続きがあります。

step9 障害対応に時間をとられ本業の仕事はどんどん遅延し、品質も急速に落ちてくる。step4への逆戻りです。このような状況は突然くるわけではなく、数年間をかけて徐々に進行していくのです。その間に担当技術者のスキルは確実に落ちていき、3年もたてば彼らは間違いなく専門家あるいは技術者とは呼べないレベルの人材になってしまいます。人材の劣化です。さらに業務委託先として中国などのオフショアが組み込まれてきた場合は、この地獄のサイクルはさらに加速度的に進行するでしょう。

step10 最初は個人レベルで始まった品質の低下・人材の劣化が組織内に拡大し、ついにはほとんどの組織が恒常的に品質問題を抱え、業務能力を失った集団となってしまいます。人および組織の崩壊の姿を目の当たりにすることになります。

 責任なき業務委託すなわち業務の丸投げは個人を無能力化し組織を崩壊させます。もし異論があるならば、丸投げに専念している個人ないしは組織を観察して見るべきでしょう。認められないと言うならば、利益優先・コストカット第一主義に徹して積極的に丸投げを国内あるいはオフショア先に対して実行してみるとよいでしょう。責任の委託はできないし、やってもいけないと言うことが高い代償を払って実感できることでしょう。

 それでも、あなたは丸投げを続けますか?

3.なぜ丸投げをするのか

1)なぜ丸投げが横行するのか

 多くの人は面倒な仕事はやりたくないと心の中で思っていることでしょう。会社の仕事で一番手っ取り早いのは、外注に仕事も責任も丸投げすることです。適当に手抜きをしても上司には分からないでしょう。先に話した”膨張我欲”のなせる技です。楽して利益を得たい、うまいものを食べたい、贅沢をしたいのが人情です。リスクや危険や責任などの面倒なことは、他人、他社、他県、他国に押し付けたいのです。オフショア製造・開発などはこのような人種にとってはもってこいの材料なのです。品質が悪ければ、言語の違いだ、文化の違いだと言えば、納得するような無能な上司がまだまだ多いようです。?

2)丸投げを生む背景

 1990年ごろまでの日本では丸投げと呼ばれる行為は余りなかったように記憶しています。どこで何が変わったのでしょうか。

 戦後一貫して日本の経済は大きな成長を続けて来ました。最初は小さな会社だったものが今や世界的にも有名な大会社になったものも多くあります。働く人たちも必死に努力を積み重ね経済成長の恩恵にもあずかりました。日本の国策は世界に通用する強大な会社および官僚組織の構築による国家繁栄を目標としてきたように思えます。日本という過密度の集団の効率化を図るために考え出された手法が会社組織のピラミッド化・序列化、すなわち「護送船団方式」や「ケイレツ化」であったのでしょう。海外においても”keiretsu”は企業集団の編成手法として有名です。

 ケイレツ化により業界内では、親会社/子会社/孫会社/ケイレツ外注A/ケイレツ外注Bのように仕事をグループ内の多重組織の中で分割・分担して効率的に進めていました。この方式はいわゆる「護送船団方式」の産業界版として日本の成長を支えてきたと言えます。護送船団方式とは、もともとは軍事戦略用語で、船団内から「落伍者を出さない」ことを目的とし敵から身を守るための戦略でしたが、産業界においては大きな会社から小さな会社まで複数の会社が一つの利益共同体としてピラミッド階層的な集団構造をもつことによって強大な力をもち競争力を確保する仕組みでした。この組織形態においては当初、各階層における組織や人は各自のやるべき仕事と責任を明確に自覚していたため、上位層から最下位層にいたる共同分業による高度な効率化が実現され、また公平な利益配分が各階層の人々のモチベーションを維持してきたものと思われます。 

3)バブル崩壊による社会の二極分化

 しかしながら1990年のバブルの崩壊により仕事量の激減や損益の大幅な悪化により経営環境は悪化し、コストカット至上主義が蔓延し、「ケイレツ」グループは共同分業および利益の公平配分にあずかれないようになり、中小企業においては死人にムチを打つかのようなコストカットの不条理な要求ばかりを受ける状況となってしまいました。

 仕事を発注する尊大な大企業と、仕事をもらいたい卑屈な中小企業群に二極分化された流れが定着してしまいました。このような状況のもとに、リスクや負担は、社会の上位階層から下位階層へ、強いものから弱いものへ、富めるものから貧しきものへ向かっていや応なしに押し付けられていったように見えます。 その結果、強いものはより強くなり、弱いものはより弱くなると言う二極分化が日本社会を深く、広く侵食してしまいました。二極分化の背景のもとに「丸投げ」と呼ばれる責任放棄の業務委託が日本国内を広く深く浸食しているものと思われます。

 国民の二極階層分断化、お上と下々、エリートと庶民、金持ちと貧乏人、要求する人とされる人、などに二極分化された社会は早晩機能しなくなるものと思われます。このような社会では”丸投げ”と”不条理”が大手を振ってまかり通っています。合理性もなく妥当性もない不条理な行動は、最終的に二極分化されたどちらの人間にも等しく災禍をもたらすことでしょう。

4)過去の勝因が今日の敗因となる

 もともとは健全だった仕組みがある状況の変化によって不健全化していくことはよく見受けられることです。我々の「ケイレツ」という仕組みは、最初は多くの人々にとって平和と幸福と繁栄をもたらす仕組みとして機能していましたが、経済環境条件の悪化によって同じ仕組みが今日においては、多くの人々に争いと災難と貧困をもたらす仕組みとして機能しているようです。

 経済環境条件の変化の分岐点はバブル崩壊の1990年でした。それ以前までは、戦後焼土と化した国土再興のために先人たちが一致団結し、もてる知恵と力を最大限に発揮し日本に繁栄をもたらしました。官民ともにその知恵・力・富を多くの人々の間で共有し公平に分配することに努力を惜しみませんでした。これらの知恵と力はケイレツ方式の中で一層強化され、日本における持続的繁栄をもたらしました。 知恵・力・富の公平な共有化は、企業活動においてはケイレツの全階層において人々のやる気と知恵を喚起し、上流工程から下流工程の全工程において人々の血の通ったコミュニケーションによる連携・連帯を可能にし”良い仕事”を世の中に送り出してきたのです。

 しかし1990年のバブルの崩壊による富の縮小は国民の大多数を占めるケイレツの末端に位置する中小企業群から金と仕事を奪ってしまいました。経済社会における二極分化は富だけではなく知恵も力も二極分化してしまったということです。ケイレツの全階層における人々のやる気も知恵も本物のコミュニケーションも連携・連帯も失われてしまったかのようです。

 生きるために必要な知恵・力・富が多数の国民に循環してこなくなるということは、国家という体が栄養失調になり貧血状態になり、ついには死に至るということと同じことでしょう。最終的には少数の知恵・力・富の占有者も一蓮托生に衰退してしまう運命にあります。自分たちだけは生き残れるなどと思うのは幻想に過ぎません。

 ケイレツ方式において破られた三つの日本人の不文律ルールは以下の3点でした。

 1.自分・自社の責任を放棄したこと。

 2.我欲の赴くまま行動したこと。

 3.強者も弱者も共に連帯して生き抜くことを放棄したこと。

 以前有効に機能していたケイレツの各階層による共有分業・連携・連帯の仕組みは、今や仕事の丸投げの仕組みとして機能しているようです。国際競争力強化・利益至上主義の下、経営者から末端の担当者にいたるまで本来の商品価値の追求を忘れ、一にも二にも利益の追求に走り、今や悪しき習慣となった丸投げを何らの疑問も持たずケイレツの全ての階層で実行しているように思えます。

 「責任のない社会は希望のない社会。責任とは大事が起きるのを見越して賢明な行いをする事。事が起きた後でそうするのは経験であり反省だ。」 [参照.1984年、米国映画「グレムリン」]

4.IT業界における丸投げの実態

1)客先から開発ベンダーに対する丸投げ

 発注元である顧客側から「今回の開発内容については、当社の競合会社にて先般採用された仕様と同様の開発をお願いします」などと言うような発言を聞くことがあります。この要求は一体何でしょうか。

 客先の導入担当部署におけるミッションは競合会社を超える業務運用が可能なシステムの構築のはずではないのでしょうか。担当部署は要求仕様を検討する手間も省けて、二番煎じだが実績のある安全なシステム機能を入手でき、開発を託されたベンダーにとっては、開発済みのソフトウェアの再利用ができるわけで誰も文句は言わないのです。そういうわけで担当部署の自前のノウハウは一向に身につかず、その存在意義もいつしかなくなっていくことでしょう。

2)開発ベンダー親会社から子会社に対する丸投げ

 開発の元請ベンダーからその子会社に丸投げされることも多く見られます。親会社における業務ミッションが明確に規定されているにもかかわらず、忙しい・人手不足とかの理由で多額の中間マージンを抜くだけで、全ての業務が子会社に丸投げされることもあります。抜かれた多額の中間マージンは客先にとっては、どのような価値になるのでしょうか。付加価値のない中間マージンの中抜きにはほとんど価値は認められません。

 丸投げされた子会社においては相応の開発費以下の資金での開発を強いられることになり、劣悪な経営・労働環境の温床となり、結果粗悪な品質の製品が顧客に出荷されることにもなります。最終的に誰も得をしない結果になってしまいます。

3)開発ベンダーから外注に対する丸投げ

 元請けベンダーから外注に対する丸投げについて、いくつかの実例を示します。

 「要求仕様書なしで発注」、「劣悪な要求仕様書で設計業務を丸投げ」、「詳細設計書なし、あるいは劣悪な設計書でプログラム製造業務を丸投げ」、「テストガイドラインなしでテスト業務を丸投げ」、「失敗責任の外注への転嫁」など目を背けたくなるような事例が多数存在しています。

 丸投げ自体が業務化したベンダー側技術者は、徐々に技術スキルが低下し続け、数年後には全く技術者や設計者とよべない部品購買担当事務員になってしまいます。丸投げされた外注においては、ベンダー側の要求内容、つまり目標とする成果物があやふやなため、最終顧客が期待する機能や品質の確保が困難になり、失敗の責任までも押し付けられてしまいます。

 失敗の責任まで押し付けられた外注は、最後にはベンダー側のミスを見つけたとしてもベンダー側には報告もしなくなり、報告されないミスがバグとなって市場で大事故を発生させてしまうような信じられないこともあります。

 2002年の、みずほフィナンシャルグループ新決済システムの大障害が思い出されます。

 外注からの疑問・質問に答えられずに放置しておくベンダー側担当者や、質問をすると逆ぎれするベンダー側担当者までいる始末です。長年の丸投げ習慣で技術スキルを失った担当者が質問に答えられないのは当たり前のことでしょう。

 ベンダー会社においては丸投げによる自己無能化が進み、仕事ができなくなった社員にお金を払い、更に外注に仕事のお金を払い、一つの仕事に二倍のお金をいつまで払い続けるのでしょうか。

4)開発ベンダー社内における丸投げ

 ベンダー社内において、要求仕様をまとめる部署から開発部署への丸投げもよくあることです。本当は能力不足であるのに人員不足を理由に自分の部署の責任を回避し、客先の要求仕様をまとめる仕事を開発部に丸投げする人も後を絶ちません。情けないことに開発部は昨今の障害事故の後ろめたさで沈黙しているのです。そのような組織においては、いつしか要求仕様をまとめる能力も衰え、開発部署への丸投げが常態化してしまいます。本来やるべき部署がやらないため要求仕様書の品質が劣化し続け、製品の障害多発を生むことになります。会社がこの部署に払っている給料は無駄になり、障害損金によって更に無駄が増大する結果を招いているのです。

5)上司から部下への丸投げ

 開発組織内における役職・担当者間における丸投げもあります。本来各職位における役割は決められていますが、権限委譲などの美辞麗句に隠れて面倒な仕事を部下に押し付ける不道徳な上司はどこにでもいるのです。部下は上司に文句を言えません。上司にとって面倒な仕事なら部下にとってはもっと面倒な仕事でしょう。上司がやるべき仕事をしないで、何の仕事をやろうと言うのでしょうか。その結果、上司としてのスキルは落ちていくばかりで、自分にとっても会社にとっても大きな損失となります。無理な仕事を押し付けられた部下は、本来の自分の仕事に加えて上司の仕事までやらされるとなると、過重労働や業務品質劣化を招き、部下にとっても会社にとっても大きな損失となります。

6)最下層現場の生の声

 ・元請けプロパーさんのほとんどは、いつも現場から逃げ出したくてしょうがないようだ。

 ・プロパーの代わりにリーダーとして入った外注要員って、いいように利用されて悲惨だ。

 ・外注にあてがわれるのが理不尽な仕事ばかりでも仕方ない。なにせ僕らは「最底辺層」だから。

 ・最近の会社のやり方は、ほとんどその場しのぎで辛抱して人材を育てようとかいう気すらない。指示できる人間がいないから、指示ができる人材を外注から安くかんたんに雇おうとする。会社ってのは利潤を追求する余り「バカ」になったんじゃないか。

 ・僕らは自社からおん出されて出稼ぎしてこいといわれ、いろんなとこに常駐したりするけど、その時点でふてくされモードでもいいような気がするのね。「はたらかねー」くらいがちょうどいい。

 ・派遣先の社員たちのモチベーションはいつもどこの会社でもほとんど低い。だれもこのことに背を向けている。

 ・「カネ払ってんだから働けよ!」理論が横行している。カネ払ってんだからといわれても、僕らのふところに入ってくるのはいったい何%だ?どこでお金がなくなってしまうのでしょうかねえ?

 ・プロパーたちはいつも忙しいとか言い訳しながら仕事を放置している。自分のことは完全に棚上げして、僕らに「主体的に動けよ!」と。最終的には「業務委託なんだから!なんで受身なんだよ!」みたいな切り札を出してくる。そうすると「業務委託に対して指示すんじゃねーよ!」という反論が出て泥試合になる。

 ・黙って文句もいわずに働いている姿をつけ込まれてどんどん仕事を押し付けられて沈没していくのが、僕らのような凡人。

 ・「黙ってりゃいい気になりやがって」っていう状況が多すぎる。「はい喜んで」って状況じゃないだろう。

 ・なんとな〜く作業をアサインしてあとヨロシク、なリーダのいかに多いことか。外注は、つべこべいわずに(できればスーパーマンのように)作業に従事することを暗に求められる。

 ・作業をやるには成果物のイメージを議論なりたたき台なりでどんどん議論して詰めてゆくプロセスが必要だ。これはどうなんでしょうか、あれはどうすべきでしょうかと質問攻めにすると、「まあ、その辺はお任せで」と穏やかにかわされるか、あるいは「それを考えるのも仕事でしょ」と逆ギレされるかだ。そういうヤツはこのギョーカイ、むっちゃくちゃ多い。

 ・昨今のプロジェクトは大多数が外注で固められプロパー社員はほとんど逃げていない。

 ・設計書のレビュー会で決定権をもっているレビュアーがいつも逃げて参加せず、課題ばかりが先送りされ進捗しない。結果、いつも進捗遅れは外注の僕らの責任にされる。このプロジェクトの責任者は誰なんだ。あなたたち元請けじゃないの?

 ・いつも丸投げのSIerは、我々はアドバイザーとして進捗会議だけ出ますと、それ以外はあと宜しくだって。

 [参照:IT土方(丸投げ問題について)

  http://blog.goo.ne.jp/strikegold/c/617b2cbcae28cd8483849bdd537a2a9b]

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7)階層間の利益格差に合理性および妥当性はあるのか

 IT業界の元請け企業と下請け企業におけるそれぞれの社員の平均年収は次の通りです。

 元請企業:603万円に対して、1次下請けは577万円(元請企業の95.6%)、2次下請けは:518万円(同85.9%)、3次下請け:496万円(同82.2%)となっています。 [参照.2006年12月6日、Tech総研アンケート調査、調査対象:ソフト系エンジニア正社員1000名]

 この調査データからも分かるように年収の差は、元請と1次下請け間で26万円、2次下請けで85万円、3次下請けで107万円とかなりの金額の差となっている。このアンケートには表れていない4次下請け以降や非正社員においてはもっと大幅な格差となっているのかも知れない。

 これらの年収の格差には果たして合理性および妥当性があるのでしょうか。それを判断するためにはそれぞれの労働の負荷および重要度の違いを知る必要があります。

 労働の負荷の違いについては、このアンケート調査によると次のようでした。

 下請けが元請けに比べて業務量が「やや/かなり高い」と感じている下請けのエンジニアは、1次下請けで60%、2次下請けで48%、3次下請けで35%となっており、一方元請けが下請けに比べて業務量が「やや/かなり少ない」と感じている元請け側エンジニアが34%に上っている。

 負荷に関しては元請けよりも下請けの方により多くの負荷がかかっていることが分かります。

 また労働内容の重要度の比較についてのデータはありませんが、元請けの仕事においてもっとも重要性の高いものはプロジェクトの統合コントロールおよび要件定義の二つだとした場合、果たして元請けのエンジニアにおいてはこれらの仕事の役割を十分に果たしているのでしょうか。もしこれらの業務まで下請けに丸投げしている場合があるならば、その労働の価値は非常に低いものとなります。

 労働の負荷も軽く、重要性の低い労働しか実行できない元請けにおいては、下請けよりも多くの年収額を得る合理的な理由も妥当性もないと言うことになります。

 次に、日本の産業界全体の中で多重下請け構造の最悪の例を示すために、アニメーションビジネスにおける例を示します。この産業界の組織階層構造と資金の流れは次の通りです。

スポンサー (スポンサーが5000万円支払った場合)

↓ 5000万円

広告代理店 ← 版権収入

↓ 4000万円

キー放送局 → 2000万円 地方局

↓800万円(製作費)

アニメ製作元請けプロダクション ← 版権収入

下請け 作画プロダクション/美術会社/撮影・編集会社、音声制作プロダクション

 スポンサーが支払った5000万円のうち1000万円(20%)を広告代理店が取り、広告代理店は残りの4000万円をテレビのキー局へ支払う。キー放送局は、そのうち1200万円(24%)を取り、残りの2000万円(40%)を複数の地方局へ支払い、800万円(16%)をアニメ製作元請けプロダクションに支払う。アニメ製作元請けプロダクションは製作費800万円および版権収入で複数の下請け会社に作品製作を依頼し利益を確保しなければならない構造になっている。実際にアニメの製作に係る経費は1300万円程度である。

 [参照:2003年6月、「アニメーション産業の現状と課題」、経済産業省文化情報関連産業課]

 5000万円の分配は、広告代理店1000万円(20%)、放送局3200万円(64%)、アニメ製作元請会社800万円(16%)となります。

 スポンサーが支払った5000万円の代金のうちアニメ製作元請けプロダクションに渡るのはわずか800万円、16%だけです。これで更にその下請けの各プロダクションはどのように仕事をしているのでしょうか。因みにこれらのアニメーション番組を実際に製作している下請けプロダクションの原画マンや動画マンの月収は1日12時間働いても約5万円から10万円が限界だと言われています。

 全てが丸投げではないでしょうが、明らかに上位の各階層で中抜きされている金額は異常であり、余り使いたくない言葉ですが、もうこれは”搾取”に等しい犯罪的な行為としか言いようがありません。

 広告代理店は広告費にそのように巨額の経費がかかるのでしょうか。キー放送局は放送するのにそのように巨額の費がかるのでしょうか。地方放送局は放送するのにそのように経費がかかるのでしょうか。中心的な仕事をする下請けのアニメータたちが一日12時間働いても月収が10万円未満とは、どこの世界の冗談なのでしょうか。

 現在の日本の産業界では、多かれ少なかれ上記のようにケイレツ化され、力の強い上位層が少ない労力で多くの富を獲得し、力の弱い最下層の下請け外注は大きな労力で少ない富しか得られない構造が蔓延しています。これで競争力のあるまともな製品が作れるわけもないでしょう。

8)丸投げが及ぼす害毒

 自分や自分の部署には丸投げの害毒は及ばないなどと思っていたらとんでもないことになります。丸投げの害毒は他人・他部署を破滅させるだけではなく自分・自部署をも同時に破滅させるものだと覚悟しておいたほうがいいでしょう。関係者全てに及ぶ害毒には次のようなものがあります。

 ◎スキルダウン ⇒ 人材および組織の能力の劣化

 ◎モチベーションダウン ⇒ やる気の喪失

 ◎品質悪化 ⇒ トラブルの多発

 ◎コスト増加 ⇒ 無駄な出費の増大

 ◎損益悪化 ⇒ 利益減少・売上げダウン

 ◎スピードダウン・生産性悪化 ⇒ むだな作業・やり直しの多発、効率ダウン

 ◎人材の劣化 ⇒ 専門職の無能化

 ◎関係者間の協調関係の破壊 ⇒ コミュニケーションの分断・共有分業の破壊

 ◎協力者の離反 ⇒ 代わりの協力者はどこにも居なくなる

 ◎組織の崩壊 ⇒ 職能集団から無能集団への転落

 このようにして、組織ないしは個人の競争における勝利の方程式である「力の集中とスピード」は徐々に失われていき、最後には個人および組織の崩壊に至るのです。

 それでも、あなたは丸投げを続けますか?

9)責任放棄のアウトソーシング・丸投げは組織の最大リスク

 責任放棄のアウトソーシングとはすなわち丸投げのことです。膨張我欲が危険なリスクや毒を金の力で弱い立場の人間や地域に押し付け、最後には押し付けた方も押し付けられた方も共々破滅への道をたどるだけなのです。自分でもリスクや責任を負わないような経営者たちや管理者たちは企業の最大のリスクとなり巨大企業や官庁においては国家の最大のリスクとなっていることは明らかなのです。ここでいう責任とは経営責任だけのことを言っているのではなく、その前の人間として日本人としての責任についても言っているのです。重大リスク対象者は、改心できない場合は排除されなければならないでしょう。

 大事故を発生させるのは巨大なシステムです。巨大なシステムを構築し運用できるのは巨大な組織、つまり国家および巨大な企業しかありません。巨大な企業は必ずケイレツ化された多層企業群によって構成されています。巨大な企業グループの最上位層から最下位層に向かって全階層に渡って丸投げ的業務運用が行われたらどういうことになるでしょうか。簡単な伝言ゲームですら、十人目の人には正しい情報は伝わらないというのに、極めて複雑なシステムに関する業務を多重構造の組織にて確実に遂行することは不可能に近いことなのです。

 それでも、あなたは丸投げを続けますか?


第4章 開発組織崩壊の背景〜日本株式会社の深層崩壊

 日本の企業組織は1992年以降急激に広がってきたグローバル化という熾烈な経済競争の中、一にも二にもコスト削減という価格競争に邁進してきました。このような状況下においてこの25年間で日本の企業組織は自分のホームポジションを失い企業基盤であるその組織は自壊を続けているように思えてなりません。

 この組織の自壊作用は、日本のあらゆる組織において、表面的には「丸投げ」行為としてあらわれ、組織内部においては伝統的な「タテ構造」の崩壊という形で進んでおり、まさに日本株式会社の深層崩壊的な状況を呈しています。

1.丸投げによる人および組織の崩壊

 アウトソーシングという名の下に行われている責任まで放棄した丸投げ行為は今や日本においてほぼ全ての組織活動に蔓延しているのではないでしょうか。

 アウトソーシングの原点はそもそも、自分の組織において不足しているモノやヒトを外部から調達して補うことで自組織の本業を完結させることだったはずなのです。当然外部に委託した仕事についてはその統合管理・監督のみならず教育・指導・調整などあらゆる問題の主な責任は委託元にあると考えるのが道理にかなった考え方でしょう。何を勘違いしているのか分かりませんが、多くの委託元の人たちは、金を払っているのだから委託した仕事の全責任は外注先にあると思っているようです。

2.日本の組織の現状

 今日の日本の組織には、「Japan as No.1」時代の面影はもうありません。名著「失敗の本質」において詳述された太平洋戦争末期の日本軍の組織が二重写しに見えるようです。環境に最適化したゆえに絶滅した種族、恐竜にも似ています。

 江戸・明治・大正・昭和の各時代において、明治維新、太平洋戦争敗戦という大きな体制の転換を経て現在に至っていますが、いずれの転換点の前後で変わらなかったものは、組織体制維持の唯一の基本概念ともいえる集団の「和」に基づいた、情で結ばれた人々による「タテ」構造の組織でした。江戸期における封建主義も、明治以降の軍国主義も、敗戦後の民主主義も、日本人にとっては外装にしか過ぎず、その本質は「和をもって尊しとなす」であると思われます。戦後の民主主義は外見だけは欧米諸国と同様に制度化されましたが、いっこうに欧米的民主主義は定着していないと言われています。現在の日本人は民主主義という服はまとっていますが、その中身は伝統的な「和」であるに違いありません。

 「和」の思想で統一された強力な「タテ」組織は時間の経過とともに劣化していき、またその他の強力な外的要因によって本来の特性を失い、その「和」を維持できなくなる時を迎えたのでしょうか。その時点で古い「タテ」組織は一旦崩壊し、また新たな「タテ」組織を編成することで、その「和」を取り戻すのでしょうか。

 また、日本の組織が末期的状態に陥った時の典型的な症状は、感情的・情緒的思考であり、合理性・科学性の無視であり、その結果「一点突破全面展開」を夢想し、短期決戦をねらった組織の暴走に走らなければよいのですが。

 現在の日本状況は、そういった意味で、明治維新、太平洋戦争敗戦に次ぐ三回目の転換点を迎えているような気がします。太平洋戦争は軍事的敗戦でしたが、今迎えようとしているのは経済的敗戦なのかも知れません。一点突破全面展開も、短期決戦も、組織の暴走もごめんこうむりたいものです。

 現在の日本社会の組織構造はすでにその深層部分から崩壊し続けているようにみえます。本章では、現代日本における組織崩壊の原因として下記の3点に注目して分析を試みました。

 1.伝統的「和」の組織の劣化

 2.バブル崩壊による市場の収縮

 3.グローバル化による利益至上主義

3.伝統的「和」の組織の劣化

1)組織行動原理の情緒化・独善化

 敗戦によって日本の組織は、それまでの権威的・独占的・情緒的・感情的・非合理的といわれた社会構造から解放され、自由競争・民主主義の体制に移行させられました。戦後の日本社会における組織活動は経済界を中心に、その伝統的な「タテ」構造の長所である、団結力・動員力・情報共有の早さや組織内における融通性・流動性の高さをいかんなく発揮し、高度経済成長を実現し、世界最高レベルの繁栄を手に入れました。

 しかしながら日本の組織は、戦後70年以上を経過し、時間とともにその有効性は劣化し、徐々にその弱点が表面化して行きました。団結力のもとになった人の情緒的な結びつきは、その役割の枠を越えいつしか組織の行動原理となってしまいました。その情緒的な行動原理は人間関係重視となり情緒的・非合理的・非科学的・主観的・独善的傾向を帯びるようになってきました。

2)セクショナリズムの蔓延

 日本の「タテ」組織の特徴である、封鎖性・孤立性は、その組織内における小グループ間同士にも同様の特徴を生み出し、いわゆるセクショナリズムの原因となり、古い組織ほど大きい組織ほど、その中における小組織間の壁は「ヨコ」の連携を弱め、組織全体の動員力を失わせてしまいます。

 また、この封鎖性・孤立性は、いわゆる「ウチ」と「ソト」という排他性の強い非社交的な気風を生みます。このような外部や他人に対するきわめて自己中心的な非社交性は、日本人におけるコミュニケーションの苦手意識や対人恐怖のもとになっており、「ウチ」のグループや組織内における非生産的な「空気読み」の原因にもなっているのでしょう。

 強力な枠構造の日本企業は、その非社交性的性格によって大量にコミュニケーション不良や対人恐怖の人材を育成し、社内においては非生産的な空気読みの会議が横行しているのではないでしょうか。

3)年功序列の弊害

 また、敗戦直後は旧「タテ」組織の頂点ないしは上層部を支配していた長老層がみな追放されたおかげで、新しい「タテ」組織においては年功序列における老害の弊害をこうむることもありませんでしたが、戦後70年も経過する中で、日本の多くの組織は現在、実は年功序列の老害の真っ只中にいると思われます。年功序列については、政治の世界・経済の世界における老人支配の害が問われて久しいのですが、現在においても同じ状況が続いているようです。政治・経済の世界における老害もここに極まった感があります。いずれの組織のリーダーも老人たちばかりが目立ち、自社・自己・自党だけの目先の利益のみを追求するばかりで、多くの組織は柔軟性を失い機能不全に陥っているように思えます。

 年功序列の弊害を解消すべく多くの企業において能力主義が試みられてきましたが、現在の日本では、未だ能力評価に対する正当な指標を持つことができず、個人の能力は成果主義という文脈で評価される場合が多い状態のままです。いわゆる成果主義は、低い目標設定を招き本来の成果の達成にもなり得ず、未だもって日本の組織においては能力主義が実行されているとは言えないでしょう。

4)契約精神の欠如

 労働に関して、日本人における契約の観念がないという状況は、現在においてもほとんど変わりないと思われます。タテ組織内における各自の仕事の領域が厳格に定義されることは少なく、不足する部分は気がついた人によって補われることが日常的に行われています。これを”カイゼン活動”というのは少なからぬ違和感があります。怠ける人は密かに怠け、一部の頑張る人が組織を支えているように思えます。

 自分の役割や受け持ちの仕事を完全に仕上げて次の工程の人に渡すという仕事における基本的なことすら実行されていない組織が多過ぎるのではないでしょうか。日本においては、そもそも仕事を依頼する人・受ける人の両者間に大まかなイメージ的な約束は存在しますが、正確な約束、すなわち契約といえるレベルの約束が存在していないのです。このことは、分業化された製品開発の各工程における仕事の受け渡しにおいて致命的な欠陥を露呈してしまいます。すなわち前工程の人間が次工程の人間に対してあるべき成果物を渡さないようなことが全ての工程間で発生してしまいます。工程間の約束あるいは契約が明文化されていないような組織内あるいは組織間では必ず発生している問題です。これは正しい分業のあり方を「共有分業」という言い方に対して「分離分業」とでもいえる稚拙な仕事のやり方でしょう。

 このことは近代産業組織において致命的な欠陥となっており、組織内あるいは元請・下請け間における「丸投げ」の温床にもなっています。

 日本人における契約精神の希薄さは一定の地域であるムラから移動できない農業定住民であった日本人と、広範な地域を移動・渡り歩く狩猟放牧民である欧米人との集団構造の性格の違いからきているのだと思われます。日本におけるタテの関係・親分子分の関係、と西欧におけるヨコの関係・契約による関係というものは、その民族なり集団が彼らの生きる糧を提供してくれる大地とどのような関係で生活してきたかの差によるのではないかと思われます。

 日本民族は基本的に、一定の地域であるムラから移動できない農業定住民族でした。日本人は簡単に大移動が困難な日本列島に居住し、主な生活の糧は地場の農業・漁業でした。日本人は一定の地域で農魚業を営むための集団としてムラを形成し、密着した共同体として生きてきました。このムラで数千年かけて形成された集団が「タテ」の組織です。

 一方、西欧民族は、広範な地域を移動・渡り歩く狩猟放牧民族でした。特定の土地に縛られない移動型の集団における人間関係は、固定・孤立型の組織よりもむしろ、人々の移動に合致する組織形態、すなわち頻繁に遭遇するであろう未知の人々との協調・共同を可能にする「ヨコ」の関係や契約の関係を発達させてきたのだろうと思われます。

5)責任意識の欠如

 膨張我欲という利己主義・自分中心主義は利益至上主義を生み、目先の利益さえ出れば何でもするという愚劣な反道徳的・非合理的・非科学的な行動に組織を駆り立て、その業務のもっとも重要な部分でさえ下請けに丸投げするという行為を招いているのでしょう。丸投げは、責任の放棄であり、他者や下請けに対する不条理さの押し付けであり、長い目で見れば自社の能力を劣化させ、品質の悪化を招き、結果として利益を大きく損ねるものであると言えます。

 大きな古い組織においては、丸投げをすることが仕事であると勘違いするほどまでにこの丸投げが常態化しており、組織および人の能力および利益を著しく損ない続けているのです。

4.バブル崩壊による市場の収縮

 「年金制度の危機だ、金融危機だ、医療保険制度の危機だ、福祉制度の危機だ、・・・」、今まで何度もマスコミや政治家や経済団体から聞かされてきました。まるで危機がどこか外部から自分たちに降りかかってきたかのような言い方ばかりなのです。外部要因もあるでしょうが主な要因は自分たち自身の膨張我欲ということを忘れているのではないでしょうか。膨張我欲とはその名の通り”バブル”のことです。日本で1980年台に起きたバブル経済は庶民が起こしたものではないでしょう。いつもセーフティネットのはるか上部にいる経済界や金融界のリーダーたちが、今こそ投資だ、土地で儲かる、株で儲かると煽り立てて突進していったことをもう忘れているのでしょうか。経済界や金融界の主導者たちはだれも責任など感じてはいないようで、沈黙したまま責任を果たす積もりもないようです。せいぜい政治の悪さ加減に文句を言ってお茶を濁しているだけにしかみえないのです。

 バブル経済の本性は、欲の際限ない拡大に応えるために創り出された架空資産の拡大のことで、やはり蜃気楼のシャボン玉なのです。バブルの崩壊は1990年11月ごろから2000年前半まで続き、架空の資産が消えたせいで経済は実体経済以下まで逆振れし、カネ・モノ・ヒトの活動が大きく抑制され、10年以上にもわたって大量の就職浪人を生み出し、企業内失業者を生み出し、日本の社会は貧血状態のまま今日に至っています。

 この人災ともいえるバブルの崩壊は、後述するグローバル化による利益至上主義とともに、戦後70年を経過し、劣化しつつあった伝統的な「和」の破壊を加速度的に早め、日本式「タテ」組織を、その根底から崩壊させ続けているのです。?

5.グローバル化による利益至上主義

1)利益至上主義の弊害

 グローバル化競争による極端な利益至上主義は、従業員の非正規雇用化を促進し、正規従業員においては加重労働を強いられており、タテ集団における個人のつながりの連鎖はあちこちで分断され、タテ組織が機能していない状況が深く進行しています。日本企業の特質であった、団結力、強力な動員力、情報共有の早さ、組織内における活動の融通性・流動性の高さなど、現在の日本においては、すでに多くの組織において失われてしまったようです。

(1)膨張我欲

 「利益は自分に、負担は他人や社会に」という考え方は、日本社会組織の和を大きく損なうものです。自己の利益優先の人間ばかりの集まりでは、統制された組織の形成は困難です。同様に自社の利益優先の集合では統制された国家の形成は困難でしょう。統制された組織を形成できなければ自己の利益も国益も実現できません。本気で利益を追求したければ、自己・自社の利益優先の考え方を一旦止めることが必要です。 自分だけが良ければという考えは、醜いだけではなく、自分が良くなるという結果を決して生まないものです。

 膨張し続ける我欲は、個人の精神を堕落させ、人間関係の「和」を崩し、組織体制を容易に破壊するものです。

 それでも、あなたは自分あるいは自社のためだけの利益追求を続けますか。

(2)利益至上主義の暴走

 会社における目的は利益だけでよいのでしょうか。儲かりさえすれば何をしてもいいのでしょうか。戦後70年を経過して、今や日本の大企業のやっていることといえば、多重請負構造における利益の中抜き、大量の雇用者の非正規雇用化、仕事の丸投げ、実質的な責任の放棄など、およそ人を人とも思わない所業の数々でしょう。このような所業には道徳性や倫理観は全く感じられません。

 そうしなければ会社がつぶれるとの主張は何度も聞かされてきましたが、会社がつぶれる前に多数の人がつぶされてしまっているのが現状でしょう。多数の人が人として扱われないことにどんな合理性・科学性があるといえるのでしょうか。

 日本という国土において数千年をかけて培われてきた日本人の道徳観や倫理観である「強き者も弱き者も共に連帯し、その生涯を生き抜く」という考え方は、日本共同体および日本人の命を支えてきた究極のノウハウです。これに合致しない所業には合理性も科学性もないでしょう。

 窮乏はみんなで等しく背負わなければいけない、富はみんなで等しく分けなければいけない、ということが伝統的日本主義ではなかったのではないでしょうか。生活共同体の枠であるあらゆる組織はその成員を保護しなければならないという伝統的な日本主義の鉄則を絶対に破ってはいけないでしょう。この日本主義が破られた時は、必ず日本の体制が崩壊する時であることは、歴史の証明するところです。

 それでもあなたは、平気で丸投げを続けますか。利益の中抜きをしますか。責任の放棄を続けますか。偽装請負を続けますか。道義に反するコストカットを下請けに強制しますか。社員の非正規雇用化を進めますか。

(3)失われたホームポジション(安住の地)

 現在の日本社会とくに企業社会においては、すでに企業組織の成員である正社員は過重労働で”カロウシ”し、非正規従業員あるいは失業者においては世をはかなみ自殺にはしり、すでに雇用者を保護する役割を放棄しているようです。弱い者にとっての安住の地はもはやないのかも知れません。

 強力な枠の中にいる組織員は、その仲間との感情的な関係に問題を生じた場合は仕事の遂行に大きな障害をきたし、上司との関係が切れた場合にはその組織で生きていくことが困難になるでしょう。近年、会社組織内におけるうつ病などの急激な増加は、「タテ」構造の組織における上位者が下位者を保護するかわりに、下位者は上位者に忠誠を誓うという基本的な構図が崩壊し始めていることを示しているのではないかと思われます。日本における伝統的な、「タテ」の機能集団構成が崩壊し続けているようです。

 そのような背景のもと、日本のタテ組織は、情緒的思考行動・年功序列・セクショナリズムなどの欠点が表面化し、集団の系列間あるいは組織内の序列間において仕事と責任が下層方向に向かって丸投げされる傾向を加速し、著しい業務品質の悪化や組織の信用低下が進んでいるようです。経営者も含めて、ちゃんとした当り前の仕事ができない人ばかりが増えてきたのです。多重無責任請負構造にみられるように、組織系列の上位になればなるほど、その傾向が強くなって来ているようです。

2)丸投げの横行

 日本企業のいたるところでグローバル化や国際競争力強化の錦の御旗のもとに責任放棄のアウトソーシング・丸投げが横行していると思われます。今や企業の大小を問わず、民と官を問わず、一定規模以上の組織では必ず丸投げが行われていると思われます。働く人間が余裕を奪われ相応の分け前ももらえなくなると、丸投げは一層加速されることでしょう。最初は一部の人間の”サボリ”行為だったものが、不条理なコストカットや人員カットの集中攻撃によって、多数の人間による自己防衛としての隠れた”業務放棄”となっていくのです。この傾向は1990年のバブルの崩壊以降顕著に現れ、残念なことに現在まで30年近くも継続しているのです。

3)空洞化の意味するところ

 オフショア製造・開発で国内産業の空洞化が始まり、製造拠点の海外移転でさらに大規模な空洞化が発生していますが、日本の実態は空洞化を通り越して、すでに人間・組織・社会の深層崩壊が発生してしまった状態だと思われます。空洞化を埋める新産業の芽が生まれたとしても”ケイレツ丸投げシステム”はこの芽を育てる能力すらないということを心得ておいた方がいいでしょう。

 しかし日本の社会は今でも何とか平穏無事に動いているではないかとの反論もあるかとは思いますが、それに対する説明は簡単なことです。今から20年以上も前の現役の世代が営々と積み上げてきた1500兆円以上もの資産や社会インフラをでみんなで食いつないでいるのが、その実体だと思った方がいいでしょう。

 バブル崩壊およびグローバル化の進展による製造業の大規模な海外移転や非正規雇用者の激増などで著しく労働環境が悪化し、相対的に組織の中下層に位置する労働者の力は弱まり、組織内の力関係は組織上層部だけに偏り過ぎてしまいました。また日本的リーダーは以前の決断できないリーダーから賢く決断できるリーダーへの転換ができずに暴走するリーダーたちばかりになってしまった感があります。すなわち、目先の利益ばかりに追われ、自組織のもつ重要なノウハウ、すなわち組織成員にて保有されていたノウハウを簡単に海外に流出させ続けたばかりではなく、当のノウハウ保有者たちも放出し、次のノウハウ保有者となるべき若年労働者たちの採用・育成も行わず非正規雇用者として組織の枠外に放擲し続けているのです。愚かにも目先の利益と永続的資産を交換してしまったのです。1990年以前まで日本を飛躍的に発展させてきた、すべての組織成員における「和」という精神軸を放棄し、日本式「タテ」構造組織を完全に破壊し、形だけになった「タテ」構造組織が今やピンハネや責任放棄にも似た醜い多重請負・丸投げ構造の組織としてフル回転しているのです。現在の日本の大企業における人間に対する態度は、旧来の「人は資産」ではなく「人はコスト」であるという悪しき考え方に堕落してしまいました。反対に、最近の米国企業では、日本から学んだ「People are asset. 人は財産」を実行している会社もあるそうです。

6.日本的「タテ」組織の深層崩壊

 日本的「タテ」組織は、戦後半世紀という時間経過の中での自然劣化に加え、バブル崩壊およびグローバル化によって加速度的に、その力を失っていったと思われます。

 日本的「タテ」組織の崩壊は、まずその組織の成立原理である「和」の崩壊に現れ、「和」の崩壊は、組織の長所である「組織の団結力、強力な動員力、情報共有の早さ、組織内における融通性・流動性の高さ」を崩し、タテ組織の欠点である「情緒的思考、セクショナリズム、年功序列」を表面化させ日本的「タテ」組織を崩壊させているのです。

1)非正規雇用者の異常な拡大

 戦後の日本の企業は伝統的な一族郎党あるいは一家意識による「タテ」構造にて組織化され、経済的に世界の上位の地位を占めることに成功しました。しかし、ソビエト連邦が崩壊した1992年以後、世界的な経済のグローバル化が進む中での製品の価格競争は熾烈を極め、日本においてもすべての企業は一斉にコスト・利益至上主義に雪崩をうって突入してしまいました。

 

1990年以降、現在にいたるまでの約30年間にわたる経済のグローバル化の荒波の中での日本経済の停滞は、国民の経済的中間層を大幅に減らし、少数の富めるものと多数の貧しきものへの二極分化が急速に進行しています。これらの二極分化は、日本における企業をはじめとしたすべてのタテ集団構造の成立基本原理である「和」を破壊し始め、多くの組織を確実に蝕み始めています。 そのようなコスト・利益至上主義は、日本の労働環境に大きな変化をもたらしました。図3は日本における農林業を除いた産業における正規雇用者と非正規雇用者の割合を示したものです。

 非正規雇用者比率は1990年の20.0%から2014年の37.4%へと大きく上昇し、今や3人に1人以上は非正規雇用者となっています。

 非正規雇用者の増大は、戦後の高度経済成長を支えてきた企業一家的組織構造体の破壊につながるでしょう。日本の企業においては、その従業員は保護すべき家族として処遇されてきました。また従業員においては、保護される見返りとして企業に対して忠誠を誓い全人的に職務を遂行してきたのです。しかしながら日本の企業は、コスト・利益至上主義のもとに非正規雇用者を保護されるべき一家の成員として処遇せず、単に雇用需給の調整弁として扱っているのが実状です。

 そのような非正規雇用者が35.4%も占めている組織にどんなことが起きているのでしょうか。

 一家の成員として保護されない非正規雇用者は企業に忠誠を誓うこともなく、全人的に職務を遂行することもないでしょう。日本的な意思疎通がはかれない雇用者が3人に1人もいるような職場でまともな仕事が遂行できるとは到底思えません。

 以前まで日本国の繁栄および日本の企業を支えてきたいわゆる「タテ」構造の組織形態は日本独自の強力かつ巧妙な仕組みでした。非正規雇用の拡大は、労働コストの削減の代わりにこの強力な組織構造を手放すことを意味することになります。

 近年における非正規雇用者が抱える諸問題、すなわち雇用期間の保証なし・社会保険なし・低賃金などの非人間的な扱いに対しての労働組合の冷淡な対応は、非正規雇用者は自分らの一族郎党的企業一家の成員ではない、すなわち保護されるべき仲間ではないという認識から出ているものと言えます。今の日本を代表する企業においても、企業一家という「枠」に入っていない者は、同じ職場で働いていたとしても自分らと同等の人間扱いをしていないのです。コスト・利益至上主義により人を単なる雇用調整弁として使用するような考え方は、現在の繁栄を築いてきた日本の伝統的な倫理観や道徳に著しく離反するもので、強力かつ巧妙な日本企業組織の「タテ」構造をいとも簡単に破壊し続けており、明日の利益は確保したが明後日には組織が崩壊しているというような状況を必ず招くことになるでしょう。

 日本の経営者は、未だこの「タテ」組織の代わりになるような強力かつ巧妙な組織の構築法を手に入れてはいないでしょう。欧米や中国・インドにおけるような「ヨコ」組織へ転換するか、あるいはもっと別の組織形態を実現しないまま、無定見なコストカットに突入しているのです。非正規雇用者は主に生産現場や事務などの単純作業に従事させているから大きな問題はないなどと思っていたらとんでもないことになるでしょう。そのように単純な話ではないのです。いい加減に目を覚ますべきです。

 新しい有効な組織形態への転換もないまま、伝統的に磨き抜かれ、大多数の国民のDNAにまで深められていた日本独自の組織形態を放棄した日本企業にその未来はないでしょう。

 無定見なコストカット・利益市場主義は、さらに偽装請負という違法行為を、日本を代表する大企業が犯し、それを反省するどころか、こんな法律が悪いのだというような発言をする経営者がいる始末なのです。

2)多重請負構造

 現在、多くの企業を蝕んでいる問題は非正規雇用者の増大や偽装請負だけではありません。従来は「タテ」の組織構造の中で系列化された一族郎党企業群における多層にわたる役割分担構造が、「タテ」構造の弱体化あるいは崩壊にともなって、”丸投げ”多重請負構造として機能しているというもう一つの大きな問題を発生させています。

 実務を伴わない丸投げはピンハネと呼ばれます。丸投げは、昔は建設業界の陰の専門用語でしたが、今やほとんどの業界に蔓延しているでしょう。日本の労働生産性がOECD加盟33ケ国中22位(2010年生産性本部発表)という情けない順位がその証拠です。

3)二極分化による組織の崩壊

 このような状況下で、バブル崩壊以前は効率的協業化に貢献していた日本における典型的な「タテ」型企業群であるケイレツシステムは、今度はその特徴であった多階層分業構造が逆に作用し始め、「責任の放棄、コニュニケーションの分断、丸投げ、組織の二極分化」の仕掛けとして働きはじめたのです。 この逆作用であるところの”丸投げケイレツシステム”は、この30年間で日本のあらゆる官・民の組織を侵食していき、現在も侵食し続けていると思われます。

 二極分化による伝統的な「和」の社会の破壊は、組織成員間のつながりの連鎖を分断し、組織団結力・強力な動員力を失わせ、一気通貫の情報共有を不可能にし、組織活動の柔軟性・流動性を失わせ、日本組織の長所を無効にしてしまっているのです。

 二極分化は、人・物・金・情報などの価値有るものについて日本全土に渡って簡単には修復できそうにもない大きな大地溝帯(フォッサマグナ)を形成しているのです。これは現代日本の終焉を意味するものなのかも知れません。


第5章 開発組織再生への道筋〜こうすれば潰れた組織は再生できる

 開発組織崩壊の過程、その原因および背景について詳細を述べてきましたが、最後のまとめとして我々の開発組織はどのようにすれば再生できるのかということについて述べたいと思います。

1.我々の現在の姿

 日本を復活させるには、日本の組織が本来もっていた特性をすべて復活させなければならないでしょう。もはや歴史的な円高に対応すべく血眼になって利益だ、コストカットだ、オフショア製造開発だ、と走り回っても、更なる円高を招くだけで、努力した分はいつの間にか消えてしまうということが、もう誰もが分かったことでしょう。 日本人の常軌を逸した努力の数々、長時間労働・非正規労働者化・下請けいじめ・多重請負などで何万人もの病人や死人を出しながら日本人の血と汗にまみれた利益は、結局、ドルやユーロや元を持つ国々に吸い取られるだけなのが、現在のグローバル競争の正体のような気がするのは考えすぎなのでしょうか。

 もう日本の組織は、常軌を逸した方法での利益追求を止める時がきたのではないでしょうか。日本の組織は頭を冷やして、もっと真っ当な正しい仕事のやり方に戻るべきではないでしょうか。太平洋戦争においても日本の指導者たちは行くところまで行ってしまった挙句に300万人もの国民の命をいけにえの犠牲として差し出した挙句自滅してしまいました。またこのようなことを繰り返すのでしょうか。

 今回もまた、日本の生活共同体としての組織集団の「枠」や「和」を破り、日本の有効な「タテ」構造組織を崩し続けているのは、日本のリーダーと言われる人たちなのです。

 もう一度、現在の日本の組織が行っていることを列挙してみましょう。これらの行動には、妥当性があるでしょうか、妥当性の上における情と合理性のバランスはとれているのでしょうか、日本という集団の和が保持されているでしょうか、日本人の特徴である物に対する感性、好奇心、向学心、勤勉さなどが生かされているのでしょうか。

◎現在の日本の組織が行っていること

人に対して

 ・ 自己練磨の放棄

 ・ 組織間・人間間連携・コミュニケーションの放棄

 ・ 異常な多重請負構造

 ・ 無責任な仕事の丸投げないしはオフショア委託

 ・ 情緒的・独善的・属人的な行動

 ・ ノウハウ伝承の放棄

 ・ 非正規雇用者の拡大

 ・ 若年労働者の採用・育成の放棄

 ・ セクショナリズムの横行

 ・ 能力主義の放棄?

物に対して

 ・ 顧客価値や品質より利益重視

 ・ 物は単なる消耗品として扱われ、それに魂が込められることはなくなってしまった

お金に対して

 ・ 異常な利益追求の姿勢

 ・ 強い組織に片寄った利益の配分

 ・ 一部の人間や企業に大量の資金が滞留し循環不全に陥っている

 もう妥当性もない、合理性もない、論理性もない、情もないような異常な行動はやめようではないか。

2.分断から統合へ

 不適切なレベルにまで組織が細分化され階層化され機能不全に陥ってしまったものを健全な状態に戻す方法は“統合”というキーワードにあるでしょう。

 ただ細分化されたものを数的にまとめたとしても、それは統合ではなく単なる集合であり、それまでに失われたものを回復することはできないでしょう。

 統合とは、バラバラに分断した組織をコントロール可能な状態にするということであり、人・モノ・カネおよび情報を遂行する全てのプロジェクトの成功すなわちQCD目標の達成および人材のスキルアップという目標にまとめ上げるということであり、具体的には全てのプロジェクトにおいて下請けを含む全ての開発関係者の統合的プロジェクト管理を実行するということです。もっと具体的に言えば以下のことを実行することに他なりません。

 □ 組織ミッションの明確化と実行

 □ 組織構成員の若返り化

 □ 管理職ポストのばらまきを止めること

 □ 密接なコミュニケーションの復活

 □ 情報共有化の励行、情報隠蔽の解消

 □ 人材の固定化を避け有用な人材の共有化を図ること

 □ 資金の共有化、柔軟な運用

 □ 開発リスクの極小化

 以上のことは、組織戦における勝利の方程式である「力の集中とスピードの発揮」に他なりません。

3.丸投げからの脱却

1)丸投げをやめよう

(1)再生に向かって

 われわれ普通の庶民は世の中を変えられるような資金も権力も持ってはいません。持っているのは知恵と行動の選択だけです。世の中はすぐには変えられませんが、自分や自分の職場を変えられる可能性はあるでしょう。 再生へのスローガンは”良い仕事をしよう、Good Job!“なのです。

 再生への道は険しいでしょう。再生への道筋は今までの自分ないしは組織との闘いになるでしょう。最初の壁は自分自身となるでしょう。古いやり方や考え方が染み付いた自分自身との闘いは困難を極めるでしょう。最初の抵抗勢力は自分自身だと思った方がいいでしょう。

 また、上位階層の人間や組織は既得権を離したくないでしょう。すでに腐っていたとしても今の体制を変えたくないと思うでしょう。これらの人々や旧体制は新しい動きの大きな障害や壁となるでしょう。

(2)再生へのステップ

 「金を追えば金は逃げる。仕事を追えば金はついてくる」と言われていることは本当のことです。良い仕事をするために役立つことは何でもするべきです。丸投げをやめて仕事を再生させるためのステップは次のようになるでしょう。

Step1 自分がやっている丸投げ行為にはどんなものがあるのかリストアップしてみる。

Step2 それぞれの丸投げ行為をやめるために必要な対策アクションをリストアップする。

Step3 それぞれの対策アクションの障害となるリスク内容をリストアップする。

Step4 対策アクション+リスク排除アクションに実行の優先順位をつける。

Step5 優先順位の高いアクションから実行スケジュールを設定する。

Step6 優先順位の高い順に実行する。

Step7 実行アクションの結果を振返り総括する。

Step8 他の人間、他の組織に活動を拡大していく。

 丸投げをやめると言っても何でもかんでも自分で抱え込むと言うことではないことに注意してください。自分の仕事に期待される役割や責任を全うするような仕事のやり方をすると言う意味です。例えば設計者ならばちゃんとした設計書を次工程に人に渡すということです。手抜きの設計書を外注に渡して、後はそっちで考えて、などのような行為が丸投げということです。

 対策アクションの困難度は人によって異なるでしょう。専門スキルの保有者においては比較的に丸投げからの脱却は容易な場合もあるかもしれません。ただし、丸投げをやめるためには、本来の専門業務に多くの時間を割く必要性があります。今まで丸投げで5件の業務を同時にこなしていたのなら、新たなやり方では1件か2件しか同時にこなせなくなるでしょう。そうすると新たに数倍の効率で業務をこなせる方法をあみだす必要があります。そのためには専門分野の新たな学習も必須となります。

 本来の責任をまっとうするやり方で、どこにもない、だれもやっていないような高速・高品質業務の実現を目指さなければいけないということです。この壁はかなり高いでしょう。

(3)めざすべき道

 めざすべき道は、自主・自律です。他人に過度に依存せず、自分の頭で考え、自分で判断し、自分で行動する必要があります。ただし他人の自由や権利を妨げてはいけません。膨張我欲や強欲資本主義に目がくらんだ人間は、この点でいつも間違いをおかし、自分のみならず周りの多くの人々を巻き込んで自滅して行きます。

 高速のコンピュータ群も、最新のソフトウェア技術も、精緻を極めた経済理論も、もてはやされているマネジメント論も、AI技術も、強者のための利益追求の目的のためだけに利用しようと考えている間は何の役にも立たないどころか自滅へのスピードを加速させるだけでしょう。

 良い仕事は他者を尊重する自律した人間から、あるいは他の組織との連帯を尊重する自律した組織からしか生まれないでしょう。自律とは、何でも勝手にやれることを意味しません。他者、特に弱い立場の人々や組織とともに生きる姿勢が多くの人々の勇気とやる気を喚起するのです。

 真に自律した人や組織は、目先のチマチマした効率性をはるかに凌駕する目覚しいパフォーマンスを実現することでしょう。膨張我欲を排し、自他両者の成功をめざし、関係者との連携を保ち、学習・研究に励み、自分の役割と責任をはっきりと自覚し、やるべきことを愚直に実行していく以外に現在の崩壊した組織を回復させる道はないと言えます。

2)丸投げからの脱却

 多重請負構造における丸投げからの脱却は、以下の3点の実行にかかっています。すなわち各組織における「自律性の確立」「妥当性・合理性の追求」および「相互義務の履行」です。

(1)自律的な組織の確立

 組織の役割は、その組織における目的および目標の達成です。目標を達成するためには、まず目標の設定が必要となります。目標を設定するためには、目前の課題に関して自分自身の目による観察および判断が必要となります。多くの組織において目標の達成に失敗する第一の原因は、この観察および判断に関する能力の欠如ないしは不足にあります。

 自律性とは、目前の課題を自己の目で観察し、それを判断し、対策を考え、それを実行すると言うことです。この自律性をもたない組織においては目標の設定すらできないため、当然のことながら目標の達成には至らないのです。

 他者依存的ないしは他社依存的な組織においては、その役割についての自己認識はあいまいであり、課題の観察は不十分であり、課題の意味することに対する判断も他者依存的であり、対策の立案においても他人まかせ的な傾向が強く、結局目標の達成は困難なのです。

 組織における自律性とは、組織を一個の有機的な独立した存在であると認識するところから始まります。当然のことながら、自律的な組織は自律的な個人の集団からしか生まれません。一個人における自律性とは、目前の問題を自分の目で観察し、その意味するところを自分の頭で判断し、それに対する対策を自分で決定し、それを自分で実行するということです。このような自律性をもった個の集団によってのみ自律的な組織が形成され得ます。あたかも一人の個性をもった人間のように振舞うことができる組織のことを自律的な組織と言います。

 自律的な組織を確立するためには、まずその組織のリーダー自身が自律的になる必要があります。自律的な人間を育成するためには、自分の業務における欠陥や失敗を自分の事として強く認識し、これらの修復から始めるべきでしょう。自律性の構築に必要な行動を下記に示します。

 1.改善活動の実施(失敗に学ぶ)。PDCAを継続的に実行すること。

 2.あるべきプロセス、あるべき行動を定義し、それに従った業務を遂行すること。

 3.業務ノウハウの継承。先進の者・組織から後進の者・組織への継承を行うこと。

 4.獲得利益・財産の継承。物質的・金銭的な財産についても必要最小限な分を除いて、将来の

    自己・自組織に継承するだけではなく、他者・他組織への継承をも行うこと。

 以上の行動を貫くコンセプトは「継承循環による組織および個人の永続的な繁栄連鎖の実現」です。

(2)妥当性・合理性の追求

 組織および個人における行動は健全でなければいけません。健全な行動性の基本は「妥当性の追及」および「真の合理性の追求」にあります。妥当性および合理性とは、一個人ないしは一組織のためだけの独善を意味しません。自分ないしは自組織のためだけの合理性は独善であり、いつか必ず行き詰ります。

 妥当性とは、ある考えや対策などが物事の実用や道理によくあてはまること、すなわち1か0かの二者択一を避け、別の視点を持ち込むことによって、当事者双方の精神的ないしは実利的な納得感を均衡させることです。日本という社会の中における妥当性の習得には、社会的経験が必要であり、その中で日本社会における伝統的な共通のルールや行動規範を学び日本社会における道理とは何かを知る必要があります。

 真の合理性の追求に関しては広く世界にその知恵を学ぶことができます。日本人ないしは日本の組織における欠点は、その精神性の過度な強調にあり、感情論に傾きやすく独善に陥りやすいところにあります。 現実社会の問題の解決に当っては科学的な思考方法および実践が有効です。具体的に言うとデータや数値に基づいた業務を実行することであり、課題観察においては問題を数値化し、分析においてはそれらの数値に意味を発見し、目標設定においては数値目標を設定し、業務の遂行に当っては実績数値を目標数値に接近させるべく改善活動を工夫し、業務の終了時には目標値と実績値の差異の原因や失敗内容を振り返り、次なる業務に対する改善の準備を行なうことです。欧米で言うところのデータ・ドリブンな業務遂行ということです。

 合理性は目先の合利性を意味するものではないし、人員整理を合理化やリストラと呼ぶことも大きな誤りです。

(3)相互義務の履行

 多重請負構造における丸投げからの根本的な脱却には「相互義務の履行」が必要です。

 「相互義務」という概念は、日本の共同体における伝統的な行動規範の一つでした。日本の社会におけるさまざまな束縛やルールは本来、仲間たちとの連帯性を保つためのものであって、その義務は”相互的”なものでした。しかし相互義務的であったはずのルールが一方的な義務となっているのが現状です。大企業は下請け企業に義務と責任を「少ない利」と交換に押し付け、道に外れた上司は部下に義務と責任を押し付けています。

 自分さえ良ければいいというような行動規範は日本のものではありません。そこには日本の伝統的な行動規範である、人を思いやる「仁」も、私利私欲に捉われない「義」も、敬意をもって他者と接する「礼」も、知恵を重んじる「智」も、誠実さである「信」も、そのかけらさえも見ることはできません。行っていることは、すべての善きものを「利」に換えている醜い姿であり、これらの行動が組織の根底を破壊し続けているということに気づかないのは、日本のリーダーたちの決定的な愚かさを示しています。

 一方、このような仕打ちに耐える者たちも、本来のあるべき人間の精神を知ることなく、”仕方ない”というあきらめの中であえぐのみではいけません。少しの勇気を出し、不条理を排し、自己を再生するところに明日の希望が見えてくるはずです。

 古来、日本人は常に連帯を保ち、共同体の上位の者も下位の者も共に応分の責務を果たし、弱き者をも助け、利己を廃し義をその行動規範とし、幾多の天変地異や戦火をくぐり抜け、この小さな列島で数千年を生きのびてきました。共に手を携えて生きる精神の中にこそ日本人の生きる道があるということを、再度発見する必要があるでしょう。

 日本の伝統的規範が命ずるところのものはすべて”相互義務的”なものであり、どちらか一方が背負うべきものではなく、さらに高位・強者においてはより大きな義務を背負うべきものとされてきました。欧米文化においてさえ、「位高ければ、徳高きを要す」すなわち「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」は重要な徳の一つとされています。日本の組織のリーダーたちにおいては、再度この認識を新たにすべきでしょう。上なる者から下なる者へ、強き者から弱き者へ、先進の者から後進の者へ、持てる者から持たざる者へ、智および財を継承循環させることが、時空を越え永続的な繁栄を生み出すことに気づくべきでしょう。

4.組織再生に向けたアクション

 日本の組織の再生に必要なアクションは下記の5点に集約されるでしょう。

1.利益至上主義からの脱却

2.丸投げ行為の排除

3.価格競争から価値競争への転換

4.妥当性に基づいた合理的・論理的行動原理の復活

5.組織の若返り

1)利益至上主義からの脱却

 利益さえ出れば良しとする考え方は改められなければいけないでしょう。なぜならこの考え方は、”利益は自分に、負担は他人に”という考え方に直結し、これが利益だけを中抜きする責任放棄の仕事の丸投げに繋がり、丸投げが拡大していくと責任所在不明の多重請負構造を生み、人材および組織の無能力化や製品品質の悪化を招き、利益の悪化どころか組織自体の崩壊に繋がるからです。

 経営的立場にある人ならば、まず正しい分業のあり方と丸投げとは全く異質なものであるという理解が必要でしょう。丸投げは組織における病的な行為です。そして自分の会社あるいは組織において、誰がどのような仕事で丸投げをしているのか全ての業務において精査し、速やかに丸投げ行為を禁止すべきでしょう。一括請負という名に隠れて行われる丸投げを許してはいけません。またオフショア製造・開発の名に隠れて行われる丸投げにも注意を払う必要があります。

 丸投げしかできない無能力な社員はその仕事から外し、適正な能力をもつものを配置し、自組織における仕事と責任を完結すべきでしょう。

 また分業関係にある外注会社に対しては、自社における統合管理の責任を遂行し、相互の密接なコミュニケーションを通して業務あるいは技術的な指導を行うべきです。さらにその依頼する仕事の価値に応じた利益の配分に心がけるべきであり、多重請負構造の解消を図る必要があります。利益あるいは保護のないところに協調性や積極性や自律性や滅私奉公の忠誠心を期待するのはお門違いであるである事を自覚すべきでしょう。

 利益至上主義からの脱却すなわち、” 利益は自分に、負担は他人に”という考えからの脱却は、丸投げ行為を排し、多重請負構造を解消し、正しい共有分業のありかたを取り戻し、人々の間の意思疎通を再生し、仕事の価値に応じた利益の公平な配分を実現することで、社会の二極分化で大きく傷ついた人々の間に協調性や積極性や団結力を復活させ、再び活力にあふれた日本の組織を再生させるでしょう。

経営者の果たすべき責務

 ・ 丸投げ行為の禁止

 ・ 多重請負構造の解消

 ・ 仕事の価値に応じた利益配分の実行

2)丸投げ行為の排除

 実務執行の立場にある社員ならば、自分自身における職務責任および組織の責任を自覚しなければならないでしょう。さらに他者あるいは他組織との仕事の受け渡しは、ある意味で契約であるという意識を持つ必要があります。

 責任とは自分に課せられているあるいは期待されている役割を果たすということです。あなたの職場でのあなたの期待される役割をきっちりと果たすことが丸投げをやめる唯一の方法です。あなたの職場が設計担当ならばきっちりとした設計書を書くことが、あなたの仕事です。自分に能力がないからと言って設計書を外注に書かせるならば、それは丸投げです。要件定義があなたの仕事ならば、きっちりとした要求仕様書を作成し、設計部門に渡せばいいだけの話です。

 あらためて自分の実行している仕事の中に”丸投げ”がないかどうかオフショア委託の仕事も含めて、すべて精査する必要があります。その中に丸投げ行為を発見したならば、自分の仕事として取り込む必要があります。

 丸投げ禁止は、個人単独での実行は困難でしょう。組織全体として取り組まなければ改善はほとんど期待できません。その職場で期待される能力に応えられないならば、いつまでも丸投げを続けるべきではなく、自分の能力を発揮できる他の職場への異動を申し出るべきでしょう。

 無責任の極みである丸投げ行為を排除することは、その行為に伴う非人間的な不条理さを排除するということでもあります。このことは、「和」の行動原理である妥当性にもとづく合理的な組織行動を回復させる第一歩となるべき行動です。

社員の果たすべき責務

・ 職務責任の自覚と履行

・ 組織責任の自覚と履行

・ 契約精神の自覚と履行

・ 丸投げ行為の排除

3)価格競争から価値競争への転換

 価格競争の泥沼から抜け出すには、近視眼的な利益至上主義から価値重視への物づくりへ移行するしかありません。わかりやすく言えば、金を追いかけずに良い仕事を追いかけようということです。

 もう一度日本における物づくりを再生させるためにはものづくりの原点に立ち返る必要があります。日本におけるものづくりは巨大化、複雑化の過程で仕事の専門化・分業化が進み、ものづくりの完成にとって最も重要な”統合化”を見失ってしまっています。

 仕事における行き過ぎた専門化・分業化は自分の担当領域外に対する視野を狭め、領域と領域の間にある本来必要なものを見えなくし欠落させています。この欠落がさまざまなマネジメント的ないしは技術的な障害の主要な原因となっていることにもうそろそろ気づいた方がいいでしょう。領域と領域は”オーバーラップ”しなければ仕組みは円滑に動作できないのです。

 現在の日本における物づくりにおける問題点には下記のようなものがあるでしょう。

 ・ 顧客価値を無視したあいまいな要件・仕様定義

 ・ リスク排除の失敗

 ・ 分離分業型開発

 ・ 他者依存的な組織

 ・ 未熟な技術力

 ものづくりの原点はどうであったかもう一度考え直してみたいと思います。

 それは、チーム全員で仕事の全てをこなすことではなかったのでしょうか。チームの全員でお客様の要望を聞き、全員で製品の構想を練り、全員で設計し、全員で製造し、全員でテストを繰り返し、全員で製品を市場に出し、また全員でお客さまの声を聞いていたのです。ここにオーバーラップによる統合化の核心を見ることができます。ホンダもトヨタもそうだったし、現在も両社はそうし続けているように見えます。

 今までの業務分断型、工程分断型のやり方でいくら組織間や工程間の溝の”見える化”をしても深く暗い溝が見えるばかりで、結局誰がその溝を埋めるかという不毛な議論を前に立ち往生しているばかりです。そもそものやり方を変えない限り溝は埋まらないのです。溝ができてしまうやり方からそもそも溝ができないやり方に替えなければいけないでしょう。

 顧客を満足させられないものは製品とは言えません。顧客における価値は何かを発見しない限り良い製品を生み出すことは出来ません。顧客価値の創造を基本にした物づくりは顧客の満足度を最高レベルまで高めると同時に最も効率的な開発を実現するでしょう。顧客価値ベースによる物づくりは次のコンセプトおよび行動指針によって実現されるでしょう。

顧客価値ベース開発の実行

基本コンセプト

 顧客にとって価値あるものを、その優先順位に従って、顧客の必要とする時期に提供すること。

行動指針

 1.顧客価値に基づいた早期の要件・仕様定義の実行

 2.顧客価値を阻害するあらゆるリスクの事前排除

 3.変化即応型開発による顧客価値の実現

 4.自律的な組織の構築

 5.技術ノウハウの開拓および継承

 2011年3月11日、大地震と大津波で福島第一原発は破壊され翌日にはメルトダウンしてしまいました。日本すなわち高信頼性・高品質という神話は東電と共に終焉を迎えてしまいました。

 戦後の復興期が終わった後の高度経済成長期を経て平成の時代にいたるまで、飲めや歌えの飽食浪費の時代が約50年間も続いたわけなのです。

 たしかに1990年の末ごろにバブルの崩壊があり、2008年にはサブプライムローン危機が発生しましたが日本における市民生活の仕方はバブル時代のままを引きずっていたのだということに今やっと気づかされました。今日までの我々の生活の仕方は実質的な有効さに欠け非常に無駄が多く、現在もその状態を継続しているのではないのかという大きな疑念にかられています。それと同時に日本の企業も同様に実質的な有効さに欠け非常に無駄の多い体質を引きずっているのではないのかと感じています。

 弱体化した体質を抱えたまま、ものづくりのノウハウを国内の後継者ではなく海外の競争相手に継承したら何が起こるでしょうか。今の日本の状態を見れば一目瞭然でしょう。日本から多くの工場が消えてしまいました。新産業はいつまでたっても出現しません。多くの若者はノウハウの継承を受けることもなく寄る辺のない野良暮らしを強いられています。

 オフショアによって実質的な利益を享受している企業がどれほどあるのか非常に疑わしいと思われます。国内に余剰人員を抱えたまま仕事をオフショアすればどんな結果になるでしょうか。海外に支払った金額分損をするということです。さらに国内での仕事が減った分、経験を積む機会が減り技術力も落ちてくるでしょう。オフショアの品質が悪いという話は相も変わらず聞こえてきます。その原因の大部分は発注元の日本の開発組織の能力にあるようです。自分の組織の能力の低さが原因で、単価差額で利益を出すどころか事故損失を出してしまっている状況が多々あるようです。一体いつまでこんなことを繰り返しているつもりなのでしょうか。

 今やるべきことははっきりしています。価格競争の泥沼から脱出するには無駄を省いた価値競争を実行するしかないでしょう。価値とは当然顧客にとっての価値です。顧客価値の実現には高度なコミュニケーション能力や技術力が必要でしょう。無駄とは無縁な知的筋肉質の人間や開発組織になるしか道はありません。下請けや海外に丸投げしかできない、程度の低い組織には無理なことです。

 顧客価値ベースによる効率的開発・物づくりは、際限のない価格競争の泥沼から脱出し、新たな市場の獲得および開拓に有効に機能し、国内産業の空洞化を止め、社会の二極分化の修復にも貢献するでしょう。

4)妥当性に基づいた合理的行動の復活

 妥当性とは、ものの考え方が生活共同体としての組織の永続性を願う「和」の精神に合致しているということです。日本においては、この妥当性の範疇においてのみ合理性および論理性の追求は意味のあることであったに違いありません。これは日本的な相対的合理性とでも言えるでしょう。

 妥当性という言葉の辞書的な意味合いは、「ある考え方や対策などが物事の実用や道理によくあてはまること」などとされていますが、本書ではこの”道理”については、更に自分の所属する社会において文化的にあるいは伝統的に広範囲に多くの人々の気持ちにおいて納得感が得られる考え方であるということを加えておきたいと思います。すなわち妥当性のあることとは、実用的であると同時に、その社会における伝統的な倫理道徳感に合っているということです。

 妥当性のある合理的な行動の例として、森永ヒ素ミルク中毒事件における原告弁護団長であった中坊公平氏の発言を思い出します。森永ヒ素ミルク中毒事件は1955年(昭和30年)に発生した130名の死者と1万3千名もの乳児の中毒者を出した悲惨な事件でした。

 彼は裁判の冒頭陳述の最後において、「これらの被害者は決して金銭の補償を主たる目的としておるのではございません。本当の願いは、言い古された言葉ではありますが、やはり身体を元の健康な身体に返して欲しい、失った青春を取り戻したいということなのです。そして、それが少しでも実現できるようにといって具体的救済案なるものを提案しておるのです。・・・どうか一日も早い迅速な、しかも公正な審理と公正な裁判をお願い致します。同時に人間として、子を持つ親として温かい審理をしてやっていただきたいと思うのであります。 同時に被告森永と国に申し上げます。今からでも遅くない。今からでも遅くないんです。日々あなたたちが犯している罪を考えて己の責任を率直に認め、真に被害者の救済に当られんことを切願して止みません」とその陳述をしめくくりました。中坊氏が後日この裁判について、この裁判の目標は勝つことではなく今地獄の病苦にある被害者たちを一日でも早く救済することであり、和解というみじめな勝利でもかまわない、と語っていました。

 この例は、情に片寄らずまた理にも片寄らず、妥当性のある考え方や行動がどれほど重要であるかを如実に物語っています。

 「和」の本質は、組織の行動原理において「妥当性」のもとに「合理性」をもった行動が求められることを意味したものです。先にも述べたように日本における「和」の本質は、先行する熟練者たちは未熟な若年者たちを保護すると同時に厳しく指導し、自分と同等以上の熟練者に育成する使命を持つことであり、また組織の永続性に反するような妥当性もない合理性もないような行動を厳しく処罰することを意味していたのです。現在の日本の組織において、このような妥当性に基づいた組織行動がはたして行われているのでしょうか。

 また日本の組織における「和」ないしは妥当性のある思考や行動は、伝統的な道徳的正当性と、集団構成における構造的妥当性によって支えられていましたが、現在の日本の組織において、道徳的正当性と構造的妥当性に基づいた組織行動は行われているでしょうか。

 また情と理のバランスのとれた状態である「妥当性」を保持するために、人も物も共に生かすという即物的・実用的な精神のもとに、日常生活における経験や実践を重視する組織行動は行われているでしょうか。

 「和」の行動原理である妥当性に基づく合理的な組織行動は、日本におけるあらゆる組織を確実に再生させ、利益至上主義による丸投げ行為や多重請負や極端に不平等な利益配分などの暴走する異常行動を是正する力をもっています。

妥当性に基づいた合理的行動の復活

 ・組織活動は妥当性にもとづき合理的に実行されなければならない

 ・組織活動は道徳的正当性と構造的妥当性を保持しなければならない

 ・組織活動は、日常生活における経験や実践を重視しなければならない

 ・組織内において先行する者は後続の者を保護・育成しなければならない

5)組織の若返り

 ここ20年以上もの間一時期を除いて就職氷河期がずっと続いていることからも明らかなように日本における新規人材の採用は極端に抑えられてきました。このことはとりもなおさず極端なことを言えば、日本の企業における構成員の平均年齢が20歳以上も高齢化しているということになります。社会全体も高齢化していますが、企業における高齢化は組織の戦力を低下させ、活性化を阻害するものです。

 さすがにこの極端な人員抑制では人手が不足し、ほとんどの企業が打った対策は、よりコストの安い派遣労働者やパート・アルバイトによる人員補給でした。これが社員の非正規雇用化の始まりでした。この極端な人員抑制および非正規雇用者の増大は、グローバル化の波の中での熾烈な価格競争の中で、人はコストであるという欧米流の思考を定着させてしまったかのようにみえます。

 高度成長期には人は金の卵だとか、人は資産であるとか言われていたのが、いつの間にか人はコストという、物や資材と同レベルにまでおとしめられてしまったのです。

 一方で比較的余裕のある大企業においては、すでに戦闘能力を失った多くの社内失業者を少なからず抱えているのが実状なのです。

 企業社員の高齢化、社内失業者の滞留および非正規雇用者の増大は、組織の活力および活性化を大幅に低下させ、日本の組織集団の行動原理である「和」を破壊し、連携・連帯・コミュニケーションを阻害し、現在も日本の組織をその深層から崩壊させ続けているのです。

 このような状況を打開するための方法は明らかでしょう。

 第一に、このような状況を招いている組織内の無能力な経営者・社員の徹底的な入れ替えに着手しなければならないでしょう。現在単なる年功序列的処遇は減ってきているとはいっても、日本の企業における年功序列制は、組織の和や団結力の維持の価値を認めており、まだ一定の重みをもって残されています。しかしながら本来の意味における組織の和や団結力は単なる勤続年数によるものではなかったはずです。

 「和」の本質は前にも述べたように、本来組織の永続性を第一の価値としてきた日本の組織においては、その行動原理において「妥当性」のもとに「合理性」をもった行動が求められることを意味したもので、単に組織構成員の仲良しクラブをつくるようないい加減なものではなかったはずです。再度繰り返しますが、日本における「和」の本質は、先行する熟練者たちは未熟な若年者たちを保護すると同時に厳しく指導し、自分と同等以上の熟練者に育成する使命を持つことであり、また組織の永続性に反するような妥当性もない合理性もないような行動は厳しく処罰することを意味していたのです。

 一方現在の日本で行われていることは、指導的立場にあるものが自分自身に対して一番あまく、若年者を育成することも放棄し、仲間内の「空気読み」を「和」と称し、独善的・情緒的思考で利益至上主義の旗をたてて暴走しているのでしょう。そのような無能な既得権益の人間集団を一刻も早く組織から放逐し、新しい若い血を大規模に組織に取り込む必要があります。

 今や老人ホーム寸前の日本企業には新しい血が必要です。また企業はふたたび若者を教育し一人前のプロフェッショナルに育成する活動に取り組むべきです。非正規雇用者として不当におとしめられでいる若者たちの存在を忘れてはいけません。彼らはコストではなく、日本の未来を担う資産なのです。

 就職面接において企業が学生たちに即戦力を求めることが多々あるようですが、このような行為はそもそも無理難題を吹っかけているとしか思えません。そのようなことを平気で要求する採用担当者は、自分自身が入社時にどれほどの即戦力であったのかをしっかりと思い出してみるべきでしょう。即戦力が求められるべきは、現役の役立たずな経営者や能力のないリーダーたちでしょう。それはあなた自身なのかも知れません。

 大規模な人材の入れ替えには、大規模な原資が必要です。原資は不要な人材の放逐以外にも日本企業が保有する超大規模な内部留保金を使うべきです。企業は、金がない原資がないといっている裏には304兆円にものぼる企業内部留保金をかかえ、海外会社をM&Aで買いあさり、中には平気で数百億円・数千億円もはたいて正体不明のボロ会社を買う会社まで出る始末です。金がない原資がないなどというのは多分嘘でしょう。 [参照:内部留保金=利益剰余金; 304.2兆円、2012年度末、財務省「法人企業統計]

 また一部の強大な組織だけが過剰な富を留保し続けることが、お金の流動性をとめ、日本の経済を停滞させ、国民を困窮させ、また超円高を招くことで産業界・経済界自体をも危機に陥れていると思われます。個々の企業の永続性ばかりを優先させ、個々の身の安全だけを図るような自己中心的な行動ばかりを行っている内に、肝心の日本国という組織が倒れかけているのです。日本国という組織の第一の掟は、日本国の永続性を守ることです。日本国を一つの組織と考えた場合、その組織の有力な成員である大企業がどのような責任を果たすべきかは明白でしょう。

 目先の利益獲得のために、我々の「和」の範疇におさまらない未知の縁もゆかりもない海外会社という箱物に巨額の資金を使うのではなく、我々の次の日本の組織を担う日本の若者たちを組織に組み入れ、育成するためにこの資金を使うことが、日本にとって妥当なことであり合理的なことであり、この行為は広く日本全体に温情の雨となって注ぎ、組織力の再構築を可能とし日本株式会社の復活を実現することでしょう。

 ある企業がただお金だけが目的ならば、そのように公表すればよいのです。そのような企業は日本という国土には無用な組織となるだけでしょう。日本の代表的な企業が、自分の力だけで大きくなったたなどど思うことは傲慢というものです。この日本という国土に立地し、多数の日本の国民から人材を得て、多数の日本の国民から顧客を得て、これまでに成長できたはずです。国土に対する恩、国民に対する恩を忘れて行動するような企業は、日本には不要です。今まさに日本の企業組織はこの国土において、この国民と共に将来も永続的に繁栄することを願い行動することを求められているのです。

 ギリシャ一国のローカリズムが崩れてユーロ圏全体だけではなく世界全体のグローバリズムが危機に瀕した状況をみれば明らかなように、グローバル化は健全なローカリズムが成立した上でしか成立しないことを肝に銘じておくべきです。

 組織の若返り化は、飛躍的に組織のパフォーマンスを向上させ、価値ある発明や製品を生み出すことで、新たな市場の獲得を可能にし、日本における産業の空洞化、社会の二極分化の修復に大きく貢献するでしょう。

組織構成員の若返り化

 ・企業内の無能力な経営者・社員の再教育ないしは退場

 ・大規模な若年者の組織への取り込み

 ・非正規雇用者の正規雇用化

5.新しい組織の姿

 日本の組織を再生させるための期待される新しい組織の姿は次のような思想性と行動原理をもつものでしょう。

組織の思想性

  「和」に生きること(妥当性に基づいた合理性の確保)

 ◆‐霆鐇と合理性の両立(右手に算盤、左手に論語)

  道徳的正当性と構造的妥当性の確保

 ぁ〜反ダ嫻ぁ職務責任・契約精神の自覚

 ァ‘常的な経験や実践の重視

 Α‘々新たなること(組織体質の常なる新陳代謝)

組織の行動原理

  ‖電性に基づいた合理的行動

 ◆‘仔租妥当性と構造的妥当性をもった行動

  組織内先行者による後続者の保護および育成

 ぁ〔鞠塾呂雰弍勅圈社員の再教育ないしは退場

 ァ‖腟模な若年者の組織への取り込み

 Α“鸚亀雇用者の正規雇用化

 Аヾ歸蠅温坩戮龍愡澆よび排除

 ─‖申点蘇藕渋い硫鮠

  仕事の価値に応じた利益配分の実行

  組織責任・職務責任・契約精神の履行

  顧客価値に基づく開発および物づくり

  変化即応型開発および物づくり

  自律的な組織の構築

  技術ノウハウの開拓および継承

6.組織再生の具体策

 腐りきった組織を再生させるにあたって最も重要なポイントはやはり人に焦点をあてることに尽きるでしょう。特に固定観念に縛られ何年たっても何らの改善行動すら取れなかった感覚の鈍いマネジメント層にはご退場願い、新たに清新な気風を吹き込むことに期待がもてる人たちとの交代が必要でしょう。

 組織再生にあたって注意すべきポイントは以下の通りです。

◎ポイント1.いきなり全てを改善することはできないと言うこと

 普通、開発組織が突然崩壊することはなく、数年間の間に徐々にその病状が悪化していくものであるため、その組織の回復にあたっても複数の改善ステップを積み重ねなければまともな回復は望めないでしょう。どの様なステップを踏んで進むべきかは、ものごとの優先順位の決め方の法則と同様であり、下記の3つのパラメータの掛け算によって決まるでしょう。

■効果の大きさの順(症状の重さの順)

■緊急性の高さの順(時間軸重要性の順)

■対策に必要なパワーの軽い順(費用対効果の高い順)

◎ポイント2.負荷の軽減策の実行

 組織が機能不全にあるという状況は、その組織の実行能力(パフォーマンス)が実行を期待されている仕事内容以下のレベルにあることを意味しており、この問題の解決には負荷の軽減および実行能力の向上の二面からの対策が必要となります。

 負荷の軽減策としては、無駄の排除、仕事量の削減、妥当な開発期間の確保、人材の追加投入などがあり、これらによって累積開発残件および不具合残件の解消を行う必要があります。

 また実行能力の向上としては、人材の入れ替えなどが主な施策となりますが、いづれにしても健全なチームからの支援を仰がざるを得ません。

◎ポイント3.資金の投入

 機能不全に陥った組織は、同時に開発資金不足状態に陥っています。すなわちいつも仕事は赤字状態であり、開発費不足は開発手順や工程のスキップを招いており外注に対する委託も丸投げ的になってしまい、その結果重大な品質問題を発生し続け、その改修のためにさらに資金不足、時間不足になるという悪循環に陥っています。ソフトウェア開発の仕事においても「金の切れ目は縁の切れ目」なのです。

 機能不全に陥った組織を回復させるためには、それ相応の資金の投入が必要となります。

◎ポイント4.どこのだれが助けられるのか

 上記のポイント1〜3を実行するためには、どこのだれがこの組織の再生についての支援を行うべきなのか、行うことができるのかということを十分に吟味する必要があります。

【実行にあたっての留意すべき点】

.蝓璽澄爾箸靴謄廛蹈泪庸塾呂里△訖雄爐鮓什澆凌Π未旅眥磴砲かわらず配置・抜擢し、不適な人材と入れ替えること。

現有メンバーで不足する人材は社内および協力会社から広く採用すること。

1し事や嘘を言う人間はプロジェクトから排除すること。

ご歸蠅欧魎袷瓦貿喀すること。

 新体制により、各階層の人材はその職位に見合った業務の遂行が行えるようにすることで無理な業務の押し付けを無くすこと。プロマネはプロマネの仕事を、要件定義担当者は要件定義の仕事を、設計者は設計の仕事を果たせるようにすること。

 機能不全に陥った組織においては上位の職位から下位の職位に丸投げが行われており、丸投げされた方は能力と責任範囲を超えた仕事を押しつけられています。その結果、彼らもこなし切れなくなった仕事はずるずると遅延し外注に対する指示も大幅に遅れ、ついには更なる丸投げを行うようなはめになりプロジェクト全体として赤字・品質悪化・開発時間不足に陥ることになります。

◎ポイント5.細分化された組織の統合

 機能不全に陥った開発組織を最終的に復活させる方法は、分断化されたノウハウ、情報、資金の共有化を図ること、すなわち統合化が最も効果的な方法でしょう。

【統合化にあたっての留意すべき点】

ヽ発組織を一体化した組織に再編すること。分割組織をやめ統括リーダーの下でフラットな組織とし、ノウハウ、情報、資金の共有化を図ること。

∩乾廛蹈献Дトを同一場所に集結させること。

 いきなり同一場所に集めても混乱を招く恐れがあり有機的な統合はできないかも知れないため、どのような順番で分断されたチームを徐々に同一場所に集結させられるかの検討が必要。

再度開発の原点に戻り、全員参加の改善活動を再開し、負荷の軽減を実現すること。

 組織の正常化と同時に無理・無駄な行動を洗い出し、これらの膨大な無駄を排除すること。

ち甦の要求仕様凍結を実現できる組織にすること。

 ベンダー側開発チームは、顧客および社内SEとの密接なコミュニケーションを通して、開発初期の段階までに基幹仕様を凍結させること。この実現にあたっては社内営業およびSEの強い協力が欠かせません。

テ次情報共有会議を初めとした密接なコミュニケーションの活性化を図ること。

 当然のことながら、この組織が再生に値しないと判断された場合には、ただちにこの組織は解散・解体させるべきでしょう。


おわりに

 崩壊したIT組織のための再生行動について以上に提案してきた対策行動を整理・統合し、われわれのIT組織の行動規範としてまとめたものを以下に示しました。

【IT組織の行動規範】 Code of Conduct for ITDeveloper

1.組織行動の8つの原則

 原則1.不用意な組織の分割分断をせず、血の通った統合管理を実行すること。

 原則2.他者・他組織への丸投げを行わず、自己・自組織の役割および責任を全うすること。

 原則3.個人間・組織間における相互義務を認識し自己の義務を果たすこと。

 原則4.他者・他組織に過度に依存せず、自律的な組織の確立を行うこと。

 原則5.情緒的・感情的な行動に拠らず、妥当性および合理性に合致した行動を取ること。

 原則6.利益至上主義を排し、価値のある仕事を追求すること。

 原則7.価格競争から価値競争への転換を図ること。

 原則8.新旧人材の入れ替えに努め、組織の鮮度を保つこと。

2.開発行動の4つの価値と11の原則

 アジャイルソフトウェア開発宣言文を参考した開発行動の価値と原則は次のように示すことができます。

◎価値1.個人とその相互作用を実現すること

 原則1.意欲のある人々でプロジェクトを構築する。彼らが必要とする環境とサポートを与え、そして

    仕事が完了するまで彼らを信頼する。

 原則2.開発チームに対してあるいは開発チーム内において最も効率的かつ効果的な情報の伝達

    方法はフェイス・トゥ・フェイスの会話である。

 原則3.持続的な開発を促進する。スポンサー、開発者、そしてユーザはたえず一定のペースが

    維持できるようにしなければならない。

 原則4.技術的な優位性および良好な設計に対する継続的に払われる注意は俊敏さを増強する。

 原則5.単純化、すなわち不要な仕事量の削減の最大化の技術こそが、開発の本質である。

 原則6.最良のアーキテクチャ・要求・設計は自律的チームから生まれる。

 原則7.定期的に、より効果的な方法につき振り返りを行い、それに従ってその行動を変更し調節し

    ていく。

◎価値2.正しく機能するソフトウェアの提供を実現すること

 原則8.最優先事項は顧客を満足させることであり、これは価値あるソフトウェアの早期かつ継続し

    た提供を通して実現される。

 原則9.動作するソフトウェアが、進捗を測る最も重要な尺度である。

◎価値3.顧客との協調を実現すること

 原則10.ビジネス側の人々と開発者たちはプロジェクトを通じて毎日共に作業する。

◎価値4.変化への対応を実現すること

 原則11.要求変更を歓迎する。顧客の競争力を高めるために日々の変化に対応する。

[参照:アジャイルソフトウェア開発宣言Manifesto for Agile Software Development、http://agilemanifesto.org/]


参考・参照文献

■[1984年、米国映画「グレムリン」] p14

■[IT土方(丸投げ問題について)] p17

 http://blog.goo.ne.jp/strikegold/c/617b2cbcae28cd8483849bdd537a2a9b]

■[2006年12月6日、Tech総研アンケート調査、調査対象:ソフト系エンジニア正社員1000名]

■[2003年6月、「アニメーション産業の現状と課題」、経済産業省文化情報関連産業課] p17

■[「非正規雇用者の割合の推移」 平成27年7月24日、総務省 労働力調査] p28

■[内部留保金]=利益剰余金; 304.2兆円、2012年度末、財務省「法人企業統計」 p11、

 p43

■[アジャイルソフトウェア開発宣言Manifesto for Agile Software Development、

 http://agilemanifesto.org/] p495

引用

■ イラスト: いらすとや http://www.irasutoya.com/ 表紙、p6