663. 2006.10.25 『アンクル・トムの小屋』 ハリエット・ビーチャー・ストー夫人 岩崎書店
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ストー夫人の父親はカルヴァン派の偉い牧師で、ストー夫人が14歳のときにオハイオ州シンシナティの神学校の校長になっている。 彼女は、25歳のとき、父の学校のカルヴァン・ストー教授と結婚した。 ストー夫人が『アンクル・トムの小屋』を書くきっかけになったのは、「奴隷が逃げるのを防止する法令」がアメリカの国会を通過したことだった。 かねてからストー夫人の文才を高く買っていた従姉が「ハリエット、わたしがあなたみたいにペンを使いこなせたら、全国民に、奴隷制度が忌まわしい制度だと感じさせるようなものを書くわ」と言ったのに触発されたのである。 そこで彼女は、20歳のときに父の学校の先生と一緒に(彼女は勉強がよくできたので、姉と一緒に学校の手伝いをしていたのだ)ケンタッキー州を旅行し、奴隷たちの悲惨な状況を目の当たりに見た体験をもとにして『アンクル・トムの小屋」を書き上げた。 アンクル・トムは、もともとは、とても情に篤い主人のもとで、奴隷とは思えないような厚遇をうけて暮らしていた。 しかし、いくら主人が優しい人でも、自分が窮状に陥ると、心を痛めながらも奴隷を売ってその場を凌ごうとする。 売りに出されたアンクル・トムは、南部へと向かう船の中で天使の様な少女に会い、川に落ちた彼女を助けるという功績もあってその少女の家に買われていく。 大金持ちの家で、アンクル・トムは前にも増して大事に扱われ、幸せに暮す。 そうした暮らしの中で、最初の家から、彼を買い戻すためにお金をためているという手紙も届いて、トムはあと数年待てばいいだけとなったのだが、病気がちだった少女が亡くなり、主人も不慮の死をとげ、アンクル・トムは再度売りに出されてしまう。 二度あることは三度あるというわけにはいかず、今度は最悪の主人がトムを待っている。 アンクル・トムは最初の主人の下で大事に扱われ、読み書きを習い、聖書の教えを知る。トムと一緒に売られることになった息子を助けるために息子を連れて逃げることを決意した女性の奴隷に、一緒に逃げようと誘われても、「自分が逃げたら、ほかのみんなに迷惑がかかるだけだ」とその誘いをきっぱりと断る。 どんなときにも、自分のことよりもまず相手のことを思いやり、相手に良かれと考えて行動する。 その優しさと実直さに、白人黒人を問わず多くの人が惹かれていく。 なんとか彼を自由の身にしようと主人たちも考えるのだが、如何せん、今ひとつ力及ばずにトムは不幸な道をたどっていく。 それでも、自分を迫害した人にさえ、トムは「許す」と告げるのだ。 このトムの「許す」という言葉は、その優しい言葉の裏側で、奴隷制に胡坐をかいているアメリカ南部の人々に対する痛烈な批判ともなっている。 彼らの非人道的な行為はとても許せるようなものではないが、その奴隷制に依拠している人々は、自分たちの利益を考えるあまり、自分たちがどんなに惨酷で人間として最低のことをしているかということにまったく気づいていないのである。 「ゆるすよ」と言ってトムが死んで、自分のした行為の非道さに初めて気づくのだ。 リンカーンがストー夫人に会ったとき、「そうか、このしとやかな夫人があの大戦争をひきおこしたのだな」と言ったという逸話があるように、この『アンクル・トムの小屋』は、黒人の人間性をまったく無視した奴隷制の非道さを強く訴え、奴隷解放を成し遂げた南北戦争を引き起こすきっかけとなったのである。 |