279. 2005.10.6 『パパ・ユーアークレイジー』 ウィリアム・サローヤン ブロンズ新社
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離婚しているのか別居しているだけなのかよくわからないが、別れて暮らしている父と母。 最初は母の家にいた僕は、父の家に行き、父と二人で暮らすことになる。 作家の父と僕と二人の暮らし。二人の日々の中で僕はさまざまな新しいことに出会い、父との会話を楽しむ。 僕はまだ10歳だけれど、父は僕を子ども扱いしない。 父の言葉は、いろいろな示唆に富んでいる。 僕をここにいさせてくれる?という息子に、父は言う。「お前の人生で起きるどんな事でも、決して一つしか道がないということはないんだ。お前はうちへ帰りたくなるまで私と一緒にいられるし、お前が戻ってきたくなったら、いつだってお前は戻ってこられるんだ。一つの道しかなくて、他の道はない、なんていうことは決してないんだ」と。 父は僕に99個の豆を数えるようにと言う。傷の無い99個の豆と、傷のついた豆を分けた息子が「数えることは何の役に立つの?」と尋ねると、父は「それでどんなことがわかったか」ときく。 「豆というものは全部同じように作られていないということ」「豆だけじゃなくて多分、何だって全部同じようには作られていないっていうこと」 と息子は答える。 息子はそんなふうに、10歳の少年なりに真剣に父と向かい合い、いろいろなことを考える。 息子が、父に対して厳しいまなざしを向けることもある。 新しい学校に転校した日「学校は思っていた半分も悪くなかっただろう?」ときく父に、息子は言う。「あなたがそういうふうに質問するでしょ、僕はそのたびに、まず最初、本当のことを答えたいなと思うところから出発するのね。ところが突然僕は、あなたが本当に僕に言わせたがっているのは一体どんな答えなんだろうと考え始めて、結局、僕はあなたが望む答えを言おうとしてしてしまうんだよ、本当の答えの代わりにさ」 息子は、クリスマスの次の日に何となく変な気がするのを、クリスマスにあまりにも期待しすぎてしまうからではないかと考える。 では僕は何を期待したのだろうか。 「多分、僕が本当に望んだのは、自分が大きくなって一人立ちすることだったのだろう。しかしーそれには何年もかかってしまう。人は決してアッという間に大きくなったりはしないのだ。僕は、クリスマスの次の日が変なのは、多分そのせいだと思う。」 この作品は、10歳の少年の語りとして描かれているが、登場人物は、僕の父・彼、僕の母・彼女、僕の妹、と表わされ、パパ、ママ、妹の○○、というふうには書かれていない。 僕の父、僕の母、という表わし方は、どこまでも僕が主体であり、僕の自我が意識された表現である。 この父に一人前の人格として尊重されている少年が、父に人生を教えられ、瑞々しい感性でそれを吸収し、育んでいく自我、である。 |