惑星と遊星はどう違う?
 英語の「planet」の訳語として「惑星」と「遊星」という言葉が使われていました。現在では「惑星」が圧倒的で、「遊星」という言葉は死語になりつつありますが、日本惑星科学会の機関誌は「遊星人」といい、まさに遊び心をもったネーミングといえるでしょう。

 さて「惑星」と「遊星」についての語源を調べてみることにしました。それまでは「惑星は東京大学、遊星は京都大学の訳語」という俗説があり、東大系の学者は「惑星」を用い、京大系の学者が「遊星」を用いるのだろうと単純に考えていました。ところが調べてみると、東京大学の学者も少数ではありますが「遊星」という言葉を使っています。  大正年間に書かれた「宇宙」(三宅雄二郎著 大正4年刊)には「遊星」が用いられています。著者の三宅雄二郎博士は万延元年生まれで東京帝国大学卒業とあるので間違いのないところでしょう。どうやら東京大学対京都大学の東西の勢力争いといった様子ではなさそうです。

 古来日本では惑星に対して固有名詞は与えていますが一般名詞は存在しなかったようです。金星は「太白」、火星が「螢惑」、木星は「歳星」、土星が「鎮星」と称していました。火星が「惑」の文字を用いているのは火星が「惑星」代表のような存在だからでしょうか? 「惑星」という単語を作った人の頭に「火星」のイメージがあったのではないでしょうか。(ホントは「螢」の「虫」のかわりに「火」が入りますが、フォントにないのでとりあず使っています)

 調査をすすめると、横田順彌氏が1997年の『日本古書通信9月号』に書いた「明治時代は謎だらけ」というコラムに「「遊星」か「惑星」か?」という文章があることがわかりました。横田順彌氏といえば『日本SFこてん古典〈T〜V〉』(1980-81 )などのいわゆる「ハチャメチャSF」というジャンルの旗手で中日ドラゴンズファンでも有名なSF作家です。

 横田氏の文章では、「惑星」が使われたのは江戸亨保年間で、オランダ通詞の本木良永という人が訳した本(1791〜92刊)であるということです。しかし「遊星」はわからないとのことです。横田氏によれば「遊星」で遡れた最古の例は明治二十五年の徳冨蘆花なのだそうです。
 ところが『日本古書通信11月号』に橋本萬平氏が「私達理科系統の者にとっては、この事は謎でも何でもなく、何の疑問も持たない所であり、謎とされる事が不思議な気がする。それば遊星も惑星も同様な思想から来ている語であり、特別に区別をする必要もなく、人によってどちらを使うかは単にその人の趣味の問題に過ぎないからである。私自身その時の気分によって遊星と書いたり惑星としたりしている。」が、「問題にする人がある以上、その使用法の由来、歴史について改めてちょっと調べてみた」ということで、語の由来などを書いておられます。橋本氏によると「惑星」は、横田氏も書いたように本木良永の創案した訳語。「遊星」は、同じく江戸時代の通詞・吉雄俊蔵が文政6年(1823)に書いた『遠西観象図説』で使っているという(ただし「游星」の文字をあてた)。また、安政の頃、日本に輸入されて流布した中国の理科書に「行星」の文字があり、これら3語はすべて江戸時代に源を発するということらしい。
 ただし「惑星」の使用は横田氏のいう亨保年間というのはその後誤りであることがわかりました。横田氏が引用したのは『太陽窮理了解説』という書物ですが、この本が刊行された1792年は寛政4年にあたります。『太陽窮理了解説』はコペルニクスの地動説を初めて紹介した書物として知られています。右の図はその挿絵です。
 さらに調査すると福井大学のWEBページ(http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/menicuita/9709.htm)から次のような記述が発見されました。岡島昭浩氏が書かれています。

 まず手近なところから、『和英語林集成』の三版(M19)にある。

Yu^sei ユウセイ 遊星 n. A planet. syn. Gyo^sei

ギョウセイも引いてみると、
Gyo^sei ギヤウセイ 行星 n. A planet.

ついでに英和の部、

planet, n. Hoshi, yu^sei.

で、学校に行って初版・二版を調べたのだが、どうもこれにはないようだ。
 明治9年のサトウ・石橋政方『英和俗語辞典』にあった。

Planet, n yu^sei *(c).

*は雅言、Cは漢語。「雅言」と言っても、ちょっと固い言葉という感じであろうか。しかしここまで来ると、英華辞典とか、蘭和辞典にまで遡りたくなる。方向を変えて、『日本思想大系65洋学 下』所収の吉雄俊蔵『遠西観象図説』(文政6(1823)刊)を見る。すぐに見つかる。巻頭のイロハ索引で、

游星 ドワール、スタル

とある。注によれば dwaalstar という蘭語とのこと。で、本文を見てみるとこれが面白い。『日本SFこてん古典』(パピレスにあるのよね。)のヨコジュンさんが喜びそうなものだ。
 游星に二般の別あり。水星・金星・火星・木星・土星〈以上を五星と云ふ。又これに日・月を加へて七曜と云ふ〉・地球、これを大游星〈一名六游星。今、略して六星と云ふ〉と云ふ。皆な太陽を心としてこれを旋回す。又、金・木・土及び地球の四星には、別に小星ありて、各其主星を心としてこれを旋回し、主星に従ひて太陽を周る。其金星に属するもの一箇、地球に属するもの一箇〈即ち太陰なり〉、木星に属するもの四箇、土星に属するもの五箇、凡て十一。これを小游星〈一名衛星〉と云ふ。大小凡て十七、皆な游星天の内に在るの象、第三図に出す。太陽を中心とし、恒星を外とす。吾地球に在りてこれを見れば、水・金の二星は内に在り。故に、これを内游星と云ひ、火・木・土の三星は外に在り。故に、これを外游星と云ふ。

この辺まではまあ普通だ。この後が面白い。

 以上の游星、皆な土塊にして光りなく、常に其内面は太陽に対し、光輝を受けて明らかに、外面は太陽に背きて幽暗なり。全面に国土・河海ありて人物住し、草木繁茂し、虫魚生ずること吾地球に異なることなく、其明暗は其地の昼夜なり。他の游星中の人は其星を大地と称し、吾地球を游星とするなるべし。唯、太陰は吾地球を距ること最も近きが故に、其明暗を見るよと亦著し〈即ち月の盈虚なり〉。望遠鏡を用ふるときは、其山川。海陸の状、歴然として、全く一箇の世界たるを見ることを得るなり。然れば、太陰中の人に於ては、吾地球を見て太陰とし、吾昼夜を見て盈虚とするなるべし。吾が朔は彼の望にして、彼の朔は吾が望なり。詳に太陰盈虚の条に出す。互考すべし。

 「もし人が居たら……」という記述法ではなく、「人が住んでて……」という書き方なのが面白いではないか。



 これで惑星・遊星の語源は俗説とは異なり江戸時代にさかのぼれることがわかりました。現在では「惑星」のほうが圧倒的で「遊星」という言葉は知っていても「遊星」=「惑星」だということを知っている人は少ないようです。過去には「行星」が使われていたこともわかりました。また「迷星」という呼称もあったらしいのですが、ウワサ話程度で出典や根拠はわかりません。ではいつから「惑星」のほうが通りがよくなったのでしょうか。
 現象論としては俗説の東大・京大説は当たっています。太平洋戦争後に刊行された書物を見ると入門書や通読書の類では「惑星」と「遊星」が使われています。例として「時刻と暦法」(荒木俊馬著 昭和22年)では「遊星」が用いられ、「一般力学」(山内恭彦著 昭和16年 昭和34年改訂)では「惑星」が用いられています。荒木博士は京都大学、山内博士は東京大学卒業ですから、戦前は京都学派が好んで「遊星」を用いていたのは事実のようです。
 しかし同じ荒木博士の著書「太陽系」(昭和23年)では「遊星(惑星)」と括弧つきで用いられ、「現代天文学事典4訂版」(昭和46年)では「惑星」が用いられています。また京都大学の藪内清博士の「一般天文学」(昭和38年)でも「惑星」となっていて、、学会では戦後まもなく(1948年頃?)「惑星」が共通語として用いられるようになったと考えることができます。

 しかし一般には「惑星」と「遊星」が混在して用いられていました。小説では昭和30年代に入って、アイザック・アシモフの「遊星フロリナの悲劇」(1955年 平井イサク訳)が出版されています。また小説誌「傑作倶楽部」昭和30年11月号(1955年)には香山滋の「遊星人M」という小説が連載されています。また昭和36年(1961年)の星新一の短編集「ようこそ地球さん」に「狙われた遊星」というショートショートがあります。このなかで「緑の遊星」というくだりがあります。
 このあたりまでは「遊星」が多数派でしたが、1960年代になると様子がかわってきます。
 のちに映画化されるフランク・ハーバートの小説は「DUNE砂の惑星」(1964)となっています。また1970年から野田昌宏氏によって訳されたエドモンド・ハミルトンの「キャプテン・フューチャー」シリーズでは「透明惑星危機一髪」など「惑星」が多数派になるのです。硬派なSF作家の間には「惑星」が定着したといえます。
 なお星新一の短編集「ボッコちゃん」に再録された「狙われた星」は昭和57年(1982年)の文庫版では「緑の遊星」のままですが、平成11年(1999年)版には「ねらわれた星」「緑の惑星」となっています。
 映画やTVなどに登場する「惑星」「遊星」を調べてみると

遊星よりの物体X」(1951)アメリカ映画:アラスカで発見された円盤から出現するクリーチャー
遊星ザイラ」(1951)アメリカ映画「地球最後の日」に登場する、ディープインパクトの元ネタ
惑星メタルーナ」(1955)アメリカ映画「宇宙水爆戦」に登場する
禁断の惑星」(1956)アメリカ映画:天体に着陸した人類を待つ未知の敵、ロボットロビーが有名
遊星王子」(1959)遠い星からやってきた正義の味方 実写ヒーロー物、TVでも放映
ナタール遊星人」(1959)東宝映画「宇宙大戦争」に登場する悪玉宇宙人
遊星少年パピィ」(1965)テレビアニメ:遊星クリフトンからやって来た少年パピィが大活躍
遊星仮面」(1966)テレビアニメ:反地球と地球の戦争を阻止しようとする少年のヒーロー物
遊星から来た兄弟」(1967)ウルトラマン第18話のタイトル
猿の惑星」(1968) アメリカ映画:人類が不時着した天体は猿が支配していた
遊星より愛をこめて」(1968年)ウルトラセブン第12話のタイトル、抗議が来て放映禁止
未来惑星ザルドス」(1974年)アメリカ映画:ショーンコネリーとでっかい顔のザルドスが登場
遊星爆弾」(1974)松本零士原作の「宇宙戦艦ヤマト」に登場する敵ミサイル
第十番惑星」など(1974)松本零士原作の「宇宙戦艦ヤマト」に登場する天体
惑星大戦争」(1977)東宝映画:海底軍艦「轟天号」が宇宙船になったチープな映画
惑星ロボ・ダンガードエース」(1977)松本零士原作のマンガ、アニメ
遊星からの物体X」(1982) アメリカ映画:51年のリメイク版、場所は南極になっている
DUNE砂の惑星」(1984) アメリカ映画:原作の映画化、難解なスペースオペラの一部
第五惑星」(1985) アメリカ映画:地球人と異星人の友情を描いた作品
惑星からの物体X」(1993) 82年の続編? 英語タイトルは全く別物
猿の惑星」(2001) アメリカ映画:もちろん68年のリメイク

 もちろん上記以外にも多くの映画やTVで取り上げられていますが「遊星」という言葉は1970年以降ほとんど使われることがなくなったようです。「宇宙戦艦ヤマト」でも「遊星爆弾」以外はすべて「第十番惑星」など用語は「惑星」で統一されています。特に「猿の惑星」は核戦争後の地球だったというオチが付き、当時の若者社会に与えたインパクトが強かったのだと考えられます。「遊星からの物体X」はあくまでリメイク版だとの意味であえて付けたのだと考えられます。
 映画やアニメ以外に登場するものといえば、交響組曲「惑星」でしょう。ホルストによって1916年に作られた「Planet」の邦訳として「惑星」が当てられたのがいつか分かりませんが初演の1920年よりそう年月が経った時代とは考えられません。少なくとも戦前までには日本に知られていたと考えられます。ちなみに私が最初に聴いたのは富田勲のシンセサイザー版でした。

現在でも使われる「遊星」
 では「遊星」は完全に死語なのでしょうか? 実はそうでもありません。工学用語では「planetary gear」は「遊星ギア」あるいは「遊星歯車」とよび「惑星歯車」という言い方は一般的ではありません。planetary gearとは中心の大きな歯車(sun gear=太陽ギア)の周囲を回転する小さな歯車のことです。
このように工学分野では「遊星」はしっかり生き残っています。図は本田技研工業のものです。

 インターネットで「遊星」を調べてみると多くのサイトが検索にかかります。ホームページのタイトルにしているところも多いようです。学術用語としての「遊星」はもはや使われませんが、ファンタジックなイメージとしての「遊星」はまだまだ生き残っているようです。

<参考>
 理学と工学では同じ単語に異なる訳語を使っていることは珍しくないようです。例として field の訳語として理学では「場」といい工学では「界」といいいます。磁場も磁界も同じ magnetic field の訳語なのです。

関連サイト
組曲「惑星」 ホルスト「惑星」をMIDIで聴けるサイト
国立天文台 貴重資料 展示 国立天文台所蔵の江戸時代の書物

2002.5.18
2002.9.14 補足

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