CORNEILLEの紹介(1)「アフリカの歴史から逃れて」



Corneilleといえば、ラシーヌ、モリエールとともに17世紀フランスの古典派の三大劇詩人の一人、Pierre Corneilleをまず思い出すが、まったく関係はない。カラスという意味もあるが、それも肌色以外には関係がない。
でも彼のことを書かずにはいられない。彼はデビューアルバム”Parce qu'un vient de loin"でいきなり大ヒットを飛ばした。この歌は、祖国ルワンダでの個人的な体験を歌っている。(皆さんご記憶だろうか?ルワンダの大殺戮を。)彼は声の素晴らしさと存在のカリスマ性で多くのファンを獲得している。最近カナダの国籍を取得した。

Corneilleは1977年3月24日ドイツのフライブルグで生まれた。本名はCorneille Nyungura。両親はドイツに留学中だった。Corneilleがまだ小さな時にルワンダに家族で戻った。ルーツであるルワンダで子供時代を過ごした。音楽には早くから目覚め好みはブラックアメリカン、プリンス、マーヴィンゲイ、スティービーワンダー。両親のレコードコレクションからは、ブラッサンス、アズナブール、ブレルなどにも親しんだ。早くから才能を示し1993年16歳で首都キガリのスタジオで自分の曲をレコーディングしている。ルワンダの国営TVにも出演した。新人発掘賞を受賞し運気は一気に昇り始めた。しかし数ヶ月後に悲劇が襲う。1994年4月兵隊たちが彼の家に押し入り、彼を除く家族全員を殺害した。ツチ族のお父さん、フツ族のお母さん、兄弟姉妹全員を。兵隊たちが踏み込む前にソファーに隠れて彼だけが命拾いをした。しかし今もこの恐ろしい体験の心理的後遺症に悩まされている。

この後Corneilleはザイールに逃れた(現在の民主共和国コンゴである)。ほかの国外脱出者達とともに長い長い道のりを飲まず食わずで歩いて歩いて。ザイールに到着すると、父母と親しかったドイツ人の夫妻に連絡をとる。ドイツ人の夫妻は直ちに彼を子供として引き寄せ、彼をヨーロッパに迎え入れてくれた。

1997年Corneilleは冒険に乗り出す。カナダで自分の運命を試そうとモントリオールに行く。コミュニケーション理論を学ぶ。しかし音楽への思いがよみがえりハイチから来た二人の友人とR&BグループO.N.E.を結成した。シングル”Zoukin"が早くもケベックでヒット。そのまま名を成しIsabelle Boulayなどのスター達との共演を果たす。2001年ソロに転身。デビューアルバム作りと平行して”Cocktail R&B 2002"には”Ce soir"を、また”Hip Hop Folies"には”Si seulement on s'aimait"を作詞作曲した。その間もケベック、そしてフランスでライヴをこなし、特に2002年7月La Rochelleの”Francofolies"では人気を博した。その年の10月Dave Stewart(元The Eurythmics)はパリのLe Reservoirでのコンサートに彼をゲストに迎えた。彼のレゲエのアイドルJimmy Cliffと共演することもできた。

2002年”Avec Classe"がフランスでの最初のヒットとなった。一方カナダのファンは彼のデビューアルバム、祖国の大虐殺を歌った”Parce qu'on vient de loin"の素晴らしさにすぐに気づいた。フランスのファンはこのアルバムを手にするのに一年待たなければならなかった。その中のシングル”Ensemble"は発売されるやいきなり39位にランクされた。しかしCorneilleがブレイクするのは2004年だ。”Parce qu'on vient de loin"と”Seul au monde"が大ヒットした。2003年1月にはアメリカ人歌手Cunnie Williamsの前座に、そして自身もフランスでのコンサート活動に励んだ。フランス映画”Taxi 3"のサウンドトラックとして”Laissez-nous vivre"のレコーディングもした。(つづく)


CORNEILLEの紹介(2)「ルワンダからの初の国際的歌手に」



2004年7月から9月にかけてNiceのJazz festivalやLa RochelleのFrancofolies,またSpaやMontrealでのfestivalを含めた数多くのイベントに参加した。記念すべきLa Reunionでのコンサートにも参加、この会場、真正面一列目にはBernadette Chirac(フランス大統領夫人)も臨席していた。 2004年10月ついにparisのZenith劇場に2日続けて出場、大成功した。数週間後にはYoussou N'Dourとデュエットでスタジオレコーディングに参加。このアルバム「Dis ans ensemble」は、Ensemble contre le sidaという組織がエイズ研究資金集めのために作ったものだ。11月にはQuebecで年間最優秀男性歌手に与えられるFelix賞を受賞した。そしてついにカナダの国籍を取得した。 現在Corneilleは歌手活動と人道的支援活動を平行して行っている。彼はカナダの赤十字のスポークスマンとなり、Sierra Leone,Colombia,Sri Lanka等で、子供兵にさせられたり、虐待されたりしている子供たちを救うためのキャンペーンをしている。1994年のあの突然の悲劇の日以来、一度もRwandaに帰っていないが、彼の最大の夢はいつか首都KigaliでRwandaの和解と平和のためのコンサートを開くことである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考:Hutu族について フツ族とはブルンジやルワンダにいる3種族のひとつである。ルワンダ、ブルンジの人口の85%を占めている。3種族の区別は民族的なものというより、植民地支配の過程で発生した人為的な分類である。したがって言葉的にも文化的にも宗教的にもほとんど同一と見てよい。歴史的にはもともと、フツとツチの間には身体的特徴の違いは存在したのではあるけれど。 ビクトリア湖を初めとする巨大湖の一帯にはTwa族がいて、1世紀頃、ここにフツ族がやって来た。Twa族を追い出したフツ族は、15世紀まで小さな王国を次々と打ち立てていた。15世紀ごろツチ族がエチオピアからやって来てHutu族の国を征服した。ツチ族は1950年代、植民地支配が終わりの頃まで君主として支配し続けてきた。ベルギーはツチ族の支配を安定させるために、ツチ族フツ族という分類を成文化していた。後、ツチ族の君主制国家は倒れ、1962年、ルワンダとブルンジという2つの国に別れて独立した。独立後、ブルンジではなおツチ族が支配階級に留まったが、ルワンダではフツ族が支配的存在となった。繰り返すが人口比率では両国とも圧倒的にフツ族が多勢を占めている。そんなところに大虐殺が起こったのである。ルワンダの大虐殺については、後日もう少し詳しく検証してみたい。By Mariko Tairaka