刺戳(したく)=刺殺(n-012-3)

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東中野氏の否定根拠 画像
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012 92 刺戳(したく)=刺殺 (日本兵)
CWR3808
Tim
1、どこにも公開処刑の記録はない

2、処刑の現場は関係者以外立ち入れない

3、見物人の服装が夏服である

4、脚立を用いたり至近距離であったりとても兵士の盗撮とはいえない大掛かりな撮影

5、組織的取材の許可が必要だが外人記者に許すはずがない

6、日本人には公開処刑の習慣はない

→だから中国国民党が宣伝本に載せるために演出(と考えることもあながち不可能ではない)
刺戳(したく)=刺殺   
■東中野氏はこの「公開処刑」そのものが、中国国民党のトリックであることを、結論として匂わせている。長々とした説明はそこに導入するお膳立てなので、結論から遡って述べる。

7、名前もわかっている日本兵が撮影した写真がある以上、この処刑は日本軍の行事である。

6、習慣があろうとなかろうと、公開処刑は現に行われた。

5、組織的かどうかは分からぬが、少なくとも2台以上のカメラが活躍していた。

4、カメラの高さは、脚立などは必要としない。脚立は必要か?

3、これは、1938年の7月の可能性があるが、仮に冬でも兵士は白いシャツ姿なることが多いので、服装からでは季節をとやかく言えない。

2、関係者以外立ち入れない。だから関係者が撮影した。

1、これらの写真が公開処刑の記録である。文書は当然処分しただろう。

場所の同一性が証明され、残された写真記録が立体的なので、"切り張りした合成写真だ" とかいう余地もなくなった。

0、そもそも『公開処刑』という言葉が、東中野氏のトリックでした。『公開処刑』というと多くの人は、12月の南京攻略時の投降した中国軍守備隊の虐殺を思い浮かべます。東中野氏は読者に『公開処刑』という言葉を焼き付けた上で、おもむろにそれを否定します。それが左に紹介した彼の「否定根拠」です。私もこうした否定根拠を論破したつもりになっていましたが、まんまと東中野氏のトリックに引っかかっていたようです。皆さんもmsqさんの警告を是非読んで下さい。南京攻略戦直後の『公開処刑』ではなく、翌年の春か夏に行なわれた『銃剣訓練』あるいは『日本刀訓練』だったとすれば、それだけで矛盾点が氷解するのです。

Look 1938年11月22日号
写真:"Killing For Fun"
そのキャプション  
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問答有用30427

"n/143-012"
 
013 92 刺戳(したく)=刺殺 刺戳(したく)=刺殺  
013b 93 刺戳(したく)=刺殺 刺戳(したく)=刺殺   
013c
013d
93 刺戳(したく)=刺殺 阪本多喜二
ジュニア
刺戳(したく)=刺殺
刺戳(したく)=刺殺

■この2枚の写真は、1938年7月から1年間、南京の兵站病院で衛生伍長として勤務した坂本多喜二氏が撮影したもの。この写真が、写真12や13,13bと同じ場所同じ時のものだということは、東中野氏の考察のとおりです。

■それらが8月13日発行の China Weekly Reviewに掲載されたのは、あわただしかったか?しかし、1週間前までに写真が入手できれば十分間に合ったかもしれません。CWR発行人John B.Powellの回顧

■しかしなぜ東中野氏は、この2枚の写真の左側をトリミングしたのだろうか?
 

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