センブ村「日の丸部落」

日本軍の宣撫工作

では宣撫工作の原則とは何か?

@原住民に深く考えさせないこと。
A原住民に直接情報を受けさせないこと。

である。

そのために常に危機をセンセーショナルに煽り立て、宣撫に批判的な人間に危機の原因を転化して糾弾する。

米占領軍が史上最も成功した占領政策だったのは、戦時中からまさにこの宣撫工作が存在したからで、米占領軍は当時存在した宣撫組織にそのまま乗ったのだ。当時の新聞はその記事を批判しただけでそのまま軍部批判となる絶対権力者だった。まさに日本人自身による宣撫工作は戦争前から行われていたのであり、そして今も続いているのだ。

占領政策はどんな時代にあっても、どんな国であっても、いつも同じ方法で始まる。まず民衆は我々の敵ではない、として民衆の味方を装う。悪いのは一握りの軍国主義者だ、というのがそれである。

宣撫工作は常に民衆の側に立っている振りをする。

※山本七平著『ある異常体験者の偏見』から

山本七平のいう「軍国主義者」を「敗残支那兵」に置き換えれば、日本軍による宣伝工作の意味がよくわかる。



日本側プロパガンダを逆手に

  「硝煙下の桃源郷 江南の日の丸部落」はもちろん、中国人向けの宣伝ではない。日本国内向け、および欧米向の宣伝工作であろう。この企画記事のヘソは、『真っ先にかけつけて救いを求めてきた家族』という設定だ。『雇われた家族』(エキストラ)がカメラマンの求めに応じて、笑顔をつくるのは当然であろう。

  だいたい、『日本軍の保護によって敗残支那兵の掠奪をまぬかれる中国人民』、あるいは『日の丸の旗を立てて日本軍部隊に護衛されて畑に出かける中国農民』ということ自体、中国人にとっては荒唐無稽であり、しかも屈辱的なことであろう。怒りの気持ちはわかる。だから、この手の写真寸借とキャプション改竄を、さんざん凌辱の苦しみを味合わされている側が、戦争の真っ只中の時期に行うことに、道義的非はないだろう。元々の写真自体が、演出による「捏造」ドキュメンタリーなのだから。

  しかし、後々それを引用するに当たり、日本側の雑誌を検索しなかった編集者はボンクラと批難されてもしかたない。「誰ならばこの写真が撮れたのか」を考えれば『要確認』に気がつくはずだ。プロとはいえない。
検証板3=笠原「南京事件」写真誤用について
日の丸部落とはなんだ・・・ 『野戦郵便旗』より



アサヒグラフ 昭和12年11月10日号
「硝煙下の桃源郷 江南の日の丸部落」(再現)

「硝煙なほ煙る揚子江附近の宝山県の片隅に、我が軍の庇護によって平和に帰った二つの部落がある。その一つは『日の丸部落』といはれる盛家橋部落で、入り口には『兵は立ち入るを禁ず』といふ派遣部隊長の告示がある。村長さん格におさまっているのは田窪忠司部隊長で、村民たちから先生々々と慕はれている。約400名の村民は、我が軍の保護によって敗残支那兵の掠奪をまぬかれ意を安んして土に親しんでいる桃源郷である」
撮影日時は10月14日、撮影者は熊崎玉樹特派員である。

つまり日本軍は部落に宣撫工作に入ったのである。(「ザ・レイプ・オブ・南京の研究」P.66、藤岡、東中野)

写真A
日の丸部落の女子供の群れ

我が兵士に護られて野良仕事より部落へ帰る日の丸部落の女子供の群れ(10月14日熊崎特派員撮影)

写真B
写真Aの拡大

(写真Aの拡大)

写真C
綿をつみとる日の丸部落の人達

麗らかな秋日和の中で綿をつみとる日の丸部落の人達(10月14日熊崎特派員撮影)
不自然にカメラの前に人が集まっています。

写真D
部落民の嬉しそうな顔を見るがよい 田窪忠司部隊長

働けば働くだけ賃銀を貰い、あまつさえ昼夜を分かたぬ庇護を加えられて、綿の選別に余念の無い部落民の嬉しそうな顔を見るがよい(10月14日熊崎特派員撮影)
不思議な記念撮影です。村の女たちが働いている周りで日本兵がハイ・ポーズ。村の男たちは果たして嬉しそうか? 「村長さん格におさまっているのは田窪忠司部隊長」のための演出写真と思われる

写真E
救いを求めたのが、この家族だ。

日の丸部落の事を聞いて真っ先にかけつけて救いを求めたのが、この家族だ。母親は事変中に病死、父親が20と14と12の3人の娘を擁して逃げ迷った挙句、親戚の娘一人も同伴して盛家橋にたどり着き今では平和な村民として皇軍の庇護のもとにある(10月14日熊崎特派員撮影)
左側5人が「雇われた家族」(エキストラ)


「支那事変写真全集(中)上海戦線」 昭和13年3月1日刊

支那事変写真全集

満州グラフ<事変特輯号> 昭和13年1月号

満州グラフ

満州グラフ

『支那事變寫眞帖』クラオン寫眞館(鈴木貞吉)上海文路三二六

クラオン寫眞館

同じ場所の同じ写真がいろいろなグラフ誌に。アサヒグラフ、満州グラフ<事変特輯号> には、共通のソースがあったかもしれません。(要調査)
検証板7=『日寇暴行実録』(宝山の写真)