**** 腫瘍の成り立ち(腫瘍病理学入門)講演録 ****


平成12年6月20日小田原市民健康講座

小田原市立病院病理・臨床検査科、小田原医師会学術委員、

東京大学医学部大学院非常勤講師(人体病理学)

長谷川章雄


1. 腫瘍の定義

腫瘍TumorあるいはNeoplasm の記述は旧約聖書の時代からある。ただし、古代の概念は、真の腫瘍ではなく、炎症に伴う腫脹(炎症を起こして発赤して腫れ上がった状態)も含んでいた。真の腫瘍学は19世紀以降に始まった。英国の病理学者Sir Rupert Willisによれば、「腫瘍とは、組織の異常な塊であり、その増殖は正常組織の増殖を凌駕して過剰であり、増殖を促す刺激がなくなった後も持続する。」と定義されている。すなわち、自身の組織を構成する正常細胞の一部から発生した異常な細胞(言ってみれば異端分子)が、増殖を促す刺激がなくても<自律的>に(“言うことを聞かずにかってに”という意味で)増殖する。


2.用語法、分類

腫瘍には

がある。

悪性腫瘍を総称して<癌>Cancer, Krebsという。<癌>は日本語では「岩」を意味し、ラテン語のcarcinoma、 英語のcancer、ドイツ語のKrebsは「カニ、蟹」を意味している。癌を更に、

に分けている。前者の代表が、胃癌、肺癌、子宮癌などであり、後者の代表が骨肉腫、軟骨肉腫などがある。体の中の胃や大腸のような多くの管腔臓器は内腔が上皮細胞に覆われており、体を支える支持組織(骨、筋肉など)は非上皮性の細胞で構成されており、それぞれに違った性格をもった悪性腫瘍が発生してくるわけである。

    ・腫瘍

      ・良性腫瘍

      ・悪性腫瘍 = 癌

        ・癌腫 (胃癌、肺癌など)

        ・肉腫 (骨肉腫など)


3.腫瘍の肉眼的形態

隆起性病変(ポリープ状などボールが茎でぶら下がるような形態であるとか、それが更に複雑に枝分かれした乳頭状であるとか、あるいは平皿状あるいは八つ頭状に隆起するような形態がある)

潰瘍性病変(腫瘍の表面がくずれながら、深部に向けて掘れていって、火山のクレータ、噴火口のような形態を取ることが有り、これは悪性腫瘍に多い)


4.腫瘍の組織学的構造

腫瘍から作成された顕微鏡標本を光学顕微鏡で観察すると(これを組織学的検索という)、一言で悪性腫瘍と言っても、腫瘍の発生母地に対応して種々の形態を示している。19世紀後半のベルリンの大病理学者ウィルヒョウ(Rudolf Virchow 1821-1902)の打ち立てた「細胞病理学」を基盤として、現在までのところ、そのような腫瘍の組織学的特徴で腫瘍の決定的診断や分類が行われている。更に、腫瘍細胞を、電子顕微鏡を使用した超微細な形態の観察、あるいは分子生物学による遺伝子の分析(分子病理学)によって、更に厳密に特徴付けることも行われている。


5.悪性腫瘍の発生、増殖、進展

前癌状態

癌が発生してきやすい母地という意味で使われるが、実際にはその大部分は癌に発展はしないことは銘記する必要がある。例としてば、肝癌に対する肝硬変症、子宮頚癌に対する頚部異形成、肺癌に対する扁平上皮化生、皮膚の扁平上皮癌に対する日光角化症などである。

局所浸潤

悪性腫瘍は発生部位で大きくなるとともに周りの正常組織に対して、浸潤を始め、そこにある正常組織を破壊する(ちょうど戦争における侵略行為のように、前線が複雑に錯綜して入り乱れる)。これに対して、良性腫瘍の場合は、周囲の正常組織との間の境界が明瞭であり、(ちょうど平和時における国境線のように)くっきりと境される。例えば、乳腺にできる悪性腫瘍である乳癌は周囲の脂肪組織を破壊しながら浸潤するために、触れると周囲と癒着して「可動性が悪い」が、同じく乳腺に発生する良性腫瘍の代表である線維腺腫は周囲の脂肪組織との境界が明瞭なために、触れるとコロコロと移動し、「可動性がよい」。

    *注: 乳癌、皮膚癌などの体表面に近い部分にできる癌は、この局所浸潤の段階で塊をだれでも触知しうるので、本来は早期発見、早期治療が可能な癌であり、常日頃乳腺を自分でチェックして、塊が触れる場合などは直径1 cmぐらいまでの段階で専門の外科医を受診されることが望まれる。

転移

悪性腫瘍と良性腫瘍を鑑別するもっとも重要な特性である。悪性腫瘍は局所浸潤した後、そこにある血管、リンパ管の中に入り込み、原発部位とは離れた他の臓器に漂着して、そこに拠点を確保して、増殖を開始する。言ってみれば、<本家>とは離れた土地に<分家>を猛烈な勢いで作っていく。この転移を形成する(受け付ける)ことの多い臓器は、肝臓、肺、リンパ節である。

    体腔(腹膜、胸膜への播種):胃癌などは腹膜腔に播種して(種をばらまいて)癌性腹膜炎を、肺癌などは胸膜腔に播種して癌性胸膜炎を起こす。
    リンパ行性:原発巣近くの所属リンパ節にまず転移し、更に数珠状に進展する。腹部の消化管の癌は左の鎖骨の上にあるリンパ節に転移することが多い(これをウィルヒョウリンパ節転移という)
    血行性:腹部の胃、大腸、膵臓などの癌は肝臓に門脈を介して転移し、その他の多くの臓器に発生する癌とともに、更に肺に転移を形成する。肺から体循環に癌細胞が入ると全身に飛び散る。


6.癌の疫学

地理、環境要因

例えば、胃癌による死亡率は男女ともに日本はアメリカの6、7倍高い。逆に肺癌の死亡率はアメリカは日本の2倍である。皮膚癌の一種である悪性黒色腫の死亡はニュージーランドはアイスランドの6倍であり、日光照射(紫外線)の程度の違いによると考えられている。人種差よりは環境あるいは分化的要因が癌の発生差が大きな影響を与えていることは、日本人、アメリカに渡った日系一世、二世白人の癌の発生パターンを解析した疫学研究からも支持される。アスベストによる胸膜中皮腫などは職場での被爆と関連した発癌要因である。喫煙はもっとも悪質な、かつ回避しるつ発癌因子であり、肺癌、口腔、咽頭、喉頭、食道などの癌発生に貢献している。日本人研究者(山極勝三郎、吉田富三東大教授、、)が貢献した化学物質による発癌の研究は、発癌因子の排除に大きく役立った。特に喫煙にも関連するベンツピレンなどの多環系芳香族炭化水素、肝臓発癌を起こす芳香族アミンとアゾ色素(バター・イエローなど)などは、20世紀初頭の癌の増加に大きく影響したが、その後、研究結果が明らかになるとともに次第に環境から排除されてきた。アルコール中毒は、肝硬変症から肝癌の発生へと導く。子宮頚癌にリスクは、初めてセックスをした年齢(低ければ低いほど多く発生)とセックスのパートナーの数(多ければ多いほど多く発生)に相関する。これはセックスによりヒトパピローマウイルス(human papilloma virus: HPV)が感染するためと考えられている。すなわち、「快感を得るため、あるいは享楽のためにヒトが必要とするものはすべてのものは、肥満、不道徳、違法行為、もっと悪いことには悪性腫瘍の発生に貢献している」と言われる。それ以外にも、九州に多い成人性T細胞性白血病(ATL)は、レト鴻Eイルスの一種であるHuman T-cell Leukemia Virus Type I (HTLV-1)の関与によって癌化する。感染経路はセックス、血液製剤、母乳栄養であ利、感染者の約1%が20−30年後に白血病となる。したがって、ATLを見た場合には、患者さんの出身地を一応聞くのが常である。HTLV-1の感染者に関しては、もし赤ちゃんが産まれた場合には、垂直感染を避けるために母乳で育てないように指導され、それだけで心配はほとんどなくなる(母乳栄養が一般に危険というわけでは決してないので注意。一般にはむしろ推奨されるでしょう)

年齢

癌死は55−74歳の高年齢に多いが、その中でも癌腫は高齢者に多く、一方肉腫は年齢を選ばない傾向がある。若年の側には、15歳以下の小児にも癌死のピークがあり、その内容は、神経芽腫、腎臓のウィルムス腫瘍(Wilms)、網膜芽細胞腫、急性白血病、横紋筋肉腫などである。

遺伝

「自分の両親は癌で死亡したが、自分も同じ運命だろうか?」とはよく聞かれる質問である。確かに、発癌の大部分には、環境要因のみならず遺伝因子も関与するというのが定説である。ただし、環境因子の方がはるかに大きい。遺伝の関与が明らかな癌としては、まず稀な遺伝性の癌症候群(常染色体優性)が知られており、その中には家族性の大腸ポリポーシス(FAP)、家族性網膜芽腫、多発性内分泌腫瘍症候群などが有る。2番目に、家族集積性の目立つ癌があり、その中には、乳癌、卵巣癌がある。普通は、40歳以降に散発的に発生してくる乳癌が、その家族に限って、20歳代のうちに何人かが発症してきたというような場合には、一応それなりの専門医に診察、検査をたのんだ方がよい。

獲得された前癌的状態

急性肝炎、慢性肝炎、肝硬変症と進行した例では、肝癌が発生しやすい条件がそろっている。これを含めて、いわゆる前癌状態と言われる状態があるが、直ちにすべて癌になることを意味しているわけではない。また、子宮筋腫から平滑筋肉腫が発生することは極端に稀なように、大部分の良性腫瘍においては放置しても悪性腫瘍が発生することはない。


7.癌の分子生物学

癌遺伝子 (Oncogenes)

癌抑制遺伝子 (Suppressor genes)

癌化の基盤には、細胞を死なせない程度の遺伝子の障害(遺伝子のキズといってもよい)がある。それは、化学物質、放射線などにより引き起こされる。腫瘍の増殖は元を質せば、このような遺伝子に障害を受けた一個の細胞の増殖に由来するが、これを腫瘍増殖のクローン性(Clonality)という。すなわち、体の中で、完全にうりふたつの細胞のみが“他人の迷惑省みず”かってに増殖していくわけである。クローンのイメージは、SF映画で、まったく同じ姿形のヒトもどきの怪物が工場で生産されている画像などを参考にしてほしい。

この遺伝子の障害には、細胞増殖を進める、自動車で言えばアクセルの役目を果たす、癌遺伝子(Proto-oncogenes)と、本来は細胞増殖を押さえる役目を持っていて、自動車で言えばブレーキの役目を果たす、癌抑制遺伝子がある。癌遺伝子が過剰に発現した場合、すなわちアクセルを踏んだままの状態で元に戻らなくなった時、および、癌抑制遺伝子が機能しなくなった時、すなわちブレーキが中途で引っかかって深く踏み込めなくなった状態の時、の両方で癌の発生、進展、転移が起こるのである。染色体は二本ずつ対で(ヒトでは23対合計46本)備わっており、それぞれに対応した遺伝子がのっているために、本来は同じ物が二個ずつ用意されているのであるが、多くの場合、癌遺伝子の場合はその内の一本のみが過剰に発現しただけで癌が発生するが、癌抑制遺伝子の場合は二本の両方ともが障害を受けないと(二本とも故障しないと)癌にはならない。

多段階発癌(Multistep Carcinogenesis)の分子的基礎

癌の発生は、多段階的に進行していく(tumor progression)。すなわち上記の癌遺伝子、抑制遺伝子、その他の障害が積み重なって、我々が臨床的に認識できる癌となる。例えば、大腸においては、過形成、腺腫、腺癌と癌化に至るステップがあるが(これをadenoma-carcinoma sequenceという)、この進行の背景にはそれに対応した遺伝子異常が起きている。すなわち、まずAPC腫瘍抑制遺伝子の不活化が起き、ras遺伝子の活性化、p53遺伝子の欠失がそれに続く。このように遺伝子異常が多段階的に蓄積していくことで、癌が発生するというのが現代における正統的な発癌理論である。


8.癌に対する生体の防御機構 ‐ 腫瘍免疫

腫瘍細胞は、宿主の体の細胞から発生してくるものであるから、本来は自分自身(自己: self)であるが、発癌の過程でいくつかの遺伝子異常が蓄積しているので、本来その個体にはない蛋白などを作る能力を発現し、その意味で自分自身ではない(非自己: nonself)性質(特に抗原性)を細胞の表面に提示することがある。その場合には、細菌やウイルスなどの外敵の侵入に常時備えている、生体の防御機構である免疫系が反応して、非自己である腫瘍細胞を攻撃してくれる。これを免疫監視機構(immunosurveillance)と呼んでいる。すなわち、我々が生まれてから老人になるまでの間には、無数にある体細胞の中の一部には癌化した細胞がある程度の頻度で発生してくるが、その大部分は免疫担当細胞がその「内なる反乱分子」を早期に認識して、駆除していると考えられている。


9.癌の臨床

癌が患者の状態に与える影響

局所的効果としては、まず機械的圧迫があるが、胃や大腸の癌では、一定の大きさになると内腔を閉塞させて通過障害(イレウス)を起こす。また、腫瘍が大きくなると正常組織を破壊するので、そこにあった正常機能の欠損症状と徴候を示す(例.脳下垂体腺腫)。あるいは、腫瘍の浸潤とともに潰瘍が形成されて、そこから大出血を起こすことも稀でない。

全身的影響としては、消耗が進んで、皮下脂肪組織の消失、痩せ(体重減少)、全身倦怠、食欲不振、貧血などを呈し、顔は死相を呈し、哲学者のような顔貌(ヒポクラテス顔貌: facies Hippocratica)となる。これを腫瘍悪液質(cancer cachexia)という。

癌の診断の実際

現代の医療においては癌の診断が下されるまでには、病理組織検査、臨床検査、超音波検査、放射線検査など、非常に多段階のプロセスで確認されるので、昔のように、医師の勘、直感だけで臓器が切り取られてしまうことはまずない。例を提示すると、

    胃癌の手術: 外来での診察から始まって、造影剤を飲んだX線の二重造影写真、消化器専門医による内視鏡を呑み込んでの直視下観察、その際に小さな組織が切除されて(生検バイオプシー)病理科に提出され、それから顕微鏡標本が作成され、病理医といわれる病理診断の専門の医師が顕微鏡的な診断をする。それらの多くの成績を総合的に臨床各科で討議して、各患者の手術の実施に至るのである。手術中にも、切り取った胃の断端に癌がないことを、病理科において凍結切片による迅速診断を実施して、確認することもある。もし、断端に癌細胞がいることが確認されれば、外科医は手術を続行して、癌のいないところまで切除すべく努力する。
    乳癌の手術: まず患者さんが自分で乳腺の中の腫れ物に気が付き、外科を受診すると、外科医は触診である程度診断を絞ったのちに、超音波(エコー)、X線的診断(マンモグラフィー)を行い、更に癌を強く疑った場合は、針を乳腺のしこりに突き刺して、吸引してわずかの細胞を採取し、それから作成された細胞診の標本を細胞診スクリーナー(臨床検査技師)と病理医が顕微鏡で診断する。それらの結果を総合的に勘案して手術となる。更に細胞診でも確信がもてない微妙な症例の場合は、手術中に、癌と疑われた部分のみを外科医が小さく切除した後、直ちに病理科に提出し、そこで標本を凍結した後に薄切して、顕微鏡標本を作成し、病理医が診断する(15分以内で結果が出る、これを凍結切片による術中迅速診断という)。癌であれば、乳腺全体を切除することもあるし、縮小して切除することもある。逆に、癌でもない病変(良性腫瘍: 線維腺腫、乳腺症など)で乳腺を大きく切除してしまうことを避けるべく、最大限の防御壁が何重にも準備されている。

手術材料は、腐らないようにホルマリン液に固定されて病理科に提出され、病理医(Pathologist)といわれる、医師免許取得後、病理学の実践に関する専門的な訓練を受け、日本病理学会認定医となった専門医によって、詳細に検索されて、腫瘍組織型の詳細な分類、癌の進行度(胃癌であれば、粘膜内にとどまっているのか、あるいは深く浸潤しているのか、など)、リンパ節転移の有無などの、それによって手術以降の治療方針が変わってくる重要な情報が解析される。その結果は病理診断報告書となって患者の主治医にフィードバックされ、カルテに貼られる。いわば、外科医(産婦人科医、脳外科医、、、)が、癌に対する直接的な攻撃部隊であるとすると、病理医は戦闘空域での航空管制、暗号解読、あるいは偵察写真による爆撃成果の解析などを担当して、全体として対癌医療が有機的に機能するように現代の医療チームは編成されている。

また厚生省の研修教育指定病院では、不幸にして治療の努力むなしく患者さんが死亡された場合には、ご家族のご了解を得た上で病屍体を病理解剖にかけ、生前の診断が正しかったかどうかを検証し、貴重な例については臨床・病理検討会(Clinicopathologic Conference: CPC)で詳細に解析して、反省点を明らかにし、今後の医療のために利用させていただいている。


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