03年2月13日 − 東山五条西大谷廟
それから7年が経った平成15年の2月13日、東山五条、いわゆる五条坂西大谷廟にある司馬遼太郎
の墓を訪ねた。死から2年後に墓ができたことは何かの記事で知ったが、特に切り抜きも取らないまま
だったので、場所を確認できたのはインターネットのおかげである。ネットは市民が必要な情報を得る
ための生活必需品だ。重要であるはずの墓の所在情報を放置していたのは、当時、つとめて司馬遼太郎
から自分を隔離しようとしていたからであり、司馬遼太郎を封印していたからだと思う。それなりに内
容のあると思われた追悼関連の出版物を揃え集めた後は、次々に市場に供給される売らんかなの司馬遼
太郎本の存在は、見ていて憤りを増すばかりのものだったし、それらに関心を払うのは精神衛生上よく
ないように感じられた。
不愉快なことが多かった。死後の追悼事業としてそれなりに納得して受容できるのは、『街道をゆく』
を始めとするNHKの真摯な番組制作と司馬遼太郎記念館の建設の二つくらいで、他にはあまりない。
司馬遼太郎の死を利用して金儲けする愚か者ばかりが跳梁跋扈し、本来、司馬遼太郎の憂国の憤怒によ
って糾弾されなければならないバブルの責任者たちが、抜け抜けと活字媒体の上に登場して、司馬遼太
郎への尊敬と忠誠を読者に語って聞かせていた。中内功、諸井虔、小渕恵三、橋本龍太郎、小泉純一郎。
出版社の金儲け欲のため、経営者の自己顕示欲のため、政治家の票取り欲のため、司馬遼太郎の死は利
用された。司馬遼太郎の死後の世界は、厚顔無恥が掃き集められた世界であり、読者の心
は傷つけられ続けたのだ。
五条坂の大谷本廟は親鸞の墓所で、平安古代より鳥辺野と呼ばれた葬送の地である。正面から本廟に向
かって左側の坂道を上って右折すると大谷墓地に通じる。墓石数1万2千。崖の斜面を棚田状に整
地して何段もの墓所が開かれている。総面積はさして広くないが、密集して連なる墓石の数の多さに目
が眩みそうになる。少しでも親鸞の近くで眠りたいという多くの人々の願いが形になってあらわれてい
るようであり、しかも贅を凝らした大きな墓石から貧弱な小さな墓石が、何の連携も脈絡もなく、その
まま一所に群れ集まっている。斜面から向かいを見ると目の前に国道1号線が横切っていて、車の騒音
が激しい。国道を隔てた向こう側には新幹線の東山トンネルが通る阿弥陀が峰があり、山と山の間の細
い谷を国道1号線が通過している。
この国道がなければ、大谷墓所も風情があって雰囲気のよい沈思と黙祷の場所になるのだが、けたたま
しく幹線道路を行き交う車の騒音を傍らにして、車の中の急ぎ逸る人の気持ちを間近に聞きながら、墓
の前に手を合わせなければならない。司馬遼太郎の墓は斜面の一番下の方の区画にあり、したがってそ
こは幹線国道に最も近接した場所でもあった。墓石は小ぶりで、周囲のものと比較してももちょうどい
い感じの大きさ。生前の司馬遼太郎の人柄を偲ばせ、また墓をたてた者のセンスのよさを感じさせる。
予想したとおり菜の花がたくさん供えられていた。司馬遼太郎の墓の位置は決してわかりやすいとは言
えないのだが、探す者にとっては菜の花の黄色が目印になる。季節的にも、また訪れた日も13日であ
ったので、当然、菜の花が多かった。
車の騒音は聞こえるが、周りに誰もいないので静かに司馬遼太郎と対面できる。碑銘は正面に「南無阿
弥陀仏」、角の左側面に「司馬遼太郎」。墓の前に腰をかがめて、この7年間の不甲斐なさばかりがせ
りあがって、無念さと無力感でどうしようもない気分になり、腰を上げることができなくなった。瞼を
閉じると車の騒音に包まれる。瞼を開けると菜の花の黄色と墓石の灰色が目に入る。排気ガスの混じっ
た冷たい風が谷を吹き抜けてくる。風が吹く中を時間が過ぎ、誰かが近づいてくる気配がして、漸くそ
こを立ち退くことができた。墓前に佇んだとき、体重が五倍くらいになって地面にへばりついてしまう
かと思った体は、それでも二倍くらいの重さに減っていた。体の中に残る重さを感じたまま、下を向い
てトツトツと産寧坂の方へ歩いて行った。
司馬遼太郎の墓を西大谷廟に設えたのは、生前、新聞記者時代の縁ということもあるだろうが、それ以
上に、なるべく坂本龍馬の眠る場所に近いところにしてあげたいという遺族の配慮ではないかと想像す
る。距離にして約700メートル。遠くから京都に来て坂本龍馬の墓の前で手を合わせた者は、その足
で鳥辺野墓地まで歩くことができる。霊山神社前の急な坂道は足に堪えるが、難儀な思いをした分、山
の上からの京都盆地の景観を楽しむことができる。いつもながら若い人が多い。何人かの集団で、あの
志士の墓地へ続く階段を元気に踏み上ってゆく。高知の桂浜でもそうだ。二十代の若い人が多い。少し
前は、そういう無邪気な若者たちの興奮した喚声が煩く聞こえたときがあったが、今は違う。この中か
ら一人の龍馬が出てくれたらと、そう思い願うようになった。

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