龍馬と土佐革命派 − 志士の死

司馬遼太郎は、維新史において坂本龍馬だけが型破りで、思想と人格が時代を超えている点で類 例がないと断じている。小説の竜馬が空想物語の主人公ではなく実在の歴史的人物である由縁は、 小説に描かれた人物像をそのまま証明する多くの史料が証拠として残されている点にある。龍馬 はただ愛嬌があり、魅力的であっただけでなく、恰もそこに現代人の好青年が飛び回っているか のような生き方を見せていて、時空を超えた不思議さに満ちている。霧島へ新婚旅行に行った逸 話もそうであり、また司馬遼太郎が特に注目する乙女宛ての手紙の筆致がそうである。文面の率 直さや表現のユーモラスさは、近代人と言うより現代人の手紙そのものであって、とても明治以 前の身分制社会の人間のものとは思えない。龍馬を取り巻く人間関係の世界そのものに封建社会 の臭いが皆無なのである。乙女に出した有名な手紙の複製が桂浜の坂本龍馬記念館に展示されて いるが、それを見ても、字体はともかく内容は、史料に相対しているという実感がしない。

龍馬の活躍は歴史の奇跡だが、あまり奇跡性のみ強調するのでなく、なぜ龍馬が薩長同盟の 偉業を果たせたのかという問題について、内在的にその理由や背景を検討する必要があるだろう。 注目するべき点が二点あるように思われる。一点は、やや見落とされがちだが、龍馬 が勝の保護と支援を得て神戸や京で活躍する以前から、すでに全国の青年武士社会において一目 置かれた存在であった点である。すなわち神田お玉が池千葉道場の塾頭というエリート剣士のキ ャリア。剣術の技能だけでは塾頭にはなれない。周知のとおり、龍馬は千葉道場(北辰一刀流)の 塾頭、桂小五郎は麹町斎藤道場(神道無念流)の塾頭、武市瑞山は京橋桃井道場(鏡心明智流) の塾頭であった事実がある。「位の桃井、技の千葉、力の斎藤」と言われた当時の剣壇の名門を後 の革命家三人が独占している。これは単なる偶然の逸話と見るべきではなく、むしろその履歴と 名声があったからこそ、この三人が志士集団を統率するリーダーに収まり得たと考えるべきだろう。

もう一点は、あらためて強調する必要もないが、武市瑞山なき後、土佐の革命集団(郷士集団) を率いる指導者は龍馬以外にないと、藩内の革命派も、藩外の革命派も、誰もが等しく認めてい た点である。いわば龍馬は、亡命者でありながら指導者である亡命土佐革命党(ポスト勤王党) の首領であり、ロンドン在住のレーニンであった。さらに幕府開明派との人脈ネットワークもあ り、薩摩首脳が一目置いて賓客扱いするのは当然であったと言える。瑞山が生きていれば、龍馬 は土佐革命派の別格的なNo.2であっただろう。瑞山は龍馬を評価し、龍馬も瑞山を評価した。 同じ土佐の志士でありながら、二人は路線を分け、生き方を分けたが、互いに高く認め合ってい たことは疑いない。テレビドラマでは、瑞山が死に臨んで「まだ龍馬がいる」と希望を残す場面 がある。それは脚色ではあろうが、瑞山の正直な気持ちであったと考えてよいだろう。自分は権 力主義と暗殺主義に奔って失敗したが、龍馬なら必ず別の方法で成功させられると念じたに違い ない。

革命に貢献した流血は土佐が最も多い。司馬遼太郎の主張である。『竜馬がゆく』は颯爽とした 快男児の青春物語で、基調は溌剌として明朗だが、その一面で悲壮感漂う悲劇の物語の性格もあ る。『竜馬がゆく』に悲壮感が溢れるのは、単に主人公の龍馬が最後に暗殺されて非業に死ぬか らだけでなく、龍馬自身が、殺されるまでの間に、次々と同じ土佐の仲間を政治の激動の中で失っ て慟哭するところにある。同じ志を抱いたかけがえのない郷里の仲間の命を奪われて、その悲劇 の前に立ち伏す若い龍馬がいる。龍馬の前で何人も、瑞山も寅太郎も以蔵も死んだ。土佐革命派 の同志の死は痛切で傷ましい。藩の庇護がなく、身一つで都大路を奔走しなければならなかった 土佐の志士は、反革命テロリズムの恰好の餌食となり、徒に多く犠牲者を出した。四国山脈の峻 険を飛び越え、瀬戸内海を泳ぎ渡り、はるばる天子のいる憧れの京へ出て、自由と平等のために 一瞬の情熱を燃やし、熟れぬ政治に翻弄され、無邪気に無垢に斃れて屍となって行った。

維新で男たちが死ぬとき、薩摩の者は軍の兵士として、銃弾を受けて機械のように黙って死んで ゆく。長州の者は革命の戦士として、革命のエネルギーそのままに火炎の中に飛び込んで燃え果 てる。土佐の者たちの死は、兵士の死でも隊士の死でもない。訓練を受けた組織の戦士の死では なく、生身の一人の人間の死であり、流血しながら、痛いと呻き声を上げながら、苦悶と無念の 中で絶命してゆく。志士として、浪人として、空しく命を落としてゆく。それは同志の死と言うよりも 家族の死だ。人間としての悲しみをいっぱい引き摺って死んでゆく。亡骸を拾い上げる者もなく、 栄誉や特典を与えられることもなく、無名に、無駄に死んでゆく。田舎者の命を純朴に可憐に奉げ 捨ててゆく。土佐の者たちの死は、見る者にひたすら辛く哀しい。薩長同盟と戦中八策で日本史 の英雄となった龍馬の活動は、その一面、常に藩の庇護のない土佐の仲間たちの命を守る場所を 確保するための闘いだった。神戸操練所も亀山社中も海援隊も。だから龍馬の死は本当に辛い。